2018年

2月11日

創意工夫で未来の製紙業を考える

ゲストは山陽製紙株式会社の代表取締役社長の原田六次郎さん。
産業用の包装資材から一般に向けても再生紙を使った商品を生み出していらっしゃいます。

元々はどこからのスタートなのでしょう。
「社名が語る通り、広島の発祥です。
私の祖父が創業者になります。
広島・三好の製紙会社に勤めていたそうです。
なかなかやり手だったようで、昭和3年に独立したそうです。
3〜4年後には広島市内に社を構えました。
当時は中国、台湾、韓国などにも販路を増やしていったそうです。
ちり紙を加工していたそうで、再生紙ということでは今とつながりますね。
戦争も経験しています」。

広島で戦時中でいうと…。
「8月6日ですね。
祖父母は爆心地から4kmのところで直撃ではありませんでしたが、被爆しました。
がっくり来たと思うんですが、創業者というのはすごいですね。
そこから再起したそうです。
私の名前は六次郎というのですが、その昭和20年から6年目、2番目に生まれたということでこの名前なんです。
再起したその年には思い入れがあったようです」
その後、大阪から製紙業の誘いがあり、大阪へ転居。
戦争で裸一貫に…そして新規事業。
かなりのビジネスマンです。

その後、事業は順調に?
「昭和32年には突然、広島の会社が倒れました。
大阪の会社は驚きでしたね。
私が小学2年生の頃でした。
後から聞いたのですが、倒産後、地元の業者さんから原料など応援してもらったそうです。
その再起の中心は祖母でした」。
驚いたことに会社が倒産した時代も、社員さんはお辞めにならなかったそうです。
「社訓がありましてね。
“社の為になくてはならぬ人になれ”。
会社が再起しようという背景もあったと思いますが、会社のために辞める人はいなかったそうです
ありがたいですよね」。
創業者の魅力、社員の想いがあって会社は進むことになります。
「うちの社是に“創意工夫”があるんです。
うちの社員は機械の修理などは自分でするんです。
考えて工夫するって大事にしていかなければなりません」

原田社長は順当に社長業を継ぐ運びに?
「もともとは継ぐ予定はなかったんです(笑)。
24歳の時に入社でした。
オイルショックの時代でしたから紙が作れない。
大変な時代でしたね。
部長や課長など“代理”としていろんな勉強させてもらって、34歳の時に父が倒れて引き継ぐことになりました。
急なことだったのですが、ベテランの社員さんにとても助けていただきましたね」。

奥様も現在、専務として会社に入っておられますね。
「女性の力を発揮してもらっています。
もともと教師だったのですが、十数年前、経営理念を考える時に大きな力になってくれました」。

様々な経験を積んだ山陽製紙株式会社。
これからのビジョンは?
「経営ビジョンに“地球の財産を生かし、自然と共に生きる永続企業”というものがあります。
地球と共に生きていく。
時代と共に技術が発展していってます。
会社も人も時代に対応して幸せになっていけるといいですね」。

創業者の想いを引き継ぎ、創意工夫で紙の可能性を追求。
地球と人の為になくてはならぬ会社です。


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竹原編集長のひとこと

創業者の理念が生きながら、時代にも沿って動いている。
人と仕事の良い結実ですね。