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背割堤(せわりてい)地区淀川河川公園で淀川を知る。PART【1】

2007/4/22放送
【リポーター:山口 奈緒美】

木津川、宇治川、桂川の3つの川が合流する地点から淀川がスタートします。
淀川は、母なる川。昔から飲み水や生活用水、農業用水に利用されてきました。また、京都と熊野街道の起点となる大阪の天満橋(八軒家)をつなぐ川の道でもありました。淀川の治水の歴史を淀川資料館で伺い、外来魚や外来種が増加して淀川の生態系が変化している現状を大阪府水生生物センターでお聞きします。

背割堤地区淀川河川公園

背割堤(せわりてい)淀川河川公園
川の出発点となる木津川、宇治川、桂川の3つの川が合流する地点に来ています。ここは、背割堤地区といわれ、河川敷が公園になっています。桜の満開が少し過ぎた頃で、風が吹くたびに舞う桜吹雪が大変美しいです。ご夫婦でお弁当を食べている方、ご家族で来られている方、絵を描いている方などたくさんの方々の憩いの場所となっています。また、桜の枝に止まりにくるウグイスやヒヨドリなどの野鳥も見ることができます。

桜吹雪が舞う淀川河川公園
桜吹雪が舞う淀川河川公園

河川公園の桜並木では、多くのカメラマンが桜の木を狙っています。桜の花を撮っているのかなと思ったのですが、そうではなく、ニュウナイスズメというこの時期にしか来ない珍しい鳥を撮っているとのことです。淀川の出発地点背割提地区の河川公園は、穏やかな陽光のなか、春真っ盛りです。

カメラマンが狙うのはニュウナイスズメ
カメラマンが狙うのはニュウナイスズメ
ウグイスがいい声で鳴いています
ウグイスがいい声で鳴いています
   

「淀川資料館」で治水の歴史を伺います。

「淀川資料館」のマネージャーの松永正光さんにお話を伺います。
― さきほど河川公園で伊勢湾台風の時にここまで水位が上がったという標識を見てきたのですが。

松永さん: 伊勢湾台風は昭和34年ですが、その時よりさらに水位が上がったのは、昭和28年の13号台風のときでした。資料館の裏の堤防の上で、座った状態で手が洗えるほど水位が上昇しました。堤防までの高さが約30センチ程しか残っていませんでした。

― 堤防はかなり高いですね。そこで座って手が洗えるという事は、ほんとにすごい量の水だったんですね。洪水の危険があるという事で堤防の改修が行われる訳ですけれども、いつごろ改修が行われたのですか?

松永さん: 下流に枚方大橋があるのですが、その付近で明治18年に堤防が決壊し、河内平野全体が浸水しました。生駒の裾野から大阪市内まで浸水が広がり、大阪城の周辺と上町台地を残して全域にわたって水没しました。約20日間、ひどい所では1ヶ月近く水が引きませんでした。

― 1ヶ月近く浸水したままですか!大変な事態ですね。

松永さん: その明治18年の大洪水がきっかけで、洪水から大阪市内を守ろうという事で、淀川の洪水を一気に大阪湾に流してしまう大改修工事が、明治29年〜
43年ぐらいまでの間に行われました。守口に「さた」という所があるのですが、鳥飼大橋の約1キロ程上流から大阪湾までほぼ一直線になっています。明治の時代の淀川の大改修工事によって安心な川、安心な堤防作りが完成しました。

 

伊勢湾台風最高水位記録標識
伊勢湾台風最高水位記録標識
淀川資料館マネージャーの松永さん(写真右)
淀川資料館マネージャーの松永さん(写真右)
淀川資料館
淀川資料館

録に残る洪水は、およそ200回。記録に残っていないものを含めると、実際はそれ以上あったかもしれません。なかでも人的被害が大きかったのは、昭和34年の伊勢湾台風で、淀川流域でも多くの方々が亡くなりました。淀川資料館では河川公園に訪れる方に、もっと淀川の歴史や現状を知ってもらおうと、様々なパンフレットが用意されていました。

◆淀川資料館ホームページ:http://www.yodo-museum.go.jp/

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