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大和川 PART【1】

2007/10/7放送
【リポーター:山口 奈緒美】

江戸時代(1704年)に大和川は付け替えられました。
江戸時代(1704年)に洪水対策のため大和川は大規模な付け替えが行われました。どのようにして付け替え工事が行われたのかを柏原市立歴史資料館学芸員の安村さんに伺います。そして、堺出島漁港から船に乗って大和川河口付近の現状を見ます。

西暦1703年代大和川流域の図

柏原市役所前を流れる大和川
柏原市役所前を流れる大和川

大和川の付け替え
原市立歴史資料館学芸員の安村俊史さんにお話を伺います。
― 大和川は江戸時代に大規模な付け替えがされたということですが。

安村さん: 付け替え前の大和川は久宝寺川(長瀬川)や玉櫛川(玉串川)など数本の川に分かれ、大阪城の北で淀川(現在の大川)に流れ込んでいました。しかし大雨になると川の水がうまく流れず、たびたび堤防が決壊して洪水を起こしていましたので付け替え工事が行われました。

― 付け替えられた川はほぼ90度近く曲がっていて大工事だったようですね。

安村さん: 1704年2月に付け替え工事が始まって、その年の10月には完成しています。わずか8ヶ月で現在の大和川が造られました。当時の付け替え工事計画の書類を調べてみると、3年ぐらいかかる予定だったようです。

― 8ヶ月というのは早いですね。早くするために何か特別な方法がとられたのですか?

安村さん: 付け替え工事の半分は江戸幕府の直接工事で、残り半分を幕府から命じられて各藩が分担して工事をすることになりました。他の藩には負けたくないという対抗意識と、工事が早く終われば安くあがるということで、各藩が工事のスピードを競ったようです。
さらにもうひとつ大きな理由があります。それは川底を掘って造ったのではなく、盛り土をして両側に堤防を築くという方法がとられたことです。工事をする前に正確に測量して、どこに大和川を通せば一番簡単に、しかも早く工事が完了するかを十分に考えたようです。

― 効率的な工事だったということですね。柏原市立歴史資料館の施設ついてご説明ください。

安村さん: 柏原の歴史を年代順に展示しております。また年4回、テーマを決めて企画展を開催しています。現在は「大和川を守る」というというタイトルで、大和川の付け替え工事がどのように行われたのか、そして人々がどのようにして大和川を守ってきたのかを詳しく展示しています。

柏原市立歴史資料館
柏原市立歴史資料館
柏原市立歴史資料館学芸員の安村俊史さん
柏原市立歴史資料館学芸員の安村俊史さん(写真右)
中甚兵衛像
中甚兵衛像

中甚兵衛像
和川の付け替え工事が行われた地点、ちょうど大和川が大きく曲がっている場所に来ています。左から石川が合流して、その先で90度近くに川が曲がっています。堤防を越えたところの国道25号の道路脇に、大和川の付け替え工事の中心人物、中甚兵衛の銅像が建っています。左手を腰にあて、右手は大和川を指しています。今日はここからさらに河口へと向かっていきたいと思います。

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