今でこそ茅葺き職人として全国的に活躍されている屋根晴さんですが、 実は美山に縁もゆかりもなく、 そればかりか、茅葺きの知識すらないところからの出発だったそうです。

「私は神戸の出身で、大学は京都で、卒業後すぐに美山へ来ました。 茅葺き職人見習いですね。 茅葺きのことは何にも知りませんでした」

大学時代はバスケットをやっていて、キャプテンだった屋根晴さん、 卒業2か月前までバスケットをやっていましたそうで…。

「就職活動もせず、卒業の3か月くらいですかねぇ。 卒業したらフリーターしかないなぁ、と思って、 アルバイトをしようと雑誌を見ていたら、 美山町で茅葺き職人を募集、という記事を見つけたんですよ」

なんと、アルバイト感覚からこの道に!?

先週ご紹介した、屋根晴さんお手製の鶏舎内部。こんな複雑な茅葺きもなんなくできてしまう屋根晴さんですが、その出発点は…

「親はサラリーマンだったんですけど、 私は会社に入って何かやっているというイメージがわかなかったんです。 でも特別な才能もないしお金もないし、英語が話せるわけでもないし、 手に職をつけようかなぁ、という思いが漠然とあったんです。 それと小さい頃から転勤族で、小学校の時に長野に何年か暮らしていて、 そのときにカエルや魚を捕ったり、田んぼで野球したのが心地よくて、 将来は田舎で暮らしたいなぁ、と思っていたんです」

それでアルバイト雑誌にあった求人広告を見て、 これなら手に職つけられるし田舎に住めるし、 と即決でした屋根晴さん。 しかし茅葺き職人の見習いというのは、じゃあ!やるかって気持ちだけでは 普通はその道へ進まない気がするんですけど…。 その勇気というか、思い切りがおもしろいですね。

それまでまったく知らない世界で、求人広告の茅葺きの茅、 という漢字も読めなかった屋根晴さん。 「でも写真を見て、日本昔話のような世界だなぁ、とは感じて、 あとで漢和辞典をひいて、読みを知ったというレベルで…」

屋根晴さんが「日本昔話のよう」と思った美山。今もこの山里には、日本の原風景のような景色が広がっています。

この道に入る直前までバスケットボールをやっていたという屋根晴さん。 やはりスポーツをやっていて体力はあった、 ということも、茅葺き職人を続けられた理由だったんでしょうか?

「体力とやる気だけはあったんですよ、 でもそのやる気をどこに向けていいかわからなくて。 自分は何をしに生まれてきたのかと悶々としていたんですけど、 チラシには茅葺き職人に若い人がいなくて、 後継者がいないと書かれていたので、 それならその世界に入ってちょっとでも役に立てれば、 自分の存在意義も感じられるかと漠然と思ったんです」

この道へ進む熱い思いが出てくるかと思いきや、意外な理由に少々驚きました。しかし、まっすぐに話してくれる屋根晴さんです。

そうこうしているうちにこの世界に入ることになり、 職人さんに出会うわけですが、 出会った方はどんな反応でしたか?

「60代の職人さんが2人いたんですけど、 最初はまったく相手にしてもらえませんでした。 しかし夏を越して秋になった頃、声をかけてもらえました」

やはりそれまでは素養を見られていたのでしょうか?

「夏の屋根の上はめちゃくちゃ暑いんですよ。 それを乗り越えて、本気なんだな、と思ってもらえたようで。 しかしそれでも見て学ぶ世界なので、何も教えてもらえませんでした」

職人の世界、やる気を認めてもらえたとはいえ、 技術は見て学ぶもの、なんですね〜。

屋根晴さんの山吹民家は、細部のディティールも必見です。 このように自然をうまく取り込む美意識は、 見習いとして学んでいた年月はもちろん、少年期の体験も 強く影響しているのかもしれませんね。

ちなみに茅葺きは職人の世界、 見習いだけで生計はたったのでしょうか?

「体力に自信があったとはいえ、毎日くたくたで、 毎晩8時に寝ていました。指がむくんで、力が入らないんですよ。 それで朝、お湯を洗面器にためてちょっとずつ温めて指を動かしていくんですけど、 これは若い人はやるわけないわ! と、入って1か月くらいで後悔しました。 体はきつい、雨が降ったら仕事ができない。 冬も雪が降ったら仕事ができないんですよ。 それで冬は、東福寺のあたりで焼き芋を売っていました。 しばらくは冬が焼き芋屋さんで、 それ以外は親方と茅葺きをやる、という状態でしたね」

やはりそうなんですね…。 それでも続けられた原動力は何なのでしょう?

「この業界に入るときに、親、親戚みんなに反対されたんですよ。 これからなくなっていくものなのに、何でそんな業界に入るのか、と。 それで半ば意地になって、なんとか続けました。 僕がこの業界に入った時に、 日本に20代の職人は3人しかいないと言われていました。 年上の職人には昭和一桁生まれの人たちが全国にたくさんいて、 私の世代まで、なんと40年の間にブランクがあったんですよ」

40年間も職人があまり育っていない職業なら、 ご両親に反対されても無理はありませんね。

「昭和20年代、30年代生まれの職人さんもいたんですけど、 経済成長の中で茅葺きが次々になくなっていったんです。 それを見た職人さんたちがどんどん転職してしまって、 その世代がいなくなったようです。 それで昭和一桁生まれの職人さんたちが細々とやっていたところに、 僕たちの世代が入ってきた、ということなんです」

まさに救世主だった、ということですね!


<ミニコラム> 今週の風景


美山町での取材の合間、茅葺き民家が並ぶ当たりを歩いているときにふと目をやった納屋。 そこにはしっかり、茅の束が保存されていました。 21世になった今でもなお、茅葺きの文化はこの地にしっかり残っているんですね。 そんなことを思い、笑顔になりました。
来週も引き続き<美山町の茅葺き職人>屋根晴さん にお話を伺います。お楽しみに!

<美山町の茅葺き職人> 屋根晴さん

美山町をはじめ、全国各地で活躍している茅葺き職人の屋根晴さん。 美山町では古民家を改装した「かやぶき一棟貸しの宿 美山FUTON & Breakfast」も運営し、茅葺きの魅力を多くの人に感じてもらっている。 美山町内では今回取材で訪れた茅葺き民家のほか、3棟の宿泊施設を展開。
http://www.miyamafandb.com/

■今回の訪問地

日本でも数が少なくなっている茅葺き民家が残る町・美山町。 その中心部を流れる由良川上流の集落を訪ねました。

のどかな田園風景の中に建つ「かやぶき一棟貸しの宿 美山FUTON & Breakfast」は、 国の登録有形文化財でもあるんですよ。