マイ・ストーリー
12月3日放送
自由に生きたらええんよ
 
36歳 女性
あの日は私が二十一歳になったばかりでした。今、思い出しても忘れはしません。
「買い物にいかん?」
母からのこの一言がきっかけで、免許をとったばかりの私は、運転できるのが嬉しくて、一目散に車へ向かったのです。
我が家は、大変田舎の山の中にあり、買い物に行くのも一苦労です。
裕福とはいえない我が家でしたが、父に無理を言って買ってもらった小さな車がありました。
軽自動車にエンジンをかけ、母を助手席に乗せ、発進しました。
下の町まで降りるのには、山のカーブが何度も出てきます。
慎重に運転をして、ちょうどカーブにかかったとき。
突然、前から大きなダンプカーが現れたのです。
私はとにかく、ダンプカーにぶつかってはいけないということしか、頭になく、ダンプカーと反対にハンドルを切ったのです。
「ぶつかってはいけない!」
気が動転して、自分がどんなにハンドルを切ったかさえも覚えてはいません。とにかく、ハンドルを切ったのです。

気がついたときには、山の斜面に助手席側がぶつかり、グシャグシャになっていました。
助手席の母は、ぐったりとした姿で動きませんでした。
母はこの日から、首から下が麻痺した状態になり、寝たきりの状態になったのです。
母の寝たきりの十何年が始まったのです・・・。

「あれほど、気をつけて運転をしろといったのに!」
父は慰めの言葉よりも先に、私を叱責しました。
あの日以来、私は車を運転したことは一度もありません。
「母をあんな体にしたのは自分」
この言葉が、一日も頭をはなれないまま、毎日が流れていきました。
母は病院を退院したあと、施設での生活を送るようになりました。
家には父と私だけ。二人きりの生活がやってきました。
私が母に出来ることは、田舎で祭りや、親戚が集まる行事に帰宅するときの看護だけです。
本当に母に申し訳なくて、やりきれない気分でいっぱいでした。
そんな時、母が私にいったのです。
「あんたが、一番優しくしてくれるんよ。
そんなに、気をはらんでもええから。
お母さんは、あんたのことを恨んだり憎んだりしてない。
自分の娘なんやから。自由に自分の人生をいきたらええんよ」

この言葉に私はどれだけ救われたことでしょう。
母に対する申し訳ないという気持ちは今でも消えてはいませんが、自分の人生を前向きに生きてみようという気持ちがわいてきました。
自分でも出来る仕事はなにかないか。色々と思案しました。
母の介護を長くしてきたため、「介護」という仕事なら自分にもできるかもしれないという思いが出てきました。
今、通信教育で介護の勉強をしています。
「介護」の仕事が母への直接の恩返しにはなりませんが、少しでも、前に進んで生きたいと頑張っています。
 


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