| 12月3日放送 |
サンライズ、サンセット |
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47歳 男性 |
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「やったー」という喚起が飛び交う中、ヘルメットをぽんぽん叩くナイン。
私は高校時代硬式野球部。
少ない部員でも甲子園をあきらめず頑張り続けたのです。
夏の予選大会、部員十三名で準決勝へと進出、そこで私が奇跡のさよならヒットを打ち決勝へと進みました。
勝利の女神が私に微笑んだのです。
しかし、決勝戦ではプロ集団のような智弁学園に大敗し、世間の厳しさを実感しました。
その後、私が就職直前に、そうめん造りをしていた父が急死し、さらに翌年弟がバイク事故で亡くなり、まるで不幸のデパートのようで、生きる自信を失ったのです。
この頃、偶然車のラジオで浜田省吾の音楽に出会い、彼の音楽が心の支えとなっていました。
二十三歳の時、上司の推薦で、国際交流事業の青年の船に参加することを決意。青年の船は、9千トンのにっぽん丸で、オセアニア諸国を訪問するというものでした。
船上では、地球の自然のすばらしさを体験しました。
鯨が潮を噴き、にっぽん丸の真横を泳ぐ。
その横をイルカがジャンプをしながら戯れている様子を目の当たりにしたときは、感動で言葉が出ませんでした。
発展途上国のフィージーの青年と船内のキャビンが同室になり、色々な交流をしました。ある晴れた日の朝、青年が私に、
「船酔いか? 辛そうな顔をしているがどうしたんだ」
と話しかけてきたのです。
私は、辞書を片手に
「これからの人生について悩んでいるんだ」
と説明すると、彼はキャビンの丸窓の外を指し、
「インフィージー、バードシンギング、フィッシュスイミング、サンライズ、サンセット、サンライズ、サンセット、ナチュラル」
と何回も繰り返すのです。
「私たちの国フィージーでは鳥がさえずり、魚が泳いでいる。
どんな事があっても明日また太陽が昇り、沈んでゆく。
自然が一番だ。自然に生きなさい。」
と訴えていたのです。
私は彼から生きる目標や自然の大切さ、人間の本当の生き方を教わったように思います。
そうして十年後、妻と知り合い結婚。
ところが、結婚して三年が過ぎても子供ができず、産婦人科へ診察に行ったところ、子宮内膜症であることが判り、ついには卵巣摘出手術を受けることになりました。
その後、病院を転々とし、いよいよ体外受精をすることになるのですが、お金ばかりかかりいっこうに子供ができず苦しんでいたのです。
さらに、妻の体が衰弱しだし、体外受精もついにあきらめざるを得ない事になりました。
苦しんでいたある日、上司が特別養子縁組の制度を教えてくれたのです。
私自身は、養子縁組をすることを決めたのですが、いつ、どんな言葉で妻を説得したらいいのか寝ても覚めても考えました。
その時フィージーの青年の言葉がふと浮かんだのです。
天気のよい、清清しい朝、私は妻に、「サンライズ、サンセット・・・」
と話してゆき、泣きしゃくる彼女を説得したのです。
半年後、乳児院で一歳になった子供と初対面の日が来ました。
看護婦さんに案内されて十人ほどの乳児が遊ぶ部屋の前の廊下にたどり着いた時、部屋の中の一人の乳児が、私たち夫婦を素早く振り返り、直視したのです。
その瞬間、涙が溢れ、父親を感じました。
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