マイ・ストーリー
3月25日放送
ほろ苦い片想い
 
42歳 男性
僕は現在四十二歳です。
一般的には小・中学校の子供がいて、しっかり家庭を持っていてもおかしくない年齢です。
しかし僕は、今だ独身です。
それだけではありません、僕はこれまでの人生において本当の恋愛、男女がお互い、相手に特別な感情を抱く関係を持った事がありません。
別に女性に興味がないとか、ホモセクシャルというのではありません。
彼女がいない分、風俗にも行くし、その手の雑誌を見たりもします。
そして、女の子を好きになった事も、もちろん幾度かあります。
でもその度に、その女性には好きな人がいて、片思いで終わってしまう恋ばかりを経験してきました。
僕には力ずくで女性を自分のものにするとか、周りを気にせず好きな人にどんどんアプローチしていくような度胸もありません。
只、それがないから、あなたは彼女が出来ないんだよと言われた事があり、その時はさすがに腹が立ち、
「うるせー、バカヤロー!」
と吐き捨て、その人と口をきかなかったという思い出があります。
四十二歳になって恋愛経験もないなんて、情けない男だと自分でも認めます。
そして、無性に悔しいです。でも、その悔しさが僕を支え、出番は来なくとも演劇を続けさせているのだと思います。
忘れていました。
僕は高校を卒業して海上自衛隊に入り、五年満期を無事勤務した後、演劇の世界に身を置きました。
そして、ここまできたら死ぬまで独り者でも演劇だけは続けていこうと思っています。

前置きが長くなりましたが、今回はそんな僕の二〇〇二年の時の片想いの思い出を語らせて頂きます。

僕は、定食屋のチェーン店で、もう十四年働いています。
正社員にはならず、ずっと契約社員。
その子が入ってきたのは二〇〇二年の五月だったと思います。
僕が働いていたのはとある駅前店。
その子とは一緒に仕事することはあまりありませんでした。
でも、着替えや仕事が終わった後などは一緒に話したりします。
僕は三十八歳、その子は十八歳でした。W大学の一年生。
高卒の僕にとってW大学などと言うのは頭が良くて、仕事以外ではきっと敵わないエリートであると思ってしまうのです。
その子はインテリというイメージはまったくなく、よくコロコロと笑うほんわかした雰囲気の女の子でした。
目立ちたがり屋でもなく、気の強い女の子でもありません。
控え目であり、素直ではあるけど、ちょっとトロいんじゃないかというのが僕の第一印象でした。
いつも僕の冗談にコロコロと笑ってくれる態度に、僕は癒されていました。
演劇のセミナーで、ワンシーンと呼ばれる戯曲やシナリオの一部分を演じて先生に見せる実習があり、うまく演じられなくて落ち込んで仕事をしている時でも、その子の笑顔を見ると明るい気持ちになりました。
帰りの電車が一緒だったので、よく一緒に帰ろうよと誘ったものです。
最初はそれに応じて良く一緒に帰ってくれました。
その頃の僕には彼女と一緒に帰れることが何よりの楽しみでした。
でも、七月に入った頃からでしょうか。
大学が夏休みに入り、大学生の従業員が多い定食屋は、学生同士でバイトが終わった後、朝まで飲んだり、カラオケしたり、ビリヤードやボーリングをやったりという人たちが増えてきました。
僕は、バイト以外の時間は本を読んだり、筋力トレーニングをやったりと、演劇のための時間もそれなりに必要なので、たまにならともかく、学生のように遊んでばかりはいられません。
その子はよく同世代の男の子の従業員から誘われ、一緒に朝まで遊ぶことが多くなりました。

だんだん彼女は僕と帰らなくなりました。僕は諦められませんでした。
僕は若い人達と彼女を含めてカラオケに行ったりもしました。
そして、彼女に好意を持ってもらう為には、仕事でみんなに認められる存在になる事だと思い、本当に気合の入った仕事をしていたと思います。
でもやっぱり、同世代の人たちと一緒にいるほうが楽しめるのでしょう。
八月頃になると、もう彼女から僕に話しかける事はなくなりました。
二十代の頃にも似たような事はありましたが、三十八歳にもなって十八歳の女の子に恋をして、振り向いてもらえないというのは、こんなに惨めな気持ちのなるものなのかと泣きたくなる思いでした。
中年になろうとしている一人ぼっちの男にのしかかってくる侘しさ。
そんな時でした。
キャラメルボックスの「嵐になるまで待って」という芝居を見たときの事です。
配られたパンフレットには、出演者全員の好きな言葉というタイトルでそれぞれの役者のコメントが書いてありました。
その中の大内厚雄さんという役者さんのコメントに相田みつをさんの事が書いてありました。
僕はそれまで、相田みつをという存在を良く知りませんでした。
相田みつをか・・・・。
ちょっと読んでみるかと思い、本屋で探して手に取ってみると、その中に、相田みつを創作ノートというコーナーを見つけ、
「雨の日には雨の中を、風の日には風の中を」
という詩の全文が書かれていました。

その文章をじっくり読むうち、僕の目には涙があふれ、文章が読めない程になっていました。
今回の惨めな経験も然る事ながら、これまでの続けようとも世に出られない演劇人生や、そのことで父親に勘当された事などが思い出され、それでも自分の道を自分の足で歩いていこうと語りかける相田みつをさんの詩は、本当に僕を励ましてくれました。
どんなに惨めな思いをしても、その経験があなたの人間としての根っこを創ってゆくんだよ。
だから淋しくてもつらくても前を向いて、歯を食いしばって歩いていきなさい。
そう優しく語りかけてくれているようでした。
僕は本に向かって、
「ありがとうございます」
と、声にならない声で語りかけました。
と同時に嗚咽になってしまい、僕はしばらくその場で泣いていました。
三十八歳のいい大人が、本屋で立ち読みしながら嗚咽を漏らして泣くなんて、なんとも恥ずかしい経験でした。
でも、あのタイミングで、僕と相田みつをさんを出会わせてくれたのは、神様からのプレゼントだったんだと今、思ってます。

その後、僕は自分の気持ちだけは彼女に伝えようと、ラブレターとまでは行かないけど、自分の本音を手紙にして渡しました。
その最後に、相田みつをさんの詩を書き添えておきました。
数日後、彼女から、僕のPHSに連絡が来ました。

「山さんですか?」
「ハイ、・・・・あいちゃん?」
「ハイ。・・・・あの、手紙読みました」
「うん。・・・・・・どう?」
「うーーん。ちょっと戸惑ってます・・・」
「うん、で、あいちゃん自身は俺の事は、どう思ってんの」
「・・・・・・・・実は、今、好きな人がいるんです」
「あっ・・・そう、・・・・それはお店の人?」
「いえ」
「学校の人?」
「ハイ」
「そう・・・・・、でも良く連絡してくれたね。ありがとう」
「こちらこそありがとうございます。相田みつをのハガキ、部屋に飾ってます」

そこで僕のPHSが電池切れになってしまい、彼女との会話は終わってしまいました。
それは、まるで自分のこれまでの人生のような、間の抜け方でした。
どうしてこういう時に電源が切れるかなあと、PHSを恨みました。
こうして、僕の片想いは終わっていきました。
店をやめた後、彼女が二度、僕が働いている時に食事に来たことがありました。
一度目は女の子の友達と。もう一回はご両親と。
普通に明るく接客が出来、彼女もわざわざ僕に、ごちそうさまでしたと言いにきてくれました。
今は、彼氏も出来て、楽しい青春の日々を過ごしていることでしょう。

今年の元旦。
僕はトレーニングもせずに無謀にも五千メートルのタイムトライアルを行いました。
自衛隊の頃、十七分台で走っていたのが、今回二十六分台でした。
しかも最後は膝に痛みが走り、片足を引くような形でゴールイン。
でも、僕は絶対に止まるもんかと歯を食いしばって走りました。
自分でやると決めたら、たとえ惨めな思いをしてもやり通す。
それを実行できたことに、何か充実感のようなものを感じていました。
僕の演劇人生も、この先、もっとつらい目に遭うかもしれません。
それでも、今の僕には、相田みつをさんの心が息づいています。
あのつらかった片想いの経験も息づいています。
つまずきながら、転びながらも、前を向いて歩いていこうと思います。
どうか、その精神だけは失わないように・・・合掌!
 


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