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上野誠の万葉歌ごよみ
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歌ごよみ!
上野誠コラム
上野誠の万葉歌ごよみ
毎週日曜日 朝 5:40〜6:00

上野誠(奈良大学文学部教授)
上田悦子(MBSアナウンサー)
★上田悦子アナウンサーブログ
utagoyomi@mbs1179.com
上野先生に聞いてみたい事、番組の感想など何でもお寄せください。番組でご紹介させていただいた方には、上野先生の著書「大和三山の古代」をプレゼントします。
〒530-8304 MBSラジオ
「上野誠の万葉歌ごよみ」

【巻】8・1466…神名備の磐瀬の社の霍公鳥
【巻】10・1891…冬ごもり春咲く花を手折り持ち
【巻】10・1878…今行きて聞くものにもが
【巻】10・1874…春霞たなびく今日の夕月夜
【巻】10・1845…鶯の春になるらし
【巻】8・1418…石ばしる垂水の上のさ蕨の
【巻】11・2838…川上に洗ふ若菜の流れ来て
【巻】1・56…川の辺のつらつら椿
【巻】19・4280…立ち別れ君がいまさば
【巻】10・1866…春雉鳴く高円の辺に
上野誠の万葉歌ごよみ-歌ごよみ
【巻】8・1466…神名備の磐瀬の社の霍公鳥
2012年5月20日
【巻】…8・1466

【歌】…神名備の磐瀬の社の霍公鳥 毛無の丘に何時か来鳴かむ

【訳】…神名備の磐瀬の社のホトトギス、毛無の丘に何時になったら来て鳴いてくれるのか・・。

【解】…夏の雑歌のひとつで、志貴皇子が作ったもの。「神名備」とは、神様がいる場所という意味で、磐瀬の社を指しています。磐瀬の社が、現在のどの場所にあたるのか、はっきり特定されてはいませんが、神様がいる場所ということですから、木が豊かに茂っている丘か山であると推測されています。そういう場所には、夏の到来とともに、ホトトギスが頻繁に訪れるでしょう。
では、毛無の丘は、どの丘のことか?これも、特定の場所を指すのかどうかさえはっきりしていませんが、毛無しという表現から、木が生えていない丘と思われます。(例えば、若草山のような所でしょうか)木が生えていなければ、鳥はなかなか来ませんが、志貴皇子は、例えそんな場所にもホトトギスに来て欲しいと、夏鳥を切望する気持ちを表現しているのです。

上野誠の万葉歌ごよみ-歌ごよみ
【巻】10・1891…冬ごもり春咲く花を手折り持ち
2012年5月13日
【巻】…10・1891

【歌】…冬ごもり春咲く花を手折り持ち 千度の限り恋ひ渡るかも

【訳】…冬が終わり、春咲く花を手に持って、千回の限りをつくして恋慕い続けることよ

【解】…万葉集では、春夏秋冬それぞれに恋歌がありますが、一番作品が多いのは秋、その次が春です。今回は、その春の恋歌の中でも情熱的なものをピックアップしました。何よりインパクトがあるのが、「千回の限りをつくして」という表現。少々大げさですが、気持ちの強さがダイレクトに伝わってきます。
ちなみに、この歌の作者は不明。男性なのか女性なのかも分かっていません。その人の情報は全て消え去っても、歌を作ったことで、その恋心は1000年以上も生き続け、現代の私たちの前で色鮮やかな姿を見せているのです。これが、歌という文学の魅力であり、言葉の力なのでしょうね。

上野誠の万葉歌ごよみ-歌ごよみ
【巻】10・1878…今行きて聞くものにもが
2012年5月6日
【巻】…10・1878

【歌】…今行きて聞くものにもが 明日香川 春雨降りて激つ瀬の音を

【訳】…今行って聴くことが出来たらよいのになあ、明日香川に春雨が降って湧き立つ瀬の音を

【解】…作者は「ああ、今すぐ行くことができたらいいのに・・」と悔しい思いを歌
にしています。何が悔しいのかというと、春雨で流れが激しくなった明日香川の
瀬音を聴きに行けないこと。川の姿を見に行きたいというのなら分かりますが、
音を聴きたい!というのは、珍しい感じがします。自然を視覚で楽しむだけでは
なく、聴覚でも楽しむ・・自然との距離が近かった万葉時代では、それが普通だ
ったようで、音を軸にした歌は少なくありません。
ラジオの世界に触れていますと、音が人の想像力をかきたてたり、心の深い部分をふるわせる力を持っていることは経験的に感じることが出来ますが、映像が主流の現代では、その魅力を知る機会は減っています。しかし、次に外へ出かけるときは、ちょっと耳をすませてみて下さい。きっと、自然の新たな感動に出会えると思います。

上野誠の万葉歌ごよみ-歌ごよみ
【巻】10・1874…春霞たなびく今日の夕月夜
2012年4月29日
【巻】…10・1874

【歌】…春霞たなびく今日の夕月夜 清く照るらむ 高松の野に

【訳】…春霞がたなびく今日の夕月夜。清く照っているだろう高松の野に

【解】…歌は、限られた字数で表現するという点では、現代のツイッターに似ているの
かもしれません。今回は、そのツイッター感覚に近い歌をご紹介。現代風に書く
と、「月が出てきた・・きれい。高松のあたりも、きっと清らかな光を落としてい
るんだろうな・・」といったところでしょうか。
「夕月夜」は、夕方の空に姿を見せたばかりの月。昼と夜の狭間の時間に見せ
る清らかな光は、幻想的な魅力をたたえています。それを見た作者は、「高松の野も・・」と、離れた地にまで思いを馳せています。それくらい心を打たれたのでしょう、その感動をつぶやきたくて歌に。
現代の生活では、このように月の光を意識する機会が少なくなってきました。
それでも、清らかな光に出会った時には、清らかだとつぶやける心は、いつまで
も持っていたいものです。

上野誠の万葉歌ごよみ-歌ごよみ
【巻】10・1845…鶯の春になるらし
2012年4月22日
【巻】…10・1845

【歌】…鶯の春になるらし 春日山霞たなびく 夜目に見れども

【訳】…ウグイスの春になったらしい、春日山に霞がたなびいている。夜目に見ても。

【解】…「鶯の」は、春にかかる枕詞のようなもの。「春になるらし」の「なるらし」は、確信のニュアンスがこもった言葉です。作者にウグイスが鳴くような春の到来を確信させたものは、霞。霞は、朝と夕の寒暖差が激しい春に発生しやすいため、春の歌の題材として、よく使われます。この歌では、霞の具合が夜でも見えるくらいだと、確信の度合いをさらに強く表現。その裏には、待ちに待った春がやっと来たという嬉しさがこめられているのでしょうか。
時計や携帯電話に追いかけられる現代では、この歌のように、自然の変化を敏感に感じ取る機会を失いがちです。せめて、こういった歌に触れることで、自然と共にあった時の肌感覚を、少しでも思い出したいものです。