近藤さんのラジオエッセイ「しあわせの風景」

 近藤さんのラジオエッセイ「しあわせの風景」。今朝のテーマは、川柳のネタをどう見つけていくか、です。
 川柳の命は、なんといってもネタである、と近藤師範は言います。どんなに上手く詠んだとしてもネタが面白くなければどうしようもない。とにかく、みんながナルホド!と共感してくれるネタを探すことです。
じゃあ、どうやって?それは、あなたの日常生活の感じ方にある、と挙げてもらった具体的な例をご紹介しましょう。
「温もりが便座にあって妻にない」
 誰だって、便座に腰かけることはあるでしょう。そして、そのぬくもりに気づくこともあるでしょう。でも、大抵の人は、そこまでです。作者は、そのぬくもりを当たり前のこととしてとらえなかったわけですね。お尻の感覚を敏感にとらえています。
「何事も腹に溜めない鯉のぼり」
 薫風に泳ぐ鯉のぼりを、誰だって一度は目にしたことでしょう。ああ、鯉のぼりか。大抵の人は、そこまでです。作者は鯉のぼりをしっかり観察していますよね。そしておなかがすっぽりがらんどうになっていることに気づき、さらに人間との比較に及びます。
「気になるな不倫の歌が好きな妻」
 私もテレサテンの歌が好き。でも、そこで終わっていました。どうして不倫の歌が好きなんだろう?そう思ってみるだけで、愉しい発見ができるのに。
「ひとりごと増えてきたなと独り言」
 近藤師範は、自分自身もネタそのものであると言います。つまり自分を、もう一人の自分が観察する目を持ってみる。すると、誰だって相当可笑しな行動をしているものですよね。
 ライブ感覚で、五感を働かせて、心の動きを活発にしておく。そうすれば、日常生活は、お宝ネタにあふれているようです。
人間というものは、果てしないほど可笑しな存在なのだから。これが近藤師範の結論です。そう思えば、あなたの目の前の情景も、見え方が変わってくるのでは?

母の日川柳

13日の母の日にちなんで、皆さんから頂いた母川柳をご紹介しました。
「カーネーションよりスズランが似合う母」(ハイビスカス)
花にたとえてみると、その人なりの母親像が浮き上がってきますね。
「母の日を前にちょこっとくすぐりを」(河内の風子)
少し前から電話をしてみましょうか?
「母の日に父の鼻歌音はずれ」(あずき五合)
お父さんって、そういう感じ。
「贈ることも贈られることもない赤い花」(リリー・ローズ)
贈る人がいること、贈ってくれる人がいること。それは当たり前のことじゃないのですねえ。
「母の日は遺影の母に語りかけ」(俄か雨)
 近藤師範も、そんな気持ちになるそうです。社会人になってからも、故郷に帰ったときは、お母さまと同じ部屋で枕を並べていたそうです。今でも、もう一度、隣で寝てみたいなあ、ですって。
「母の日は母の遺品の整理する」(招きにゃんこ)
多くのお母さんたちがそうなのでしょうが、近藤さんのお母さまも、息子が小さかった頃の成績表などを、いつまでも大切にしまっていらしたとか。遺品を整理するときは、一つ一つに込められた思い出と再会する時間ですね。
「肉ジャガにおふくろの味探してる」(曇のち晴れ)
母川柳には、食べ物がよく登場します。
「休めってことやね母の玉子粥」(デコポン)
やさしい味なんだろなあ。
「皺くちゃの手から貰った握り飯」(よもやま話)
一個の握り飯が、人生を語ります。
母の日に何かプレゼントを贈るのも素敵なことですが、川柳を作るためにお母さんのことを想う時間を持つのもいいものだなあ、と思います。

発表! 4月の「しあわせ賞」

 今日は「4月のしあわせ賞」を発表させて頂きました。
 いつもなら苦悩しながらも、受賞作を決定する近藤さんが、今回だけはどうしても二つの作品で決めかねているとのこと。まずは、投稿して頂いた順に二句をご紹介して、どちらにするか色々話をしながら決めていこう、というイレギュラーな事態となりました。
 まず4月14日に放送した一句です。
「老い二人喧嘩仲裁豆ご飯」(藤田志津恵)
 そして21日に放送したのは、こちら。
「春風に抱かれちやったの妻メール」(デコポン)

 さあ、あなたなら、どっち?
 近藤さんは「中七」について歌謡曲を引用して語り始めました。歌謡曲の多くは、二番の歌詞がディテールを描くことが多いのだそうです。
例えば舟木一夫さんの「高校三年生」。「赤い夕陽が校舎を染めて~」と始まりますが、注目すべきは二番です。「フォークダンスの手をとれば 甘く匂うよ黒髪が」と、実に細やかな描写をしています。作詞した丘灯至夫さんは、毎日新聞にお勤めだったそうで「フォークダンスのときの気持ちを描きたくて、この歌を作った」と話していらしたとか。
 近藤師範は、生き生きしたディテールを描く二番の歌詞が、川柳の「中七」にあたる、というのです。
 さて、そこまで話をしてきて、近藤さんの心が決まりました。4月のしあわせ賞は「抱かれちやったの」の「中七」の新鮮さにより、「春風に抱かれちやったの妻メール」に落ち着きました。
 一方で、近藤さんの好みでいうと「老い二人喧嘩仲裁豆ご飯」なのだそうです。
 こんなふうに最後まで近藤師範を悩ませた、お二人の作品。うらやましい限りです。

「川柳な人々」 川柳マガジン発行人・松岡恭子

今朝の「川柳な人々」は、「月刊川柳マガジン」発行人の松岡恭子さんをお招きしました。
いつも「しあわせの五・七・五」のコーナーを設けてくださっていて、番組リスナーの方々の作品が掲載されています。そんな「川柳マガジン」は、今年15周年を迎えました。
 いつも各地の句会を取材している松岡さんに、その魅力を教えてもらったところ、一番興奮するのは「呼名」の瞬間だそうです。「呼名」ってどういうことがご存知ですか?
 句会の最後に、選者が句を詠み上げます。それが自分の作品だと気づいた当人が、詠み上げられた後すぐさま、自分の名を高らかに発するのだそうです。参加者が多い大ホールでの句会では、何百人の前で、自らの名前を大きな声で響かせるのですって。
かなり恥ずかしい?かなり勇気が必要?でも少し慣れてくると、これが何ともいえない快感だとか。
 どこかの句会に参加してみたい方は「川柳マガジン」をご覧になれば、いつ、どこで、どんな句会が催されるか、予定が掲載されています。
短歌や俳句と違って、川柳の句会の良いところは、一人でぶらりと初参加しても、ウエルカムしてもらえるような雰囲気だそうですよ。
 もう一つ、松岡さんにアドバイスをもらったのは、長く作り続けていくコツです。それはある程度、作品がたまったら、一冊の作品集にまとめてみることだそうです。自分自身にご褒美を贈ることで、どれだけ自分が頑張ってきたか、が実感できますよね。
 また、一人だけで続ける努力をするよりも、やはりどこかに投稿して、誰かに伝える楽しさを味わうことだそうです。
 「しあわせの五・七・五」の句会も、いつか実現したいですね。私の作品が詠まれたら即座に「毒いちご!」と大きな声で言えますように!

近藤さんのラジオエッセイ「しあわせの風景」

 近藤師範と私は、以前「はやみみラジオ!水野晶子です」という朝の番組をお送りしていました。近藤さんは毎朝「朝のコラム」を届けてくださっていました。その内容を本にまとめて出版したのが「しあわせの雑学」です。本の帯にはこうあります。「毎朝100万人を勇気づけている、聴くコラム」。確かに、近藤さんの言葉に、私自身も毎朝ホッとさせてもらっていました。
 その中の一つのコラムが、このほど中学の道徳教科書に掲載されたそうです。近藤さんは「ボクは道徳的な人間じゃないけれど」と前置きしながら「でも、今読み直すと、なかなかエエコト書いてあるよ」と笑いながら、内容を改めて披露してくれました。
 誰かに声を出してあいさつをする。それだけで、相手を少しハッピーな気持ちにしてあげられる。そんな、ちょっとしたやり取りを愛情貯金と呼んで、毎日少しずつ貯めていく。そんな話です。
 心があったまる量。それが70~80%あれば、毎日元気でいられるのではないか、と。
 近藤さんは、こう書いています。
「あいさつの有無でずいぶんと気分が変わるのはなぜなのでしょう。おそらく『存在』ということと関係しているのではないでしょうか。
 人はみな、昔は昔の存在に、今は今の存在に、価値や意味を見いだしたいと思いつつ生きています。その点で、あいさつというのはその人を現認してのものですから、互いに存在を確認したことを示す基本の動作ということになります。」
 確かに、相手に無視されると自分の存在を否定されたように感じます。人間と人間の関係を結ぶ上で大切な挨拶。
 「お悔やみの電話を妻は正座して」(豊中のタカシ)
 姿は見えなくても、相手の存在を大切にしているからこその、人間の姿ですよね。
また、一人でだってできる挨拶があると、近藤師範はご自分の実践を語ってくれました。何となく調子が出ない朝などは、鏡に向かって「大丈夫や、いってみよう」とか「よっしゃ、やってみるか」とか、自分自身に挨拶をするというのです。自分の存在を、まず自分で確かめて、自分で価値あるものにする。どうですか?この技なら、誰にでも、いつだってできますね。
存在を認め、認められて、私たちは元気に生きることができるのでしょう。そう思えば、今日のあいさつの声が、ほんの少し明るくなるような気がします。

しあわせの五・七・五 川柳な人々

Copyright © Mainichi Broadcasting System, Inc. All Rights Reserved.