「近藤流健康川柳道場(拡大版)」

 今朝は「近藤流健康川柳道場」で、思わぬ話になりました。
「故郷が昭和過ごした吊るし柿」(中田英富)
 懐かしい情景ですね。柿の赤が眼に飛び込んでくるような一句です。元号が変わるからというだけではなく、今の国内外のニュースに接していると、ちょっと振り返って、これまでの道を確かめたくなる気持ちに駆られます。
 近藤さんはとりわけ「昭和の父母」の姿が、これから注目されるのではないかと言います。
「母編んだ昔の毛糸で編んでます」(キャッチャーゴロ)
 私も幼い頃、祖母が編んだセーターを母がほどいて、その毛糸で私の服を作ってくれたことを思い出します。ほどいても、そのまますぐに編むのは厄介で、石油ストーブにのせたヤカンの蒸気で一本ずつ丁寧に縮みを伸ばしたものです。
「あんなに母をどなってた父泣いている」(玉山智子)
 頑固で、怒鳴り散らしていたオヤジさん。
「夢にまでできて説教亡き父が」(谷村珍事)
 昔のお父さんは、こわかった。でも今、子どもの虐待事件にみられるような怖さとは、質が違っていたように思います。
近藤さんは言います。現代の子どもたちはあふれんばかりの情報をすでに持っている。そんな彼らに、大人がどう接すればいいかは、過去とは大きく変化しているのではないか、と。
 大人が絶対的に力を持ち、すべてわかっているような気分で「教えてやろう」としても、子どもたちはその虚構を見抜く力を持っている。必要なのは、大人自身が何かにひたむきになること。その姿を見せていれば、表面的にはクールな物言いをする子どもたちも、必ず感じるところがあるはず。
 親が「努力しろ」と言ったって、親自身が努力しているかどうか、子どもはすっかりお見通しというわけです。
 「こんな日は母の肉じゃが食べとおて」(カリヨン)
 「『お使い』は母の躾と今解る」(那須三千雄)
 メディアは連日のように昭和の事象を振り返りますが、今こそ味わうべきは昭和の親子かもしれません。

近藤さんのラジオエッセイ「しあわせの風景」

 全日本川柳協会長を務めた今川乱魚さん作品から、今日の「しあわせの風景」は始まりました。
 乱魚さんは、ガンで手術を繰り返しながらも、病との関係を川柳にして自らを奮い立たせました。
「癌癌と 二度 唱えれば 笑わせる」
 病さえも客観視して、笑いに昇華させた乱魚さん。
 近藤さんは、この精神が闘病に大きなプラスになると語ります。
それを裏打ちしているのが、近藤さんのお父さんの生き方です。お父さんが白血病と診断された時、医師が近藤さんに最初にした質問は「お父さんはどんなお人柄ですか?」だったそうです。いつも陽気で、何でも楽しんでしまう趣味人ですよ、と答えた近藤さんに、医師は「そんな方なら、こちらも助かります」と答えたそうです。治療の進め方も、患者の受け止め方によって大きく変わってくるというわけです。
そして二十数年後、今度は近藤さん自身が癌の告知を受けます。たちまちお父さんのことを思い出したそうです。浮かんだ言葉は「すべておまかせ」。くよくよしたり、イライラしたり。そんな気持ちに溺れてしまっては、良い方向につながらないと、お父さんの生き方から学んでいました。
当時、近藤さんは「ラジオイミダス」というコーナーで、ラジオの生放送に毎日登場してくださっていました。手術の為に一週間ほど休んだところ、主治医が声をかけました。「どうしてラジオでしゃべらないのですか?」
近藤さんは驚きました。術後間もないのに仕事をしていいのだろうか。
医師は、喋ること、それでうっすら汗をかくことも、自律神経のためにとても良いとアドバイスしてくれたそうです。
今、癌を患っているリスナーの方々も多いことと思います。近藤さんは自らの経験を通して「癌は、生きながら生まれ変わるための病気だ」と感じています。
その過程で味方になってくれるのが、川柳。一番苦しいときだからこそ「苦」を「句」にしてしまうことで、受け止め方が変化するというのです。
川柳という薬。私もその力を信じています。

川柳な人々 「魂(まぶい)の新聞」

 12回目となった中之島の集い。舞台裏で様々なサポートをしてくださる方たちがいます。とりわけ、最初に企画し、実現にこぎつけるところまで本当に尽力してくださった方、いわば健康川柳の生みの親が存在します。
 藤原健さん(68)です。
 藤原さんは、かつて毎日新聞社会部の記者でした。近藤師範にとっては後輩にあたる方で、グリコ森永事件を語る時、なくてはならない存在とされるほどの事件記者です。近藤さんは藤原さんを、人権意識に根差して地道にネタを積み上げる記者だと評しました。そうした面が、インドシナでの難民の取材や、盲導犬の社会的認知のためのキャンペーンにつながったのかもしれません。
 藤原さんは大阪本社の編集局長を務めるなど大阪や東京で仕事を続けたのち、定年を機に沖縄に移住します。お義母さまが「ひめゆり学徒隊」で奇跡的に生き残った一人であった背景もあるでしょう、沖縄の歴史やジャーナリズムを学び直したいと、沖縄の大学院に向かいました。教鞭を取るのではなく65歳にして学生になる道を選びました。
沖縄戦の体験者に証言を聴く日々。90歳前後の方々が語る言葉をメモする時、涙したことも少なくなかったそうです。そんな方たちの心を伝えたい。そのために選んだテーマが、沖縄の地元紙・琉球新報が戦後60年を記念して連載した企画「沖縄戦新聞」でした。
戦争時、新聞が事実を伝えなかった歴史があるのは、誰もが知るところです。が、琉球新報はそれを反省するだけではなく、当時の新聞を、現在得られる情報で報道するとしたら、どんな記事になるのか。国家の側からではなく、沖縄の住民の側に立てばどう見えるのか。この視点で書き直したのです。
この視点が、今どれほど大切な意味を持っているか、それをちゃんと残すべきだ、と藤原さんは考え、一冊の本を著しました。
「魂(マブイ)の新聞 『沖縄戦新聞』沖縄戦の記憶と継承ジャーナリズム」
実は、このご紹介をもっと早くさせてもらえる予定でした。が、昨年夏、藤原さんは突然倒れ、救急車で運ばれて緊急手術。胃を全摘しました。ガンが他に転移している恐れがあり、入退院を繰り返しながら抗がん剤治療を続けています。体調の良い日もありますが、そうでない日も勿論あります。
そんな状況でも どうしても伝えなければ。辺野古の美しい海に土砂が投入される今、藤原さんの思いがこめられた本をご紹介することとなりました。
近藤さんは、こう評しました。これは、藤原さんの分身だ、と。
沖縄やジャーナリズムを考えるために必要なだけでなく、人はこのように生きて、メッセージを永遠にすることができるのだと、私に教えてくれる一冊でもあります。

1月のしあわせ賞発表!

 今朝は、1月のしあわせ賞を発表させて頂きました。
 近藤師範は、今回の選考では、人間味を感じさせる、温かみのある作品が線上に残ったと言います。競い合ったのは三句です。
 まずはこちら。
「俺がオレとり戻す場は風呂トイレ」(松村和子)
 「俺」と「オレ」という表記の方法を使い分けるのも面白い技ですね。本当に開放されて、自分の本質に戻れる場所。さて、あなたならどこでしょうか?
確かにお風呂、トイレというのは、貴重な空間であることに気づきます。
 川柳は、生活と人間を描くもの、と近藤さんは言いますが、その意味でもぴったりです。
 次に近藤さんが挙げたのは、こちら。
「『さき寝るで』そんな報告要らんけど」(まるりん)
 夫婦の会話が色々聞こえてきそうです。なんでも報告する相手に、うんざりするやら、安心の微笑みを与えてしまうやら。
この句も、夫婦の日常生活が匂い立ってきますね。
そして、1月のしあわせ賞に選ばれたのは、こちらです。
「同級生62でも女の子」(チャーブ、カホチチ)
 いくつになっても、同級生は「女の子」であり「男の子」であるのです。同窓会に行けば、確かにそんな会話があちこちから聞こえてきますよね。
「おーい、女の子もこっちへ来いよ~」とか「ねえ、いくつになっても男の子っておんなじよねえ」とか。
 近藤さんは、62歳という具体的な数字がリアリティをもたらしていると指摘します。60歳でもない、65歳でもない、62歳。
 幾つになっても「女の子」「男の子」と呼び合える仲間。それぞれ相手に対してあったかいものが流れているのが感じられます。
 私も今年は還暦同窓会、行ってみたくなりました。勿論、女の子として。
 

中之島の報告!

 先日1月20日(日)の初春・近藤流健康川柳の集いにお越し下さった皆さん、本当にありがとうございました!
 当日は朝方雨が降っていたにも関わらず、多くの方々が元気な笑顔を見せてくださって、嬉しい一日となりました。
 第一部では、まず皆さんの健康川柳から、健康情報をドクターの岡田邦夫先生に教えて頂きました。このところ「人生100年」」という言葉をよく聞きますし、生体としては120歳まで生きることができるという説がありますが、最新の医学界情報では、150歳説が出てきているのだそうです。そして人生のピークが訪れるのは80歳とか!
 こうなれば、自分の人生設計も変わってきますね。まだまだこれから!と前を向いて進んでいこうという気分になってきます。会場には卒寿を迎えた男性も参加してくださり、虫食い川柳に挑戦して挙手してくださいました。
 その虫食い川柳のお題は「○○○○○ 新たな自分 さあ新年」
 気象予報士の南利幸さんは「また抜けた」と、会場大爆笑。「没酒場」や「窓際の」「ここに来て」など、皆さんが思い思いの言葉を挙げてくださる中で、一番の喝さいを浴びていたのは「籍抜いて」でした。
 そして、私の朗読。今回は、三宅千鶴さんへのインタビューをもとに綴りました。ダイヤモンド婚を迎えたご夫婦の絆の物語です。
 第二部は受賞作品の発表でした。
まず、MBSラジオ局長賞は
「犠打ばかり打った人生だったなあ」(和泉雄幸)
そして毎日新聞編集局長賞は
「無駄話された診察ひと安心」(毎土きくお)
に、それぞれ決定しました。
昨年頂いた6万以上の作品の中から大賞に輝いたのは、渡辺勇三さん(ラジオネーム:よもやま話)の、この一句です。
「まだ起きてもう起きている母でした」
観客の方たちみんなで選ぶ会場賞も、この作品となりました。授賞する近藤師範も賞状を読み上げながら、こみ上げるものがあり、もらい泣きする方もいらっしゃいました。
会場の多くの方が、自分の母親を想って一票を投じてくださったのでしょう。渡辺さんは、帰り途、多くの川柳仲間から「おめでとう」と声をかけられたそうです。
あたたかいものが通い合う中之島。皆さん本当にありがとうございました!

しあわせの五・七・五 川柳な人々

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