「川柳な人々」 福島からの風~伊東功さん

 今朝の「川柳な人々」では、福島の方と電話をつなぎました。
 東日本大震災直後の取材で知り合うことができた伊東功さん。番組を通してずっとおつきあいさせて頂いています。
 福島県庁の長年のお仕事を終えて、ゆったりとした暮らしを始めて間もなく起こった福島第一原発事故。伊東さんの日常は一変しました。
 ご自身や福島の人々の思いを記録しなければいけない。そして発信しなければいけない。その気持ちが、生まれて初めての川柳となりました。以来、900を超える作品が生まれました。
「五輪より一輪の花被災地へ」
 この句を冠した句集が、このほど一般書店でも購入できる形で、一冊の本になりました。
 脱原発「福島からの風」(文芸社)です。
 事故直後からの怒り、悲しみ、諦観。様々な感情の流れが読み取れます。
「福島に一族郎党連れて来い」
 事故から間もない時期の一句です。
「どうしてる爆発直後の専門家」
 原発から風向きを見て、少しでも遠くに逃げるべきだった時期に、必要な情報は必要な人に届けられませんでした。
「備えなく憂いもせずに再稼働」
 地震列島の原発は次々に再稼働されていきます。伊東さんは、原発再稼働に否定的な人だけでなく、肯定的な人にも手に取ってもらいたいと一般書店に並ぶ本を出版しました。
 大阪でも大きな書店なら手に入れることができるそうです。勿論、小さな本屋さんでも注文できますし、アマゾンなどネットでの購入も可能です。
 川柳を作りたいから作るのではなく、川柳を作らざるを得ない立場に立たされたから、そこから逃げずに作り続ける。それが伊東さんの生き方です。

ちちせん♪

 父の日を前に、今日は「父の日」川柳、チチセン特集をお送りしました。
 大杉フサオさんたら、こんな一句を送ってきてくださいました。
「チチの日はブラを外してチチ休み」
 これこれ~!
 父川柳ですからね、頼みますよ~!
「父の日だ大きな声で独り言」(雅晶)
 そうです、自ら発しておくことは大切。こういう台詞を笠智衆さんに語らせてみたいなあ。
「父の日があるばっかりに父悲し」(高安山のアッホー)
 そう言われれば、そんな気も。
「ポロシャツのポッケに少し父の夢」(やんちゃん)
 父親も一人の人間として、元々は大きな夢を持っていたのかもしれません。でも、もしかしたら家族を支えるために、その夢をあきらめて、現実を生きる選択をしていたのかもしれません。そんなふうに父親の立場に立って世界を見つめてみたら、全く違う思いが生まれてきます。
 父を許せないと思ったこと。なんでそんな生き方をするのか、と憤ったこと。私にもそんな経験があります。でも今この年になると、父も父なりに懸命に生きていたのだろうなあとか、他に選択肢はあったのだろうけれど、家族のことを考えていたのだろうなあ、とも思うのです。
「亡くなった父の宛名で来る郵便」(背黄青鸚哥)
 皆さんから頂いた父川柳からは、消費を促すための「父の日」とは全くレベルの違う、父と子との関係が浮かび上がってきました。

もうすぐ父の日。

 もうすぐやってくる、父の日。
「父の日はいつ来るかなと告知済み」(老ーmanおじん)
 そうですよねえ、いちいち皆に告知しておかないと、知らない間に終わってしまうのが、父の日です。
 せめて「しあわせの五・七・五」では、お父さんのことを想ってみましょうよ。
「寡黙ですそんな父です我が家では」(金井廣志)
 外では仕事のために雄弁な男性も、ひとたび家に帰れば、言葉少なになってしまう。そんな父親像をお持ちの方も多いことでしょう。
 近藤師範のお父さまは、ちょっと違うタイプだったようです。勝重少年にとっては「まるで辞書みたいな人」。何を尋ねても教えてくれたのですって。本が好き、字を書くのが好き、歌が好き。ここまではまだ解るとしても、川柳が好き、クイズが好き、とくると、ユーモアたっぷりの方だったのでしょう。その上、手先も起用だったそうで、盆栽もなさるし、電気修理をもすれば、車だって自分で修理してしまう方だったそうです。
 そんなお父さまが大好きだった勝重少年。でも、一度だけ、父親を悲しませてしまったことがある、と語ってくれました。
 それは勝重少年が中学二年の頃。ある雨の日、お父様は息子のために傘を持って学校に迎えに来てくれました。でも思春期の息子にとっては、それが気恥ずかしく、たまらなくなって、先に学校を一人出ていってしまいました。
 雨の中、傘を手に息子を待ち続けたお父さん。
 今も、その姿を想像すると、胸にこみ上げるものがあります。結局、お父さんに、そのときのことを謝るチャンスは訪れませんでした。
 
「父の日にやっぱり言えぬありがとう」(魚崎のリコちゃん)
あなたも、父親に対して言えなかった一言を胸にしまい続けていませんか。あのとき、思い切って言っていたならば...。誰もが、何らかの後悔を抱いているのではないかと思います。
来週は「父の日」川柳を特集します。あなたも、お父さんのこと、思い出してみてくださいね。

発表! 5月のしあわせ賞!

 5月に頂いた川柳すべての中から選ばせて頂く「5月のしあわせ賞」の発表の朝でした。
 今回、近藤さんが迷ったのは、大きく二つに分けられる川柳のタイプの、どちらから選ぶか、だったそうです。
 一つは、静かに物語っている作品群。もう一つは、饒舌で、賑やかな作品群。
 前者には、こんな川柳がありました。
「文庫本閉じて車窓は夏気配」(プーちゃん)
 電車旅に連れ出した文庫本。気が付けば、窓の外の風景はすっかり変化していて、はっとさせられるような夏の色になっている。旅の醍醐味ですよねえ。
「食べ残す妻は余程の事情あり」(けい)
 こちらも、ある意味静かです。でも、なんだかコワイ。
 後者の饒舌な作品は、こちら。
「オッサンの声ではしゃべらない機械」(小林豊)
 自動車も冷蔵庫も洗濯機も、みんなよくしゃべりますが、女性の声ばかりですよね。賑やかな日常風景がカラフルに動き出します。
「正直な人の話しは面白い」(堺の川人さん)
 あはは、その通り。川柳はこうでなくっちゃネ。
 さあ、こうした二つの作品群のうち、近藤さんの心を今回つかんだのは、静かな作品でした。
「本棚に『おひとりさま・・・』と妻の本」(まるりん)
 確かに、とても静か。全く動きがありません。静物画の世界です。それでいて、心の中は嵐のようにも感じられるし、達観の域であるようにも感じられて、まるで迷宮の扉の前に立っているかのよう。そこのところに近藤さんは魅かれたそうです。
 ちなみに私の本棚には「おひとりさまの老後」があります。

「川柳な人々」 ひららさん

 今朝の「川柳な人々」は、リスナーのお一人と電話でおしゃべりさせて頂きました。ラジオネーム「ひらら」さん、小平須美恵さん(86歳)です。
 ひららさんの作品は、昨年4月の月間賞に輝きました。
「忘れたららくになるのにアホですね」
 「アホ」にするか「バカ」にするかなど、言葉の使い方を随分吟味した結果、生まれた一句だそうです。
 今年一月、中之島の中央公会堂で開かれた「初春・近藤流健康川柳のつどい」の大舞台にお招きをしていましたが、ひららさんは出席なさることがかないませんでした。
その理由を尋ねると、現在は膝の病気のために車椅子が必要で、京都から中之島までいらっしゃるのが難しかったこと、さらに抗がん剤治療の話もしてくださいました。
病気や薬の副作用のお話しは勿論お辛いはずですが、ひららさんの声の艶、若々しさに驚いたのは、私だけではなかったろうと思います。

川柳との出会いは入院中でした。手にした、近藤さんの3冊の本。もともと近藤さんのファンだった息子さんが、ベッドに持ち込んでくれたのです。本を読んでいるうちに、ひららさんにかつての記憶が蘇りました。そういえば、小学生の頃、川柳が好きな先生がいた、川柳って面白いと感じていたなあ。そうだ、川柳だったら、やれるかもしれない!
そのときのことを、ひららさんは笑いながら、振り返ります。
「川柳っていう楽しみが、83歳の私のところにコロコロころがってきたんですよ、病気のおかげ」
もともと京都の西陣織の製造販売の大きなお店に嫁いだひららさん。夫に早く先立たれ、女手ひとつで店の切り盛りをすることを余儀なくされました。多くの職人さんのお世話をし、二人の子どもを育てる日々。そんな時代を経て、今は息子さんとの静かな暮らしを得ていらっしゃるそうです。
「盗み食い息子にみつかってぼけたふり」
 お二人のあったかな空気が伝わってきますね。
 また、こんな一句もあります。
「没ならばパッパッと忘れさあ次へ」
 忘れることも、良薬。ひららさんの人生をほんの少しですが知ることができ、そのあとでもう一度、あの作品を味わってみると、違う感覚に包まれます。
「忘れたららくになるのにアホですね」
 いつか中之島で、お会いしたいですね、ひららさん。

しあわせの五・七・五 川柳な人々

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