発表! 5月のしあわせ賞!

「5月のしあわせ賞」発表の朝でした。
 今回の選考に残った作品に多かった特徴は「てらいのなさ」でした。
辞書で調べてみると、「自らの才能などをひけらかさない、素直な」という意味のようです。
近藤師範が挙げた作品を、その視点で味わってみましょう。 
「NOブラの解放感やNOマスク」(コスモス)
 女性ならわかりますよねえ。ああ、すっとした!
「口癖は『10歳若けりゃ俺かてな』」(シルバーママ)
 この台詞もよく耳にしますねえ。夫婦川柳とも言えそうです。
 そして、最後まで選考ラインに残ったのは、こちらです。
「夫の事友に愚痴ると「のろけ」やと」(風鈴草)
 いかがですか?確かに、どの川柳も素直です。
 そして「5月のしあわせ賞」に輝いたのは、この作品。
「まだあった夫のステテコ履いてみた」(河内の篤姫)
 なんとまあ、まっすぐな表現。でも、私はあれこれ想像しました。
先に逝った夫の遺品整理の最中に出てきたステテコを手にした途端、
元気にステテコ一丁で部屋をうろうろしていた夫の姿が浮かんだのかもしれません。
素直、なのに深い。てらいなく、自分の気持ちを五七五に託してみましょうよ。

川柳をたくさんご紹介しました。 アンパン派? メロンパン派?

 この3年、マスク川柳が様々な展開を見せてきましたが、
ここへきて、マスクを外してどう暮らすか、という視点が増えてきました。
「改めてマスク外すの恥ずかしなあ」(ひよしのかず)
近藤師範も、マスクを外すには、それなりの覚悟が必要だと笑います。
「マスクせず口角上げて背をのばし」(泳げぬ魚座)
確かにマスクをしていると、なんだか気持ちと共にうつむき加減で歩いていました。
少しずつ気持ちも上げていきたいところですが...。
「それぞれに明暗分けてマスク取る」(菩提寺太郎)
この3年間の変化が、あなたにどんな影響をもたらしたでしょう?
「解除にて飲食店の腕が鳴り」(だんでらいおん)
 店内に入りきれない人で行列ができているお店もあれば、ひっそりと閉じてしまったお店もあります。
ニュース映像には表れない心の風景の明暗は、今こそくっきり刻まれているように感じます。
 こんな時期に、静かな時間を過ごしたいという方もいます。
「時忘れ小津安二郎今日も観る」(俄か雨)
 描かれている時間の流れのやさしいこと。笠智衆さんの微笑が懐かしい!
「五七五年を取るのも愉快だな」(春日山)
 誰も皆、年を重ねれば色々厄介なことが起こりますよね。失うもの、できなくなるもの、様々です。
そんな一つ一つの出来事を川柳にして、笑いに変えてしまう文芸の視点は、私たちを支えてくれます。
「コーヒーにアンパン添える読まれた日」(毎土きくお)
 自分へのご褒美って、大切!近藤師範の場合はメロンパンだそうですよ。

近藤師範の「川柳な風景」

川柳を作る人は、エッセイを書くことができる。
近藤さんは、こんなふうに太鼓判を押します。
そんなことを言われても、自分がエッセイを書けるなんて思えない。
そうおっしゃる方も多いでしょう。川柳とエッセイとは別物だ、と。
でも大丈夫。なぜなら、双方に共通して必要なのは、観察力だからです。
何か物事に接したときに、まずはよく観る。そして発見をする。
この気づきがあれば、川柳にすることも、エッセイを書くこともスタイルが違うだけだというのです。
例えば、こんなテーマで書き出してみましょうか。
「いま思えば、あの一言が私を変えた」。
自分の生きてきた道を振り返れば、どなたにも思い当たる言葉が一つや二つはあるでしょう。
幼い頃言われた台詞、ご夫婦の出会いのあたり、学校や仕事場で与えられた助言などなど。まず、ご自分の経験を思い出してみてください。
書くときに大切なのは「思うこと」ではなく、「思い出すこと」です。
この教えは近藤さんの新著「60歳からの文章入門」に詳しく書かれていますし、私のYouTube配信「朗読人」でもご紹介しています。
今、自分史を書くことが一つのブームになっていますが、いきなり「私は〇〇年に生まれた」から始める必要なんてありません。
あなたの一句をタイトルにして、そこから思い出す経験を素直に書いたエッセイの集積ことが、これからの自分史のスタイルになっていくはずだと近藤さん。
一人の読者としても、いわゆる「自分史」より、川柳とエッセイが組み合わさった楽しい一冊を手にしてみたいものです。

母の日直前! 「母の日川柳」

「母の日」を前に、みなさんから「母川柳」が続々と届けられています。
「参観日着物が似合う母でした」(松山敬子)
 あなたの参観日の思い出は、いかがでしょうか。着物が似合っている母親は、子供心に自慢だったことでしょう。
でも、それを母親に直接言葉にできなかった方が多いのでは?
「青春が戦禍に消され強い母」(豆キューピー)
母親の青春時代がどんなに辛い時期だったかに気付くのは、ずっとあとになってからですね。
「ご馳走は母の笑顔のおもてなし」(多川義一)
近藤師範が学生時代、東京から四国・新居浜に帰郷するとき楽しみにしていたご馳走は、お祭りのちらし寿司だったそうです。
そして、夏休に帰郷すると、必ずお母さんは台所でスイカを切ってくれていたそうです。
冷たく冷やした、大きなスイカを包丁で切るとき、円くなる背中。その背中が忘れられないと近藤さんは言います。
「夢にまで心配顔の母が居る」(ピンクなアン)
お母さんの夢を詠んでくださった方が多いです。
「夢に出る母の笑顔は若い顔」(山田のかかし)
「夢で合う母はいつもの割烹着」(山本忠明)
そういえば、夢で出遭う母親の句は頂きますが、父親の夢をみた話は、なかなか届きません。
「どうしても父が勝てない母の日に」(布施のわたきち)

発表! 4月のしあわせ賞!

 「4月のしあわせ賞」発表の朝でした。
 今回は、近藤師範が最後の最後まで頭を悩ませられた混戦模様だったそうです。
 今回の注目点は、会話の使い方です。
まず、その大前提となるのは、川柳が「生活と人間」を描くものであること。俳句の場合は、「自然と人生」。違いは大きいのです。
さらに、その違いを際立たせているのが、会話をどう扱うか、です。
俳句では会話をそのまま用いるケースがほとんどないのに比べて、川柳は会話の活用、大いに結構!二人の会話から、人間関係や微妙な心理も描けるというわけです。
4月は、会話を活かした句が多く寄せられました。

「『私もよ』友の言葉は安定剤」(まるりん)
 悩みを打ち明けたときに一言「私もよ」と言ってくれる友達の存在は、本当にありがたいですよね。
「ええ塩梅においてますなと医者が誉め(松村和子)
 なかなかのお医者さんですなあ。
「今のうた寝言みたいやなあと祖母」(風鈴草)
 気持ちがゆるむ歌声だったことでしょう。
「なぁAI一句詠んでみぃ聞いたるわ」(菩提寺太郎)
 よくぞ言ってくれましたAIには人生があるものか!

 いかがですか。どの作品も会話をうまく使っていますよね。
 最終的に「4月のしあわせ賞」に輝いたのは、こちらです。
「『あなたぁ』から『あんた』になったいつのこと」(ゆきんこ)
 夫婦関係の簿妙な変化だけでなく、月日の長さも感じられる。会話の妙。
 会話が川柳のタネだと思えば、日々のおしゃべりがぐっと楽しくなってきますよ。

しあわせの五・七・五 川柳な人々

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