番組内容

人の手がないと完成しない麒麟山のお酒をさらに知る。

高級ブランド、田村みかんをたっぷりいただきながら、 みかん栽培の話題へ。
聞くところによるとみかん王国和歌山には、 全国唯一の学科を持つ高校が以前あったそうです。
「私は今64歳なんですけど、ずっとここで育ちました。私らが若い頃には、農家の長男は吉備町に吉備高校という学校があり、そこの柑橘園芸科という柑橘専門の科へ行って家業を継ぐ、というのが当たり前のように言われていましたね」

戦後に設置された柑橘類専門の学科。今はもうありませんが、和歌山のみかん農家の子どもは当時、ここへ多く進学していたそうです。










※辺り一面みかんの木が茂る山、山、山! 田村はずっと、みかんと共にある街なのですね。

柑橘園芸科なき今、
太田さんは自身のお子さんたちに、どのように家業を伝えたのでしょう?
「自分の子どもには家業を継いでほしいなんて言わなかったのですけど、今は戻ってきて、一緒にやっていますね」
何も言わなくても息子さんが家業を継ぎに家に戻る。
それだけみかん農家には魅力があるということでしょうか。

「どうなんでしょうね。今はどこのみかんの産地でも後継者がいないんですよ。私が家業を継いだころは300万トン以上の出荷量が国内であったんですけど、それがもう100万トンくらいしかないんですよ」










※夕暮れ近くなると、山の方から荷台にたくさんのみかんを積んだトラックが戻ってきます。みかんの収穫期だけに見られる、不思議な光景です。

全国的に出荷量が減ってきている今こそ、みかん農家をやる方がおもしろいと太田さん。
どういうことでしょう?
「田村は普通に世話していれば普通以上のミカンができる場所。だからいろんなことができると思うんですよ」

昔ながらの方法だけでなく、新しい工夫をすることも必要だと太田さんは言います。
「自分が作ったみかんを自分で売る、くらいの気持ちがないとね。付加価値を付けて、よその産地よりもいいみかんを作れるようになれば、海外だって売りに行けると思います」












※ちょっと小ぶりがおいしい田村のみかん。元々のポテンシャルが高いからこそ、やりがいがあると太田さんが言っていました。

ちなみに、みかん農家の一日はどんな風に過ぎていくのでしょうか。
「収穫は朝7時くらいから山に上がっていきます。7,8人の男性が手伝いに来てくれて、私の家族を入れて10人くらいで、16時くらいまでやっています。年内に終わることを目標にしていますが、1月までかかることもありますよ。毎日収穫しっぱなしです(笑)。大変な仕事ですけど、やはり収穫が一番おもしろいのでね〜」
太田さんのみかん畑をはじめ、田村ではみかんがすべて露地栽培。
「田村は立地がいいから、露地のみかんで十分やっていけるんです。だからハウスにする必要がないですね。田村にはみかんのハウスが1つもないんですよ。ただ、10年後もこのままか、というとそうではないと思うので、今のうちに新しい品種や苗木の育成もやっています」

年齢と共に体力がなくなってくることが、最近は辛いという太田さん。
「いまは加工品もしているので、なんだかんだ年中忙しくしていますね」
なんだかんだ言って、みかん栽培を心の底から楽しんでいらっしゃるようです。











※収穫したみかんの入ったコンテナを運ぶ、みかんの産地では定番の乗り物。太田さんが茶目っ気たっぷりに動かしてくれました。


Director’s voice [日本唯一の柑橘園芸科] 太田さんも通った吉備高等学校柑橘園芸科。吉備高校自体は今はなく、和歌山県立有田中央高等学校に改名され、総合学科の高校になっています。
柑橘園芸科が設置されたのは昭和28年、国内でのみかん栽培が活気を帯びてきた頃。国内での生産量は昭和50年頃のピーク時までどんどん増えていき、柑橘園芸科の定員も、それに個尾するかのように増えていきました。昭和40年には、3学級165名の生徒が、柑橘について学びを深めていたようです。 やがてみかんの収穫量が減少し始めたのに合わせて定員も減り始め、柑橘園芸科は平成9年に募集を停止しました。吉備高等学校も同じ年、和歌山県立有田中央高等学校へと改称されます。





【プロフィール】
太田直廣(なおひろ)さん
七代120年近くにわたって、最高級ブランドみかんで知られる「田村みかん」を作る、小南農園の太田直廣(なおひろ)さん。 代々継承されてきたみかんづくりの技を今も守り、東京のフルーツ専門店とも40年近く取引が続いている。
http://www.aridamikan.com/