苔ってさ、の巻
 突然ですが、みなさんは苔はお好きですか?
 私は小学生のころから道ばたや公園の隅っこに生えている苔を撫でて楽しんでいました。細かく緻密に織られたビロードのようなホソウリゴケ。手のひらで軽く押さえるとしっかりと跳ね返してくれる、杉の葉っぱに似たスギゴケ。一見乾燥して枯れているかのようにも見える、シルバーグレーが格好いいギンゴケ……。  名前はあまり知らなかったけど、あっちこっちでしゃがみ込み、触って回っているうちに、この種類は木の幹にくっついていることが多いなあとか、この子はアスファルトとコンクリートの継ぎ目に良くいるやつだとか、彼らにもそれぞれ「好みの場所」があるらしいことがわかってきました。

 苔って寡黙ですねえ。日本庭園や寺院の境内などで手厚く世話をされているものを除き、市街地のそちこちにある野良苔たちと言ったら、主張はしなさすぎるほどにしなくって、日常生活の景色の中では完全に存在感ゼロなのです。晴天が続けば、黙ったままぱっさぱさに、雨で潤うと誰にもわからないくらいのスローペースで地味に裾野を広げて、という暮らしぶり。オレがオレが、という主張もなければ「孤独だなあ寂しいなあ」と嘆いてもいない。
 とことん静かな生活です。そういうところがいいなあと思うのです。つい見つけると「君こんなとこで何してるん」と、しゃがみ込んで声をかけたくなってしまう。そして、挨拶代わりに指先で、または手のひらで撫でて、こちらから一方的にではありますが交流を図っているのです。
 こんな風に長年、私はひっそり苔とコミュ二ケーションを取っていたのでありますが、この秋、立て続けに二度も、テレビ番組で苔を堪能する機会に恵まれました。
 行き先は日本蘚苔類学会が選定する「日本の貴重なコケの森」にも挙げられている、青森の奥入瀬渓流、長野の北八ヶ岳。どちらも有名な苔の楽園です。しかしテレビで苔、なんて……。いつの間に苔はブームになっていたのだろう。
 奥入瀬へは、アンガールズの田中さんとご一緒しました。田中さんは私の知る上でほぼ唯一の苔好きの同業者さんです。ご自宅でも何年も前から苔を育てておられるそう。知識もうんとあって、種類や名前もよくご存じです。

 ロケ中も、この種類は砂地に生えるからちょっと乾燥気味に、とか、これは鉢の上についているものだけでなく、鉢自体の側面についた苔も格好いいんだよね、とか、お家の苔を写真で紹介して下さいました。都会でも育てやすい苔はこれこれ、などとおすすめの苔を教えてもらっていると、時間があっという間に経っていくのです。おすすめのレストランとか、居心地のいい公園、なんていう情報交換はよくするけれど、おすすめの苔とかいう話は、多分テレビに出ている人のなかでは田中さんしかできないと思う。

 ふたりで行った奥入瀬では、ガイドの河井さんに案内していただいて渓流に添った遊歩道を歩きながら苔を堪能しました。生まれて初めてエビゴケ(先端部にエビの触角みたいなものが出ている苔)の群生を見たこと、それから苔がびっしりついた橋やテーブルを観察できたのが面白かった。至近距離からルーペで苔を覗くと、違う星にやって来たかのような不思議な世界を見ることができるのです。あいにく土砂降りの雨でしたが、潤った苔の姿はとても美しいものでした。
 また別の番組で訪れた北八ヶ岳では、麦草ヒュッテのご主人、島立さんに案内していただき、麦草峠から白駒池までの苔の森を観察しました。雨上がりの苔の森が朝日に照らされるさまは、素晴らしいの一言!
 実家の犬のしっぽを思わせるチシマシッポゴケ、ふっかふかのホソバミズゴケ、さわり心地がとてもいいタカネカモジゴケ(かもじ、と言うのは髪を結うときに中に仕込む添え髪のこと)など、色んな苔に出会うことができました。
 まあとにかく奥入瀬といい北八ヶ岳といい、観察ルーペを持ってしまうと、一時間で五メートルも進めないくらいに、苔の種類が豊富なのです。テレビというメディアで苔を取りあげるのは、ちょっと無理があるかも知れないなあ……と、後から心配しました。出演者(私です)は、大満喫だったのですが。

 山が多く、水場がたくさんある日本では、たいていの場所で苔に出会うことができます。でも、やはりガイドさんに案内していただくと、苔の見方ひとつとっても勉強になるし、記憶にも残りやすい。漫然と見るのとは明らかに違いますね。ひとつひとつに注目して、苔の特性や名前の由来を教わるのは、新しい扉をひとつずつ開けていく喜びがある。
 今回のガイドさんたちは苔を「触る、撫でる」ことも勧めて下さいました。もちろん採集や、傷つけることは厳禁ですが、触れて感触を楽しむのは良いですよとおっしゃっていたのです。撫でるのが好きな私は、ああ良かったと胸をなで下ろしました。
 苔たちが森の木々を生育させるための土台、ベッドになっていること。苔の持つ保水力が、生まれたばかりの幼い木の根を守り、成長をサポートしていること。ガイドさんから話を聞いて、新たに尊敬の気持ちが芽生えました。これまで、ただただ可愛いなあ美しいなあと思って見ていたけれど、実は偉大な存在だったのだ。そして、でも、寡黙。
 やっぱり苔って素敵だね。