第157回  大野勝彦さん(風の丘 阿蘇大野勝彦美術館) 

今日は、ゲストの大野勝彦さんがいらっしゃる
熊本県・南阿蘇村「風の丘 阿蘇大野勝彦美術館」を
尋ね、館長の大野勝彦さんにお話を伺いました。

【両手を事故で切断】
 大野さんは、昭和19年生まれ。実家は農家。
 高校卒業後、実家の農家を営む。
 平成元年、農作業中 機械により両手のひじ部分から下を
 切断する事故にあう。

【失意のベッドの上で】
 事故の現場にいたお母さんを「母ちゃんがスイッチ止めんから
 こうなった」と責めた時、泣く母を見て申し訳なく思った。

 また普段怒ってばかりいた子供達が、毎日見舞いに来てくれた。
 悲しみを隠すため はしゃぐ子供達に、本当は感謝しているのに「やかましい」「笑うな」と
 心で思っていることと反対の言葉を言ってしまう自分がいた。
 ならば しゃべるのをやめ、紙に書こうと思ったのが、作品を生み出すきっかけに なった。
 
【湧き上がる‘生’への想い】
 事故から3日後には、ひじにペンをくくりつけ、
 詩を書きはじめ、2カ月後には、水墨画を描いた。
 今まで書画の経験はまったくなかった。

 3カ月後に義手ができた。
 皿にこぼした積み木のようなものを積むテストで、通常は1週間程かかる
 ものが、その場でできた。
 磯釣りが趣味だった大野さんは、3カ月で釣り針を結べるようになった。

【あきらめないこと】
「熱意をもって物事にあたらないと、たぶん夢は叶わない」
「あきらめない意識」は、農業をやっていた頃からの意識だ、と大野さん。

 事故を境にして自分が変われたと語る大野さんは、
 素晴らしい家族とスタッフに恵まれたと話されました。

 来週も引き続きお話を伺います。
 
 風の丘 阿蘇大野勝彦美術館( 熊本県阿蘇郡南阿蘇村長野2514番20 )

第156回  NTT西日本 相談役 森下俊三さん(2) 

先週に引き続き 今日のゲストは、NTT西日本 相談役の
森下俊三さんです。森下さんは、西日本電信電話(株)の社長、
会長を歴任されました。現在は、関西経済連合会 副会長で、
在大阪トルコ共和国名誉総領事でもあられます。

【携帯電話 苦労話】
  当初、電波がよく切れていた。電波の強さを人海戦術で調べ、
  アンテナを調整。また携帯電話の質の向上にも力を入れた。

【日本と海外の携帯事情】
  日本の携帯は優れた機能がたくさん付き、高性能。
  一方 世界は安くてシンプルなものを望んでいる。
  日本の技術はすすんでいる。

【企業改革 「五時から塾】
  指示を待ち、受けて行う管理者にもっと考えてもらいたいと管理者を集め(約50人程)、
  森下社長自ら社員に話した。テーマは、コンプライアンスや人間力を鍛える、会社をどうつくるか、など様々。
  管理者はテーマに基づき議論し、レポートを提出。
  3年間で「5時から塾」を35回実施。結果、自分達の問題として捉えるようになった。

【2010年 日本・トルコ 友好120年】
 1890(明治23)年 オスマン帝国の軍艦(エルトゥールル号)にのり日本へやって きたトルコの使節団は、
 明治天皇の表敬訪問に訪れていた。しかし帰り道 台風に 遭遇。和歌山県・串本沖で座礁 沈没してしまう。
 この時、付近の住民の献身的な救助により、一部の乗組員が命をとりとめ、日本海軍の巡洋艦により、丁重にトルコに送りとどけられた。
 このエルトゥールル号遭難事件は、両国の友好の原点の出来事とされている。

<トルコに助けられた日本>
 1985年3月、イラン・イラク戦争下のテヘランで、イラクがイラン領空の全航空機を攻撃対象にすると発表。
 テヘラン在留の日本人が孤立した状況に陥った。その時 トルコ政府が日本側の要請に基づき、トルコ航空機をイランに派遣。
 結果イラクの攻撃設定期限のぎりぎりで多くの日本人がこれに搭乗。イランを無事に脱出することができた。

 トルコとの友好関係をはじめ、トルコは立地的によく、若い労働力もあり、
 将来 日本の企業にとってトルコが重要になってくるだろうと森下さん。2週間にわたり、ありがとうございまいた。

<プレゼントのお知らせ>
 森下俊三さんの本「五時から塾」を 10人の方にプレゼントします。
 ご希望の方は「はがき」か「メール」でご応募ください。

 ハガキ 〒530-8304 毎日放送ラジオ 「 三枝輝行の商い勘所 」
 メール sae@mbs1179.com 「本 」 係まで    皆様のご応募お待ちしております。

第155回  NTT西日本 相談役 森下俊三さん 

今日のゲストは、NTT西日本 相談役の森下俊三さんです。
森下さんは、関西経済連合会 副会長で、
在大阪トルコ共和国名誉総領事でもあられます。

【子ども時代】
 三重県亀山市の生まれ。よく遊ぶ子どもだった。
 中学は 陸上で中距離走、高校は卓球部に所属。
 得意科目は、数学・理科。名古屋大学工学部に進学。
 時代は、大型コンピューターが出てきた時代。
 IBM360が出た時代でした。
 
【日本電信電話公社に入社】
 当初、開発部門に配属された。電話交換手の時代に、電話を
 交換するための自動的な機械をメーカーとともに開発した。 
 三枝さんから「日本電信電話公社は、業務上の競争相手は
 いなかったと思うが」との質問に、
 「コストと時間の意識」が民間と違ったと森下さん。
 公社の時は、国会で予算を審議してもらわないといけなかった。
 
 最初の競争は、電話機。
 もともと電話機本体は、電電公社が貸出をしていたが、電話機は各々買うということになった。

【民営化】
 政府内で三公社(国鉄・専売公社・電電公社)五現業をどうしようかという話から、昭和60(1985)年 民営化。

 民営化にあたり、当初は反対意見もあったが、議論を重ねた結果、
 公社から民営の流れになった。
 
 民営化で良かった点は、サービスが自由にできるようになったこと。

 民営から6年後の 1991年。NTT移動通信企画(株)を設立。
 1992年 NTT移動通信網(株)商号変更。(2000年 NTTドコモに商号変更)

来週もひき続き森下さんに お話を伺います。

第154回  ゲス ト 元検事総長 土肥孝治 弁護士(2) 

先週に引き続き、ゲストに 元検事総長で現在は弁護士の
土肥孝治さん迎え、検察庁の組織のことから、証拠改ざん事件に至るまで、お話を伺いました。

【検察庁の組織】
 検察庁:最高検察庁(全国を統括。上告審を扱う)、高等検察庁(全国8庁。控訴審を扱う)、地方検察庁(各都道府県)、区検察庁がある。

【特捜検察と公安検察の違い】
●特捜検察・・・特捜部で扱う事件。特捜部は全国に3つあり、
         企業の大規模犯罪や政治家の犯罪などを扱う
●公安検察・・・国家の治安を守る。テロ・ゲリラ等による犯罪や薬物、
         不法入国等外国人による犯罪などを扱う
【押収された資料】
差し押さえるべきものは限定されているが、幅が広く、
捜査で押収された大量の資料は、すべて目を通す。

【検事総長が下す判断】
 最終的には決断をしなければならない。Aという結論をもてばどうか、Bならどうか、をすべて見極めた上で結論を出す。

【大阪地検特捜部 証拠改ざん事件】
  証拠品にさわるということは、絶対にあってはならないことで、鉄則。
 問題が生じた時に、上がどう対応するか。問題が起こった時、取り上げることは取り上げ、きっちりした判断を下すべき。
 曖昧に処理をしようとした点が問題。

【可視化】
 ●全面的な可視化は、人と人との 心のかよいあった調べはできない。
   皆がカメラを意識してしまう。
   言う側も、言った内容を公に知られれば自分に危害が加わる恐れを感じ、真実と遠ざかる方向へいく可能性も。

 ●冤罪は 絶対に避けなければならない。
  それなりの方法を考え、必要なら可視化も一部入れる。全面的な可視化には賛成できない。

【検察の今後のあるべき姿】
  自分を厳しく律する気持ちを失ってはいけない。
 「千虚、一実に如かず」千の嘘を重ねても、一つの真実には敗れる。
 この精神で真実を追求するのが、検事の心。

2週にわたり、土肥孝治さん ありがとうございました。