第514回 ゲスト:サッポロビール 代表取締役社長 高島英也さん(3) 

ゲストは3週に渡り、サッポロビールの代表取締役社長・高島英也さんです。

【上面発酵、下面発酵】
発酵が終わると酵母が上に浮いてくるのか、下に沈むのかの違いです。上面の場合は比較的高温にしないと良い発酵ができません。下面の場合は10度以下の場合でもゆっくり発酵していきます。酵母の持っている特徴の違いによって発酵の仕方が変わります。

【黒ビールについて】
水の硬度や使っている麦芽の種類や色によって黒ビールが生まれます。ビールには比較的硬水の方が向いています。工場を作る際はその地域の水の硬度などを調べます。

【多様なベルギービール】
世界のビールの中でもベルギーのビールの多様性は群をぬいています。古くは修道院で作られていた歴史が影響しているのではないかと思われます。また日本と違い、果物をつけ込んだりしてワインのように楽しむ文化もあります。ランビックという変わったビールもあります。

【サッポロビールの歴史】
1876年(明治9年)に開拓使麦酒醸造所が開業したのがサッポロビールの元となります。サッポロビールのマークは開拓使がシンボルにしていた「五稜星」から来ています。

番組へのご意見・ご感想をお待ちしております。
宛先は・・・
<ハガキの方> 〒530−8304 MBSラジオ 「 三枝輝行の商い勘所 」
<メールの方> sae@mbs1179.com

第513回 ゲスト:サッポロビール 代表取締役社長 高島英也さん 

ゲストは先週に引き続き、サッポロビールの代表取締役社長・高島英也さんです。

【大阪工場へ異動】
仙台工場から大阪工場へ異動になりました。関西では当時、まだまだサッポロビールの割合が少なくて、なんとか増やしたいと思っていました。工場見学に来ていたある社長に怒られたことから販売に挑戦しました。実際に店頭に出て売ってみると、まったく売れませんでした。営業と相談して、工場のユニホームを着て販売したり、長靴やヘルメットを着て販売したりしました。実際飲んだ方が美味しかったと再び買いに来てくれた時は感動しました。

【作る人間と売る人間】
きっかけをくれた社長も言っていましたが、メーカー目線の売り文句をいくら言っても消費者にも伝わりません。やっぱりそこには消費者目線と、こちらの必至さ、一生懸命さしかないんです。ビール会社では製造部門と営業・販売部門の意識がかい離していくことがありますが、それに対しては出来る限り売る現場へ足を運んで、モノを売る本質を感じるように呼びかけて、自らも実践しています。

【新しいビールの研究】
昔は本社の指示を受けて各工場で研究開発を行っていましたが、今では静岡の焼津をメインに研究開発をしています。

【ビールの歴史】
大麦を使ったお酒であることから液体のパンと呼ばれたりもしています。最初は偶然からできたものだと思います。日本では江戸末期くらいからビール作りが行われていました。

番組へのご意見・ご感想をお待ちしております。
宛先は・・・
<ハガキの方> 〒530−8304 MBSラジオ 「 三枝輝行の商い勘所 」
<メールの方> sae@mbs1179.com

第512回 ゲスト:サッポロビール 代表取締役社長 高島英也さん 

今回はスタジオを飛び出して東京・恵比寿までやってきました。ゲストはサッポロビールの代表取締役社長・高島英也さんです。

【子どもの頃の話】
福島県の伊達郡(現・伊達市)で生まれ育ちました。友達と毎日のように遊んでいました。野球をしたり、山や川で遊んだりしていました。中学校では水泳部で鍛えていました。先生もいなかったので自分たちで泳ぎ方を研究していました。高校へは毎日、自転車で45分かけて通っていました。それで体力はついたと思います。

【東北大学へ進学】
引っ込み思案な性格で、姉からは「営業に向いていない」と言われていました。大学へ進学する際は、食品会社の広い領域をカバーできて、将来は営業ではなく、工場で働くようなイメージをもって農学部へ進学しました。農学部では植物の品種改良について学んでいました。例えば、酸性土壌で植物を成育させるためにどうしたらいいのかなどを研究していました。

【大学時代はラグビー】
大学に入ってからラグビー部を始めました。最初は67キロしかなかった体重が83キロまで大きくなりました。ロックやフランカーというポジションを担当していました。東北エリアでは強かったんですが、全国レベルではまだまだでした。諦めないことの大切さ、コツコツ毎日積み重ねていくことの重要さを学びました。

【就職活動】
いくつかのビール会社から大学へオファーがありました。就職の資料の中でサッポロビールの社長の顔写真が掲載されていて、耳が潰れていたんです。体育会系の社長なのかなと思って、ラグビーをしていましたし、採用されるんじゃないかとピンときて選ぶことにしました。サッポロ以外はどこも受けませんでした。

【働き始めて】
名取市にある仙台工場の醸造課へ配属されました。先輩からビールの製造について教えてもらいました。大学で勉強したことが使えるかなと思いましたが、入社してから勉強することの方が多かったです。厳しい上司に対しては当時、反発心を持っていましたが、今になってみると感謝しかありません。

番組へのご意見・ご感想をお待ちしております。
宛先は・・・
<ハガキの方> 〒530−8304 MBSラジオ 「 三枝輝行の商い勘所 」
<メールの方> sae@mbs1179.com

第511回 ゲスト:華道家 池坊 美佳さん(3) 

ゲストは3週に渡り、華道家の池坊美佳さんです。

【次期家元 池坊専好さんについて】
女性の家元は池坊の歴史の中で姉が初めてなることになります。母からは子どもの頃から姉が家元になった時はしっかり支えなさいと言われてきました。姉は家元という重圧を受け止めながら、真面目に頑張っています。姉は父からはお寺や仏教の勉強をしっかりすること、そして自分らしい作風を生み出して欲しいと言われています。

【生け花の修行について】
私たち池坊の人間だからといって、父から教えてもらうことはありません。父からではなく、別の優秀な先生方から教えてもらって勉強しています。父からは技術も知識も備わった人間になってほしい、しっかり勉強してほしいと言われています。

【海外展開について】
日本には400支部、世界に100支部ほどあります。もちろん国や地域よって習うことへの温度差があります。私たちとしては打ち上げ花火のような一回だけのものではなく、継続して根付いていくこと、その国の人に生け花を好きになってもらうにはどうしたらいいのかを考えています。

番組へのご意見・ご感想をお待ちしております。
宛先は・・・
<ハガキの方> 〒530−8304 MBSラジオ 「 三枝輝行の商い勘所 」
<メールの方> sae@mbs1179.com