日本フッソ工業株式会社 代表取締役
豊岡 敬さん
https://www.nipponfusso.co.jp
フッ素コーティングの様々なニーズに先鋭技術で対応

日本フッソ工業株式会社 代表取締役
豊岡 敬さん
https://www.nipponfusso.co.jp
フッ素コーティングの様々なニーズに先鋭技術で対応
学校法人あけぼの学園 理事長
安家周一さん
https://akebono.ed.jp
園と家族が手を取り合う子育てと教育
先週に引き続き、ゲストは日本フッソ工業株式会社の代表取締役 豊岡 敬さん。
今週は会社の歴史について伺います。
「創業は1964年。
父が創業者で私は2代目です。
父は前職で潤滑剤を扱う営業をやっていまして、色々なお客様から作る製品が機械にこびりついて困る、くっつかない新素材はないだろうかというような相談を受けたらしいんです。
父はくっつかない新素材を探し求めていたらしいんですけれどもなかなか見つからない。
ある日、たまたまアメリカに出張に行った時にフッ素コーティングをしたフライパンと出会いました。
父は自分が探し求めていた"くっつかない新素材"じゃないかということで、日本でそれを事業化し、大阪・堺で創業しました」。

会社が飛躍したきっかけは?
「我々の製品で『ECシリーズ』って言うのがありまして、これは導電性のフッ素コーティングなんですね。
実はフッ素のコーティングは絶縁性に非常に優れていまして、その一方で静電気を溜めやすいという問題もあります。
そういった性質から有機溶剤や粉体を使うようなところにはフッ素のコーティングが使えないんです。
静電気爆発が起きてしまいます。
当時、音楽テープやビデオテープが出始めた頃に記憶媒体として、磁性塗料っていうのを使っていました。
その磁性塗料を作るプラントに我々コーティングを売り込みたいと思っていました。
ところが、その磁性塗料は有機溶剤に溶かして作る。
こんな静電気を発生するようなものは危なくて使えないと断られたんですね。
これをどうにかしたい。
そこで静電気が発生しないように電気が流れるフッ素コーティングを開発しようということで生まれたのが世界初の商品『NF004EC』という導電性のフッ素コーティングでした。
これが爆発的に売れてベストセラーになりました。
フランスなど海外からもオーダーが来るぐらい売れたんですね。
実際に作ったのが社員の皆さんですが、発端や指示は創業者であるうちの父。
父は文系の人なんですよ」。
豊岡社長のこれまでもお伺いしましょう。
「私はあまり勉強が出来なかったんですよ。
英語が苦手でしてね。
こんなに英語が出来なかったら、まともな大人になられへんなと思って(笑)。
そこで思ったのが、アメリカの学校に行ったら嫌でも英語しゃべらなきゃいけない、そうすれば英語が出来るようになるんじゃないか...と思って、アメリカの大学に留学したんです。
留学したのはいいのですが、英語の上達はそうは簡単にはいきませんでした(笑)。
結局、私は5年間アメリカにいますが、常に英語に追いかけられるような生活でしたね。
なんとかギリギリで卒業できました。
大学を卒業する時に祖父母から、日本フッソへの入社を勧められました。
当時は社会のことも何も分かってないですし、最初は営業部に配属になったんですけれども営業成績も悪くて...。
劣等感の塊だったんです」。
そこから転機が...。
「国が運営している中小企業大学校というところに10ヶ月間行きました。
全寮制の学校で経営について体系的に勉強させてくれる学校です。
そこで勉強したことが今、役に立っていますね。
私は34歳で社長になるのですが、その後も色々試練がやってきます。
最初はITバブルの崩壊でしたね。
当時38歳だったと思いますが、全然仕事が来ない。
赤字を計上してしまいまして...。
ここまでの営業不振は初めての経験で何をやっていいのか分からない。
半分パニックになっていたんですね。
その時に思ったのがトップがこれではいけない、ということ。
落ち着いて何をやるべきなのか。
そのためにとりあえず環境を変えようと思いました。
静岡県の富士宮市にあります"地獄の訓練"と云われる管理者養成学校へ行きました。
同期は20人ぐらいいまして、そこで1番で卒業しようという目標を立てました。
無心になって訓練を受けていると段々と平常心に戻り、アイデアも浮かんできました」。
そこから復帰へ。
「当時は不景気だったので仕事を見つけ出さなきゃいけない。
過去において何らかの理由で注文が取れなかったお客様に再度アタックすることにしました。
お客様の中にほぼ24時間、365日工場が稼働していて、工場を止めることができないからコーティングは出せないという客先があったんです。
しかし、よくよく聞いてみると年末年始とゴールデンウィークは工場が止まることがわかりまして。
その会社は非常に大きな会社で全国にいくつも工場を持っておられました。
それならば年末年始とゴールデンウィークにこの会社の全工場のコーティングをやろうと決めましてプロジェクトを組みました。
そうこうしているうちに徐々に景気も回復してきて、経営も元に戻っていきましたね」。
豊岡社長の持たれているモットー、大切にしてきたことは?
「もともと父親がこの商売を始めたきっかけが、"お客様のお困り事を解決したい"ということ。
同じ考え方を今でも我々は受け継いでおりまして、お客様の課題を解決することによって新しいオンリーワンのマーケットを1つ生み出していく。
我々の会社名に"フッソ"と付いていますが、決してフッソというマテリアルを販売する会社ではなくて、"フッソを使って、ソリューションを提供する"。
そういう会社を目指していきたいと思っています」。
最後に未来へのビジョンを聞かせてください。
「私の時代ではインドに工場を作ったら、それが終わりかなっていう風に思っているんですけれど、うちの社員は"GO WEST"と言っていましてね。
よくよく聞いたらさらにもっと西へ。
最終的にはもう一度、アメリカで事業展開したいと言っています。
できるかどうか分からないですけれども、世界に羽ばたけるような会社を目指していきたいと思っています」。
