学校法人あけぼの学園 理事長
安家周一さん
https://akebono.ed.jp
園と家族が手を取り合う子育てと教育

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株式会社プロックス 代表取締役 道中廣茂さん
専務取締役 道中拓磨さん https://www.proxinc.co.jp
釣りをもっとお手軽に スピーディーなものづくり
先週に引き続き、ゲストは学校法人あけぼの学園の理事長、安家周一さん。
今週はあけぼの学園の歴史を伺います。
「あけぼの幼稚園を作ったのは私の母です。
私も母も東京の自由学園を卒業していまして、そこには羽仁もと子さんという創設者がおられまして、そこは月刊誌『婦人之友』を発刊された方でした。
当時から社会的・経済的に自立する教育方針を受けて、母も"母親たちを助けたい"という思いを持って昭和25年あたりから豊中市の行政に対して保育所を作る申し出をしました。
しかし、保育所は公立が一般的。
当時の豊中市では私立の保育園はできないという時代だったんですね。
幼稚園なら作ることができると知ってそこからスタートしました」。

とてもアクティブなお母様です。
「母は色んな女性 of 集まりに行っては女性の社会的、経済的な自立を訴えていました。
そんな中、私が生まれまして。
母は幼稚園作りにすごく忙しい。
自分の子どもの預け先がないわけです。
貧困や独り親のご家庭で困っている人しか保育所に入れない時代だったんですよ。
しかし、うちは両親揃っているし貧困でもない。
私は2歳ぐらいの時からすでに幼稚園に通っていたんです。
そんなことが許された牧歌的な時代でした」。
そこからお母様は保育園をお作りになった。
「母が目指したのは "女性がきちんと自立できるようになるための保育所"。
途中から豊中市も変わって、私どもともう1園が民間保育所第1号となりました。
特に例えば宝塚市に住んでいて、豊中市で小学校の先生をやっていますという方。
そういう方は普通、宝塚市しか保育所に入れないじゃないですか。
だけど地元ではまだ保育所が早朝で開いてないんですよね。
それで結局、豊中まで来られて私どもの保育所に預けられる。
そして、そこから小学校の勤務に向かわれているという方々も出てきたりして。
このケースは市を跨いでいますよね。
当時は市を跨いではいけなかったんです」。
後に保育所を継承されます。
「自分自身は何かできるのではないかという思いもあって、メディアに出るなどの経験もさせてもらって、こっちの業界もいいなと思っていたんですね。
ところが大学を出て2年ほどしてから父が社会福祉法人を新しく作るという話に。
自分は長男でもありますので、この仕事に就きました。
私自身も東京の自由学園を出て、大学で心理学を学びました。
そんな流れから障がいがある子どもたちの集える場所を幼稚園で作りました。
当時は特に重い障がいの方は普通の幼稚園に来られなかった時代です。
ところが、うちの園はそういう子ども達を受け入れたんです。
そしたら全国からたくさんの方々がうちの幼稚園に入るべく教育移住されました。
その後、豊中市の地元の小学校に入学します。
豊中の小学校で、障がい児教育がどんどん進んだのはこういった背景もありました」。
こういった幼稚園をはじめとする学びの場を作るルーツはどんなところにあるのでしょうか?
「私自身が学んだ自由学園では中学の頃からディスカッションがたくさんあるんです。
自分たちの生活の決まり事やルールを話し合います。
私は寮に6年間入っていましたが、そこには大人がひとりもいないんです。
中1から高3までの生徒だけで自治していました。
自由学園は母が出た学校でもありました。
母は卒業後、大阪市の職員として勤めているんです。
そこで女性の給料と男性の給料が倍ほど違うことを知るわけです。
労働組合の女性部長になって中央公会堂で演説している写真が残っています。
そういう母の想いが私の中にも乗り移っているのかもしれませんね。
制度や仕組みなどにいつも"なんで?"と理由を聞きたくなる感じです」。
お母様から引き継がれた後、いかがでしたか?
「母が推し進めてきたことは先進的ではありましたが、時代が進むにつれてそれを否定しなければならない時もありました。
例えば園の子どもたちが年がら年中、上半身裸だったことがあったんです。
理由を聞けば、肌を鍛えたら風邪を引かなくなると言うんです。
そこを否定すると母には母なりの理論があったんですけどね...。
しかし、時代的にも変化して動物でいう体毛になるよう、子ども達が選べる4色のTシャツ、2色のパンツを作りました。
平成の時にこのユニフォームに変えました」。
そのことに対してお母様の反応は?
「"いいのができたね"といった感じでしたね。
周りの園はブレザーを着ておられましたが、その後、幼稚園や保育園がみんなうちと同じようなユニフォームになりましたね。
川で大きな石が中でゴロゴロして、だんだん小さくなっていくじゃないですか。
そして丸くなって、最後は砂になって海へ流れていく。
"ローリングストーン"ですね。
自分たちは変わらなければいけないんです。
良いものはもちろん残しながらだけれども、変わっていくことに拒否をしてはいけないとずっと思っています。
園長が如何に学んで新しいものを取り入れながら変わっていけるか。
私の仕事の中で『幼時教育研究機構』という全国団体の理事があります。
このことをずっと話しています」。
幼児教育研究機構についてお聞かせください。
「今まで幼稚園保育園っていうのは評価をあまりされてなかったんですけども、これからはちゃんとした保育をしているかどうか一定の評価をされる時代に入ってきます。
今、保育園は無償化になっているんですね。
無償ということは公費が入っているということ。
と、いうことはそこでやられている教育、給食などの内容は当然評価されるべきものになってきます。
子どものために教育レベルを上げていくっていうことに力を尽くす。
それが幼児教育研究機構です」。
給食ひとつとってもこだわりが。
「東京大学名誉教授の養老孟司さんからお声が掛かってシンポジウムに行ったことがありました。
当時、私は幼稚園の給食を手作りでやっていたので、そのお話をしに行ったつもりだったんですけど、私の前に障がいがある子どもの食べているものの研究をされている方の発表がありました。
その内容とは日本と韓国で野菜に散布されている農薬が高い濃度だということ。
そして自閉症や発達障害の発症率も日本と韓国は多いという表を出されたんです。
そこから園の給食の材料をオーガニックのものに変えるために1ヶ月間ぐらい探し回りました」。
今後のビジョンを教えてください。
「今まで幼稚園、保育園、認定こども園を長くやってきて、この4月には小学校開校予定となりました。
私は小学校の時の教育は子どもたちの中に種を植えたことになると思っています。
教育の業界の中に広い琵琶湖みたいなところにちっちゃい石をポツンと投げただけのような波紋かもしれないけれども、そういう波紋が少しずつ広がって公立小学校も少しずつ進化していくこと、時代に合わせあっていくこと、子ども達側の価値に気が付いていくこと。
そして子どもの人権が大切にされる日本の社会にならないといけないと思います。
OECD(経済協力開発機構)の中で日本の教育は3周遅れと云われています。
この状態はを直さなきゃいけないと思っております」。
