2016年

4月24日

知れば知るほど味わい深い昆布の世界

先週に引き続き、昆布一筋の株式会社天満大阪昆布 代表取締役の喜多條清光さん。
昆布の話は尽きません。
会社の歩みはどんなものだったのでしょうか?
「初代が昆布とニシンと干瓢を買ってきて昆布巻きを作って売っていたんです。
昔は昆布巻がよく売られていました。
“こんまき(昆布巻)いらんかえ〜”と売りにも来ていたそうですね。
その昆布巻の昆布を北海道に仕入れに行ったらどうか…というところからスタートしています」

昆布巻から商売がはじまった天満大阪昆布。
二代目から会社組織に変わり、喜多條社長で三代目。
今に至ります。
「いまは昆布水のおかげでスリムになりましたけど、昔は体重が100kgぐらいありました。
その頃は本社が天満じゃなくて北新地にあると思ってましたよ(笑)」
社会勉強(?)のために北新地へ通う日々だったと振り返る喜多條社長。
お兄様は、かぐや姫の名曲『神田川』などを作詞された喜多條忠さん。
「私はもともと昆布屋する気なかった
だって次男ですもん(笑)。
当時、兄貴が言いました。
“俺は筆で生きて行く。お前は昆布で生きて行け”って。
入社してからは“本社”で一生懸命よく遊びました(笑)。
でも人間は気づく時があるんですね…心を入れ替えるのが早いんです」
バブル時代を越えて、 喜多條社長は目覚めます。
「昆布に寄り添えば寄り添うほど昆布が寄ってきてくれる。
昆布にこんなに可能性があるとは思わなかったんです。
北新地の酒や香水の香りより、昆布のだしの香りが好きになりました」
今や昆布のことしかしないと明言している喜多條社長。
これからの昆布は…?
「もっと昆布のことを知らなければなりません。
昆布にどれだけの可能性があるか…それを知らなかったのは我々が悪い。
もっと研究することで昆布のことを知ってもらいたい。

初めてもった夢かもしれません」
大人気商品『昆布革命』から昆布水、昆布の粉末などなど、喜多條社長の昆布の夢、UMAMI DREAMは続きます。

竹原編集長のひとこと

社長の昆布にかける本気度は凄まじいものがありますね。
本気、そして商品に対する愛情。
これがいいものを生んでいくのでしょうね。