2021年

10月24日

老舗に起業家精神を 黒豆の未来を創る

先週に引き続きゲストは株式会社小田垣商店の代表取締役社長 小田垣昇さん。
小田垣商店が作り育て上げた丹波黒という品種でした。
「300年前から丹波篠山にあった丹波黒。私たち種屋と生産者が一体となって育ててきました。
名前がつきましたのは昭和16年、兵庫県が命名しました」。

今年になってカフェも展開。
豆菓子も今年からお作りになって、甘い豆から甘くない豆まで。
改めて会社の歴史でいうと?
「創業は享保19年。
当時は鋳物屋としての創業でした。
明治の初め、鋳物で食べていくのが大変な時代となりました。
そんな中、当時、種を専門にするところはなかったものですから、明治初年に種屋、種業店に転業しました。
種屋の一環として丹波のごく一部で作られていた黒豆を種として買取り、作り方もお教えして生産者の方に依頼しました。
黒豆が専業になったのは昭和10年です。
そこから85年が経って私が十二代目となります」。

幼い頃から食卓に黒豆があった小田垣社長。
家業を継がれることはスムーズでしたか?
「小さい頃から当然という状況でした。
でも反発をしていまして...(笑)。
若い頃は継ぐつもりはなかったんです。
大学を出てから東京の食料商社で3年半働いていました。
会社員になって2年半経った頃、父から真剣に話をされたんです。
"お前しかおらへんのや"と。
当時の会社で働くのもやりがいがあったのですが、小さな会社で自分が責任を持ってやっていくべきだろうという考えに至りました。」。

そこから家業へ?
「いえ、入る前にアメリカに1年半留学しました。
学生の頃不勉強でして、改めて起業家精神・アントレプレナーシップを学びに。
自分たちの老舗に起業家精神の発想を取り入れたいと思いました。
父もカフェの展開などを見て"意外とお客さんが来てくれるなぁ"と(笑)。
褒めてくれています」。

新型コロナウイルスの影響はありましたか?
「逆風の中ではありましたが、我々として必要なこと、生産者のために地域の将来のためにやらなければならないことがありました。
緊急事態宣言の時、お客様はいらっしゃいませんが、それ以外の時は密を避けて丹波篠山にお越しくださいます。
コロナ禍ではありましたが、丹波篠山には定住者が増えました。
都会から移り住んでこられて篠山の人口が増えました。
篠山は黒豆をはじめ素晴らしい素材がありますので、美味しいイタリアン、和食の店、和菓子屋さんなどもあります。
お店を改装した時に私のおすすめのツアーマップも作ったんですよ」。

未来へのビジョンは?
「丹波篠山は昔と今と街並みが変わってないんです。
若いころはその変わっていない街並みが恥ずかしかったんですが、この変わらない景色が財産です。
我々の変わらない思いは丹波黒豆の素晴らしさを未来に残していくこと。
店の第1期改装が終わりました。
全部で10軒の国登録の文化財の残り5軒を改装していく計画があります。
そこを黒豆の美味しさと健康と生産者の想いを発信できる拠点として改装していく計画です。
そこから国内はもとより海外に向けて発信していきたいですね」。

美味しい丹波篠山の黒豆が世界中から愛される日も近いですね。

<プレゼント>
今回、小田垣さんからリスナーのみなさまへプレゼントを頂いております。
『 黒豆の豆菓子・人気商品の詰め合わせ 』
こちらを5人の方にプレゼント!
メール:akarui@mbs1179.com
FAX: 06−6809−9090
ハガキ:〒530-8304 MBSラジオ 「日本一明るい経済電波新聞」
「 小田垣商店 プレゼント 」係
*当選者の方の発表は商品の発送をもってかえさせて頂きます。

竹原編集長のひとこと

江戸時代から続く老舗。これは技術はもとより想いも繋いだということです。
お父様からの継承、そして現社長からさらに未来へ。
楽しみが広がりますね。