2023年

3月26日

印刷会社は化粧品の顔を作る

ゲストは先週に引き続き本州印刷株式会社の代表取締役 陣野公司さんです。
今週は改めて会社の歴史から伺っていきましょう。
「創業は昭和39年です。
父が九州・熊本から丁稚奉公で大阪へ出てきて印刷メーカーさんで修行して、22歳の時に独立して立ち上げたのが本州印刷です。
最初に入った会社が化粧品の箱を作っていた会社でして。
そこの社長さんに可愛がっていただいたようで、独立する際に東京に一社、大阪に一社を持たせていただいたそうです。
"本州で一番になる"という思いを込めて作ったそうです。
創業してしばらくは工場がなかったですからね。
僕が小中学校ぐらいの時に印刷の機械が入って検査室もできました。
工場に入って手伝って、検査して、そして怒られて(笑)。
納品には一緒にトラックに乗って行ったりしていましたね」

子どもの頃のお手伝い、楽しそうですね。
「紙は重いんですよね。
落とすとやり直しをしなければいけませんし。
濡れるといけないので幌付きの車で運んで中に入ると暑い。
いいイメージはなかったですね。
それでも手伝いをしていました。
そんな中でもどこかで親父の一生懸命頑張っている姿から商売を大きくしたいなぁという思いが芽生えていたのかもしれません」

どのようにして入社されたのでしょう。
「大学を卒業してから別の印刷会社に3年。
そこから実家に帰ると工場が大きくなっていました。
当時で年商6億。
これを5倍ぐらいにせなあかんと思っていましたね。
親父は営業畑でして、仕事は自分で取ってこいという人でした。
昔からおられる専務がいましてね。
父はその人と競争させるんです。
僕が営業で1件取ればその専務は2件、僕が2件とれば専務は4件...倍の数を取ってくる。
そのおかげで会社の営業成績は上がっていったんですけどね。
でもお互い、仲が悪かったんですよね...。
そのことを僕の仲のいい得意先にも愚痴っていたんです。
そうすると得意先の人が"ありがとう、と言ってみろ"と仰るんです。
僕は嫌だったんですが、営業成績が上がったこともあって、ある時にふと"ありがとう"を言ってみたんです。
そうするとその専務が涙を流して喜んでくれました。
その涙で気づいたんですよね、僕を鍛えるために頑張ってくれていたんだと。
これも愛だったんだなぁと。
今はあの時代があって良かったと思います。
それから歩み寄れて協力して苦手分野を補うようになったんです。
情報の交換、共有をするようになりました。
社員の皆さんも、あれ?仲良くなってるぞって(笑)。
今はご病気なんですけど別の部屋を作ってそこで力を発揮してくださっています」。

2022年11月から唐津新工場が稼働。
「印刷業界の枠から飛び出したようなことをしようと思っています。
1000坪あって、建坪600坪、1階が印刷工場。
パッケージを作ったり、検品をしたり。
2階はアッセンブリ。
化粧品を詰めていく専用ラインです。
ホテルに泊まるとシャンプーなどが小さくパッケージされていますよね。
それを作ろうと思っています。
化粧品メーカー様から中身をいただいて、充填まで手がけます」。

この会社の動きに対して社員の皆さんはどんな反応をされていますか?
「一体感がありますね。
唐津の後、2025年にはタイにも工場ができるんです。
印刷会社だけれど、化粧品の顔を作っていくんだよとみんなに言っています。
印刷会社の地位向上をスローガンに頑張っています」。

未来のビジョンは?
「化粧品業界で資材担当でどうしても1番になりたいです。
海外に進出してmade in Japanというブランドを落とすことなく、次の世代にバトンタッチできるよう頑張っていきたいと思います。
いいものを世界に提供できる印刷メーカーになっていきたいと思います」。

印刷の進化は止まりません。

竹原編集長のひとこと

先代のお父様から息子さんへのバトンタッチ、専務さんとの競争。
そして新素材に新工場。
会社の活力を感じさせてもらいました。