2024年

3月10日

万博は関西のポテンシャルを世界に発信するチャンス

2025年 大阪・関西万博特集第2弾。
今週のゲストは2025年日本国際博覧会協会・総合戦略室長 三浦章豪さんです。
「総合戦略室は去年10月にできた室です。
開催まで最後に仕上げていくためにプロジェクトマネージメントをやっていく。
簡単に言うと"よろず課題解決係"のようなところです(笑)。
博覧会協会は総勢700名弱の体制で国や大阪府市の自治体、経済界などから参画していただいています。
多くの方に参画していただいているからこそ、背景の文化であったり、仕事のやり方が違っていたりします。
そうすると同じ組織で部署間に落ちてしまう話であったり、部署と部署の調整だったりどういった風に解決していくかが問題になってきます。
ひとつひとつを拾い上げて解決していく、そんな役回りの部署になります」。

この2025年日本国際博覧会協会・総合戦略室長の前は近畿経済産業局の局長に。
「7月に大阪に参りまして、3か月で博覧会協会に異動になりました。
異動する時に"3ヶ月で異例の異動"とニュースでもちょっと流れたりしました。
なんかやらかしたんじゃないって思った人もいるのでは(笑)。
万博の仕事としては大きなプロジェクトですし、ぜひやらせてくださいといった感じだったんです。
ただ近畿経済産業局の仕事としては3ヶ月という短期間で、いろんな人に挨拶回りが終わったぐらいのタイミングでしたね(笑)」。

万博が決まったのは2018年11月。当時は経済産業省に。
「その当時は万博の仕事をするとは夢にも思っていませんでした。
関西で万博があるんだ、といった具合でしたね」。

関西に縁は?
「小学校時代に三重県の津にいました。
津は関西弁で、津の皆さんは関西文化圏だと思っていたみたいで。
でも大阪に来て話を聞くと、津は関西ではなかったという(笑)。
そういう意味では関西は初めてですね。
大阪で暮らしているとミャクミャクを見ない日はないですね。
3ヶ月ではありますが、関西はポテンシャルが高いと感じましたね。
技術や研究でいえば、日本を代表する大学がいくつもあって、最先端の健康医療分野、水素の分野でも技術の集積があります。
東大阪、八尾のものづくりの基盤、サービス、観光のコンテンツもある。
文化的に新しいもの好きという点もあります。
起業や今回の万博などスタートアップでとても活きることだと思います。
ただ如何せん、それが100%発揮できているかというとそうではなくて、まだまだやれるという印象があります。
せっかくやるので新しいことにチャレンジして、万博を活用していただきたいと思っています」。

実際に一般の方や企業が万博との関わりをお感じになっていますか?
「始まってから観に行くということだけではなくて、共創チャレンジなどを通じて、万博と関わっていこうという動きが見られます。
近畿経済産業局時代にオープンファクトリーを開催しました。
中小企業の工場見学として外に開いていく。
単に工場見学をしてよかったね、ということではなく、従業員の皆さんのモチベーションが上がるとか、地域の人たちやその他の地域の方との交流が広がるなど大きな効果を生みました。
このオープンファクトリーを万博に向けてみんなでやっていこうという動きがあったりします。
他にも『TEAM EXPO 2025』というSDGsに資する動き。
若者のビジネスアイデアをサポートして形にするようなプロジェクトだったり。
学生の団体が阪急百貨店で防災グッズを販売しました。
防災グッズというと少し地味ですが、"大切なひとが無事でいるためにギフトとして送ろう"というテーマで、ポップアップショップを開催しました。
若い人がチャレンジして形にすることが具体的に動き始めています。
万博に関わっていく動きが広がっていくといいなと思います。
協会自身がやっていることでいうと、『Co-Design Challenge(CDC)』というものがあります。
万博会場で使うベンチなど中小企業を中心に会場に置いてみませんかという募集をかけました。
協会がお願いしたデザイナーと一緒にブラッシュアップして、新しいものを一緒に作りましょうというプログラムをやっています。
例えば東大阪の中小企業が象印魔法瓶と組んでマイボトルを洗浄する機械を作ったり。
廃プラと貝殻を原料にヘルメットを作ったり。
万博会場に置かれたり、会場で使われたりすると世界に広まります」。

全国の人が盛り上がってほしいですね。
「経産省や国と協力して、色んな方に理解していただきたいです。
元々、万博は産業見本市からスタートしています。
1851年にロンドンで第1回が開かれています。
ものを見せる万博だったんですね。
その後、1873年のウイーン万博で日本が初参加します。
当時は自国の産業製品を持ち寄って、どうやってブランディングしていくかという手法でした。
20世紀に入ってくるとものを見せるだけでなくて、コンセプチュアルになってきて科学技術を見せる場。
20世紀の後半は人間性の探究。
70年の大阪万博は『人類の進歩と調和』でしたから、まさしくですよね。
万博は産業見本市の時代から一貫して国威発揚の場という要素が高かったです。
これが1990年ごろから変わってきまして、費用対効果を含めてどうやっていくかグローバルに議論がありました。
色んなところで万博開催の予定がありましたが、中止になったこともありました。
でも、このままではいけないということで制度や考え方を見直して、国威発揚だけでなく、人類共通の課題をどうやって解決していくのかという方向になりました。
それでみんなで知恵や仕組み、技術を持ち寄る場に変わりました。
例えば、2005年の『愛・地球博』では「自然の叡智」がテーマです。
冷凍マンモスが目玉でした。
メッセージとしては「地球環境の変化がもたらす厳しさの象徴」「現在の人類への教訓」でした。
90年代に万博を辞退する国がありましたが、近年は人気が復活してきていて、BIE(Bureau International des Expositions)という博覧会国際事務局によると1993年は45カ国の加盟が直近は183カ国に増えています。
"今さら万博をするんですか?"という論調があるんですが、世界的に見ると、中身を見直すことによってやることに意義があるイベントだと思います」。

今回は『いのち輝く未来社会のデザイン』というテーマ。
「すごくいいテーマだと思います。
その一方で難しいテーマでもある。
人類共通のテーマに対してアプローチをしようとするわけですから」

次週は『2025年 大阪・関西万博特集第2弾 Part.2』です。

竹原編集長のひとこと

関西はもとより、日本中で盛り上がりたい万博。
お話を伺っていると改めて地球規模のイベントだということがわかりますね。