第534回 浪曲師 2代目 京山幸枝若さん 2018年2月11日 2018/02/11

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きょうのゲストは浪曲師の2代目京山幸枝若さんです。

【姫路で育った幼少期】
姫路駅の近くで育ちました。芸人の家に生まれて育ちましたので、親父に連れられて色んな余興についていきました。そこで三波春夫や三橋美智也の歌をうたったのを覚えています。娯楽がそれほどなかった時代、毎日たくさんの人が舞台を見に来ていました。兄弟も多かったですし、父の知り合いの芸人さんがたくさん泊まりに来て、家は大変賑やかでした。

【フォークソング・歌謡曲に熱中】
中学生の時はフォークソングにハマり、ギターをやっていました。その後、歌謡曲も好きになり、色々歌ったりしていました。

【浪曲に興味を持ったきっかけ】
高校の友達が初代・京山幸枝若のファンでレコードを部屋に持ってきて聞いたところから興味を持ちました。そこからレコードを借りて覚えました。その後、肺炎の初期症状が出たので入院して手術することになりました。力仕事をすることができず、両親に連れられ営業などについていくようになりました。


番組へのご意見・ご感想をお待ちしております。
宛先は・・・
<ハガキの方> 〒530-8304 MBSラジオ 「 三枝輝行の商い勘所 」
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第533回 元阪神タイガーズ監督・星野仙一さんを偲んで(2) 2018年2月4日 2018/02/04

先週に引き続き、きょうの放送は1月4日にお亡くなりになられた元阪神タイガース監督・星野仙一さんについて、番組のMC2人が熱く語りました。。

【星野仙一さんの魅力】
とにかく気配りができる人で、会う人がみんなファンになっていくような人物でした。
番組にも出てもらいました。芦屋の竹園で収録したことを今でも鮮明に覚えています。
その時、星野さんは「ラジオこんなに面白いとは思わなかった」と言って、その後自分でも番組を担当されました。

【阪神タイガース優勝1985年、2003年】
1985年、阪神タイガースが優勝した時は、直後からすごい騒ぎになり、百貨店の回りにも
優勝セールを期待するお客さんが二重三重にビルを囲みました。
セールでタイガースのグッズ売り場を特別に作ったら、売り場に到着するまで8時間くらいかかる長蛇の列ができました。
それとは対照的なのが2003年の優勝の時でした。全然人が集まらず内心心配していました。すると10時の開店に合わせて人が大挙して訪れて、すごい行列になりました。
その時もグッズを買うのに6・7時間かかる行列ができました。
優勝セールを7日間やったところ、180万人を訪れる盛況ぶりで、50億円ほどを売り上げました。タイガースの経済効果を感じずにはいられませんでした。


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第532回 元阪神タイガーズ監督・星野仙一さんを偲んで(1) 2018年1月28日 2018/01/28

きょうの放送は1月4日にお亡くなりになられた元阪神タイガース監督・星野仙一さんについて、番組のMC2人が熱く語りました。

【唐さんと星野さん】
星野さんが中日ドラゴンズに入って2年目からの付き合いです。
初めての食事会をすっかり忘れてしまっていて、翌日ホテルへ謝りに行ったのが初対面でした。挨拶するなり星野さんが「お蔭さまでご馳走を頂きました。これからまたお付き合いお願いします」と言ってくれて、そこから仲良くなりました。
阪神タイガースの監督に決まった時も誰よりも早く教えてくれて、「どこから手をつけたらいい?」とアドバイスを求めてきてくれました。
星野さんの存在感がとにかくすごくて、用事で星野さんがグラウンドにいない時でも選手が練習をさぼらず、しっかり頑張っていました。また選手のみならず、裏方のスタッフにまで気を遣ってくれる優しい人でした。
実はタイガースの監督を辞めてから「もう一度タイガースのユニホームを着たい」と言っていました。

【三枝さんと星野さん】
星野さんが監督に就任後、注目度が増して回りからは「阪神百貨店はタイガースのお蔭で景気いいですね!」みたいな話をたくさんインタビューされました。たしかに売り上げは好調でしたが、私たちもきちんと商売していたので「ウチはタイガースだけで商売している訳じゃない。一時的なあぶく銭はいらない」と言ったことがスポーツ紙の表紙を飾りました。
星野さんからすれば「頑張っているのに、百貨店の社長は何を言っているんだ」と思ったのでしょう、それから毎日あることないことをスポーツ紙に書かれて、全国の阪神ファンから百貨店に大量の投書などが届きました。
そんなことをしってか、僕のことを良く知る産経新聞の当時の社長が取材をしてくれて、
夕刊の一面で取り上げてくれました。それで騒動がようやく落ち着きました。
その後、唐さんに星野さんと食事する機会は作ってもらって、京都の先斗町で初めて会いました。すぐ誤解が解けて楽しい食事会になりました。


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第531回 建築家・安藤忠雄さん(3) 2018年1月21日 2018/01/21

3週に渡り、世界的建築家の安藤忠雄さんです。

【安藤建築】
コンクリートは世界中どこでも手に入るものです。それでどこにもない建築を作りたかった。それでコンクリートを使い始めました。ヨーロッパの建築ではそのままコンクリートを使うことはまずありません。それが受けたのかもしれません。日本人の大工の技術が良かったのも評価されたポイントだと思います。
今まで体験したことのないものを見せてほしい、感動したいということで依頼がきます。
8割が海外からのオファーです。

【生きる力】
大病を患いましたが、絶対元気になると思って生きています。規則正しく生活するようになって、病気を患う前よりも元気になっています。告知を受けた時はショックでしたが、5分経つと忘れていました。なるようになると思っていました。目標をもって生きることが大切です。

【本をもっと読もう】
日本人はもっと本を読まないといけません。そう思って中之島公園に子供のための図書館を寄付することを提案しました。建築費用や運営費用は仲間に呼びかけて寄付を募っています。

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第530回 建築家・安藤忠雄さん(2) 2018年1月14日 2018/01/14

先週に引き続き建築家の安藤忠雄さんです。

【建築家を志すきっかけ】
中学校の時に実家を改装するために一生懸命働いてくれた大工さんに興味を持ちました。
あと、大阪にいると奈良に出かけることが多く、東大寺に行ったりすると、こんな大きな木をどうやって運んできたのか?などを考えると建築にひかれていきました。

【働きながら勉強】
何年間かの現場の経験があると建築士の試験を受けれたので、働きながら死に物狂いで勉強しました。働いた後に勉強するのは大変なので、お昼ご飯の時に勉強していました。

【世界の建築を見るために放浪旅】
もちろん不安でしたが、無我夢中で旅していました。不安もだんだん自信になっていきます。その中で建築を自分なりに見方を持つようになっていきました。四六時中、建築のことを考えていました。数学の楽しさにも気づきました。


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