第1064回「子どもと一緒に“おいしい防災”」
ゲスト:一般社団法人「おいしい防災塾」代表 西谷真弓さん

5月5日は子どもの日です。先月発足したばかりの一般社団法人「おいしい防災塾」代表・西谷真弓さんに、「ゴールデンウィークに子どもと一緒に防災を考える」をテーマに、お話を聞きます。
西谷さんは、阪神・淡路大震災の発生時、神戸市垂水区に住んでいて、避難所の子どもたちを元気づけようと移動式の駄菓子店を開きました。子どもたちの表情がみるみる明るくなったその経験から、「お菓子は笑顔の元」と感じ、親子で「お菓子防災リュック」を作る活動を開始。これは、いろいろな種類のお菓子を、ビニール袋やテープでつなげて完成する“子どもによる子どものための防災リュックサック”です。
自分でリュックサックを作り、災害時は背負っていくという役割を与えることで、子ども自身が防災を考えるきっかけとなります。また、「お菓子ってどこで食べるの?避難所ってどこにあるの?」と、知らず知らずのうちに、家族で防災や避難について話し合うことにもつながります。「身構えた防災ではなく、楽しみながら、いつの間にか備えができていることが理想」と語る西谷さんの、子どもへの思いや災害への備えについて聞きます。
 
(番組内容は予告無く変更する場合があります)

第1063回「熊本地震1年〜バリアフリー型仮設住宅の今」
電話出演:バリアフリー型仮設住宅の住民 作本誠一さん
電話出演:「熊本障害フォーラム」事務局長 日隈辰彦さん

去年11月、熊本県益城町に「バリアフリー型の仮設住宅」が6戸完成しました。障害がある人の意見を建設段階から取り入れて建てたもので、個別住宅タイプとしては全国初の取り組みです。車いす利用者にも使いやすいよう、入り口の幅を広げて段差を無くし、戸口はすべて引き戸にしました。また、電気のスイッチは低い位置に設置され、トイレや浴槽には介助者用のスペースも設けられました。
ただ、完成までに地震から7か月という長い期間を要したうえ、6戸という戸数も十分なものとはいえません。設備についても、個別の状況に応じて、まだまだ改善点が多いのが現状です。障害がある方はどのように感じているのでしょうか。このバリアフリー型仮設住宅で暮らす作本誠一さん(50)に、その住み心地と改善点などをお伺いします。また、障害者の支援活動に取り組む「熊本障害フォーラム」の日隈辰彦事務局長には、バリアフリー型仮設住宅のこれからの課題についてお話いただきます。
 
野村朋未のひとこと
バリアフリーと言ってもどんな障害があるかで必要なことは違うようです。今のバリアフリー型仮設は、まだまだ「最低限の生活ができるレベル」だということでした。バリアフリー型仮設のスタンダード化が、これからの高齢化社会や災害に有効な備えになるのではと思います。

第1062回「熊本地震1年〜高齢被災者の今」
電話出演:熊本県益城町 民生委員 冨田幸子さん

最大震度7を2度記録した熊本地震の発生から14日で1年が経ちました。大きな被害を受けた熊本県益城町では、現在も倒壊した建物の解体がすすめられています。
益城町で民生委員をつとめる冨田幸子さん(57)は、自ら被災しながらも、高齢者の見守りを続けています。担当していた地域の高齢者は、震災後、あちこちの避難所や介護施設に散り散りになりましたが、人づてに居場所を探して会いに行きました。6月には、震災前から毎月開いてきた介護予防のサロンを再開し、高齢者の元気の源となっています。サロンが無い日でも、仕事帰りに仮設住宅を訪ねては、高齢者の様子を伺います。
今、冨田さんが心配しているのは、震災後も自宅に暮らしている在宅の被災者です。更地になった集落の中にポツリポツリと被害を免れた住宅が残り、高齢者が住んでいるのです。近所の住民が離れ、商店もなくなり、高齢の在宅被災者は家の外に出ることが少なくなっているといいます。冨田さんは、「仮設住宅には支援の手が入りやすいが、在宅で高齢の被災者は取り残されやすい」と話します。
番組では、冨田幸子さんと電話をつなぎ、震災発生から1年が経った熊本県益城町の様子と、冨田さんが交流を続ける高齢被災者について聞きます。
 
千葉猛のひとこと
暖かい春の訪れに対して小学生が「地震のにおいがする」と言っていたという冨田さんのお話は、とても印象に残りました。熊本地震が子どもの心に残した傷を感じます。また、いまも壊れた自宅で生活する「在宅被災者」は、東日本大震災でも存在が指摘されています。生活状況が「見えない」状態が心配です。

第1061回「福島原発事故6年〜避難住民の心をつなぐラジオ」
電話出演:「おだがいさまFM」パーソナリティ 吉田恵子さん

災害時に被災者の安否情報や避難所、ライフラインなどの情報を提供するために自治体が開設する「臨時災害放送局」。1995年、阪神・淡路大震災の時に第1号が誕生し、東日本大震災では、東北地方の24市町村で開設されました。しかし、発災から6年を迎えた現在、補助金が打ち切られ、資金が集められずに閉局したところも多く、運用されているのは4市町村だけとなりました。
今回は、今も残る臨時災害放送局の1つ、福島県富岡町の「おだがいさまFM」のパーソナリティーを務める富岡町社会福祉協議会の吉田恵子さんがゲストです。原発事故のため、故郷を離れて、全国へ散らばっていった富岡の人たち。避難先で地元の言葉が話せず、肩身の狭い思いをしている町民のために、吉田さんは、ラジオでは思いきり東北弁を使ってしゃべります。町民に出演を依頼し、「公園の桜が見ごろだよ」、「あそこの娘さん結婚したよ」と、町の今の様子や世間話を、パソコンやスマホで聞く全国の“富岡町民”に届けています。
「ラジオのボタン1つで、富岡と繋がっていると感じてほしい」と語るその想い…。そして、4月1日に避難指示が一部解除された富岡町の「これから」についても、お話いただきます。
 
野村朋未のひとこと
「おだがいさまFM」にラジオの原点を感じました。人のこころに届けようという精神での放送は富岡町出身者でない私にも、不思議にじわっと染み込んできました。
私たちもみなさんの”気持ちに馴染む”番組をお届け出来たらと思います。

第1060回「福島原発事故6年〜避難指示解除で住民たちは・・・」
取材報告:上田崇順アナウンサー

東京電力福島第一原発の事故から6年、福島県浪江町や飯舘村など4つの自治体に出されていた避難指示は、この3月31日と4月1日に、帰還困難区域を除いて一斉に解除されました。環境省は、「除染が完了し、年間の追加被ばく線量が20ミリシーベルト以下にまで、空間線量が下がった」としています。一般の人の追加被ばく線量は年間1ミリシーベルトが上限と、法律で定められていますが、福島県では緊急時の国際基準が適用されて、避難指示が解除されるのです。今後、住民たちへのさまざまな補償は打ち切られていきます。
避難を余儀なくされた住民たちは故郷に戻るのでしょうか。上田崇順アナウンサーが、飯舘村を取材しました。住民の方に案内してもらうと、住宅の中や周辺の放射線量は下がっていますが、裏の山に入ると、今でも空間線量が2ミリシーベルト毎時(通常の約25倍)を超えるところが多くあります。村のアンケートで、「避難指示が解除されたら戻る」と答えた人は1割以下で、高齢者は戻るものの、子育て世代は戻りません。原発事故の被災地はこれから復興に向かうことができるのか、住民の思いを中心に伝えます。
 
千葉猛のひとこと
家の近くに放射性物質の詰まったフレコンバッグが高く積んであり、見渡す山々は除染もされていない。これが今回、国が避難指示を解除して「帰って生活していいよ」と言っている場所の姿でした。線量計のアラームが今も鳴るほどの環境の中で、故郷に戻って事故前と同じ平穏な生活ができるのでしょうか。

第1059回「東日本大震災6年〜原発避難者の住宅支援打ち切り」
ゲスト:弁護士 白倉典武さん

福島第一原発事故の影響で福島県から他府県へ避難している「自主避難者」に対する公営住宅の無償提供が、今月末で打ち切られます。これは、災害救助法に基づいて、福島県が避難者に「みなし仮設住宅」として提供していたものです。避難者を受け入れていた自治体の多くは、福島県の方針に基づいて公営住宅の無償提供を打ち切ります。4月以降も公営住宅に住み続けたい場合は、一般入居者と同じく、収入に応じた家賃を支払うことになります。福島市から子ども3人と避難し、大阪府営住宅に入居する女性は、「避難してきた状況や経済事情も人それぞれ違う中で、自主避難者への対応がずさん過ぎる」と話します。
一方、原発事故避難者らが起こした裁判で、今月17日、前橋地裁は、国と東電の賠償責任を認めました。避難指示区域以外からの避難者に対する賠償も認められたのです。
これまでの自然災害とは状況が大きく異なる原発事故避難者の支援を、どのように考えればよいのでしょうか。避難者の実情に詳しい、白倉典武弁護士をゲストに迎えて話を聞きます。
 
野村朋未のひとこと
自分たちの街を追われ苦しい思いをしている上、避難してもなお追いつめられている避難者の方へもっと丁寧な対応が必要だと感じました。
私たちの近くにも原発があることを考えると決して他人事とは思えません。

第1058回「東日本大震災6年〜語り部バスに乗りました」
取材報告:MBS 千葉猛アナウンサー、野村朋未キャスター

宮城県南三陸町の「ホテル観洋」は、宿泊客向けに「語り部バス」を運行しています。
従業員がガイドとなって、津波の被害を伝え、復興の状況を語る取り組みです。
千葉・野村両キャスターが、この語り部バスに乗車し、南三陸町の被災地をまわりました。
海から250メートルのところにあった戸倉小学校は、地震の際の避難場所を屋上にするか高台にするか、
教職員の間で意見が分かれ、決められないまま震災の日を迎えました。
しかし、校長のとっさの判断で高台に避難し、児童全員が助かりました。
小学校であの日起こったことを、語り部が情感たっぷりに話します。
バスはさらに、職員の機転が高齢者330人の命を救った「高野会館」に向かいます。
この会館の職員たちは、地震直後あわてて家に戻ろうとするお年寄りを、玄関口で手をつないで押しとどめ、屋上に避難させました。
コースの最後は、南三陸町の職員43人が犠牲になった防災庁舎です。
この庁舎を保存するか解体するか、意見は分かれたままですが、
震災20年となる2031年までは宮城県が保存し、その後に改めて議論がされることになっています。
あの日、南三陸町で何があったのか。
被災者であるホテルの従業員たちは、どんな思いで語り部をしているのか。
キャスター2人が報告します。

千葉猛のひとこと
東日本大震災では「海が見える場所に住んでいるか、見えない場所に住んでいるか」が助かるかどうかの分かれ目になったと、震災の語り部、伊藤さんは話してくれました。海が見えるほうが助かったんです。いま復興過程で、海の近くでも海が見えなくなるほどの巨大な防波堤が建設されています。それでいいのでしょうか?

第1057回「東日本大震災6年〜祈りに包まれる被災地」
取材報告:MBS 千葉猛アナウンサー、野村朋未キャスター

東日本大震災で亡くなった方たちの7回忌となる3月11日、被災地は祈りに包まれます。2人のキャスターが、その追悼の模様を取材し、現地からの生中継を交えてお伝えします。
千葉猛キャスターが取材するのは宮城県女川町です。女川町には最高で20メートル近い高さの津波が押し寄せ、死者・行方不明者は人口の8パーセントを超える872人にのぼります。行方不明者の割合が非常に高いのも、女川町の被害の特徴です。現在、駅前は商店街がきれいに整備され、かさ上げ工事が進んでいますが、一方で、死者を追悼する石碑や、慰霊モニュメントも数多く見られます。震災6年の日、祈りを捧げる人たちに話を聞き、現地からリポートします。
野村朋未キャスターは、宮城県名取市閖上を訪ねます。かつて約5000人が住んでいた町は津波で大きな被害を受け、今は更地が広がっています。閖上中学校では14人の生徒が犠牲になりました。その遺族らの手で慰霊碑が建てられ、震災を伝えるための施設「閖上の記憶」ができました。3月11日の「追悼のつどい」に集まる人たちの思いを、野村キャスターが取材します。

野村朋未のひとこと
約4年ぶりに東北を訪れました。
かさ上げ工事が進んでいる地域も多く、街はすっかり姿を変えていました。大きな津波が襲ってきたなんて想像がつかないような場所もありました。震災を風化させてはならないと遺族の方が自ら語り部をされています。私たちもその声をしっかりと聴き皆さんにお伝えし続けたいと思います。

第1056回「東日本大震災6年〜岩手県大槌町の復興から見える課題」
ゲスト:国立民族学博物館 教授 竹沢尚一郎さん

今月は東日本大震災シリーズを放送します。1回目は、岩手県大槌町に通い続ける国立民族学博物館の竹沢尚一郎教授がゲストです。大槌町は岩手県の太平洋岸にある人口約1万6000人の町でしたが、東日本大震災で死者・行方不明者が1300人を超え、町長や役場の職員も亡くなりました。竹沢さんは復興まちづくりの支援をしてきましたが、その過程で見えてきたのは、地区によって避難所の運営や復興のスピードが全く異なるということでした。コミュニティのつながりの強い地区では、地震の翌日に対策本部ができ、住民自身ががれき撤去や炊き出しを続けました。一方、町の中心部にある大規模な避難所では、さまざまな地区から人が集まったために、人間関係を築くことができず、避難者による炊き出しなどの自発的な活動は行われませんでした。
竹沢さんは、「災害が起こる前に地域でどんなつながりをつくるかが大切」と話します。また、住民の多くが反対していた高さ14メートルの巨大防潮堤が大槌町に建設されていることについては、「人々の暮らしや思いが大切にされていない」と、復興政策のあり方に疑問を投げかけます。番組では、大槌町の6年の歩みから見える教訓を、竹沢さんに聞きます。
 
千葉猛のひとこと
岸和田の消防団が東日本大震災の津波で被害を受けた岩手県の大槌町に、いち早く駆けつけていたお話は、驚きとともに誇らしかったです。盛岡からでも車で3時間近くかかる場所なのに。おそらく名高い「だんじり祭り」を通して培われたであろう団結力は、地域の災害時にも強い力になるのでは思いました。

第1055回「震災障がい者〜進まぬ救済、国に要望へ」
ゲスト:NPO法人「よろず相談室」理事長 牧 秀一さん

阪神・淡路大震災でケガを負った人は、重傷者だけでも1万人以上います。しかし、心身に障がいや後遺症が残った人のその後については、ほとんど知られていません。人数すら正確には把握されていないのです。
兵庫県と神戸市が2010年に初めて行った調査では、県内に少なくとも349人の震災障がい者がいることがわかっています。ただ、障がいの原因として医師が「震災」と記載したケースなどに限っており、実数はさらに多いと見られています。自然災害による障がい者を対象とした「災害障害見舞金」は、支給要件が両腕切断などの重い障がいに限られ、多くの人が救われない状況です。また、震災障がい者は住居や仕事を同時に失うことも多く、サポートが必要です。
震災障がい者の支援を続ける神戸市のNPO法人「よろず相談室」の牧秀一理事長は、「東日本大震災や熊本地震でも震災障がい者が同じように取り残されている」と話します。実態把握が進まずに支援が遅れた阪神・淡路大震災の例を繰り返してはならないと訴えています。牧さんら支援者や当事者らは、近く、震災障がい者の対策を求めて国に要望書を提出する方針です。
牧秀一さんをゲストに迎え、震災障がい者の現状と必要な支援について聞きます。

野村朋未のひとこと
『震災障がい者』という言葉さえ聞きなじみがないほど、震災により障がい者になった方たちの実態を知りませんでした。長い間、自分たちの存在を認めてもらえず、どんなに辛く大変な日々を過ごされてきたのでしょうか。
よろず相談室はじめ震災障がい者の皆さんが、2月28日に国に要望書を提出します。この力の限りの行動により、震災障がい者への社会や国の理解がより進んでいくよう願います。