第1059回「東日本大震災6年〜原発避難者の住宅支援打ち切り」
ゲスト:弁護士 白倉典武さん

福島第一原発事故の影響で福島県から他府県へ避難している「自主避難者」に対する公営住宅の無償提供が、今月末で打ち切られます。これは、災害救助法に基づいて、福島県が避難者に「みなし仮設住宅」として提供していたものです。避難者を受け入れていた自治体の多くは、福島県の方針に基づいて公営住宅の無償提供を打ち切ります。4月以降も公営住宅に住み続けたい場合は、一般入居者と同じく、収入に応じた家賃を支払うことになります。福島市から子ども3人と避難し、大阪府営住宅に入居する女性は、「避難してきた状況や経済事情も人それぞれ違う中で、自主避難者への対応がずさん過ぎる」と話します。
一方、原発事故避難者らが起こした裁判で、今月17日、前橋地裁は、国と東電の賠償責任を認めました。避難指示区域以外からの避難者に対する賠償も認められたのです。
これまでの自然災害とは状況が大きく異なる原発事故避難者の支援を、どのように考えればよいのでしょうか。避難者の実情に詳しい、白倉典武弁護士をゲストに迎えて話を聞きます。
 
(番組内容は予告無く変更する場合があります)

第1058回「東日本大震災6年〜語り部バスに乗りました」
取材報告:MBS 千葉猛アナウンサー、野村朋未キャスター

宮城県南三陸町の「ホテル観洋」は、宿泊客向けに「語り部バス」を運行しています。
従業員がガイドとなって、津波の被害を伝え、復興の状況を語る取り組みです。
千葉・野村両キャスターが、この語り部バスに乗車し、南三陸町の被災地をまわりました。
海から250メートルのところにあった戸倉小学校は、地震の際の避難場所を屋上にするか高台にするか、
教職員の間で意見が分かれ、決められないまま震災の日を迎えました。
しかし、校長のとっさの判断で高台に避難し、児童全員が助かりました。
小学校であの日起こったことを、語り部が情感たっぷりに話します。
バスはさらに、職員の機転が高齢者330人の命を救った「高野会館」に向かいます。
この会館の職員たちは、地震直後あわてて家に戻ろうとするお年寄りを、玄関口で手をつないで押しとどめ、屋上に避難させました。
コースの最後は、南三陸町の職員43人が犠牲になった防災庁舎です。
この庁舎を保存するか解体するか、意見は分かれたままですが、
震災20年となる2031年までは宮城県が保存し、その後に改めて議論がされることになっています。
あの日、南三陸町で何があったのか。
被災者であるホテルの従業員たちは、どんな思いで語り部をしているのか。
キャスター2人が報告します。

千葉猛のひとこと
東日本大震災では「海が見える場所に住んでいるか、見えない場所に住んでいるか」が助かるかどうかの分かれ目になったと、震災の語り部、伊藤さんは話してくれました。海が見えるほうが助かったんです。いま復興過程で、海の近くでも海が見えなくなるほどの巨大な防波堤が建設されています。それでいいのでしょうか?

第1057回「東日本大震災6年〜祈りに包まれる被災地」
取材報告:MBS 千葉猛アナウンサー、野村朋未キャスター

東日本大震災で亡くなった方たちの7回忌となる3月11日、被災地は祈りに包まれます。2人のキャスターが、その追悼の模様を取材し、現地からの生中継を交えてお伝えします。
千葉猛キャスターが取材するのは宮城県女川町です。女川町には最高で20メートル近い高さの津波が押し寄せ、死者・行方不明者は人口の8パーセントを超える872人にのぼります。行方不明者の割合が非常に高いのも、女川町の被害の特徴です。現在、駅前は商店街がきれいに整備され、かさ上げ工事が進んでいますが、一方で、死者を追悼する石碑や、慰霊モニュメントも数多く見られます。震災6年の日、祈りを捧げる人たちに話を聞き、現地からリポートします。
野村朋未キャスターは、宮城県名取市閖上を訪ねます。かつて約5000人が住んでいた町は津波で大きな被害を受け、今は更地が広がっています。閖上中学校では14人の生徒が犠牲になりました。その遺族らの手で慰霊碑が建てられ、震災を伝えるための施設「閖上の記憶」ができました。3月11日の「追悼のつどい」に集まる人たちの思いを、野村キャスターが取材します。

野村朋未のひとこと
約4年ぶりに東北を訪れました。
かさ上げ工事が進んでいる地域も多く、街はすっかり姿を変えていました。大きな津波が襲ってきたなんて想像がつかないような場所もありました。震災を風化させてはならないと遺族の方が自ら語り部をされています。私たちもその声をしっかりと聴き皆さんにお伝えし続けたいと思います。

第1056回「東日本大震災6年〜岩手県大槌町の復興から見える課題」
ゲスト:国立民族学博物館 教授 竹沢尚一郎さん

今月は東日本大震災シリーズを放送します。1回目は、岩手県大槌町に通い続ける国立民族学博物館の竹沢尚一郎教授がゲストです。大槌町は岩手県の太平洋岸にある人口約1万6000人の町でしたが、東日本大震災で死者・行方不明者が1300人を超え、町長や役場の職員も亡くなりました。竹沢さんは復興まちづくりの支援をしてきましたが、その過程で見えてきたのは、地区によって避難所の運営や復興のスピードが全く異なるということでした。コミュニティのつながりの強い地区では、地震の翌日に対策本部ができ、住民自身ががれき撤去や炊き出しを続けました。一方、町の中心部にある大規模な避難所では、さまざまな地区から人が集まったために、人間関係を築くことができず、避難者による炊き出しなどの自発的な活動は行われませんでした。
竹沢さんは、「災害が起こる前に地域でどんなつながりをつくるかが大切」と話します。また、住民の多くが反対していた高さ14メートルの巨大防潮堤が大槌町に建設されていることについては、「人々の暮らしや思いが大切にされていない」と、復興政策のあり方に疑問を投げかけます。番組では、大槌町の6年の歩みから見える教訓を、竹沢さんに聞きます。
 
千葉猛のひとこと
岸和田の消防団が東日本大震災の津波で被害を受けた岩手県の大槌町に、いち早く駆けつけていたお話は、驚きとともに誇らしかったです。盛岡からでも車で3時間近くかかる場所なのに。おそらく名高い「だんじり祭り」を通して培われたであろう団結力は、地域の災害時にも強い力になるのでは思いました。

第1055回「震災障がい者〜進まぬ救済、国に要望へ」
ゲスト:NPO法人「よろず相談室」理事長 牧 秀一さん

阪神・淡路大震災でケガを負った人は、重傷者だけでも1万人以上います。しかし、心身に障がいや後遺症が残った人のその後については、ほとんど知られていません。人数すら正確には把握されていないのです。
兵庫県と神戸市が2010年に初めて行った調査では、県内に少なくとも349人の震災障がい者がいることがわかっています。ただ、障がいの原因として医師が「震災」と記載したケースなどに限っており、実数はさらに多いと見られています。自然災害による障がい者を対象とした「災害障害見舞金」は、支給要件が両腕切断などの重い障がいに限られ、多くの人が救われない状況です。また、震災障がい者は住居や仕事を同時に失うことも多く、サポートが必要です。
震災障がい者の支援を続ける神戸市のNPO法人「よろず相談室」の牧秀一理事長は、「東日本大震災や熊本地震でも震災障がい者が同じように取り残されている」と話します。実態把握が進まずに支援が遅れた阪神・淡路大震災の例を繰り返してはならないと訴えています。牧さんら支援者や当事者らは、近く、震災障がい者の対策を求めて国に要望書を提出する方針です。
牧秀一さんをゲストに迎え、震災障がい者の現状と必要な支援について聞きます。

野村朋未のひとこと
『震災障がい者』という言葉さえ聞きなじみがないほど、震災により障がい者になった方たちの実態を知りませんでした。長い間、自分たちの存在を認めてもらえず、どんなに辛く大変な日々を過ごされてきたのでしょうか。
よろず相談室はじめ震災障がい者の皆さんが、2月28日に国に要望書を提出します。この力の限りの行動により、震災障がい者への社会や国の理解がより進んでいくよう願います。

第1054回「車椅子の避難〜『むすび塾』の語り合いから」
取材報告:MBS 亘 佐和子記者

仙台市に本社のある河北新報社は、東日本大震災の反省から、「むすび塾」という防災ワークショップを始めました。避難訓練や防災イベントを取材するだけでなく、記者自身が企画する側にまわるもので、毎月1回、各地で開催しています。先月末、北は北海道釧路市から南は宮崎市まで、これまでのむすび塾開催地8カ所の住民の代表が宮城県に招かれ、避難訓練などで見えてきた課題について話し合いました。
その場でいちばん多く話題に上がったのが、車椅子の避難でした。砂利道や坂道・線路・段差などの障害が非常に多いこと、停電でエレベーターが止まった場合や積雪が多い時期の移動が難しいことなど、さまざまな問題が提起されました。また、高齢者や障害者ぬきで避難訓練を行っている地区がまだ多いことも明らかになりました。
災害弱者の命を守るには何が必要なのか、MBSラジオの亘佐和子記者が取材し、全国に共通する悩みと解決のためのアイデアを報告します。
 
千葉猛のひとこと
車椅子はどれくらい重いのか、押すのにはどんなコツが必要なのか。私も実際に車椅子を押すまでは何も知りませんでした。大切なのは当事者が参加する訓練です。地域にお住まいの高齢者や障がい者の方に声をかけて、避難訓練に参加して一緒に考えてもらうことが必要であり重要であると感じます。

第1053回「知的障がい者と災害」
ゲスト:京都市立鳴滝総合支援学校校長 竹内 香さん

京都市立鳴滝総合支援学校高等部の生活産業科には、知的障がいがある生徒たちが通っています。彼らは卒業後の就労を目指して学んでいます。この学科では防災学習に力を入れていて、災害が起きた時に身を守るための知識や避難生活で必要なことなどを、1年を通じて学んでいます。
防災学習の集大成となるのが、生徒たち自身の手で行う避難所運営の訓練です。全国から集まった支援学校の教諭や保護者など100人以上が避難者役となって訓練に参加。生徒たちが避難者を誘導し、物資を配り、食事を作り、避難所のルールまで決めます。物資を手際よく配る一方で、次々と入る被害情報や避難者の情報をまとめる際には混乱する生徒もいます。また、コミュニケーションが苦手で声をかけるのに躊躇する姿も見られます。教諭はなるべく手助けをせず、生徒たち同士で考え、助け合って問題を解決します。
竹内香校長は、「障がいがある彼らは、災害の時に支援される側だと思われがちだが、やるべきことが分かれば戦力になる」と話します。また、障がいがある人が避難所で生活するには健常者の普段からの理解も必要です。竹内香校長を番組のゲストに迎えて話を聞きます。
 
野村朋未のひとこと
知的障がいがある高校生の避難所運営訓練。
「出来ないことが多いのでは」と思い込んでいましたが、そうではありませんでした。
こうした理解が進んで行くと皆んなが助け合いながら力を発揮して行ける場所が出来ていくのではないでしょうか。
今後、地域の方との交流の場となるような訓練が出来れば、その理解も深まっていくのではないかと感じました。

第1052回「阪神・淡路大震災22年〜借り上げ復興住宅が返還期限」
ゲスト:弁護士 津久井 進さん

大震災で自宅を奪われ、仮設住宅から復興住宅へと移った被災者が、震災から20年以上経ってふたたび住まいを移しています。これは、震災発生直後に被災自治体が、住宅・都市整備公団(現・UR都市再生機構)や民間から借り上げて被災者に提供した復興公営住宅が、20年の返還期限を迎えたためです。
入居者が年齢や要介護度などの要件を満たしていれば、20年を過ぎてもそのまま住み続けることができますが、要件にあてはまらない入居者には、自治体が代わりの公営住宅を優先的に提供して住宅の明け渡しを求めてきました。しかし、一部の入居者は「契約時に20年の期限を知らされていなかった」などとして、住宅の明け渡しを拒否しています。神戸市や西宮市は、転居を拒否している住民に対して明け渡しなどを求めて提訴しました。震災で夫を亡くし、神戸市兵庫区の借り上げ復興住宅に住む中村輝子さん(81)は、「若い時の引越しとはちがう。新しい住宅で生活をはじめる体力がない」と話します。
津久井進弁護士をゲストに迎え、震災から22年経ってもなおつづく被災者の住宅問題について聞きます。
 
千葉猛のひとこと
震災で家を失った人が、地震から20年以上経って再び、住み慣れた家を出るよう求められています。被災地は復興したといわれますが、一人一人の人生を大きく変えた地震の影響はなお続いていて、まだ今も新たな問題が浮上しているのです。震災は時がたっても終わっていないということを改めて感じます。

第1051回「阪神・淡路大震災22年〜震災を伝える授業」
報告:嶋田美希記者

阪神・淡路大震災から22年となる1月17日は、神戸市内の各学校でも様々な授業や追悼行事が行われています。今回取材した神戸市長田区の駒ヶ林中学校は、被災地の中でも特に被害の大きかった地域にあります。この学校では毎年テーマを設けて、震災を伝える授業を行っていて、毎年一年生がJR新長田駅前での追悼行事「1.17 KOBE に灯りを in ながた」のお手伝いをしています。
22年目の今年は震災当時の先生を招いて講演会が行われました。学校が避難所となっている中、当時の中学生がどのような行動をとっていたのかや、駒ヶ林中学校に今も受け継がれるボランティアの伝統についてお話されています。
日常生活の中で家族と震災の話をする機会が少ないと話す子供たちに、学校は震災を伝えるためにどのようなきっかけ作りをしているのか、また生徒たちがそれらの追悼行事を通じてどのように感じたのかをお伝えします。

野村朋未のひとこと
震災についての授業や追悼行事のお手伝いが、震災を知らない世代が考えたりさらに知ろうとするきっかけになっているのですね。
追悼行事に参加することであの空気や雰囲気にふれて一層思いも強くなるのではないでしょうか。
あの時、駒中の生徒だったみなさんから今の生徒さんがお話を聞く機会などが多くあれば、気持ちがグンと近くなり、よりリアルに感じられるのかも知れません。

第1050回「“教訓”ってなに?〜阪神・淡路大震災22年 未災者が伝える」
ゲスト:神戸学院大学3年生 田中瞳さん

神戸学院大学社会防災学科で学ぶ学生たちは、東北や熊本など、各地の被災地に出向く中で疑問を持ちました。「災害の犠牲者は減らない。阪神・淡路大震災の教訓って本当に伝わっているの?」彼らは、神戸で「震災の教訓」について聞いてみることにしました。震災を経験していない中学生が考える“教訓”の調査。そして、神戸の街中で、被災者を探してインタビューも試みました。そこで見えてきたのは、被災者と未災者(震災を経験していない者)とが考える“教訓”にズレがあるということです。中学生からは、「被災者の体験談は、大変だった話、辛かった思い出話だけが多かった」という意見もありました。神戸学院大学3年生の田中瞳さんは、「被災者は、感情的な体験談だけではなく、今後に生かせる話をした方がいい」と感じています。
学生たち自身も、震災を経験していない未災者です。田中さんは、「“教訓”ってかたくて難しい。被災者から聞いた体験談を私たちなりの言葉や方法で、子どもたちに伝えたい」と話します。未災者にしかできない方法で震災を伝えようとする学生たちの思いを聞きます。

千葉猛のひとこと
今日は「震災を伝える」ということの根本について考えさせられました。一生懸命に伝えようと話をしても、受け止めてもらえなければ意味がない。伝える側と伝えられる側の間には「ずれ」がある。震災体験世代は、やがていなくなります。「ずれ」をどう埋めるか、番組の姿勢が問われていると感じました。