ゲスト:原発賠償関西訴訟原告団 代表 森松明希子さん

2011年3月の福島第一原発事故では、大勢の市民が放射線被ばくから逃れるための避難を余儀なくされました。一体何が起こったのか、なぜ「ふつうの暮らし」を奪われなければならなかったのか。国と東京電力の責任を問い損害賠償を求める集団訴訟が、全国で約30件提起されました。
原発賠償関西訴訟原告団代表の森松明希子さんは、福島県郡山市から大阪に、子ども2人とともに避難してきました。原発事故が起こったとき、子どもは3歳と0歳でした。自宅は原発から60キロ離れていて、強制避難区域ではありませんでしたが、子どもを外で遊ばせることもできず、放射能で汚染されているかもしれない水道水をおそるおそる飲む日々。悩んだ末に、原発事故の2か月後、大阪への母子避難を決断しました。福島で働く夫との二重生活は今年で12年になります。
「避難する権利を求めて裁判を闘っている」と森松さんは言います。5月の次回公判からは原告への本人尋問が始まります。去年、最高裁は同様の訴訟で、国の責任を認めない判決を出しました。そして政府は、原発の運転期間の延長など原発回帰の政策を打ち出しています。事故から12年たった現状を、避難当事者としてどう思うのか、森松さんに聞きます。
原発賠償関西訴訟 KANSAIサポーターズ
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