第1276回「熊本地震5年~学生村があった南阿蘇村のいま」
取材報告:新川和賀子ディレクター

震度7を2回観測し、273人が死亡した(災害関連死を含む)熊本地震の発生から今月14日で5年を迎えます。
地震で崩落した阿蘇大橋は、約600メートル下流に新たに建設され、「新阿蘇大橋」として先月7日に開通しました。阿蘇大橋の崩落現場に近い南阿蘇村黒川地区に住む竹原伊都子さん(60)は、「新阿蘇大橋は復興のシンボル。交通の便もよくなったので、大勢の人に訪れてほしい」と話します。
黒川地区で地震発生前まで見られた賑わいは戻っていません。当時、地区には東海大学阿蘇キャンパスがあり、約800人の学生が周辺のアパートや下宿で生活していましたが、地震で校舎が損傷。キャンパスは熊本市内に移転して学生の姿は消えました。しかし、南阿蘇村で生活していた東海大学の学生らが地震後に立ち上げた団体「阿蘇の灯(あかり)」は、当時の学生がいなくなった今も、後輩が引き継いで住民との交流を続けています。黒川地区の竹原さんは、地震まで営んでいた下宿の部屋を学生たちの活動拠点として提供し、学生らが来る時を楽しみにしています。
また、東海大学旧阿蘇キャンパスは、「震災ミュージアム」として昨年8月にオープンし、竹原さんら地元住民も語り部ガイドとして活動をはじめました。来春、村内に開校予定のIT専門学校の学生の住居として地区のアパートが使用される予定もあり、"学生村"の復活に期待が寄せられています。
復興の転換期を迎えた南阿蘇村について、オンライン取材した番組ディレクターが報告します。
 
西村愛のひとこと
「おかえり~」「ただいま!」と言いあえる人がいるのは、心の支えになりますね。きっと学生さんにとって竹原さんの下宿『新栄荘』は、"第2のふるさと"なんだろうな。私も、竹原さんや『阿蘇の灯』の学生の皆さんに会いに行きたくなりました。新たな阿蘇の魅力を楽しみに、熊本に行く日を心待ちにしています。

第1275回「新年度スタート!一人暮らしの備え」
電話:危機管理教育研究所代表 国崎信江さん 

新年度が始まり、進学や就職、転勤などで一人暮らしを始める人も多いのではないでしょうか。いまや全国の世帯の3割は一人暮らしです。
危機管理教育研究所代表の国崎信江さんは、「一人暮らしの最大のリスクは、事故が起こってもだれにも気づいてもらえないこと」と指摘します。地震発生時、家具の転倒でケガをしないようしっかり固定するのはもちろんですが、重い家具をなるべく少なくして、衣服などは軽いプラスチックケースに収納するほうが安心です。
また、一人暮らしの人は小さい家に住んでいて、収納スペースも小さいので、災害時に使えるものを普段から使うようにしておくほうがよいと言います。たとえば、卓上コンロや足元灯は、どんなときにも役立ちます。また、「災害が起こったら、非常持ち出し袋よりも、お金や身分証明証などが入っている普段のカバンを持ち出す」という人が多いので、普段のカバンの中に非常時に使えるものを入れておくことも大切です。携帯トイレ、ゼリーなどの食べ物、助けを呼ぶための笛などは、小さくてスペースもとらず、いざというときには役立つものです。
助けを求めるための防災アプリをスマートフォンにダウンロードしておいたり、いざというときに連絡を取り合える身近な友人をつくっておいたり、備えられることはたくさんあります。国崎さんに、一人暮らしの防災の心構えを聞きます。

西村愛のひとこと
国崎さんの「ハッピー&キラキラ備蓄☆→好きな飲み物を大人買い!」楽しいアイデアですね。私も、いつもは買わない高級なカレーのレトルト、スイーツ缶詰など楽しく買い物ができました。防災というと固く考えがちですが、できるだけ楽しんでいきたいですね。皆さんのオススメ備蓄品も教えて下さい!

第1274回「東日本大震災10年【8】~散り散りになった生徒たちをつないだ合唱」
電話:元小高中学校 音楽教諭、合唱曲「群青」作曲者 小田美樹さん 

2011年3月11日に発生した福島第一原発事故では、多くの住民が避難を余儀なくされ、強制避難区域内の子どもたちは同級生と離れ離れになりました。
福島県南相馬市立小高中学校は、4人が津波で亡くなり、避難で生徒数は3分の1に減少。仮設校舎での学校生活が続きました。震災当時の1年生が3年生になった2012年4月、音楽教諭の小田美樹さんが担任になりました。ある日、同級生の誰がどこにいるのかを確かめながら、仲間の顔写真を大きな日本地図に貼り付けていると、生徒たちが口々に「遠いね」「どうやったら行けるの?」「でも、この地図の上の空はつながっているね」などとつぶやきました。その日から小田教諭は、生徒たちの日々のつぶやきを綴って歌詞に仕上げ、合唱曲「群青」として完成させました。卒業式を前に、京都府長岡京市の復興支援コンサートに招かれた生徒たちは、涙を浮かべながら「群青」を歌い上げ、会場はあたたかい拍手に包まれました。小田教諭は、「震災の後、子どもたちが思い通りにいかなくてくやしいと流す涙は何度も見てきたけど、自分たちが受け入れられて安心できたという涙を流すのを初めて見た」と話します。
小田教諭と電話をつなぎ、当時の生徒たちの状況や合唱曲「群青」に込められた思いを聞きます。
 
西村愛のひとこと
原発事故後、離ればなれになった友達を想い歌う【群青】。当時中1だった方々が大人になり、夢を叶え活躍されています。「同じ空の下、つながっている」その想いが支えになり、力強く前を向いて歩んでいる姿に私も力をもらいました。コロナ禍で大変な毎日。あきらめそうになっても、あと少し進んでみよう!


 

ネットワーク1・17 配信イベント
「東日本大震災10年~東北と関西をつなぐ」

配信当日ご覧いただいたみなさん、ありがとうございました。
 
アーカイブ動画を3月31日までご覧いただけます
https://youtu.be/Vwpd-qNMgrI

第1273回「東日本大震災10年【7】~地域防災を担う若者たち」
取材報告:亘佐和子プロデューサー

東日本大震災を機に河北新報社(宮城県仙台市)が続けている防災ワークショップ「むすび塾」がオンラインで開催されました。参加したのは、全国各地で災害伝承や防災活動に取り組む若者11人です。
震災10年の課題を共有するため、まず大川伝承の会で語り部を務める東北福祉大学4年生の永沼悠斗さん(26)の話を聞きました。永沼さんは8歳年下の弟(当時小2)を、石巻市立大川小学校で亡くしています。大川小学校では児童74人、教職員10人が津波の犠牲になりました。山がすぐそばにあるにもかかわらず、地震発生から50分間、児童は校庭にとどまり、避難ができなかったのです。教職員はなぜ避難の判断ができなかったのでしょうか。「これは大川小だけの問題ではない」と永沼さんは語ります。
福井高専専攻科1年の水島美咲さん(21)は、「2019年に現地で永沼さんの話を聞き、防災に対する認識が180度変わった」と発言。関西大学高等部2年の坂本紫音さん(17)は、「自分にも8歳年下の弟がいて身につまされた。防災は日常生活の延長線上にあると思いながら活動している」と話しました。災害を「わがこと」ととらえるために必要なことは何か、若者たちが熱心に語り合った会議の模様を伝えます。
 
西村愛のひとこと
最近は各地で地震があり、ママ友とも災害への備えについて話すことが多くなりました。でも、人によって温度差があるんですよね。そんな時に高校生の防災士、坂本さんの「防災は日常の延長線上にある」というキーワードに頷きました。若い世代の皆さんのアイデアが心強い!「じぶんごと」へのスイッチ、実践してみましょう!


ネットワーク1・17 配信イベント
「東日本大震災10年~東北と関西をつなぐ」


 
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第1272回「東日本大震災10年【6】~変わる町の風景」
電話:宮城県石巻市雄勝町在住 大和千恵さん

今月11日、東日本大震災の発生から丸10年を迎えました。地震発生時刻の午後2時46分には、被災地をはじめ、全国各地で黙とうが行われました。
この10年で、被災地の町はどう変化してきたのでしょうか。宮城県石巻市雄勝町の海岸沿いには、高さ9.7メートルもの巨大な防潮堤がそびえたっています。「日本一美しい漁村」といわれた雄勝町ですが、集落から海を見渡すことはできなくなりました。震災後、人口は4分の1に減少。雄勝町は石巻市の中心地からは車で1時間近くかかる立地で、若い人の多くは便利な都市部に移ったといいます。市街地ではほとんど完了している復興工事も、雄勝町ではようやく終盤にさしかかったところです。
雄勝町の名振集落に住む大和千恵さんは、10年前の津波で自宅が流されましたが、漁師の夫と共に、集落に自宅を再建して生活しています。震災後に3人の子どもも生まれました。集落の人口は減っていますが、中には雄勝町の海に魅せられ、移住して漁師になった若者もいるといいます。
大和さんに電話をつなぎ、震災10年の思いや雄勝町のいまについて聞きます。
 
西村愛のひとこと
大和さんのお話を聞いて、災害で変わりゆく町と向き合い、生きていく強さを感じました。震災当時お腹の中にいた息子さんは「将来は、お父さんやおじいちゃんと一緒に雄勝で漁師の仕事をする!」と。心強いですね。
今後も町のファンとして、美味しい海の幸を楽しみに雄勝に行く日を楽しみにしています。

 
 
3月21日(日)
ネットワーク1・17 配信イベント
「東日本大震災10年~東北と関西をつなぐ」


 
配信はこちらからご覧いただけます
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第1271回「東日本大震災10年【5】~原発事故避難者はいま」
ゲスト:「まるっと西日本」代表世話人 古部真由美さん

 福島第一原発の事故からまもなく10年。福島県によると、今も約3万6000人が県内外で避難生活を続けていて、近畿でも1100人以上が暮らしています。避難指示区域以外からの「自主避難」では、母子避難が多くなっています。
 関西への避難者を支援する団体「まるっと西日本」は、交流会の開催、役立つ情報の発信に加え、避難者からの相談に丁寧に対応しています。自身も避難者である代表世話人の古部真由美さんによると、最初は被災者支援制度の利用法や健康状態などの相談が多かったのが、やがて公営住宅など住居の問題が中心になり、現在は子どもの不登校・PTSDなどの相談が多いといいます。複数回の転居、家族構成の変化、親の収入低下や失業などが子どもの心身に大きな影響を及ぼしています。
 関西学院大学災害復興制度研究所が行った原発事故避難者の全国調査では、世帯年収300万円未満の家庭が4割にのぼりました。非正規雇用や無職の割合も増加しています。住宅無償提供など公的支援が打ち切られたうえ、過労で体を壊して働けなくなり、「死にたい」という母親からの相談もあるということです。経済的な困窮に加え、新型コロナウイルスの感染拡大で孤立する避難者に、どんな支援が必要なのか、古部さんに話を聞きます。
  
西村愛のひとこと
原発事故がきっかけで避難して来られた方々が、必要としている事。物やお金もありますが、それ以上に"心のつながり"だと語る古部さん。大変な現状が少しでも改善されて前を向いて歩めるよう、これからも、避難移住された方の声と「忘れてないよ。応援しているよ」を発信していきたいと思います。

第1270回「東日本大震災10年【4】~被災地で歌い続けて」
ゲスト:シンガーソングライター 門松良祐さん

シンガーソングライターの門松良祐さんは、東日本大震災の被災地に10年間通いつづけて音楽を届けています。2011年当時、アコースティックデュオ「ひまり」として活動し、仙台のラジオ局でレギュラー番組を持っていた門松さんは、震災発生の半月後に、メンバーと共に車に物資やガソリンを積んで仙台を訪れました。壊滅した沿岸部を目にして「今、僕らがやるべきことは音楽ではない」と感じ、当初は災害ボランティアとして被災地に通いました。やがて、被災者や支援者、臨時災害FM局のスタッフらに依頼され、支援ライブを開く機会が増えていきました。門松さんらの歌を聴いた被災者から「やっと泣くことができました。ありがとう」と声をかけられたこともあるといいます。
デュオを解散してソロアーティストになった後も、復興イベントなどでライブを行い、被災地とつながりを持ち続けてきた門松さん。コロナ禍で被災地を訪れる人が減る中、今、町の人の声を聞いて発信することが必要だと感じ、3月には、宮城県気仙沼市で、住民をゲストに迎えてのオンライン配信ライブを行う予定です。
番組では、門松さんをゲストに迎え、被災地へ通い続けて感じていることを聞き、思いを込めた歌を生演奏してもらいます。

門松良祐 オフィシャルサイト
https://kadochan.jp/
 
西村愛のひとこと
「東北のこと、忘れないでね」被災した方に言われた言葉を胸に、東北の今を発信している門松さん。写真のマスクケースは気仙沼GANBAARE(ガンバーレ)とのコラボグッズ!グッズを使うと目に留まり、東北を思い出すのもいいですね。3/14は門松さんの気仙沼配信ライブ。3/21は番組イベントです。お楽しみに!

 
西村愛キャスターと元「ネットワーク1・17」キャスターの千葉猛さんが出演する「3.11fromKANSAI WEEK」
「マスコミの10年・これからの行方」
3/1月19時~配信スタート
(3月31日まで観ることができます)
https://youtube.com/channel/UCZMDofCUb6F-Aq7gQH4Se8w

第1269回「東日本大震災10年【3】
           ~宮城県と福島県で震度6強」
電話:宮城県石巻市在住 1・17リポーター 武山友幸さん

東日本大震災から10年がたとうとしている2月13日午後11時すぎ、福島県沖を震源とする地震があり、宮城県と福島県で最大震度6強を観測しました。「寝床に入っているときに、起き上がれないほどの揺れが2分以上続き、10年前の東日本大震災より怖いと感じた」と、宮城県石巻市に住む武山友幸さんは話します。石巻市では震度6弱が観測されました。武山さんの家では父親の寝室の額縁が落ちてガラスが割れ、「もう少しでケガをするところだった」と言います。台所の食器も10枚以上割れ、2階では7割程度の物が床に落ちて散乱しました。「東日本大震災を忘れるな」というメッセージのように感じたそうです。
今回の地震は、東日本大震災を引き起こした地震の余震でした。宮城県石巻港で最大20センチの津波が観測されただけで、津波による被害はありませんでしたが、政府の地震調査委員会は、「震源がもう少し浅く、もう少し地震の規模が大きければ、高い津波が発生する可能性はあった」と発表しました。今後10年間は大規模な余震が発生する可能性があります。石巻市の武山さんの話を聞いて、今後の備えを考えます。
 
西村愛のひとこと
武山さんが「実は今回の地震、怖くてうろたえてしまって、しばらく動けなかったんですよ。」気丈に話してくださいましたが、相当怖かったんですね。大きな揺れを感じたら、布団をかぶる!家具の固定や、水や食料の備蓄など物の備え。さらに心の備えも必要だなと思いました。私も寝室の断捨離をしますね!

第1268回「東日本大震災10年【2】~幼稚園児の娘を亡くして」
電話:宮城県石巻市の佐藤美香さん

宮城県石巻市の佐藤美香さん(45)は、東日本大震災で長女の愛梨ちゃん(当時6歳)を亡くしました。愛梨ちゃんの通っていた私立日和幼稚園は高台にありましたが、地震発生後、園児12人を送迎バスに乗せ、海側に向かわせました。7人を保護者に引き渡した後、バスは津波に襲われ、園児5人が亡くなりました。一帯では火災が発生し、バスは炎上。3日後に、焼け焦げた車体と、子どもたちの遺体が発見されました。
なぜバスは海側へ向かったのか。危険を予測できなかったのか。美香さんら遺族は稚園を相手に損害賠償を求める裁判を起こし、控訴審で和解が成立しました。和解条項には、園側の法的責任と防災体制構築の重要性が書き込まれました。
美香さんは「愛梨ちゃんの命を無駄にしたくない」という思いで、語り部を始めました。「遺族が声を上げなくても震災の教訓が伝わるよう、政府や行政はもっと危機感をもって、命を守るための取り組みを進めてほしい」と話します。子どもを亡くした母親が、どんな10年間を過ごしてきたのか、美香さんに話を聞きます。

奇跡の花あいりちゃん
アイリンブループロジェクト

http://airinblue-project.jp/

西村愛のひとこと
愛梨ちゃんの遺品は石巻市の[南浜つなぐ館]に展示されています。このクレヨンと上靴の写真を見ていると、津波と火災の恐ろしさを実感します。私も実際に石巻に行って、家族や友人と佐藤さんの語りを聴きたいと思いました。ご家族の想いをしっかりと受け止め、みんなで命をつないでいきたいです。

第1267回「東日本大震災10年【1】~津波から生かされて」
電話:NPO法人「遠野まごころネット」理事 臼澤良一さん

来月11日で、東日本大震災の発生から10年を迎えます。被災地支援団体のNPO法人「遠野まごころネット」理事をつとめる臼澤良一さん(72)は、岩手県大槌町の自宅で震災に遭いました。津波の襲来をよびかける防災無線を聞きましたが、「まさか来ないだろう」と思い、避難しなかったといいます。しかし、町には10メートル以上の高さの津波が押し寄せました。臼澤さんは愛犬と共に300メートル流され、火災が広がるガレキの中を漂いましたが、高台にいた人から声をかけてもらって地面にたどり着き、助かりました。
「生かされた」と感じた臼澤さんは、自らも被災者でありながら支援活動に奔走しました。2019年には、町議会議員選挙にはじめて立候補して当選し、現在は議員の立場として町の復興を支えています。
地震から10年を迎えようとする町は、かさ上げ工事などのハード整備は進みましたが、復興住宅の住民からは「ここに入居してから人と会話しなくなった」という声も聞かれます。臼澤さんは、「10年経って被災の形が見えにくくなり、今後どんな支援のあり方が必要なのか考える必要がある」と話します。
番組では臼沢さんと電話をつなぎ、津波の経験と町の現状について聞きます。
 
遠野まごころネット
http://tonomagokoro.net/
 
西村愛のひとこと
津波が押し寄せてきた時の記憶を語って下さった臼澤さん。大きな洗濯機の渦のように、家や車など様々な物を飲み込んでいく様子は、話を聞いているだけでも恐怖に襲われました。あの時に戻る事ができたのなら「真っ先に高台に逃げる」と臼澤さん。生かされた命を大切に。私も心に刻み、伝えていきます。