第1212回「25年を語る⑪~被災者に寄り添った"災害看護"」
ゲスト:神戸市看護大学 学長 南 裕子さん

今月17日に発生から25年を迎えた阪神・淡路大震災。都市部を襲った大地震は、命を救うための医療機関にも大きな被害をもたらしました。当時、兵庫県立看護大学(明石市)の学長だった南裕子さん(神戸市看護大学長)は、全国から看護師ボランティアを受け入れ、病院や避難所への派遣を取りまとめました。
大震災では、救出の数時間から数日後に急死する「クラッシュ症候群」や、長期間にわたる「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」などが多数報告されました。これらの症例は、当時、医療現場でも知識の共有が充分ではなく、対応にあたった医療者からは「救えるはずの命が救えなかった」という声も聞かれました。こうした経験を蓄積して新たな災害に備えようと、1998年に日本災害看護学会が発足。災害看護学は、多くの看護学校で教育課程に組み込まれています。
南さんは、現在、日ごろから看護師が地域の防災の仕組みを知っておく「減災ナース」を育成する取り組みにも着手しています。番組では南裕子さんをゲストに迎え、発展をつづける「災害看護」についてお話をうかがいます。
 
(番組内容は予告なく変更する場合があります)

第1211回「25年を語る⑩~震災の日に生まれて」
ゲスト:中村翼さん

阪神・淡路大震災が起こった1995年1月17日、神戸に誕生した命がありました。会社員の中村翼さん(25)です。中村さんの両親は、兵庫区の10階建てのマンションで激しい揺れに襲われました。母親は避難所の小学校で破水。中央区の病院へ向かい、停電で真っ暗な分娩室で、懐中電灯の明かりの中、翼さんが産声を上げました。
中村さんが両親からこの話を詳しく聞いたのは、大学生になってからです。幼いころから「震災の日に生まれた」と注目され、「犠牲者の遺族に申し訳ない」と悩んだこともありました。それでも、大学では防災教育を学び、子どもたちの前で自身のことを語るようになりました。大学卒業後は、語り部グループに加入しました。中村さんは25歳の誕生日に何を思ったのか、新しい世代の語り部として何を伝えたいか、話を聞きます。震災発生25年を迎えた神戸での追悼行事の模様も、合わせてお伝えします。
 
千葉猛のひとこと
震災の記憶を伝えていくことが、将来の災害から誰かの命を守るかもしれません。中村さんの活動は大きな希望を感じさせてくれます。阪神淡路大震災の発生から25年の朝、長田区の御蔵北公園で慰霊碑に手を合わせながら、いくら時がたっても震災は終わったわけではないのだと深く心に刻みなおしました。

第1210回「25年を語る⑨~がんばろう!!神戸」
ゲスト:俳優、「がんばろう!!神戸」元代表 堀内正美さん

俳優の堀内正美さん(69)は、神戸市北区の自宅で震災を経験しました。すぐに車で長田区に入り、被害の大きさに絶望を感じたとき、被災しながらパジャマ姿に裸足で懸命に救助活動をする人たちの姿を見て、忍耐強く自分にできることをしようと決意。パーソナリティーを務めるラジオ番組では、リスナーに「がんばろう!」と呼びかけ続けました。そして、神戸市北区にボランティア団体「がんばろう!!神戸」を立ち上げます。激甚被災地に隣接しながら被害の程度が軽く物流ルートの確保ができている地域を拠点に、支援を届ける試みでした。
活動を続ける中で気づいたのが、家族を亡くした日から時が止まったままの遺族たちの存在でした。全国から支援の種火を集めて「希望の灯り」を東遊園地に設置し、遺族のネットワークづくりなど、支援に乗り出します。NPO法人「阪神淡路大震災『1.17希望の灯り』(HANDS)」は、こうして生まれました。その後、さまざまな被災地支援に関わり、東日本大震災では、被災地に届ける衣類に手紙を入れることで被災者と支援者が直接つながる「たすきプロジェクト」という支援のかたちをつくりました。「困ったときはおたがいさま」という、母親から教えられた言葉を支えにしてきたという堀内正美さんに、これまでの道のりと今後の支援の課題を聞きます。

西村愛のひとこと
「すべては、母親から聴いた"おたがいさま"の言葉から」と話す堀内さん。北区から火の海になっている長田に駆けつけ救助活動をし、北区で購入した物資を届けた事も。近くにいる私達は自分の心配を優先してしまいがちだけど、助けに行くこともできる。日頃から、助けに行く時の想像をする事も大切ですね。

第1209回「25年を語る⑧~神戸からの災害ボランティア」
ゲスト:災害ボランティア団体「チーム神戸」代表 金田真須美さん

阪神・淡路大震災では、全国各地からボランティアが被災地に駆けつけ、「ボランティア元年」といわれました。彼らが引き揚げた後は被災者自身が救援活動を担い、多くのボランティアグループが誕生しました。
災害ボランティア団体「チーム神戸」代表の金田真須美さん(60)は、神戸市長田区で着付けの講師をしていました。震災で自宅は半壊、着付けを教えていた文化教室は全壊しました。「もともとお節介焼きだった」ために、自身が被災者でありながら、炊き出しや避難所支援に乗り出します。その後、地元で昼食宅配事業を始め、新潟県中越地震(2004年)でボランティアのリーダーとして呼ばれたのをきっかけに、兵庫県佐用町の豪雨災害や東日本大震災、熊本地震などの被災地で、長期的な支援を行うようになりました。現在は、去年の台風15号・19号で被災した千葉県で、喫茶を通じた住民の交流の場づくりや、地元住民による支援組織の立ち上げを手伝っています。
「ボランティア元年」から25年がたって、災害ボランティアは進化したのでしょうか。災害多発の時代に、どんな支援が必要なのでしょうか。金田さんに聞きます。

千葉猛のひとこと
あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。2020年最初の放送でしたが、ゲストの金田さんの語った千葉県の台風被災地の現状はすさまじいものでした。25年前の阪神淡路大震災の発生後、作家の小田実さんが「これは『人間の国か』」と嘆いた言葉を思い出しました。

第1208回「25年を語る⑦~長田の復興と町づくり」
ゲスト:「まち・コミュニケーション」理事 田中保三さん

神戸では、震災を受けて、地域ごとの復興事業に対応する「町づくり協議会」が数多く設置されました。その多くが役割を終える中、現在も活動を続ける長田区の「まち・コミュニケーション」理事の田中保三さんに話を聞きます。
田中さんは、被災した自身の会社の再建に取り組みながら、御蔵地区の町づくり協議会の会長に就任。震災前の町を取り戻すことを目標に、道路幅や公園の設置など、区画整理事業をめぐって、行政と協議を重ねました。しかし、地元に仮設住宅が出来るまでに3年ほどかかり、その間に別の地域へ出て行った住民も多くいました。地域をいちど離れると情報が届きにくくなり、特に土地を所有しない借家人は、戻ることが難しくなるのです。
区画整理事業で町は整備され、人口も震災前の9割まで回復しましたが、もともと住んでいた人は3割ほどしか戻ってきていません。かつて軒を連ねた長屋や工場が姿を消し、ミニニュータウンと化した今の町のようすに、「人とのつながりが希薄になり、後悔さえ感じている」と田中さんは言います。一筋縄ではいかない町の復興とコミュニティの再生について考えます。

西村愛のひとこと
被災したご自身の会社を立て直すだけでも大変なのに、まちづくりに積極的に携わって来られた田中さん。火災で一部が焼けたくすの木を震災遺構として残し、修学旅行で神戸を訪れる子ども達に語りついでいらっしゃいます。どんなまちづくりをしたら皆が幸せに暮らせるのか、改めて考えるキッカケになりました。

第1207回「25年を語る⑥~障がい者とともに考える震災」
ゲスト:NPO法人「ウィズアス」代表 鞍本長利さん

障がい者支援団体の代表、鞍本長利さんは、阪神・淡路大震災が発生した際、神戸市長田区の一戸建て住宅で被災しました。火の手が迫る中、脳性小児まひがある2人の娘を車に乗せ小学校に避難。しかし、小学校は避難者で溢れかえり、車いすが欠かせない娘たちが生活できる場所ではありませんでした。そこで、次女が通っていた神戸市立垂水養護学校にかけあって教室1室を開放してもらい、障がいがある仲間たちとボランティアとともに約5カ月間の避難生活を送りました。
近年、高齢者や障がい者のための「福祉避難所」の指定が進んでいますが、鞍本さんは「建物を整備しただけでは障がい者を救えない」と話します。地域のつながりを強めて問題を共有し、普段から障がい者が住みやすい街をつくることが、健常者も含めたすべての人にとって災害に強い街になると言います。
鞍本さんをゲストに迎え、震災発生当時に障がい者が置かれた状況と今の課題を聞きます。
 
千葉猛のひとこと
日本は超高齢化社会に入っています。障がい者に優しい街は同時に高齢者にも優しい街なんです。80歳近い私の母は目が弱り、転ぶかもしれないとちょっとした段差でも怖がります。みんな一緒に旅行、お祭りといった楽しみを進めていく中で、災害に強い街ができていくというのはとても魅力的なお話でした。

第1206回「25年を語る⑤~亡くなった息子がくれたもの」
ゲスト:加藤りつこさん

広島市に住む加藤りつこさんは、阪神・淡路大震災で、当時21歳だった息子、貴光さんを亡くしました。貴光さんが住んでいた西宮市・夙川の鉄筋コンクリート造りのマンションは、1階と2階が折れ曲がるように倒壊。地震の翌日に現場を訪れた母親のりつこさんは、マンションのそばに寝かされた貴光さんの遺体と対面しました。貴光さんは、希望だった神戸大学に入学し、国連の職員になるという将来の夢に向かって歩き出した矢先でした。
絶望だったというりつこさんを支えてきたのは、生涯たった一通だけ貴光さんがりつこさんにおくった手紙です。震災の後、この手紙が新聞に掲載されると多くの読者から反響がありました。新聞を読んで連絡をくれた貴光さんの同級生、毎年、花を届けてくれる見ず知らずの人...りつこさんは、貴光さんの手紙から、さまざまな出会いがあり、心にあかりが灯り出したといいます。
加藤りつこさんをゲストに迎え、25年の思いを聞きます。

西村愛のひとこと
生きる希望を失い、孤独で凍ってしまいそうだった加藤さんの心をあたたかく溶かしていったのは、出会った人たちの優しさでした。貴光さんの手紙をキッカケに全国各地で交流を深めていらして「今では各地でお母さんと呼ばれているんです。」と加藤さん。ご縁を大切に前に進む事の大切さを感じました。

第1205回「25年を語る④~被災地に響いた歌」
ゲスト:ソウル・フラワー・ユニオン 中川敬さん

阪神・淡路大震災の被災地で生まれた歌「満月の夕(ゆうべ)」。作詞・作曲し、歌い続けてきたのは、ロックバンド「ソウル・フラワー・ユニオン」のギター・ボーカル、中川敬さんです。
震災当時、大阪北部に住んでいた中川さんは、メンバーとともに何度も被災地を訪れて音楽ライブを行いました。電気を使わない三線やチャンゴなどの楽器を携えたチンドン形式で、戦前戦後の流行り歌や民謡を奏でて歌うと、被災したお年寄りらは合唱し、涙したといいます。「兄ちゃん、もう一回!」とリクエストが飛ぶこともしばしばありました。
被災地での慰問ライブ3回目となった1995年2月14日。この日は震災当日以来の満月の夜でした。テント村となっていた神戸市長田区の避難所で、被災者らは口々に満月を怖がりました。この翌日、書き上げたのが「満月の夕」です。「風が吹く港の方から/焼け跡を包むようにおどす風/悲しくてすべてを笑う乾く冬の夕~(中略)ヤサホーヤ焚火を囲む 吐く息の白さが踊る/解き放て生命で笑え 満月の夕」
中川さんらが震災後の数年間で行った慰問ライブは実に200回以上。被災地で何を思って歌い、「満月の夕」は被災者にどう届いたのでしょうか。中川敬さんをゲストに迎えてお話をうかがいます。
 
ソウル・フラワー・ユニオン Live
http://www.breast.co.jp/soulflower/schedule/live.html
 
中川敬 Live
http://www.breast.co.jp/soulflower/schedule/live4.html
 
千葉猛のひとこと
大地震の夜は停電で漆黒の闇が訪れます。その中で光を放つものの印象は強く残ります。阪神・淡路大震災での満月、東日本大震災での星空は鮮烈に覚えています。暖を取るための焚火が映す人の影も。神戸の歌なのですが気仙沼で口ずさんで涙したことがありました。「満月の夕」ぜひ改めてお聞き願いたく思います。

第1204回「25年を語る③~被災地から生まれたラジオ」
ゲスト:FMわぃわぃ理事 日比野純一さん

阪神淡路大震災が起きて、被災地の神戸長田区に暮らす大勢の外国人が、言葉がわからず情報が得られない不安な状況が生まれました。そんなとき、避難者の話し合いの中から多言語で情報を伝える小さなFMラジオ局が誕生し、被災地の復興を支え続けてきました。いまもインターネット放送局として番組を配信し続けている「FMわぃわぃ」です。震災発生から25年がたとうとする今、FMわぃわぃの得たコミュニティラジオ局を通した防災力強化の経験は神戸から海を越えたインドネシアへと伝えられ、災害から住民の命を守るために役立てられています。今回はこの「FMわぃわぃ」の元代表理事の日比野純一さんをゲストに迎えて「被災地から生まれたラジオ放送局」の25年を振り返り、災害と情報について考えます。
 
 
「絵本作家によるおうえんフェス 2020」ご招待
原発事故の影響を受けた子どもたちを守る「12人の絵本作家が描くおうえんカレンダー」
参加の絵本作家による
ライブペインティングや読み聞かせのイベント「おうえんフェス」
http://12ehoncalendar.com/index.html

に、大人10人、子ども10人をご招待します。
 
「おうえんフェス希望」というタイトルで、
おところ、お名前、電話番号、参加希望の人数(大人何人、子ども何人)を書いて、
メールかハガキでご応募ください。
 
【宛先】
メール:117@mbs1179.com
ハガキ:〒530-8304 MBSラジオ ネットワーク1・17「おうえんフェス」係
締め切り 12/1(日)
 
当選者には、番組から直接ご連絡します。
 
 
西村愛のひとこと
阪神·淡路大震災後、在日韓国人の被災者の声から生まれたFMわぃわぃには、さまざまな人種の方が集まり、コミュニケーションの輪が広がっていった。「町づくりは仲間づくり。それが最大の防災だと思うんです」という日比野さんの言葉。私も大切にしていこうと思いました。

第1203回「25年を語る②~被災者を見守り続けた25年」
ゲスト:NPO法人「よろず相談室」理事長 牧秀一さん

神戸市のNPO法人「よろず相談室」の牧秀一理事長は、阪神・淡路大震災の発生直後から被災者の話に耳を傾け、寄り添い続けてきました。震災が発生したのは、定時制高校教諭だった44歳の時。避難所で、被災者の相談にのる「よろず相談室」を開設し、被災者向けの情報を掲載した新聞も発行しました。避難所解消とともに解散したものの、仮設住宅での孤独死や自殺が相次ぎ、活動を再開。取り残される被災者や高齢者をなくそうと丁寧に訪問して話を聞いてきました。震災10年を過ぎてからは、地震で心身に障害を抱えた「震災障害者」の支援にも奔走。行政が実態調査に乗り出すキッカケにもなりました。
震災発生からまもなく25年。被災者も高齢化し、多くの死に直面し続けてきて「しんどかった」という牧さんは、来年1月で活動の第一線から退くことを決めています。
「人は人によってのみ救われる」そう話す牧秀一さんをゲストに迎え、25年間の活動と今も残る課題について聞きます。
 
 
「絵本作家によるおうえんフェス 2020」ご招待
原発事故の影響を受けた子どもたちを守る「12人の絵本作家が描くおうえんカレンダー」
参加の絵本作家による
ライブペインティングや読み聞かせのイベント「おうえんフェス」
http://12ehoncalendar.com/index.html

に、大人10人、子ども10人をご招待します。
 
「おうえんフェス希望」というタイトルで、
おところ、お名前、電話番号、参加希望の人数(大人何人、子ども何人)を書いて、
メールかハガキでご応募ください。
 
【宛先】
メール:117@mbs1179.com
ハガキ:〒530-8304 MBSラジオ ネットワーク1・17「おうえんフェス」係
締め切り 12/1(日)
 
当選者には、番組から直接ご連絡します。
 
  
千葉猛のひとこと
阪神淡路大震災の被災者に寄り添い続けて25年。そのきっかけは避難所での若者の言葉だったんですね。この25年間、継続して活動を続けてこられたメンバーは牧さん1人だけだったそうです。いまも被災者の方の苦悩は続いています。牧さんの思いを若い人が継いでいってくれると信じています。