第1335回「災害時の車中泊~その備えとリスク~」
取材報告:早川紗世ディレクター

最大震度7を観測した2016年の熊本地震では、余震を恐れて、多くの被災者が自宅の駐車場や周辺道路などに停めた車の中に避難しました。のちに熊本県が車中避難をした理由を聞いたアンケートでは、「車の中が一番安全だと思った」という回答が最も多く、次いで「プライバシーの問題」があがりました。幼い子どもやペットがいて、避難所へ行くことを躊躇したという人もいました。コロナ禍で災害が起こると、避難所での感染を恐れて、これまで以上に車中泊を選択する人が増えることも考えられます。
熊本地震では、エコノミークラス症候群を発症する被災者が相次ぎ、死者も出ましたが、車中泊が原因となっているケースが問題になりました。車中泊をしていて、近くにトイレがなかったり、仮設トイレや避難所のトイレが不衛生だったりすると、トイレに行きたくないため、水分を控えて脱水症状になってしまう傾向があります。その上、狭い車内で長時間同じ姿勢でいることがエコノミークラス症候群を引き起こすひとつの要因となります。
番組では、ディレクターが小学生の子どもと実際に車中泊した体験をリポート。災害時の車中泊に詳しい専門誌「カーネル」編集長の大橋保之さんのインタビューを交えて、災害時の車中泊の備えとリスクについて考えます。
 
西村愛のひとこと
車中泊、未経験の私も実践!私ひとりで初めて車の全てのシートを倒してみました。やり方がわからず苦戦しているうちに子どもが車から降りていたり、10分以上てんやわんや。寝転ぶとゴツゴツしていて、やっぱり分厚い銀マットは必要!車で外出したときにシートをフラットにして家族で昼寝をするなど、気軽に体験する工夫も必要だなと感じました。

第1334回「災害時のトイレ対策」
ゲスト:NPO法人「日本トイレ研究所」代表理事 加藤篤さん

地震などの災害に備えて、飲料水や食糧を備蓄している方は多いでしょう。では、トイレの対策も万全ですか?水や食料は、ある程度我慢ができたとしても、排泄を我慢することはできません。過去の災害時に行った調査では、災害発生から9時間以内に、78%の人がトイレに行きたくなったと回答しています。しかし、災害時には、停電・断水・汚水処理施設の破損などさまざまな理由で、水洗トイレが使えなくなります。実際、東日本大震災でも、水洗トイレが使えず、避難所のトイレはあっという間に汚物でいっぱいになりました。仕方なく、バケツや、衣装ケースに排泄せざるを得ない状況になったそうです。
トイレが汚く不衛生であれば、トイレに行きたくないために水分を控えるようになり、慢性的な脱水状態がエコノミークラス症候群などを引き起こす危険性もあります。仮設トイレも設置までにある程度の時間がかかります。その際、自宅が無事であれば、そこで安心して排泄できる備えが必要です。番組では、NPO法人「日本トイレ研究所」の代表理事・加藤篤さんに、災害時のトイレの重要性、そして、個人で備えることができるトイレ対策を聞きました。
 
西村愛のひとこと
災害時のトイレ対策。改めてお話を聞くと、まだまだ足りていないなぁと感じました。日本トイレ研究所のHPには、"災害トイレクイズ"のページがあります。「Q.停電時のトイレにふさわしいのは、ランタンと懐中電灯、どっち?」などさまざまな問題が!お子さんも一緒に楽しみながら学ぶことができますね。

第1333回「大学生が小学生に防災出前授業」
ゲスト:関西大学 学生団体KUMC 防災教育班 
    社会安全学部 新3年生 牧野葵さん
    社会安全学部 新3年生 至田圭織さん

関西大学の学生団体「KUMC」は、東日本大震災のボランティア活動をきっかけに、社会安全学部(大阪府高槻市)の学生が中心になって結成しました。大学で学んだ「防災・減災」の知識を地域に向けて発信しようと、地元の小中学生を対象に防災授業を行っています。学校からは、2018年の大阪北部地震を受けて「地震の話をしてほしい」という依頼や、台風や豪雨の多発により「水害についての授業をしてほしい」などの要望が多いといいます。この2年間はコロナ禍で対面授業ができず、オンライン授業がメインです。
KUMCでは子どもたちに自分の問題として考えてもらうために、写真を多く使って説明し、災害の状況が想像できるように工夫しています。また、楽しく学べるようにクイズを取り入れ、発言してもらう時間を多くとります。番組スタッフが授業を取材したときには、「非常用持ち出し袋にはどんなものを入れますか?」という問いかけに対し、食料や水のほか、「ラジオ」「薬と包帯」「懐中電灯と電池」「携帯トイレ」など、しっかりした答えが次々に出ていました。実際の防災授業の内容、そして子どもたちに伝えたいことについて、KUMCのメンバーで関西大学3年生の牧野葵さんと至田圭織さんに聞きました。

西村愛のひとこと
KUMCの皆さんが小学生への授業で1番大切にしたのは"楽しみながら学ぶ"。非常用持ち出し袋の中身のクイズでは想像以上に様々な答えが出ていました!楽しい経験は誰かに話したくなる。それが家族に伝わって、みんなで考えるきっかけになる。『ネットワーク1.17』でも大切にしたいヒントを学ばせてもらいました。

第1332回「子どものための災害備蓄レシピ」
電話:元・帝国ホテル総料理長 田中健一郎さん

みなさんは災害に備えてどんな食品をどれぐらい準備していますか?
普段から少し多めに買っておき、食べた分だけ新しく買い足していくことで、常に一定量の食料を家に備蓄しておく「ローリングストック」が推奨されています。しかし、災害備蓄食品は「おいしくない」というイメージがあって、特に子どもに食べてもらうのは難しく、知らないうちに賞味期限を大幅に過ぎていることがよくあります。
元帝国ホテルの総料理長・田中健一郎シェフ(71歳)は、2004年の新潟県中越地震をきっかけに、プロの料理人らでつくる「料理ボランティアの会」を発足させ、東日本大震災など全国各地で、被災した人たちにフランス料理をふるまってきました。官公庁などが毎年、賞味期限切れの災害備蓄食品25万食を廃棄していると聞き、フードバンクを通じて子ども食堂に提供するスキームもつくりました。そして、缶詰などの備蓄品を子どもたちにおいしく食べてもらうための簡単レシピを考案。今回、西村愛キャスターは自宅で、田中さんのレシピ「アルファ化米の五目ご飯オムライス」「牛肉の大和煮缶詰のポテトグラタン」に挑戦しました。おいしく出来上がったのでしょうか。そして、子どもたちの反応は?番組を聞いて確認してみてください!

災害用備蓄食品のアレンジレシピ
https://tg-uchi.jp/topics/7588

西村愛のひとこと
被災地や子ども食堂にも、お料理で笑顔を届けていらっしゃる田中シェフ。
災害備蓄食にひと手間加えるだけで、おうちでもレストランのようなお料理を楽しむことができる!しかも、簡単で美味しい。子どもたちと一緒に作るのも楽しかったです。災害時の美味しい食事は心の栄養にもなりますね。

第1331回「長田の復興伝えつづけた和田幹司さんをしのぶ」
取材報告:新川和賀子ディレクター

阪神・淡路大震災後の町の復興に尽力し、去年10月に77歳で亡くなった和田幹司さんをしのぶ会が、今月6日、神戸市長田区で開かれました。
同区で生まれ育った和田さんは、震災で自宅が全壊しました。自ら被災しながら、被災者に情報を届けるミニコミ誌の発行に参加。地元コミュニティラジオ「FMわぃわぃ」のパーソナリティを務めたり、変わりゆく町の姿を20年以上定点撮影したり、長田の復興を伝え続けました。
JR新長田駅前で毎年1月17日に行われている震災の追悼行事「1.17KOBEに灯りをinながた」では2004年から19年まで実行委員長を務めました。地元の小中学校などに出向いて、追悼行事で使用するろうそくを子どもたちと一緒に作り、震災の経験を語り継いできました。和田さんは生前、「ネットワーク1・17」に出演した際、「子どもたちに伝えていくことがこの行事にとっていちばん重要だと思っている。支えてくれる若い人が増えてうれしい」と語り、若い世代への継承に力を注ぎました。
番組では、過去に放送した和田幹司さんのインタビューや関係者の声から、和田さんが遺したものは何か、私たちが何を引き継ぐべきなのかを考えます。
  
神戸アーカイブ写真館(和田幹司さんが撮影した長田の写真を閲覧可能)
https://kobe-shashinkan.jp/about_shashinkan

西村愛のひとこと
若い世代への震災の語り継ぎはさまざまな地域で課題になっていますが、さりげなく背中を押してくれる和田さんだからこそ、多くの子どもたちが楽しみながら参加し、輪が広がっていったんだろうなぁと思います。これからも、和田さんが私たちに残して下さったメッセージを受けとめ、考え、協力しながら実践していきます!

第1330回「熊本地震6年【2】~倒壊した家、しなかった家」
オンライン:工学院大学建築学部教授 久田嘉章さん

発生から6年を迎えた熊本地震では、観測史上初めて2回の震度7を記録し、約8千軒の住宅が全壊しました。災害関連死を含め276人が亡くなりました。大地震から命を守るためには、どのような住宅に住めばよいのでしょうか。
震度7の激震に見舞われた熊本県益城町で国と建築学会が行った調査では、1981年5月以前の建築基準法の「旧耐震基準」で建てられた木造住宅の約28%が倒壊していました。1981年6月以降の「新耐震基準」の木造住宅では倒壊率は約7%で、その差は歴然です。さらに、新耐震基準の中でも建築基準法が再び改正された2000年6月以降に建てられたものでは、半数以上で被害がありませんでした。住宅の耐震性が倒壊に大きく関係していることが裏付けられました。
工学院大建築学部の久田嘉章教授が行った調査では、地表に現れた断層の真上の住宅でも、ほとんど被害がなかった例もありました。住宅の底に板状に鉄筋コンクリートを入れる「ベタ基礎」が有効だったとみられます。久田教授は、「命が助かっても、家が大きな被害を受けて被災後に住めなければ避難生活になる。災害関連死を防ぐためにも(被害が軽微で済む)2000年基準の住宅がよい」と話します。
番組では久田教授とオンラインで繋ぎ、熊本地震で倒壊した住宅の特徴から住まいの備えに必要なことを考えます。
 
西村愛のひとこと
オープニングでお話した木山神宮(熊本県益城町)の矢田さんも、ご自宅が全壊して避難生活がたいへんだったとのこと。命が守られたのなら、被災後の生活も守ることができるように、自宅の耐震について考えることはとても大切ですね。私の実家は1981年基準で建てられた家です。『一度、耐震診断をしてみない?』と、親に相談してみようと思いました。

第1329回「熊本地震6年【1】~災害関連死」
オンライン:「最期の声~ドキュメント災害関連死」著者 ノンフィクションライター山川 徹さん

今月14日で 熊本地震の発生から6年を迎えます。熊本地震では地震の被害で直接亡くなる人に比べ、被災後のストレスや病気の悪化などで亡くなる「災害関連死」が4倍の218件にのぼりました。
災害関連死は、遺族が死因や被災の状況などの書類を自治体に提出し、専門委員会の審査で死亡と災害の関連性が認められれば「災害弔慰金」が支払われる制度です。弔慰金の額は生計を担う人が亡くなると500万円、それ以外であれば250万円。申請理由は、精神的ストレス、避難先での持病の悪化、エコノミークラス症候群、鬱による自死などさまざまです。
ただ時間経過も含めた因果関係の証明は難しく、申請しても「関連性なし」と判断されることがあります。東日本大震災で親族や仕事場を失った岩手県の男性は、ストレスと過労による心筋梗塞で死亡。しかし、「ストレスは誰にでもある」として認められず、遺族が裁判を起こしてようやく関連死だと認められました。
関連死は「救えた命」とも言われ、次の支援や政策に活かすべき教訓がたくさんあります。審査の不透明さや基準のあいまいさも指摘される関連死について、家族や関係者を取材した本「最期の声~ドキュメント災害関連死」の著書であるノンフィクションライターの山川徹さんに、現状と課題を聞きます。
 
西村愛のひとこと
大災害に遭いながらも生きぬいた命なのに、失われてしまうなんて。山川さんは本の中で「災害で命を落とした人が発した最期の声は、災害が多発する、今を生きる私たちへの遺言なのではないか」と私たちに問いかけています。遺言を教訓にすることが大切だと強く思いました。災害時ではない今、私たちに何ができるのでしょうか。

第1328回「東日本大震災11年【6】~全国の若者たちをむすぶ」
取材報告:亘 佐和子プロデューサー

東日本大震災をきっかけに河北新報社(宮城県仙台市)が始めた防災ワークショップ「むすび塾」は、今年2月、災害伝承や防災に取り組む若者たちのトークセッションをオンラインで開催しました。北は北海道から南は宮崎県まで、16歳~30歳の11人が参加しました。
活動するうえでの悩みや課題は全員に共通していて、コロナ禍で活動が制限されること、そして関心のない人に情報を届けるのが難しいということでした。子どもたちに興味を持ってもらうために、「クイズやビンゴゲームを使って非常用持ち出し袋の中身を伝える」「運動会でバケツリレーや消火器を使った的当てをするなど、楽しい遊びを防災につなげる」など、それぞれ工夫していることがわかりました。高齢者に対しては、体力づくりや芋煮会などと合わせて防災を伝えるのもよいそうです。
また、SNSだけでなく新聞への投稿などさまざまな手段で発信するよう努めたり、防災動画を制作する際に地域の自治会長やスポーツ選手など異なる分野の人を巻き込んだりすることで、多様な人に訴えることができるなどの意見も出ました。若者たちのユニークなアイデアと熱い議論の模様を取材しました。
 
西村愛のひとこと
ほんまに10〜20代?と思ってしまうぐらい「なるほどー!」な意見、アイデアの数々にびっくりしました。防災に関して熱く語り合い、横のつながりが生まれたのもよかったですね。「自分たちの団体を広めたいのではなく、防災の大切さを伝えたい」という声。私も大切にしたいと、改めて胸に刻みました。

第1327回「東日本大震災11年【5】若者が語る故郷・石巻市雄勝町への思い」
オンライン:宮城県石巻市雄勝町在住 藤本和さん

東日本大震災11年のシリーズ、今回のテーマは「若者が考える故郷の未来」です。震災をきっかけに過疎化が進む地域も多い中、生まれ育った宮城県石巻市雄勝町に戻り、まちづくりに関わる藤本和(のどか)さん(22)がゲストです。
藤本さんが震災を経験したのは小学校5年生の時でした。教室で掃除中に地震にあい、校庭へ避難。車で迎えに来た母親と高台を目指す途中、背後から黒い波が迫ってきたので、車を乗り捨てて崖を駆け上がったといいます。山上から見た津波の光景が忘れられず、15歳から語り部としての活動を始めます。
自宅が全壊したため、一家は雄勝を離れていましたが、藤本さんは高校卒業後、ひとりで地元に戻ります。築93年の廃校をリノベーションした子ども向け学習施設「モリウミアス」に就職。訪れた人に、海産物など自慢の産品を味わってもらうとともに、漁業体験などを通じて雄勝の魅力を伝えています。
震災前は4000人が暮らした雄勝町も、今は1000人未満に人口が減少。それでも、「震災で壊れてしまった町を、自分たちの世代で新たにつくっていく」と未来を見据える藤本さんに、震災11年の心境と故郷への思いを聞きます。

西村愛のひとこと
語り部として、防災の種まきをしながら、雄勝の新たな未来を創りだそうとしている藤本さん。
津波で自宅や様々な建物が流されて人口も減ってしまった故郷の雄勝町を、自分たちの世代で新たに作っていきたい!と語る声。エネルギーがあって、明るい未来を感じました。実際に雄勝町へ藤本さんの語りを聞きにいきたいと思います!

第1326回「東日本大震災11年【4】~NEWS 小山慶一郎さんが見つめた被災地」
オンライン: NEWS 小山慶一郎さん

アイドルグループ「NEWS」の小山慶一郎さんは、テレビ番組の取材などで東日本大震災の被災地に通い続けてきました。訪問回数はこの11年間で100回を超えます。初めて行ったのは2011年4月。仙台空港周辺で、津波の爪痕が生々しく残り、子どものおもちゃや家族写真などが散乱する「生活が突然奪われた」光景に、足が震えたといいます。
その後、宮城県南三陸町では、海鮮料理店を営む高橋さん夫妻の変化を目のあたりにしてきました。店を津波で流され、生きる気力を失って無表情で支援者にお弁当を配っていた高橋さんが、少しずつ店の自慢メニューなどを笑顔で話してくれるようになり、仮設商店街で店を再開できると決まったときには喜びでいっぱいの表情を見せたといいます。
気仙沼市も何度も訪れ、震災発生の年に生まれた男の子の成長を見てきました。男の子の母親は夫と幼い娘を津波で失い、ひとりで懸命に男の子を育ててきました。「男の子がもう少し大きくなったら震災のことも話してみたい」と小山さんは言います。
被災地取材を続けながら防災士の資格を取得した小山さん。さまざまな機会に備えの大切さを訴えています。「どこに避難するか、どうやって連絡を取り合うか、家族会議をしっかりしておいたほうがいい」というのが、被災地の人たちから学んだことだそうです。小山慶一郎さんに、東北で出会った人たちの話をじっくり聞きます。
 
西村愛のひとこと
小山さんは『いつどこで地震が起こるかわからない。僕らは備える時間をもらってるんだ』と語ります。今回、被災した方の想いを聞いて、私も家族を守るためにしっかり備えなければ、と強く感じました。小山さんがおすすめする備えは"家族会議"。避難場所は?どうやって避難する?連絡手段は?いざという時の安心につながりますね。