第1380回「東日本大震災12年【4】福島原発事故 母子避難12年」
ゲスト:原発賠償関西訴訟原告団 代表 森松明希子さん

2011年3月の福島第一原発事故では、大勢の市民が放射線被ばくから逃れるための避難を余儀なくされました。一体何が起こったのか、なぜ「ふつうの暮らし」を奪われなければならなかったのか。国と東京電力の責任を問い損害賠償を求める集団訴訟が、全国で約30件提起されました。
原発賠償関西訴訟原告団代表の森松明希子さんは、福島県郡山市から大阪に、子ども2人とともに避難してきました。原発事故が起こったとき、子どもは3歳と0歳でした。自宅は原発から60キロ離れていて、強制避難区域ではありませんでしたが、子どもを外で遊ばせることもできず、放射能で汚染されているかもしれない水道水をおそるおそる飲む日々。悩んだ末に、原発事故の2か月後、大阪への母子避難を決断しました。福島で働く夫との二重生活は今年で12年になります。
「避難する権利を求めて裁判を闘っている」と森松さんは言います。5月の次回公判からは原告への本人尋問が始まります。去年、最高裁は同様の訴訟で、国の責任を認めない判決を出しました。そして政府は、原発の運転期間の延長など原発回帰の政策を打ち出しています。事故から12年たった現状を、避難当事者としてどう思うのか、森松さんに聞きます。
 
原発賠償関西訴訟 KANSAIサポーターズ
http://kansapo.jugem.jp/

(番組内容は予告なく変更する場合があります)

第1379回「東日本大震災12年【3】釜石の教訓を伝える語り部」
電話:語り部 菊池のどかさん

東日本大震災の発生後、即座に避難行動を取ったため、学校にいた小中学生全員が助かった岩手県釜石市。中学生が小学生の手を引いて高台に逃げたという避難行動は、「釜石の奇跡」と呼ばれ、度々、新聞やテレビなどのメディアで報道されました。
ただ、「釜石の奇跡」が美談として語られる一方で、釜石市では、津波にのまれるなどして、1000人を超える市民が死亡・行方不明になりました。
地震から12年経った今、「釜石の奇跡」の当事者は、あの日のことをどのように思い返すのでしょうか。実は、「奇跡」と呼ばれることに違和感をもつ当事者もいたそうです。
番組では、震災当時、市立釜石東中学校の3年生で、現在は「語り部」をしている 菊池のどかさんとあの日を振り返ります。
 
西村愛のひとこと
『釜石の軌跡』と呼ばれることに対して、実際には、学校に残った教職員の方をはじめ、亡くなった人もいるから違和感を感じていたという菊池さん。様々な葛藤がありながらも、語り部を続けて下さっていることに感謝です。今度は家族で、変わりゆく東北の風景をみながら、菊池さんのお話を聞きたいなと思いました。
  

第1378回「東日本大震災12年【2】子どもたちはなぜ亡くなったのか?『大川小学校 津波裁判』」
オンライン:大川小学校 児童津波被災遺族原告団 共同代表 只野英昭さん

東日本大震災の津波で全校児童の7割にあたる74人の児童と10人の教職員が亡くなった宮城県石巻市の大川小学校。その遺族らを追ったドキュメンタリー映画「『生きる』 大川小学校 津波裁判を闘った人たち」が公開されています。
大川小学校では近くに裏山があるにも関わらず、子どもたちが地震発生から51分間、校庭に留まりました。その間、防災無線やラジオで津波情報が伝えられ、「裏山へ逃げよう」と訴える子どももいました。しかし、教師の指示で校庭に待機させられ、橋のたもとに避難する途中で津波に襲われたのです。
子どもたちはなぜ亡くならなければならなかったのか?遺族は宮城県と石巻市を相手に裁判を起こします。2019年、最高裁で勝訴が確定。判決は、津波は予見でき学校の防災体制に不備があったと指摘しましたが、「なぜ裏山へ逃げなかったのか?」という遺族の疑問に対する答えは明らかになっていません。震災12年、真実を知りたいと活動を続ける遺族原告団の共同代表・只野英昭さんに話を聞きます。
  
番組で紹介した映画
「『生きる』大川小学校 津波裁判を闘った人たち」
公開劇場などの情報は公式HPにて↓
https://ikiru-okawafilm.com
  
西村愛のひとこと
『子どもたちは、なぜ亡くならなければいけなかったのか』親なら、誰もが思うこと。映画『生きる』を観て、たくさんの"なぜ?"が浮かび、涙が止まりませんでした。「二度と同じことが起こらないように、皆さんに知ってもらうために活動を続ける」と力強く語る只野さん。私もしっかり向き合って考えたいと思います。

第1377回 「ネットワーク1・17スペシャル~即死の真相」
ゲスト: 室﨑益輝さん (神戸大学名誉教授)
取材報告: 亘佐和子プロデューサー

阪神・淡路大震災では6434人が亡くなり、その8割~9割は家屋の倒壊による圧死で「即死」であったといわれます。したがって、震災の最大の教訓は「住宅の耐震化」と考えられてきました。しかし、防災研究の第一人者で神戸大学名誉教授の室﨑益輝さんは、この「即死説」に疑問を投げかけます。室﨑さんが大学院生と一緒に行った遺族の聞き取り調査では、「犠牲者が地震発生後しばらく生きていた」という証言が多いのです。
広島に住む加藤りつこさんは、ひとり息子の貴光さん(当時21歳で神戸大学2年生)を震災で亡くしました。貴光さんは即死ではなく、「倒壊したマンションの一室で、壁をたたいてSOSを発していた」と近所の人から聞かされました。壁をたたく音は何時ごろまで聞こえていたのか、28年たって初めて語られた証言から、当時の状況が見えてきました。
住宅が倒壊しても、即死でないならば、その後の救助や医療によって、命を救うことができるかもしれません。当時のデータと遺族や専門家のインタビューから、犠牲者の死の真相を探り、震災の教訓を再検証します。この番組は、1月29日深夜に放送したテレビドキュメンタリー「映像23 即死の真相~阪神・淡路大震災28年の証言」に新たな取材を加え、ラジオ用にリメイクしたものです。

第1376回「東日本大震災12年【1】災害ケースマネジメント」
ゲスト:大阪公立大学大学院 准教授 菅野拓さん

東日本大震災の発生から、今月11日で、12年を迎えます。今月のネットワーク1・17は、東日本大震災の教訓について考えます。シリーズ1回目は、被災者支援の新しい仕組みとして注目されている「災害ケースマネジメント」についてです。
2005年にアメリカ・ニューオリンズなどを襲った大型ハリケーン「カトリーナ」の被災者支援に用いられたのが始まりとされている「災害ケースマネジメント」は、被災者の個別の事情に応じて支援をする仕組みです。
現行の被災者支援では、住んでいた住宅の被害程度によって、被災者生活再建支援金の支給や、義援金の配分などが決まります。しかし、その結果、支援からもれてしまう人や、複雑な支援制度が理解できずに支援を受けることができない高齢者の存在などが問題になっていました。
「ひとりも取り残さない被災者支援の実現には、災害ケースマネジメント
の法制化が必要」と訴えている大阪公立大学大学院准教授の菅野拓さんをゲストに迎え、「災害ケースマネジメント」について聞きます。
 
関西で行われる東日本大震災関連のイベント
東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream
映画DVD『終の棲家を奪われて』鑑賞&3.11避難者情報交換・意見交流会
2023年3月9日(木)
http://sandori2014.blog.fc2.com/blog-date-20230309.html
 
3.11fromKANSAI
ふるさとに帰る人、ふるさとを変える人~東北の学び・人財の往来が未来をつくる
2023年3月11日(土)
https://www.311-kansai.com/
    
西村愛のひとこと
被災後は、周りの人が大変な中、自分が大変だとはなかなか言いにくいという話をよく聞きます。じっくり話を聞いて支援計画を立ててもらえるのは、心強いですね。今は一部の自治体でしか行われていないということですが、どの地域で被災しても、誰もが支援を受けて生活再建できるようになるといいなと思います。

第1375回「『春一番』にご注意」
オンライン:元・気象庁主任予報官 気象予報士 永澤義嗣さん

立春を過ぎて初めて吹く強い南風を指す「春一番」。2月から3月にかけて吹き、その名称から春の訪れを告げる風物詩のように感じられますが、実は季節外れの強い南風による災害への注意も必要です。
突風を伴って雷や竜巻を発生させたり、気温上昇に伴い雪崩や急激な雪解けを誘発する可能性があります。日本海で発達した低気圧が北日本を直撃し、大雨、大雪、高潮などをもたらすこともあり、大陸から黄砂を日本列島に運んでくることもあります。
今年はすでに九州北部と四国で「春一番」が観測されました。福岡県久留米市では春一番とみられる強風が原因で、文化施設の鉄製の門扉が倒れ、近くにいた新聞配達員が足を挟まれて骨折する事故もありました。
気象庁で主任予報官を務めた永澤義嗣さんに、防災の観点から「春一番」について語っていただきます。数十年に一度というレベルの災害が頻発する時代の気象予報の役割についても話を聞きます。
 
西村愛のひとこと
『春一番』というとキャンディーズの歌を思い出す方もいらっしゃるのでは?私もそうです。その『春一番』が、まさか災害を引き起こすような注意すべき風だったとは!!春一番が吹かない年もあるというのもびっくりしました。今年は、近畿地方で春一番が吹くのでしょうか。どうぞみなさん、ご注意を!

第1374回「津波バルーンプロジェクト」
ゲスト:東北大学大学院工学研究科 成田峻之輔さん

津波警報や津波注意報が出たとき、どこに避難したらいいか、すぐに判断することはできますか?市町村が指定している津波避難ビルなどはありますが、出張先や旅行先など土地勘のない場所にいた場合、指定の避難場所にすぐに避難することは難しいのではないでしょうか。
番組では、「稲むらの火」の現代版ともいえるプロジェクトを紹介します。「稲むらの火」とは、1854年の安政南海地震による大津波が、今の和歌山県広川町をおそった時、濱口梧陵という男性が、稲わらを積み上げた「稲むら」に火をつけて、暗闇の中で逃げ遅れていた村人を安全な高台へと導いたという実話です。
現代版「稲むらの火」はアドバルーンを使います。津波警報などが発表された時に、アドバルーンを掲げて避難先を伝える「津波バルーンプロジェクト」。考案者は東北大学大学院で津波工学を専攻する成田峻之輔さん(23)です。成田さんに発想の原点とプロジェクトにこめた思いを聞きます。
  
西村愛のひとこと
『津波バルーンプロジェクト』はVRを使った仮想空間での実験も取り入れています。「避難行動に関してはVRの方が、津波が迫ってくる映像を見てリアルに感じて動くことができるのでよかった」コロナ禍だったからこそVR実験を始めて、その良さに気づいたそうです。逆境もプラスに変える成田さん。今後の展開も注目ですね!

第1373回「トルコ・シリアで大地震~現地の状況は」
オンライン:AAR Japan[難民を助ける会]東京事務局 プログラムコーディネーター 栁田純子さん

トルコ南部で6日未明に発生した大地震では、死者数が隣国シリアと合わせて2万人を超えました。行方不明の被災者の生存率が下がるとされる「発生から72時間」が過ぎた後も、懸命の救助活動が続いています。しかし、大規模な建物の倒壊が広い範囲で起こり、冬の厳しい寒さも影響して、作業は難航しています。現在、日本のNPO法人などが被災者支援に動いています。
AAR Japan[難民を助ける会]は、トルコで緊急支援物資の配布など救援活動を始めました。AAR Japanは1999年のトルコ地震で支援活動を行い、2012年からはトルコに避難してきたシリア難民の支援を続けています。今回の地震が発生した後はすぐに、イスタンブール事務所の現地職員らが被災地に入り、トルコ南東部のシャンルウルファ県内で、被災者に毛布や子ども用おむつなどを配布しました。プログラム・コーディネーターの栁田純子さんは「現在は生き延びるための物資面での支援だが、今後はコミュニティの復興や心のケアなど長期的な取り組みが必要になる」と話します。現地の状況と私たちができる支援について、栁田さんに話を聞きます。
  
AAR Japan[難民を助ける会]
https://aarjapan.gr.jp/
   
西村愛のひとこと
「被災地へ物資を届けよう!」という車が渋滞を引き起こしてしまって、物資の到着が遅れている現実がある、とのこと。私たちが募金をして、現地の商店で購入してもらうと現地の方の収入にもなるし、物資をスムーズに届けることもできますね。古本やCDの寄付で募金ができることも初めて知りました!

第1372回「阪神・淡路大震災28年【5】~災害時の公衆電話」
電話:喫茶店カーナ店主 岡本美治さん

携帯電話の普及で利用する人が減り、街角から姿を消しつつある「公衆電話」。しかし、公衆電話は停電が起きても使うことができて、通信障害の影響を受けにくいので、災害に強い電話です。
今回の番組ゲストは、神戸市須磨区の喫茶店「カーナ」の店主・岡本美治さんです。岡本さんのお店は、阪神・淡路大震災で全焼しましたが、その2週間後には、焼け野原になった店舗跡地にビーチパラソルを立て、青空喫茶店をオープン。無料で被災者へ温かいコーヒーを提供しました。
そして、2か月後の仮設店舗オープン時には、NTTに掛け合い、店の前に公衆電話を設置。家族と連絡を取りたいという被災者が次々と集まりました。
今は使う人がほぼいない店先の公衆電話ですが、阪神・淡路大震災の教訓から、岡本さんは28年経った今も守り続けています。番組では、災害時の連絡手段として、その意義が改めて見直されている公衆電話について考えます。
   
西村愛のひとこと
離れて暮らす家族や友人との電話で、ほっとしたり、涙を流し語り合う。被災後の大変な暮らしの中で心の支えになる公衆電話の存在は大きいですね。私も子どもたちと公衆電話を探して"防災さんぽ"をしてみました。実際に、番号をプッシュして祖母に電話をかけてみると新鮮だったようで、楽しんでいましたよ。

第1371回「阪神・淡路大震災28年【4】~震災経験を母国ペルーの防災教育に活かす」
ゲスト:FMわぃわぃ理事 ひょうごラテンコミュニティ代表 大城ロクサナさん

29日は、阪神・淡路大震災の教訓を海外の防災教育として役立てようというプロジェクトを取り上げます。
「ひょうごラテンコミュニティ」代表の大城ロクサナさんは、1991年にペルーから来日し、4年後に神戸市須磨区の自宅で被災。日本語がわからない中で1か月半の避難所生活を経験しました。その体験を原点に、日本に住む南米出身者たちに向けた防災を含めた生活支援活動を開始。2000年からは「FMわぃわぃ」でスペイン語番組を担当し、避難や備えなど防災の必要性を伝え続けてきました。
大城さんは今年2月にはペルーに渡り、約1700人が通う学校で避難訓練や防災教育に取り組む5年間のプロジェクトをスタートさせる予定です。神戸発の防災教育を「BOSAI」として、ペルー全土の学校に広げたいと考える大城さんに、その思いを聞きます。
   
西村愛のひとこと
阪神・淡路大震災で被災した時は日本語がわからず、避難する時も、その後の暮らしも大変困ったと語る大城さん。『日本に住むみなさんが海外旅行をしたときにも災害が起こるかもしれません。』というお話も。現地の避難場所はどこか、避難所でのルールなど調べておくことも大切な備えだなと感じました。
  
「ネットワーク1・17」のスタッフが制作を担当するドキュメンタリー番組
映像'23 「即死の真相~阪神・淡路大震災28年の証言~」
1月29日(日)24時50分から放送
https://www.mbs.jp/eizou/