第1327回「東日本大震災11年【5】若者が語る故郷・石巻市雄勝町への思い」
オンライン:宮城県石巻市雄勝町在住 藤本和さん

東日本大震災11年のシリーズ、今回のテーマは「若者が考える故郷の未来」です。震災をきっかけに過疎化が進む地域も多い中、生まれ育った宮城県石巻市雄勝町に戻り、まちづくりに関わる藤本和(のどか)さん(22)がゲストです。
藤本さんが震災を経験したのは小学校5年生の時でした。教室で掃除中に地震にあい、校庭へ避難。車で迎えに来た母親と高台を目指す途中、背後から黒い波が迫ってきたので、車を乗り捨てて崖を駆け上がったといいます。山上から見た津波の光景が忘れられず、15歳から語り部としての活動を始めます。
自宅が全壊したため、一家は雄勝を離れていましたが、藤本さんは高校卒業後、ひとりで地元に戻ります。築93年の廃校をリノベーションした子ども向け学習施設「モリウミアス」に就職。訪れた人に、海産物など自慢の産品を味わってもらうとともに、漁業体験などを通じて雄勝の魅力を伝えています。
震災前は4000人が暮らした雄勝町も、今は1000人未満に人口が減少。それでも、「震災で壊れてしまった町を、自分たちの世代で新たにつくっていく」と未来を見据える藤本さんに、震災11年の心境と故郷への思いを聞きます。

西村愛のひとこと
語り部として、防災の種まきをしながら、雄勝の新たな未来を創りだそうとしている藤本さん。
津波で自宅や様々な建物が流されて人口も減ってしまった故郷の雄勝町を、自分たちの世代で新たに作っていきたい!と語る声。エネルギーがあって、明るい未来を感じました。実際に雄勝町へ藤本さんの語りを聞きにいきたいと思います!

第1326回「東日本大震災11年【4】~NEWS 小山慶一郎さんが見つめた被災地」
オンライン: NEWS 小山慶一郎さん

アイドルグループ「NEWS」の小山慶一郎さんは、テレビ番組の取材などで東日本大震災の被災地に通い続けてきました。訪問回数はこの11年間で100回を超えます。初めて行ったのは2011年4月。仙台空港周辺で、津波の爪痕が生々しく残り、子どものおもちゃや家族写真などが散乱する「生活が突然奪われた」光景に、足が震えたといいます。
その後、宮城県南三陸町では、海鮮料理店を営む高橋さん夫妻の変化を目のあたりにしてきました。店を津波で流され、生きる気力を失って無表情で支援者にお弁当を配っていた高橋さんが、少しずつ店の自慢メニューなどを笑顔で話してくれるようになり、仮設商店街で店を再開できると決まったときには喜びでいっぱいの表情を見せたといいます。
気仙沼市も何度も訪れ、震災発生の年に生まれた男の子の成長を見てきました。男の子の母親は夫と幼い娘を津波で失い、ひとりで懸命に男の子を育ててきました。「男の子がもう少し大きくなったら震災のことも話してみたい」と小山さんは言います。
被災地取材を続けながら防災士の資格を取得した小山さん。さまざまな機会に備えの大切さを訴えています。「どこに避難するか、どうやって連絡を取り合うか、家族会議をしっかりしておいたほうがいい」というのが、被災地の人たちから学んだことだそうです。小山慶一郎さんに、東北で出会った人たちの話をじっくり聞きます。
 
西村愛のひとこと
小山さんは『いつどこで地震が起こるかわからない。僕らは備える時間をもらってるんだ』と語ります。今回、被災した方の想いを聞いて、私も家族を守るためにしっかり備えなければ、と強く感じました。小山さんがおすすめする備えは"家族会議"。避難場所は?どうやって避難する?連絡手段は?いざという時の安心につながりますね。

第1325回「東日本大震災11年【3】~小児甲状腺がん患者が東電提訴」
オンライン:「311子ども甲状腺がん裁判」弁護団長 井戸謙一さん

東日本大震災と福島第一原発事故の発生から、今月11日で11年を迎えました。
原発事故による放射線被ばくの影響で小児甲状腺を発症したとして、事故当時6歳~16歳で福島県内に住んでいた男女6人が、今年1月、東京電力に合わせて6億1,600万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴しました。今月2日に行われたオンラインイベントで原告の女性は、「手術を受けたが、がんが転移し完治は難しい状態。将来のことを考えると不安で、結婚や出産など将来のことはまだ考えられない」と話しました。
福島県は、事故当時おおむね18歳以下だった子ども約38万人に対して継続的な甲状腺検査を行い、266人が、がんまたはがんの疑いと診断され、222人が手術しました。原告の中には、4度の手術を経験している人もいます。
家族も複雑な思いを抱えています。ある原告の祖母は、「私の(放射線に対する)対策が間違っていたのではないか、もう少し離れていれば、もう少し空気を吸わないようにすればよかったのではと後悔した」と話します。原告側は、がん発症と事故は因果関係があると主張していますが、福島県は、甲状腺がんの発症について「放射線の影響は考えにくい」との見解を示しています。裁判では、がんの発症と原発事故との因果関係が最大の争点になると見られています。
弁護団によると、住民が甲状腺がんの発症を理由に原発事故の被害を訴える訴訟は今回が初めてだといいます。事故発生から11年もの月日が経った今なぜ、訴訟を起こしたのでしょうか。
「311子ども甲状腺がん裁判」弁護団長の井戸謙一さんとオンラインでつなぎ、原告やその家族の声も交えてお伝えします。
 
西村愛のひとこと
悩みに悩んで、一歩踏み出した原告の皆さん。この若さで裁判を起こすのは、同じように苦しんでいる子どもたちにも明るい未来を!という強い想いがあったから。復興が進む中『私たちの話は風評被害につながるとらえられてきた』という言葉で、どれだけつらい想いをされてきたのか伝わってきました。何が原因で今に至ったのか。今後の裁判に注目していきたいと思います。

第1324回「東日本大震災11年【2】~娘を捜して」
オンライン:汐笑プロジェクト 木村 紀夫さん

福島県大熊町の木村紀夫さんは、妻と父親、そして小学校1年生だった次女の汐凪(ゆうな)さんを津波で失いました。父親は4月、妻は6月に遺体が特定されましたが、汐凪さんの遺体や遺骨だけが発見されませんでした。近隣を捜索したくても、原発の影響で避難を余儀なくされ、思うように進みません。やがて、住民の一時帰宅が少しずつ可能になって、移住先の長野県白馬村から大熊町に通い、防護服に身を包んで土を掘り起こす日々が始まりました。
そして、震災発生から6年近くが経過した2016年12月、重機での捜索により、マフラーに包まれた汐凪さんの遺骨が発見されました。ほっとした反面、家族に津波避難の知識を教えなかったことへの後悔の念が強まったと語ります。
東日本大震災では、現在も2500人以上が行方不明のままです。時間の経過とともに大規模な捜索活動も少なってきました。「復興」が強調される中、肝心の捜索や家族の気持ちがないがしろにされている現実もあると木村さんは指摘します。それでも、「遺族としての後悔を次につながる教訓にしたい」と、自身の体験を語り続ける木村さんに、震災11年の思いを聞きます。

大熊未来塾~もうひとつの福島再生を考える~
定期オンライン第8回

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西村愛のひとこと
地震と津波でがれきだらけになった町並みに、少しずつ建物が増えていく。それは遺骨を探す場所が少なくなるということでもあります。木村さんは『故郷の復興に遠慮して、行方不明の方の遺骨を探したい気持ちを閉じ込めてしまう人もいる』と話します。さまざまな事情はあると思いますが、被災した方の気持ちを大切にした復興であってほしいと願います。