第1325回「東日本大震災11年【3】~小児甲状腺がん患者が東電提訴」
オンライン:「311子ども甲状腺がん裁判」弁護団長 井戸謙一さん

西村)東日本大震災、福島第一原発事故の発生から一昨日で11年を迎えました。原発事故の発生から時間が経った今、ある裁判が起こされました。事故による放射線被ばくの影響で小児甲状腺がんを発症したとして、事故当時6~16歳で、福島県内に住んでいた男女6人が今年1月、東京電力に損害賠償を求める裁判を起こしました。裁判を起こした原告はどのような状況におかれていて、裁判で何を訴えるのでしょうか。
きょうは、裁判の弁護団長をつとめている弁護士の井戸謙一さんとオンラインでつなぎ、原告や家族の声を交えて伝えます。
 
井戸)よろしくお願いします。
 
西村)この甲状腺がんの裁判。原告は、どのような状況や思いから提訴に踏み切ったのでしょうか。
 
井戸)裁判を起こしたのは、事故当時6~16歳、現在17~27歳の若者6人。小児甲状腺がんは、中高年には多い病気ですが子どもにとっては珍しい病気です。福島の事故前は、小児甲状腺がんになる子どもは、年間100万人に1人か2人しかいませんでした。福島県には子どもが38万人いるので、福島県内で2年に1人出るか出ないかという計算。ところがこの11年間で今わかっているだけでも293人の小児甲状腺がん患者がいるんです。
子どもが甲状腺がんと診断されたら、何故そんなに珍しい病気にかかってしまったのかと思いますよね。甲状腺がんにかかる一番の原因は被ばくなんです。福島の子どもたちは大なり小なり被曝をしているので、多くの子どもたちや家族は、原因は被ばくではないかと思うわけです。でも、今の福島でそのようなことは口に出せません。そのようなことを口に出すと復興の妨げになり、風評被害を招くといわれて、周りからバッシングされるので、子どもたちや家族は孤立して息を潜めるようにして生活してきたのです。
でも不安だし、このまま立ち止まっているわけにはいかない。何らかの形で前へ進みたいということで、今回6人の若者が「自分が小児甲状腺がんになった原因は被ばく」ということを認めてほしいと決意して裁判を起こしました。

 
西村)今月2日、原告が想いを語るオンラインイベントが行われました。事故当時、6~16歳で、現在の年齢は10~20代という若者です。東京電力を相手に提訴に踏み切った思いについて、原告3人の声をお聞きください。
 
音声・原告女性)高校生のときに甲状腺がんと診断され手術を受けました。しかし、その後再発。遠隔転移もしていて、完治は極めて難しい状態にあります。将来のことを考えると不安で、結婚や出産など先のことは考えられないです。原発事故との因果関係はないといわれていますが、事故後、多くの子どもたちが甲状腺がんになっているのはなぜか原因を認めてほしいです。そしてこの裁判が少しでも孤立しているほかの甲状腺がんのみなさんの力になればと思います。
 
音声・原告女性)11年の間に私のほかに約300人もの子どもたちが甲状腺がんになっています。このような状況にもかかわらず、この甲状腺がんと原発事故との因果関係は認められないと、検査序盤から言われたり、検査縮小、過剰診断論を主張したりする動きがあります。福島県の子どもたちの健康、また私以外の甲状腺がんと診断された約300人の子どもたちのためにも、この裁判に挑み勝つことで、このような動きを止めて、甲状腺検査の継続、または甲状腺がんと診断された子どもたちへのしっかりとしたサポート体制を実現していきたいと思っています。
 
音声・原告男性)僕は男性ですが、なぜ女性特有の甲状腺がんになってしまったのかずっと疑問に思っていました。甲状腺がんに関してさまざまな情報がありますが、どれが真実でどれが嘘かは僕1人では判断できない難しいもの。この裁判を通して何が真実なのかということを証明していけたらと思います。

 
西村)3人の声を聞いていただきました。自分のためではなく、同じように苦しんでいる甲状腺がんになった子どもたちのためにも裁判に挑もうと思ったのですね。
 
井戸)裁判を起こそうと考えたとき、最初の理由は、将来に対する不安だったと思います。将来再発することを不安に思っているからです。それに備えるのは医療保険ですが、もうがんがあるので、医療保険には入ることができない。そうなると、やはり東京電力に補償してほしいという思いがあったのだと思います。そんな中、裁判を起こすことについて悩み決断したのは、これが自分たちだけの問題ではないということがあるからです。自分たちがずっと孤立して苦しんできたように、300人近い仲間が苦しんでいる。自分たちが声を上げることで、そのような人たちに勇気を与えることができるし、自分たちだけが救済されるのではなくて、被爆して病気になった人たちに制度的な補償をしてほしいという思いが裁判を起こす後押しになったのだと思います。
 
西村)福島県は原発事故時点でおおむね18歳以下の子ども約38万人に対して、甲状腺の検査を継続して実施してきました。それによるとがんやがんの疑いと診断されたのは266人。そのうち手術を行ったのは222人と発表していますが、先ほどの井戸さんの話では293人。数が違いますがどういうことでしょうか。
 
井戸)それは福島県民健康調査の枠内でがんと診断された人が266人ということ。その枠外で自主的に病院に行って調べた子どもたちの中で、がんと診断された人が27人います。合計すると293人ということになります。
  
西村)なぜ枠外の検査になってしまったのでしょうか。
 
井戸)福島の人たちには、福島県に対する不信感があります。県民健康調査の診断が信用できないという不信感から、自主的に甲状腺の専門病院に行って調べた人が相当数いるからです。
  
西村)先ほどの原告インタビューの中で、甲状腺がんと原発事故の因果関係は認められないという言葉が印象的でした。福島県の健康調査に関する検討委員会は、甲状腺がんの発症について放射線の影響は考えにくいという見解を出しています。先ほどのインタビューで語られたことと重なりますね。これに関して、井戸さんはどのように考えていますか。
 
井戸)全く説得力はないと考えています。最初はスクリーニング効果の影響といっていたんです。
 
西村)スクリーニング効果とは。
  
井戸)甲状腺がんは、がん細胞ができて、外から見てもわかるぐらい大きくなったり、声が出にくいなどの症状が出たりして、発見されます。それが子ども100万人に1人か2人だったわけです。しかし、スクリーニング検査をすると、症状が出る前のがんを発見してしまうから、たくさんがんが発見されたのだと最初は説明していたんです。
 
西村)以前よりも検査をした人の数が多いからということですね。
 
井戸)症状が出る前に検査をすると、何の症状もないのに調べたらがん組織があることがわかってしまう。そのまま放っておいたら、将来5~10年後にがんが発見されるものを、早い段階で見つけてしまっているという説明をしていたんです。でもあまりにその数が多くてそれでは説明しきれなくなり、過剰診断論が強くなりました。何の悪さもしない甲状腺がんは、スクリーニング検査をしなければ、一生気がつかないまま終わる。しかし、スクリーニング検査をすることによって発見され、がん患者だと思うことがストレスになり、手術をする。そのような手術は必要のない手術で、かえって子どもに負担をかけてしまう。これは子どもの人権侵害なので、県民健康調査のスクリーニング検査をやめるべきだという議論です。今は、過剰診断なのか、被ばくによる過剰発生なのかという議論になってきています。でも過剰診断ではないと私たちは考えています。
 
西村)実際に、幼い頃に甲状腺がんになった人は、どのような生活をしているのですか。
 
井戸)正社員やアルバイトで働いている人もいます。希望の大学に入ったけど手術や体調不良で退学せざるを得なかった人もいますし、希望の会社に就職したけど、手術や体調不良で辞めざるを得なかったという人もいます。自分の描いていた人生設計が狂ってしまったという人が何人もいます。みなさん再発の危険に怯えています。6人中4人が既に再発していて、そのうち1人は、再発を繰り返して、既に4回手術を受けているんです。
 
西村)4回も!
 
井戸)6人中1回手術をした人が2人。2回が3人、4回が1人です。甲状腺がんは、決して軽い病気ではなく、転移すると大変なリスクがあります。肺転移や骨転移をすると命の危険もあります。6人のうち1人は既に肺に転移していることが指摘されています。みなさん今後の人生、将来像を描けない状況に追い込まれていて、転移について非常に不安を抱えています。
 
西村)先ほどの原告インタビューの中で、女性が結婚や出産など将来のことは考えられないと話していましたね。
 
井戸)不妊治療には、甲状腺ホルモンが必要。甲状腺を全摘しているので、ホルモン剤を一生涯飲み続けなければならないのです。 
 
西村)生涯薬を飲まなければならないんですね...。
 
井戸)ホルモン剤の調整というのは、難しくて多すぎても少なすぎてもダメ。お医者さんが調整してくれるのですがうまくいかないと体調が悪くなる。再発しなくても生涯そのような問題を抱えて生きていかなければならないのです。
 
西村)そのような生活を送る子どもを見守っている家族がいます。先日行われたオンラインイベントの中で、原告の祖母、母親が語った声をお聞きください。
 
音声・原告の祖母)私の対策が間違っていたのかなと。もう少し離れていれば、もう少し空気を吸わないようにすればよかったのかなと。甲状腺がんになったときも後悔したのですが、再発したときはさらに後悔しました。
 
音声・原告の母)最初にがんといわれたとき、医者からは取れば大丈夫といわれ疑問に思いましたが、再発を繰り返しました。一生薬を飲み続けなければならない。これはすごく大変なことだと思います。そんな思いを子どもにかせてしまったという気持ちがすごく強いです。

 
西村)私も2人の子どもがいる母親なので、同じ状況になったらどう行動すべきかと考えます。子どもが甲状腺がんになった親御さんは、責任を感じてしまっているのですね。
 
井戸)原発事故が起こったとき、ほとんどの人が子ども守るための知識を持っていなかった。行政からの指示も何もなかったんです。そんな中で、みなさん必死に子どもを守ろうとしたのですが、このような状況になってしまって。自分がもっと知識を持っていれば、有効な対策をとっていればこんなことにならなかったのではないか、自分の不手際のために、知識不足のために子どもをこんな目にあわせてしまった、と親御さんたちは自分を責めています。
 
西村)住民が甲状腺がんの発症を理由に原発事故の被害を訴えたのは、今回が初めて。原発事故の発生から11年目の訴訟で原告はわずか6人です。なぜこれだけの時間がかかったのでしょうか。オンラインイベントで原告の女性が語った声をお聞きください。
 
音声・原告女性)原発事故が起きた当時、「県外に避難したとき、ガソリンスタンドで帰れといわれた」「福島県出身という理由で婚約を破棄された」という話を避難者からよく聞いていて。福島県民という理由だけで、差別される環境が続いていました。それに加えて、復興に向けた動きが強まって、私たちの話題は風評被害に繋がっていると捉えられた10年でした。なかなか声を上げられるような状況ではなかったのですが、時効を迎えてしまったらどうしようもないので、今このタイミングで声を上げることを決めました。
 
西村)このような問題に時効はあるのですか。
 
井戸)一応10年ということになっています。甲状腺がんがわかってから10年と考えるとそろそろ時効が近づいている。このタイミングが最後だという考えがあります。
 
西村)長い時間かかったというのは、それだけ甲状腺がんの人は声を上げることが難しかったのでしょうか。
 
井戸)普通なら、甲状腺がんになった子どもや家族が結びついて家族の会などが作られて、みんなで話し合って裁判しようという流れになります。今の福島の雰囲気の中では、そのような声を上げられないので、横の繋がりがほとんどない。誰が甲状腺がんにかかった子どもなのかがわからないんです。結局家族だけで息を潜めるようにしてずっと生きてきた。そんな状況で、このままでは納得できないから訴訟を起こそうと考え、弁護士に相談する中で、同じような人がいることがわかって少しずつ繋がるまでに11年かかったのだと思います。
 
西村)弁護団長の井戸さんは、今回の裁判にどのような思いを持って挑んでいるのですか。
 
井戸)みなさん大変な思いで決断をしたので、あのとき決意してよかったと思えるような結果を生み出さなければならない。それが弁護団の責任だと思っています。この裁判は決して負けることがあってはならない裁判だと思っています。福島の事故後、住民を被曝させない対策、被ばくによる健康被害の可能性を調査して補償する体制がこの国には全くありません。小児甲状腺がん以外にも、被ばくによる健康被害がある被害者はたくさんいると思っています。そのような国の姿勢を変えていくために非常に重要な裁判だと思って、気持ちを引き締めています。
 
西村)今回の訴えを受けて東京電力は主張を詳しく伺った上で、誠実に対応するとコメントしています。そして福島県は甲状腺がんの発症について、放射線の影響は考えにくいとの見解を示しています。裁判では、がんの発症と原発事故の因果関係が最大の争点になるとみられています。今後の裁判についても注目していきたいと思います。
きょうは、子ども甲状腺がん裁判弁護団長の井戸謙一さんにオンラインでお話を伺いました。