第1262回「阪神・淡路大震災26年【1】~10代の語り部たち」
ゲスト:「1.17希望の架け橋」代表 藤原祐弥さん
               副代表 村田陽菜さん 

西村)今月17日で、阪神・淡路大震災の発生から26年を迎えます。
神戸市では、ほぼ半分の市民が市外から引っ越してきたか震災後に生まれて、阪神・淡路大震災を経験していないとみられています。
年々風化が叫ばれる中、十代の若者たちが震災を語り継ぐ活動を始めています。
きょうはその若いお二人がゲストです。
「1.17希望の架け橋」代表 藤原裕也さん、副代表 村田陽菜さんです。
  
藤原・村田)よろしくお願いします。
  
西村)「1.17希望の架け橋」という団体は、藤原さんたち、阪神・淡路大震災を経験していない若い人が設立されたグループなのですよね。どんなグループか教えていただけますか。
  
藤原)現在、15~21歳までのメンバー22人で活動中です。
  
西村)若い世代ですね。
 
藤原)一番若い世代では、高校1年生から参加してくれています。
 
西村)ということは、みなさん阪神・淡路大震災の後に生まれた世代なのですね。
 
藤原)全員が阪神・淡路大震災より後に生まれた世代で、過去の経験などを語り継いでいこうと活動しています。 
 
西村)設立はいつですか?
 
藤原)去年の10月です。

西村)藤原さんは、去年高校を卒業したばかりの18歳だそうですね。学生さんですか。
 
藤原)社会人1年目です。
 
西村)村田さんも藤原さんと同い歳で、関西学院大学の1年生です。なぜ震災を経験してない世代で震災を語り継ぐグループを作ろうと思ったのですか。
 
藤原)一昨年の神戸ルミナリエで、初めて舞子高校の環境防災科からブースを出して、震災を経験した人に話をしたり、聞いたりしました。その時に、震災を経験した人に若い世代の人たちは希望だということを言われたので、今後も率先してボランティア活動をしていきたいと思いグループを作りました。神戸ルミナリエや1.17の集いなどでも活動していこうと思っています。
  
西村)ということは、舞子高校の先輩・後輩が多いのですか。
  
藤原)半分ぐらいが舞子高校の環境防災科の卒業生や在校生です。ほかにも村田さんのように県外から来てくれた人や、高校時代に防災で繋がった友達を集めてグループを作りました。
  
西村)村田さんは、県外から来たということなのですが、どちらの出身ですか。
 
村田)私は三重県出身です。
 
西村)阪神・淡路大震災のことは知っていましたか。
 
村田)阪神・淡路大震災が起きたことは知っていたんですけど、それに関する教育を受けたことはなかったです。
 
西村)藤原さんと村田さんはどこで知り合ったのですか。
 
村田)一昨年、東日本大震災の被災地で防災ボランティア授業があり、私たち三重県の高校生も参加したのですが、兵庫県からも高校生が来ていて、そのボランティアの現場で知り合いました。
  
西村)藤原さんたち、舞子高校のみなさんはどんな印象でしたか。
 
村田)代表の藤原君と一緒のチームで活動したんですけど、自ら話しかけに行く姿を見て、防災に対する意識や震災を語り継ぐ想いの強さを感じました。
 
西村)これまで阪神・淡路大震災とはどのような繋がりがあったのでしょうか。
 
藤原)神戸市の小中学校では、阪神・淡路大震災が起きた1月17日が近づくと防災教育があります。震災に関する授業も多かったので、阪神・淡路大震災を身近に感じていました。しかし、自分が聞いただけで終わってしまっていて、聞いた内容を語り継ぐ場がないと中学生の時から感じていたのです。
 
西村)ご家族から阪神・淡路大震災の話を聞いたことはありますか。
 
藤原)おばあちゃんに話を聞いたことがあります。僕のおじいちゃんは、今僕が勤めている建設会社の社長なのですが、震災当時の話をおばあちゃんから聞きました。
おじいちゃんは、震災後の復興事業に取り組んでいたそうで、崩れた町を見て「どこから手をつけたらいいのだろう」と毎日のように言っていた、とおばちゃんに聞きました。大変な思いをしたのだなと思いました。

 
西村)どのような復興事業に携わられていたのでしょうか。
 
藤原)仮設住宅の建設や瓦礫の撤去などに従事していたと聞きました。
 
西村)語り継ぐ活動をしたいと思ったのはなぜでしょう。
 
藤原)おばあちゃんや、一昨年から参加している神戸ルミナリエでの語り部活動で、震災を経験した人から話しを聞いて、たくさんの想いを自分たちが次世代に語り継いでいくことが僕たちの使命と思ったからです。
 
西村)震災を経験してない世代であり、震災を経験してない地域で生まれ育った村田さんが語り継ぎをしようと思ったのはなぜですか。
 
村田)東日本大震災のボランティアで震災を経験した人から話を聞いて、いろいろなことを学んだことが大きいです。
これから南海トラフなど大きな地震が予想されている中で、もっと過去の災害から学ぶべきだと思っていて。私たちが語り継いでいかなければいけないと思っています。

 
西村)一番印象に残っている話は?
 
村田)津波で大きな被害を受けた宮城県・石巻市の大川小学校に行った時に、娘さんを亡くした人から話を聞きました。
言葉一つ一つに「子どもたちをなぜ守れなかったのか」という想いがすごく強く表れていて。
その想いを感じ取った時に、私はこの経験を次世代に繋いで行かなければいけないと強く思いました。

  
西村)「1.17希望の架け橋」は、先月、本格的な活動を始めました。神戸市中央区の東遊園地で、震災を語り継ぐ活動です。
毎年12月に、東遊園地では、震災の犠牲者への鎮魂の祈りを込めた「神戸ルミナリエ」が開催されていますが、今回は新型コロナウイルスの影響で初めて中止となりました。
代替事業として、いつもよりかなり小規模ではありますが、東遊園地に光の装飾が灯されました。
その会場で活動するようすを、番組スタッフが取材しました。
取材した日は、語り継ぎの活動のほかに、来場者に紙灯篭のメッセージを書いてもらう活動を行っていました。
そのようすをお聞きください。
 
音声・女性メンバー)あちらで、みなさんに震災への想いを紙灯篭に書いてもらっているので、ぜひ書いてください。
 
音声・来場者)わかりました。書いてみますね!
 
音声・女性メンバー)お願いします!
 
音声・男性メンバー)これは、地震が起きたあとの写真です。家が傾いたり、電信柱が倒れたり。
 
音声・子ども)反応する声

   
西村)最後に聞いていただいたのは、阪神・淡路大震災当時の写真の説明をしている場面です。写真を熱心に見つめる4歳の男の子に語りかけるシーンでした。
このイベントでは、震災の語り継ぎはどのように行っていたのですか。
  
藤原)震災当時の写真を用いて、地震の怖さや恐ろしさを伝えました。自分たちは震災を経験していない世代ですが、次世代にどんどん語り継いでいかなければならないので、自分たちより若い世代に向けて活動をしました。
 
西村)どれぐらいの年齢の人が来ていたのでしょうか。
 
藤原)震災を経験した世代の人はもちろん、高校生や中学生、幼稚園児まで来ていました。そんな人たちに、26年前にあったことを伝えました。
 
西村)若い世代の人はどんなふうに語っていましたか。
 
村田)若い世代の人は経験してないけど、小さい頃から神戸市で育って、阪神・淡路大震災のことを学んできたという人が多かったです。特に紙灯籠は積極的に参加してくれたのでうれしかったです。
  
西村)震災を経験した人は、どんなふうに話していましたか。
 
藤原)震災当時の写真を見せると、当時の話を詳しく話してくれました。
 
西村)震災を経験していないみなさんが、震災をよく知っている人に話しかけるというのは、勇気がいることではなかったですか。
 
藤原)初めはすごく躊躇しました。震災を経験していない自分たちが語って良いのかという不安は大きかったのですが、震災を経験した人に話をすると、若い世代はこれからの希望だから、どんどん語り継いでいって欲しいと言っていただきました。
 
西村)新たに学んだことや気付いたことはありましたか。
 
藤原)阪神・淡路大震災から今年で26年目になりますが、当時の記憶はまだ鮮明に残っているし、思い出すとすごく涙が溢れてくるという人もいて。
阪神・淡路大震災はまだ終わってないということを改めて感じました。

 
西村)村田さんは、被災した人からの話を聞いて、どんな風に感じましたか。
 
村田)「どんな備えができますか」という質問に「耐震対策や防災グッズを揃えて備えをしても、地震が起きたら焦って何もできなくなる。一番必要なのは心の備えなんだよ」と答えてくれた人がいて。
それを聞いて、阪神・淡路大震災の記憶を忘れずにいることの大切さを改めて感じました。

 
西村)本当にそうですよね。どれだけ準備していても心の中で想像ができていないと何も行動できないと思います。
実際に番組スタッフが取材した日は、多くの人が足を止めてみなさんの話を聞いたり、紙灯篭にメッセージを書いたりしていました。
来場者に感想を聞きました。
 
音声・来場者A)若い子たちが頑張ってイベントやっているので、気になって参加してみました。紙灯篭に「命の大切さを次世代に語り継ごう」と書きました。このような震災に思いを馳せるイベントがあるのは良いことだと思います。
 
音声・来場者B)阪神・淡路大震災は知っていたんですけど、僕は九州出身で、まだ生まれていなかったので当時の状況は知らないです。 震災後に生まれた人たちが上の世代から聞いたことを伝えてくれるから、今日知ることができました。自分も次世代に伝えていきたいですね。
 
西村)最後の方は、イベントに来たわけではなく、別の場所に行こうと歩いている時にたまたまみなさんの活動をご覧になった21歳の男性。すごく熱心に今のような感想を語ってくださいました。今の声を聞いて、どんな風に感じられましたか。
 
藤原)若い人が活動しているところを見て、震災に触れる良いきっかけになって良かったです。
 
村田)私と同じように、震災を経験していない人が阪神・淡路大震災のことを知ろうとしてくださるのは、とてもうれしいことです。

 
西村)みなさんが活動を始めたおかげで、さらに多くの人に阪神・淡路大震災の話が伝わっていくことはうれしいですね。被災した人にとっても大きな一歩になると思います。初めての本格的な活動を経て、今感じることは何ですか。
 
藤原)「神戸ルミナリエ」では、若い世代の人がたくさん足を止めて見てくれたので、自分たちの目標である若い世代への語り継ぎ活動はできたと思います。
 
西村)具体的に手ごたえのあったシーンや言葉はありましたか。
 
藤原)「神戸ルミナリエ」は、阪神・淡路大震災がきっかけで始まったということを初めて知ったという話を聞きました。
  
村田)私は想像以上に、この活動が自分にとって大きなものになっています。
小学生や幼稚園の子どもたちに語りかけた時に、写真を見た子どもたちが、「私こんなこと知ってるよ」と積極的に話してくれて。
これが語り継ぐ、次世代につなぐということだと肌で感じることができました。もっと活動していきたいし、ここで終わらせたくないと思いました。

  
西村)私は2児のママで、7ヶ月の女の子と4歳の男の子がいるのですが、子どもたちにどのように語り継いでいこうかと常々考えているんです。自分よりも年下の人たちに語り継ぐ時に、大切にしていることはありますか。
   
村田)私が気をつけたのは、言葉を噛み砕くということです。震災を語る上で難しい言葉がたくさんあるので、それをどう噛み砕いてわかりやすく伝えるかというのは、すごく意識したポイントでした。
   
西村)最初に聞いていただいた会場のようすで、4歳の男の子に説明していたメンバーの方もすごく分かりやすい言葉で、ゆっくりと語りかけていたのが印象的でした。
私もいろんな世代の人に震災の話をしていきたいと、お二人の話を聞いて改めて思いました。
語り継ぎの活動は、これからも続いていきます。
1月17日阪神・淡路大震災の発生から26年となる日、東遊園地では「追悼のつどい」が開催されます。
こちらでも活動されるのですか。
  
藤原)新型コロナウイルスの影響で、規模は縮小になったのですが、何らかの活動はしたいと思っています。
  
西村)村田さんはこの「追悼のつどい」にはどんな気持ちで活動したいですか。
 
村田)先月の「神戸ルミナリエ」で、たくさんの事を学んで、たくさんのことを感じたので、その思いを忘れずに活動したいです。震災を経験した人に積極的に話を聞いて、震災を語り継ぐ一歩にしたいです。
 
西村)では最後に藤原さん、今後「1.17希望の架け橋」の活動についてお願いします。
 
藤原)「神戸ルミナリエ」や「1.17追悼のつどい」をメインに活動していきます。自分たちの活動を見て、震災を経験していない人たちも、語り継ぎ活動をしてくれる人たちが増えたらと思います。
  
西村)お二人の想いを聞いて、私も改めて若い世代への語り継ぎはすごく大事なことだなと思いました。私も参加したいと思っています。
今日は貴重なお話をありがとうございました。
今日のゲストは「1.17希望の架け橋」代表 藤原裕也さん、副代表 村田陽菜さんでした。