第1313回「紙芝居で伝え続ける津波防災」
ゲスト:兵庫県高砂市在住 福石健一さん

西村)きょう12月26日は、17年前の2004年にインドネシアのスマトラ島沖地震が発生した日です。マグニチュード9.1という巨大な地震で津波も発生して、死者行方不明者は22万人にものぼりました。私たちの住む日本でも津波が想定される「南海トラフ地震」が近い将来必ず起きると言われています。
そこできょうは、命を守るために防災への意識を持ってもらおうと、地道な活動を続けている方をお招きしました。ネットワーク1・17のリスナーでこの番組にメッセージを送ってくださったことが、出演のきっかけになりました。メッセージをご紹介しましょう。
 
兵庫県 ラジオネーム・KENみちのく さん
「私は、阪神・淡路大震災での被災を免れた身で、そのことを後ろめたく思い生活してきました。次に災害が起きれば、現地に一番に行くと決め、行動してきました。自治体へ転職をしてからは公務で災害派遣に手を挙げるようになりました。2011年3月11日、東日本大震災が発生。私は災害派遣へ志願しました。しかし、予想を超えた被害の惨状に、ただ無力感を抱えて兵庫県に戻り、そこから同じ思いの仲間たちと被災地へ通い続けました。また津波や地震が起きるかもしれません。以前の災害のことが昔話にならないようにみんなが人ごとは自分ごとと意識を変えなければなりません。私は4年前から近所のお父さんと2人で防災紙芝居を作成し、地域の子供食堂、自治会などで上演しています。これからも番組制作頑張ってくださいね」

 
このメッセージを読んで、連絡をとらせていただきました。
KENみちのくさんをご紹介しましょう。高砂市にお住まいの福石健一さんです。
 
福石)よろしくお願いいたします。
 
西村)活動を始めたきっかけは、明石市の職員として東日本大震災の被災地へ行ったことだったのですね。
 
福石)宮城県・気仙沼市に派遣されました。新聞・テレビで見て知ったつもりで現地に行ったのですが、実際に現地で見たものとギャップがありすぎて。見て聞いて感じたことを兵庫県のみなさんにも伝えたいと思ったんです。
 
西村)最初に気仙沼に行ったとき、どんな景色が広がっていて何を見ましたか。
 
福石)最初に行った鹿折地区はトンネルを抜けた瞬間、ぐっちゃぐちゃ。5月末に行ったのですが2ヵ月たってこれかと。昨日津波がきたかのようで愕然としました。
 
西村)支援活動はどんなことをしたのですか。
 
福石)瓦礫の撤去と避難所の後方支援などです
 
西村)東日本大震災の被災地、気仙沼で活動をした後も東北に通い続けているそうですね。
 
福石)どれだけ復旧しているのかを確認するために年2回ぐらい。市民マラソンや現地の市民祭りなどに行っています。
 
西村)ネットワーク1・17のオンラインイベントに出演してくれた門松良祐さんと「気仙沼つばきマラソン」で一緒に走ったそうですね。
 
福石)門松さん、気仙沼で有名なのですぐわかりました(笑)。
 
西村)東北に通い続ける中で、防災紙芝居を作って、地域の子供食堂や自治会などで上演しているとのこと。いつもは杉本さんというお相手と2人で活動しています。子どもたちにも関心を持ってもらうために紙芝居をする前に変身するそうですね。
 
福石)ご当地の戦隊ヒーローに変身します
 
西村)へえ!何レンジャーですか。
 
福石)「そねレンジャー」と言って、高砂市曽根地区のだんじりやおみこしをモチーフにしたヒーローです。
 
西村)地元密着型のヒーローなんですね。杉本さんが「そねレンジャー」になって、福石さんは、何をかぶっているのですか。
 
福石)プロレスのマスクです。
 
西村)おでこのところにひらがなで「ぼうさい」と書いてあります。さらにギターを弾きながら、紙芝居を読むそうです。どんな紙芝居なのでしょうか。きょうは、紙芝居を持ってきてくれたので、リスナーのみなさんと一緒に聞きたいと思います。スタンバイお願いします。
 
津波から命を守る紙芝居「稲むらの火」を題材にした紙芝居。この「稲むらの火」というのは、江戸時代に起きた南海地震のときの実話をもとにした物語です。今の和歌山県広川町が舞台になっています。村に津波が迫ったときに、濱口梧陵さんという人が稲むらに火をつけて、村人たちを高台へいざなって、多くの人の命を救ったというストーリー。
 
紙芝居はイベントなどで後ろの人にも見えるように少し大きいサイズにしているそうです。「稲むらの火」というタイトルと梧陵さんがタイマツを持っている絵が表紙になっています。
 
<紙芝居「稲むらの火」上演>
https://www.town.hirogawa.wakayama.jp/inamuranohi/siryo_inamura.html
 
西村)福石健一さんのギターと紙芝居で伝える「稲むらの火」をお聞きいただきました。素晴らしかったです。

福石)ありがとうございます。

西村)津波の音や火事を知らせる鐘の音をギターでジャンジャンと表現していました。「稲むらの火」のストーリーの中で、効果音として聞くと、恐ろしい音に聞こえて、津波がやってきた様子が目の前に広がりました。ギターの音色を使おうと思ったのはどんなきっかけだったのですか。

福石)2014年に、兵庫県の公民館で佐野史郎さんと山本恭司さんによる「稲むらの火」の朗読コンサートがあったんです。山本恭司さんがエレキギターで効果音を出して、佐野史郎さんが朗読をしていました。それを見て、俳優さんみたいに上手に朗読できないけど、絵を使って紙芝居で同じようなことができないかなと思って。その3年後の2017年に近所のお父さんと一緒に作りました。

西村)近所のお父さんというのが「そねレンジャー」の杉本さんですね。杉本さんも防災に興味があって被災地に行っていたのですか。

福石)熊本地震のときボランティア団体に参加して現地に行っていました。子ども会の役員で知り合ったときに、僕が東北に通っているということ知ってくれていて、連絡をくれたんです。それで、一緒に活動しましょうということになりました。

西村)子ども会のパパ仲間だったのですね。

福石)杉本くんの長男とうちの娘が同じクラスなんです。

西村)すごいご縁ですね。ユニット名はあるのですか。

福石)「高砂発!減災・防災伝え隊」です。

西村)「稲むらの火」の中に登場する濱口梧陵さんは、紙芝居の中で、ごべいさんという名前で登場しています。このごべいさんが、稲むらに火をつけて、村人たちを高台にいざなってみんなを助けたというストーリー。最後のみんなが助かったシーンで本当によかったと思いました。南海トラフの大地震が近い将来、必ず起きると言われている中で、他人ごとではないという気持ちでいっぱいになりました。なぜ「稲むらの火」を紙芝居にして、伝えようと思ったのですか。

福石)「稲むらの火」は、87歳の妻の父が小学校のときに教科書に載っていた話。125年前に小泉八雲が「A Living God」というタイトルで英訳しているんです。それが海外でも防災教育で使われています。被災地で見たものや被災者の話を胸にしまっておくのではなく、日本で本当に起こった安政南海地震の実話を使って、防災活動に役立てなければもったいと思ったんです。

西村)この紙芝居の絵は誰が描いたのですか。

福石)杉本さんと2人で描きました。

西村)画用紙に絵の具で描かれた絵が味わい深くて、すごく心が温まります。緊迫感も伝わってきて、登場人物の気持ちがダイレクトに伝わってくる素敵な絵。こども食堂や地域のイベントで「稲むらの火」を上演して、どんな反応がありましたか。

福石)小さいお子さんはじっと見てくれています。親御さんにも感想をいただき、いつもやってよかったなと思います。

西村)4年前からスタートした「稲むらの火」の紙芝居。続けてきて心境の変化はありましたか。

福石)昔、雲仙・普賢岳の噴火や奥尻島の津波を報道で知って、家から離れた場所の災害だと思っていましたが、東北で実際に被災地を見たら、これは他人ごとではなく自分ごとだと思いました。丹波の水害の際にボランティアにいったとき、現地の人は「まさか自分がこんな目にあうとは思わなかった」と言っていました。熊本地震のとき、八代市に住んでいた後輩が「阪神・淡路大震災や東日本大震災の被災地の人がつらい思いをしたことがわかった」と言っていました。僕も阪神・淡路大震災を思い出しました。そのとき、自分にも油断が生まれてきているとハっとしました。そんな人はたくさんいると思うんです。僕と杉本くんで紙芝居を出前して、できるだけいろんな人に伝えたいと思っています。
 
西村)お体に気をつけていろんな場所で上演してください。きょうは、いろんな気づきをありがとうございました。
きょうは「紙芝居で伝え続ける津波防災」をテーマに、兵庫県高砂市にお住まいの福石健一さんを迎えてお送りしました。