第1277回「熊本地震5年【2】~被災者支援の現場から」
電話:一般社団法人minori(みのり)代表 高木聡史さん

西村)先日14日で、熊本地震の発生から5年となりました。
私も2年前に熊本に取材に行きました。その時に、熊本最大の仮設団地、益城町の「テクノ仮設団地」で出会った「岡本商店」の店主 矢野よしはるさんに先日、久しぶりに電話をしてみました。
岡本商店がある益城町は、熊本市のベッドタウンとも言われている場所です。熊本地震で観測史上唯一、震度7の大きな揺れに2度おそわれた場所です。熊本地震の犠牲者(災害関連死含む)276人のうち、益城町の犠牲者は45人。町内のほとんどの家屋が被害を受け、住宅6千棟以上が全半壊しました。
その益城町にある岡本商店は、名物の「益城プリン」や駄菓子、お惣菜も人気のお店で、明治時代から地元の人々に愛されてきました。しかし店舗は全壊。ご家族に怪我はなかったそうですが、先が見えない日々に途方に暮れたそうです。
やがて岡本商店は、唯一無傷だったオーブンを使ってプリン作りを再開。移動販売からスタートし、県内最大の仮設団地「テクノ仮設団地」内で営業をはじめました。
以前と同じ場所で再建を目指したものの、復興事業の目玉だった「県道の4車線化」により実現不可能に。熊本地震から4年5ヶ月後の昨年9月、元の場所からおよそ2km離れた木山地区にてお店を再建しました。
再建したお店の前には、熊本地震で被災した時の様子がイラストで描かれています。熊本在住の漫画家の方が描いたあたたかなタッチの絵。矢野さんは「子どもたちが益城プリンや駄菓子を食べながら、何気なく見て、熊本地震を知るキッカケになれば」と話していました。お店を再建しても、様々な課題が生まれているとのこと。近くの橋が工事中の為、交通量も大幅に減り、さらに営業時間短縮など新型コロナの影響もあり、お客さんがかなり少なくなっているそうです。再建後も営業するには辛い日々が続いているということです。
今もなお、仮設住宅など仮の住まいで暮らしている人は、益城町だけで276人。「仮設団地などで仮住まいを続けている人々は、なぜ再建できないのか?」と思い、聞いてみました。「土地区画整理事業が完了していないから、住宅や店舗が再建できない」とのこと。土地区画整理事業の完了は2027年度の予定。あと6年はかかるということです。
矢野さんは、「熊本地震のことを忘れられるのが一番怖い。5年経ったが今も一歩踏み出せていない人が大勢いる。応援してくださることが一番の励みになります」と話していました。

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西村)熊本地震は死者276人、そのうち8割は地震後の病気などで亡くなる「災害関連死」でした。何が問題だったのか。きょうは、被災者の支援にかかわってきた人に、5年間の歩みを振り返っていただきます。
地震で家を失った人たちは、最初は避難所や車中泊などの避難生活をします。その後、「プレハブ仮設住宅」や「みなし仮設(行政が民間住宅を借り上げるなどして家賃を負担)」での生活があり、住宅再建や災害公営住宅(いわゆる復興住宅)への入居となります。それぞれの段階でどんな課題が見えたのか。熊本県益城町などで活動を続けてきた「一般社団法人minori(みのり)」代表 高木聡史さんにお話を伺います。

高木)よろしくお願いします。

西村)高木さんは、熊本地震が発生した当初、車中泊の人たちの調査や支援をされていたのですよね。熊本地震では車中泊が多かったという話をよく聞くのですが、なぜ避難所ではなく車中泊が多かったのでしょうか。

高木)まず熊本地震の特徴に、余震が多かったということがあります。本震だと思っていた最初の震度7の揺れのあとに、もう一度震度7の揺れが来ました。最初の揺れは前震だったと読み替えがされるほど、ずっと揺れが続いている状態でした。前震で避難所に行った人も、余震が続いているので中には入らなかった。そのあとの本震で、体育館のガラスが割れて使えなくなりました。そんな経験による建物に対する恐怖心が、車中泊が増えた大きな理由です。

西村)余震が続いていると、建物がいつ崩れるかわからなくて怖くなりますね。余震の恐怖は、阪神・淡路大震災で被災した人も話していました。避難所に行ったけど満員で入れなかった人も多かったのでしょうか。

高木)はい。九州・熊本では、台風を前提に考えられている避難所が多く、地震を想定できていなかった。人数やスペースが全く足りていませんでした。避難所に入ることができた人も、慣れない生活でスペースやプライバシーがないし、食料も十分ではなかった。届く食料もどのように分配するかが決まってないので、行き渡らず不満も。ペットや子どもを連れている人は周りを気にして車中泊に戻っていく人が多かったです。

西村)車中泊の調査はどのような形で行ったのですか。

高木)地震後の4月19日には、最初のエコノミークラス症候群の犠牲者が出て、これは深刻な問題だと。どのような人が車中泊をしているのかを調査することになり、北九州市立大学 社会学部教授の稲月先生に、調査デザインを作っていただきました。インタビュー調査という形で調査し、調査票は200ぐらい集まりました。長い人で2時間くらい話しをする人も。話を聞くことで、怖かった気持ちをシェアしたり、整理できるという効果もあったと思います。

西村)被災者の心のケアにもなったのですね。九州の人だけで調査したのですか。

高木)私たちは被災して苦しい状況なので、全国の繋がりから、東日本大震災や阪神・淡路大震災を支援する関西の団体にも来ていただいて調査しました。大阪の生協さんが、支援物資をたくさん積んだトラックで来てくれて。配達のプロが地図をおこし、ルートを考えてくれました。災害支援の知識を持った団体と地元団体の情報が合わさる形で、すごく有意義な支援ができました。

西村)私も日頃から生協を利用しているので、親近感が湧きます。車中泊の調査はどのような場所で行われたのですか。

高木)車中泊に選ばれやすい場所は、24時間、水とトイレにアクセスできて、明るいところで、防犯や治安面で安心できるところ。何人か集まるけど、お互いに交流はないという状態が車中泊の常です。避難所の近くやスーパーがある場所には、車中泊が集中しやすいという特徴もありました。店が開いてなくても、明かりに安心できるし、トイレにも行くことができます。避難所の近くなら、食料や情報にアクセスしやすいですし。

西村)熊本地震のときの車中泊の問題点は、どのようなことがありましたか。

高木)ひとつはエコノミークラス症候群起きやすいということ。さらに、行政が避難者を把握しにくく、情報や支援が届かない点です。自分たちが被災者の枠の中に収まるのかがわからない人たちもいます。例えば外国人や DVや離婚で悩んでいて罹災証明書が一つしかない人などです。

西村)なぜ罹災証明書が一つしかないのですか。

高木)罹災証明は世帯別に出るからです。建物単位で罹災の程度を判定していくので、2世帯に別れても、戸籍上1世帯であれば、1枚しか出ません。また、地震以前から車中泊をしている人には何のケアもされません。

西村)以前から車中泊をしている人とは。

高木)住居を失って、パートタイムの労働をしながら車中泊をしている人などは、家を借りようと考えていても、被災してしまうと建物がないので罹災証明書が出ません。制度のはざまに入っている人が取り残されやすくなっています。

西村)エコノミークラス症候群とは、改めてどういった症状なのでしょうか。

高木)長い時間同じ姿勢でいることによって、体に血栓ができて、それが脳や肺を詰まらせます。早い場合は20時間以内に症状が出ることも。

西村)どんなことに気を付けたら良いですか。

高木)1時間おきぐらいに外に出て軽く体操する、被災時はトイレに行くことを我慢しがちで、水をあまり飲まなかったりしますが、血液がドロドロ状態にならないように水分をしっかりとることが大事です。加圧ストッキングなどを防災グッズ中に入れておく。または、車中泊が多そうな場所にストックしておくのも良いですね。

西村)エコノミークラス症候群から災害関連死につながった人もいるのですか。

高木)はい。初期だけではなく、避難期間が長く続くとリスクが上がります。気温が上がると熱中症のリスクも。

西村)「車中泊は推奨しない」という行政や専門家の意見もありますが、高木さんはどう考えますか。

高木)車中泊は好んで選んでいるわけではない部分もありますよね。揺れの恐怖から家にいられない、避難所が満員など。義足の人は、トイレが使えないので、車中泊と公園の障がい者用トイレを組み合わせて避難している場合も。そこしか選び得ないこともあるので、車中泊は必ず起きるものとして、サポートや対策について備えていくべきだと思います。現在は、コロナウイルス感染の危険性を考えても、車中泊は一つの選択肢となるのではないでしょうか。

西村)今後の災害時の車中泊対応は、どんなことが必要でしょうか。

高木)車中泊の人が集まりそうな場所=トイレと水に自由にアクセスできて、治安が良く、明るさが確保されている場所に、町内会や施設の管理者などが、バーベキューセットやアウトドア用品を整えていくことで対策ができるのではないでしょうか。

西村)バーベキューセットが役に立ったという話は、熊本地震で被災した人からも聞きました。

高木)アウトドア用品はいざというときに役立つことを再確認しました。車の中はプライベート空間としては、すごくいいのですが、閉じこもりがちになってしまう。バーベキューやテントを張りながら、周りの人と交流したり、話をすることによって、安心できます。プライベート空間と共有空間を自由に行き来できる、安心できるというプラスの要素が多いと思います。

西村)日頃からコミュニケーションが築けるタイプの人は、いろんな人を巻き込んで楽しめると思うのですが、コミュニケーションをとりづらい人は孤立していることも?

高木)二極分化すると孤立した人はわかるので、支援団体がアプローチしやすくなります。また孤立している人について、支援団体に連絡していただけると、個別の支援を届けることもできます。
 
西村)もし私が被災して孤立している人を見かけたら、なるべく声を掛けたいと思います。みなし仮設に住んでいた人はどんな様子だったんでしょうか。
 
高木)みなし仮設に住む人は、周りに同じ状況の被災者がいるわけではないので、周りから孤立しやすいです。被災者だということを自分から話さない限りは、個人情報が保護されているのでわからない。ボランティアさんとも出会えない。高齢者には行政の情報などを噛み砕いて説明してくれる周りの人がいないので、情報が伝わりにくい問題があると思います。
 
西村)その後、災害公営住宅に入居するという流れになっている人も多いですが、熊本で災害公営住宅への入居が本格的に始まったのはいつ頃だったのでしょうか。
 
高木)ちょうど昨年の今頃だと思います。こちらから訪問するのではなく、コミュニティで心配な人がいたら教えてもらう形でシステムを作り、顔合わせ会をしていこうというときに、コロナウイルス感染拡大の問題が出てきて。感染の危険性からいろいろな顔合わせイベントが全て中止になってしまったんです。
 
西村)訪問支援も難しいですよね。
 
高木)電話が中心になりました。助けてほしいという連絡があったら、すぐこちらから訪問する形で支援していました。
 
西村)今後、高木さんはどのような活動していきたいと思っていますか。
 
高木)今はもう一度、全戸訪問しながら様子を聞いていこうと思っています。電話で済むという考えもありますが、本人が自覚していない問題が会うと見えてくることもあるんです。そのような情報はすごく大切だと思います。早く介入すると早く解決できることもあるので。
 
西村)感染対策をしっかりしながら訪問することで、心の復興にもつながっていきそうですね。貴重なお話ありがとうございました。きょうは、「一般社団法人minori(みのり)」代表 高木聡史さんにお話しを伺いました。