第1264回「阪神・淡路大震災26年【3】~神戸・東遊園地から生中継」
電話:神戸大学2年生だった息子を亡くした 加藤りつこさん

西村)おはようございます。西村愛です。
時計の針は5時30分を回っています。
きょうで阪神・淡路大震災の発生から、丸26年。神戸市中央区にある東遊園地から生中継でお送りします。
こちらでは毎年「1・17のつどい」が行われています。
「震災でお亡くなりになった方を追悼するとともに、あの日を忘れず、未来へ伝えよう」という思いのもと、
新型コロナウイルスの感染が広がる中、感染防止対策をした上で今年も開催されました。

阪神・淡路大震災で6434人の尊い命が失われ、26年経った今も、行方不明の方は3人いらっしゃいます。
震災で亡くなられた方を想い東遊園地に来られた方、震災を経験されていない若い世代の方もいらっしゃいます。

竹灯籠の灯りを灯している親子の方がいらっしゃいます。
4歳ぐらいのピンクのジャンパーを着た女の子は、隣のお父さんに肩を預けながら明かりを灯していらっしゃいます。

新型コロナウイルスの感染拡大で、先日この兵庫県にも緊急事態宣言が発令されました。
「1・17のつどい」実行委員会代表の藤本さんは、「中止や延期ができるものではない。小さくてもあかりを灯し続けることが、生かされた私たちの責務だと思う」と力強く語り、きょうの日を迎えました。

いつもとは違う追悼のつどいになっています。会場に来られている人は、昨年よりもやはり少ないです。
特に高齢者やお子さんが少ないです。以前はおばあさんとお孫さんが手をつないで来ている様子も見られましたが、きょうはほとんど見受けられません。
ですが、5時30分を回ってから人が増えてきました。みなさんの想いが高まっている様子が伝わってきます。
会場では、みなさんがマスクをしているというところもいつもとは違うポイントです。
新型コロナウイルスの対策として、手指消毒用の消毒液が用意され、兵庫県の新型コロナ追跡システムの QR コードもあります。これらは、この一年で見慣れたものですが、やはりこの会場で見るといつもとは違うと実感します。
私の目の前には、竹灯籠と紙灯篭が並んでいます。
毎年「1・17のつどい」では、公募で選ばれた言葉が灯篭で形作られています。
2021年の今年は、「がんばろう1・17」。
この言葉を聞いて、いろいろな想いや景色を思い出される方もいらっしゃると思います。
震災復興の原動力となった合言葉「がんばろう神戸」にちなんでいて、
新型コロナウイルスの感染が拡大する中で、心を一つに苦難を乗り越えようという思いが込められています。
被災経験のある神戸だからこそ発信できるメッセージだなと思います。
竹灯篭に加えて、紙灯篭が多く並んでいるのも密を避ける対策となっています。
全国から約8000枚がよせられた紙灯篭の点灯は、昨日の夕方5時46分からに早めています。
その時間、私もみなさんと一緒にあかりを灯したのですが、やはり前日からだとより深く祈る気持ちになりました。
会場が混み合えば、この後入場制限の可能性もあるということです。
きょうはZoom でのオンライン黙とうも行われるということです。

毎年この東遊園地を訪れていたけれど、新型コロナウイルスの影響で今年はこの会場に来ることができないという遺族の方も多くいらっしゃいます。
広島にお住まいの加藤りつこさんは、震災で一人息子の貴光さんを亡くされました。当時神戸大学の2年生でした。
住んでいた西宮市のマンションが倒壊し下敷きになり、亡くなられました。
加藤さんは震災以降、毎年1月17日を被災地で迎えていました。
震災後数年は、貴光さんが住んでいた西宮市の追悼行事に参加していました。
その後、東遊園地にある震災の犠牲者の名前が刻まれた銘板に貴光さんのお名前が追加されてからは、毎年この東遊園地で1月17日の朝5時46分を迎えていました。
今年は新型コロナウイルスの影響で、いつもの神戸ではなく広島で過ごす加藤さん。
どんな思いでこの震災26年を迎えられるのでしょうか。
一昨日お話を伺いましたのでお聞きください。

音声・西村)加藤さんにとって、1月17日はどんな日ですか。

音声・加藤さん)1年の中で一番大事な日。大切でありながら悲しい日でもあります。人生が変わった日ですから。
阪神・淡路大震災で息子が亡くなったという悲しみ、衝撃...いろんな想いがあります。


音声・西村)息子さんの貴光さんはどんなお人柄でしたか。

音声・加藤さん)とっても大らかな子でした。志を高い所に掲げて、何をすべきかと具現化するために、今を大切に生きていた子です。

音声・西村)どんな目標を持っていたのでしょうか。

音声・加藤さん)息子が高校2年生の時に湾岸戦争が開戦になりました。
自分の生きているこの時代に戦争が起こったことへの衝撃があり、将来は国連に入って、改革したいという大きな目標を立てたのです。国際法を見直す余地があるということを自分なりに感じたみたいで。国際法が確立するときの一員でありたいという思いで勉強を始めました。自分のことは後回しで、出会う人すべてを大切にする人間でしたね。


音声・西村)国連職員なるという夢を叶えるために、お母さまのもとを離れて神戸大学に通っていらっしゃったのですね。そこで阪神淡路大震災に遭ってしまいました。
加藤さんは毎年1月17日に神戸の東遊園地を訪ねていたのはなぜですか。

音声・加藤さん)あの子の最期を看取れなかったという無念と申し訳なさが消えなかったからです。寒くて暗い5時46分に、どうしてもあの神戸の空の下に居たかったのです。神戸に行かなければ私の気持ちが済まなかった。神戸に行くことは当然の行動だったのです。

音声・西村)今年は新型コロナウイルスの影響で、神戸を訪れることを断念されたのですね。どちらで黙とうを捧げられるのですか。

音声・加藤さん)広島で神戸の希望の灯りを分灯して、「1・17」の文字を紙灯篭で作ってつどいを行うという記事を読んだんです。これは行かなければと。

音声・西村)広島の追悼行事に参加されるのですね。

音声・加藤さん)今年は広島の平和公園の原爆ドームの川向かいにあるテラスで行われるとのことで。
平和を希求する全世界の人たちが足を運んでくださる広島の平和公園で、神戸の希望の灯りを文灯したものが灯篭として「1・17」を刻む。こんなに貴光に一番適切な場所はないと思いました。
神戸に行けないことが無念だったのですが、これを企画してくださった方々に本当に感謝したいと思っています。


音声・西村)震災26年に想うことを改めてお聞かせいただけますか。

音声・加藤さん)長い年月だったのですが、私にとってはあっという間の短い26年でした。いつも昨日のことのように1995年1月17日は心の中にあります。今年は今までとは違う1.17を迎えることになると思いますが、どこにいてもあの子は生かされているという気持ち。26年目はちょっと気持ちが前向きになっています。
広島の会場でもオンラインで神戸とつながり、5時46分を迎えるということなので、一緒に追悼しているような気持ちになれると思います。


西村)世界の平和を願って、国連職員を目指していた貴光さんと縁の深さを感じているということです。今年は広島で追悼行事に参加する加藤りつこさんのお話を聞いていただきました。

広島の会場の紙灯籠は、平和への想いを込めて、世界中から寄せられた折り鶴を再生した紙で作られているということです。
東遊園地には震災で亡くなられた方の名前が刻まれた銘板があるのですが、私も昨日、この会場に着いた時に、一番最初に貴光さんの名前に会いに行きました。同じように亡くなられた方の名前を指でなぞっている方がたくさんいらっしゃいました。

5時44分です。灯篭が見えないぐらいに多くの方が集まっていらっしゃいます。
気温は6.6°。指がかじかんでいます。でも26年前のこの時間はもっと寒かったのではないでしょうか。
先ほど震災当時の写真をご覧になっていた方に話を聞きました。
当時20歳で新神戸の2階の部屋で寝ていたら、急に真っ暗になって屋根が落ちてきた。気がついたら明るくなって空が見えた。何で空が見えるんだろうと思っていると、弟や近所の人に体を引き出されて無事助かったと。

阪神淡路大震災で6434人の尊い命が失われ、今も3人が行方不明のままです。
これからラジオの前のみなさんとともに祈りを捧げたいと思います。

5時46分 黙祷

黙祷という言葉とともに今、照明が消されました。
テントの灯りだけが着いています。
みなさん頭を垂れて、そして静かに想いを捧げています。
いつもなら隣の人の涙など、悲しい表情が見えるところですが、今年はマスクをしているのでみなさんがどんな表情なのかは見えません。でも気持ちが波動となって伝わってくるようです。私もいつもと違う感情の高まりを感じています。
冷たい風が体中を包んでいます。

先ほどわたしも震災当時の写真が飾られているテントにいました。
そこで写真を見ていた一人の女性に話を聞きました。
当時20歳で、免許を取り立ての看護師だった女性は、勤めていた長田の病院から消化器を持って行って、燃えさかる長田の街に飛び出していきました。
学校で習ったはずなのに、消火器で燃え広がる炎を消そうとしてもどうしても消えない。
瓦礫の中から出ている手には脈があって、その人は生きていたのに助けられなかった。
その思いがとても辛くて、5年後 PTSD を発症していろんな記憶が抜け落ちた。怖くて語れなかったけどやっと来ることができた。
この話をカウンセラーさん以外の人にできたのは、きょうが初めてだと語ってくださいました。

今、ビーナスブリッジでのトランペットの演奏がこの東遊園地にも聞こえてきました。毎年演奏しているトランペット奏者・松平晃さんの暖かな音色が東遊園地を包みました。

ここで番組に寄せられたメッセージをスタジオにいる亘プロデューサーから紹介してもらいたいと思います。

亘)番組プロデューサーの亘佐和子です。
震災26年の思い、リスナーのみなさんからたくさんメッセージをいただきましたので、何通かご紹介いたします。
神戸市西区のラジオネーム・がんばれ!市高健児さんからです。
「世間一般に防災の日は9月1日ですが、阪神・淡路大震災を経験した私としては、1月17日が本当の防災の日だと毎年思っています。あの震災でお亡くなりになった方に恥じない生き方をしようと毎年1月17日の朝に黙とうしながら思っています」

そして、宮城県石巻市から1.17リポーターの竹山さんからもいただきました。
「あれから26年。生放送で東遊園地からなのですね。9年前の今日、私は東遊園地にいました。東日本大震災で被災して心がボロボロになっていた私を受け入れてくれたのは、あのテントに集まったみなさんでした。私が初めて東日本大震災の体験談をまともに話すことができて、大泣きできた大切な場所です」
とくださいました。ありがとうございます。

東遊園地の「1・17のつどい」の会場にはたくさんの紙灯篭が並んでいるのですが、みなさんがどんな気持ちで書かれているのか、去年12月にスタッフがインタビューをしていますので、お聞きください。

音声・男性A)亡くなられた方は、一瞬にして予期せぬ状態になったわけですから。本当に無念だっただろうなと思います。その分私たちがしっかりと生きなければならないと思います。
私は当時、東灘区にいました。それまでは人間なんて転んだら自分で立ち上がればいいと思っていたんです。でもあの時だけは絶対に無理だといろんな光景を目の当たりにして思いました。世界中が神戸を支えてくれた。あの日から人生の考え方が変わりました。


音声・男性B)長田に住んでいたから実家も丸焼けで。家建てて1年で半壊。大変やったよ。全部で26人出(救出)した内の9人が遺体やった。もうたまらん。思い出したら涙出るわ。
26年早いなあ。やっぱりここに来たら思い出す。忘れたらいかんな。


亘)大勢の方が命を失って、暮らしを奪われた日でした。
西村さん、紙灯籠のメッセージに込められた想いについて、インタビューを聞いていかがですか。

西村)「私もしっかりと生きなければならない」本当にその言葉のとおりだと思います。生かされている命に感謝しなければならないと改めて思います。

亘)ここで番組宛のメッセージをもう1つご紹介します。
大阪にお住まいの25歳の女性、Twitter アカウント名「HZLGL」 さんからメッセージをいただいています。

「私は1995年1月に生まれました。私の親戚は私と会うと震災のことを思い出すそうで、阪神淡路大震災についての話が始まります。子どもながらに自分の誕生日を祝ってもらうのはよくないことと思っていました。
でも、社会人になってからは、震災は私が話題に出さなければ忘れられるような出来事になっています。
これでいいのだろうか、ともやもやした気持ちになり、自分が震災のことを過去の出来事で終わらせるのではなく、引き継いでいかなければいけないと思うようになりました。
この世に生まれ、今を生きていることがどれだけ奇跡なのかということ。誕生した命と失われた命があること。
26歳になる今年、神戸で行われる1・17のつどいに初めて参加する予定です。被災地を回り、実際に自分の体で震災を感じたいと思うからです」

亘)神戸に行かれるということですね。西村さんこのメッセージを聞いていかがですか。

西村)生かされた命を大切にしたいと思えるようになったことが素晴らしいと思います。お誕生日、私も心からお祝いしたいと思います。おめでとうございます!そして、きょうこの場に来てどう感じたのかを、ぜひ聞かせていただきたいですね。

亘)いろんな葛藤があって、26歳になる今年は神戸で過ごしたいとのこと。いろんなことを感じられると思います。
番組もエンディングに近づいてきました。改めて西村さんから伝えてください。

西村)現在5時55分です。さらに人が増えてきて高齢者の方も多く見受けられるようになってきました。
それぞれの想いに向き合いながら話してくださったみなさんに本当に感謝いたします。
4階が落ちて3階になってしまっている西宮市民病院の写真を見ていた方から、私の友達が夜勤中にここで亡くなったんです、という話も聞きました。本当に辛い思いを抱えながらも、一生懸命前を向いて歩いてこられたみなさん。
そしてこの会場に初めて来られた人の中には、東京から転勤してきて、この神戸の街を知りたいということで来られた方もいらっしゃいました。紙灯篭のメッセージを見ているとみなさんそれぞれの想いを抱えて、この綺麗な街が生まれのだとわかりました、と語ってくれました。

毎年来ているこの会場ですが、今年はやはりコロナ禍ということもあり、大分違った印象でした。
しかし、マスクをしていてもみなさんの想いはしっかりと伝わってきました。
実際にいろんな方からお話を聞いた上で、当時の写真を見ていると体が震えて、涙が込み上げてきました。
多くの人の想いをこれからも伝えていきたいと思いました。

この後、14時46分には、まもなく10年を迎える東日本大震災に向けて追悼が行われます。
来週も東遊園地での「1・17のつどい」の様子を交えてお届けします。