第1255回「東日本大震災からの復興~女川のいま」
電話:宮城県女川町のかまぼこ店「高政」四代目社長 高橋正樹さん

西村)来年3月で発生から10年を迎える東日本大震災。
きょうは、町の7割以上の建物が津波で流されるという大きな被害を受けた、宮城県女川町の方に話を伺います。
女川町といえば、仙台市からおよそ70 km 離れた牡鹿半島にあるリアス式海岸の港町です。
この女川町では、毎年秋に特産品であるサンマの水揚げの時期に「おながわ秋刀魚収穫祭」というイベントを行っていて、毎年、数万人の人出で賑わっています。
ところが今年は新型コロナウイルスの影響で、イベントが中止になってしまいました。
そこで、初めてオンラインでのイベントを開催しました。
そのオンライン配信で、メイン司会者を担当されていた方が今日のゲストです。
宮城県女川町のかまぼこ店「高政」四代目社長で、まちづくりにも携わる高橋正樹さんです。
 
高橋)よろしくお願いいたします。
 
西村)今話してみると声がすごくお若いですが、おいくつでいらっしゃいますか?
 
高橋)私は45歳です。
 
西村)45歳ということは、東日本大震災当時は36歳でいらっしゃったということですね。
高橋さんは、かまぼこ屋さんの社長さんで、今回イベントの司会を担当されたということです。
オンラインイベント「女川つながる感謝祭」の音声をお聞きください。
 
音声・イベント) 本日MC を担当いたします、ある時はかまぼこ屋四代目、ある時は女川FMパーソナリティ、女川町観光協会副会長 高橋正樹です!
この後たくさんゲストを交えて、女川の仲間たちと一緒に、20時過ぎぐらいまで放送いたします。
最後までよろしくお願いいたします・・・

 
西村)先日配信されたオンラインイベント「女川つながる感謝祭」のご挨拶の部分をお聞きいただきました。
和気あいあいと話されている様子が伝わってきました。
 
高橋)かまぼこ屋が4時間以上の生放送のメイン MC をすると言う、世界初の試みをやりました(笑)。
 
西村)かまぼこ屋さんとは思えないぐらいスムーズな進行!高橋さんはラジオ番組のパーソナリティもされているんですよね。
 
高橋)震災翌月の2011年4月にスタートした「女川さいがい FM」で閉局までパーソナリティをしていました。
今は「オナガワエフエム」 に形を変え、週一回「OnagawaNow」という番組でパーソナリティをさせてもらっています。

 
西村)女川のみなさんは、どんな思いでこのイベント「女川つながる感謝祭」を開催されたんですか。
 
高橋)新型コロナウイルスの影響で、僕が実行委員長を務める「おながわ秋刀魚収穫祭」が中止になってしまいました。
「転んでもただでは起きない女川町」なので、だったらオンラインでイベントをやろうと。
コロナの影響で来ることができない女川ファンの方々に、町にどんな変化が起きたのか、どんなお店がオープンして好評なのかとか
そんな女川の魅力を発信できるオンラインイベントをやろうということになりました。

 
西村)テーマは「今、君に見せたい・届けたい」ということで、さまざまなコンテンツがありましたね。
例えばこんなものが。
「〇〇から女川町見てみよう!」という映像散歩のコーナーでは、震災から10年たった現在の女川町の様子をドローンで空から見てみたり、海から見てみたり、バイクで陸から見てみたり。
「産地直送 届け隊」というコーナーでは、女川の美味しいサンマなどの海の幸を紹介。実際に生放送をご覧の首都圏在住の視聴者の方に届けたり。
高橋さんのアシスタントをつとめたのは、この春高校を卒業した石森さんと、他の地域から女川に移住されてきた岩部さんというふたりの女性。女川町長も出演されていましたね。
 
高橋)女川町長も全体の2/3ぐらいは出演していました。
 
西村) Twitter でいろいろなメッセージを紹介したりと、本当に盛りだくさんなオンラインベイトでした。
その中で心が躍ったのが女川の伝統神事「獅子振り演舞」です。
関西の私は獅子舞?と思って見ていたんですが、女川では、「獅子振り」と言うんですね。
 
高橋)全国的には獅子舞なんですけど、3 mくらい頭を勢いよく振るので、こちらでは「獅子振り」と言っています。
 
西村)女川の伝統神事「獅子振り演舞」の音声があります。その様子をお聞きください
 
音声・イベント) ♪獅子振り演舞のようす
 
西村)この太鼓と笛、掛け声を聴いているだけで元気をもらえますね。
 
高橋)田舎では神事を大事にするので、僕らも楽しみで大事にしたいと思って続けています。
披露する場を積極的に設けようとイベントをいろいろやっています。

 
西村)このようなお祭りも、今年は新型コロナウイルスの影響で全くできなかったんですか。
 
高橋)そうですね。獅子舞の「まむし」というグループは、久しぶりの獅子舞なので気合が入っていました。
5月のお祭りが出来なかったので、久しぶりだなあと思って。
町が8割流されてしまったのですが、復興の過程でこのような伝統芸能や文化など、目に見えるもの見えないもの含め全部残していきたいな、と思いながら眺めていました。

 
西村)「獅子振り演舞」をされていたリーダーの岡裕彦さんが、イベントでお話しされている様子をお聞きいただきます。
岡裕彦さんは女川町にある熊野神社の氏子総代でもいらっしゃいます。
熊野神社の復興についてお話をお聞きいただきましょう。
 
音声・岡さん)移築してから8~9年かかりましたが、今やっと引渡しがありまして、今月27日、御神体さまを仮設の神社から本殿に移す行事がございます。
 
音声・高橋さん)この熊野神社は震災後に、一旦移築のために場所を移したんですよね。
 
音声・須田町長)町の造成事業のために、氏子や関係者のみなさんには本当にご迷惑をおかけしたんですけど、神社を上の方に移転いただいて、もともと神社があった場所の山を削って宅地を作って、今その場所に新しい小中学校ができました。

 
西村)熊野神社は被災して、今年再建されたばかりなんですね。
 
高橋)社殿はほぼできていて、鳥居や手水社や賽銭箱などももう少しで完成します。
 
西村)「女川つながる感謝祭」の中でも真新しい神社の様子を映像で見ることができたんですが、
この熊野神社は再建のために移築をしていたんですか。
 
高橋)熊野神社は、震災前はもっと山の上あったのですが、その山を削って宅地に使うことにしたんです。
リアス式海岸のど真ん中のまちで山と山に囲まれているので、土地が少ないんです。
山そのものが神様扱いされていたりするので、我々は丁重に慎重に仮社殿に移して、本殿を再建していきました。
神社って普通は古いものですが、新しい神社が目の前にできるのは非日常なことだと思います。
それが僕らの日常の風景となっていくので、大切にしていきたいなと思っています。

 
西村)神社を移すような大規模な工事が行われたということなんですが、女川町は2015年に JR 女川駅と駅前の商店街も完成していますよね。
とってもおしゃれで、私も行ってみたいなと思っていたんです。海が見えるんですよね。
 
高橋)どこからでも海が見えますね。
 
西村)東日本大震災で被災した地域は、防潮堤で海が見えないところが多いイメージなので意外でした。
 
高橋)神社を移築して宅地にしたのですが、その場所に女川町小学校・中学校一貫校も新しくできたんですよ。
そこの小学校のブランコに、子どもたちがめちゃくちゃ興奮しています。

 
西村)なぜ興奮するんですか!?
 
高橋)行列が出来るくらい喜んでいて。海に飛び込んでいくようなブランコなんです。
ブランコが上に上がると、空と海しか見えなくなるんです。

 
西村)アルプスの少女ハイジのブランコの海版という感じですか!
 
高橋)そうです!普通のブランコなんですけど、もうすぐそこに海と空があるという。
 
西村)行ってみたいなあ!それは、女川町ならではのまちづくりですね。
 
高橋)あれだけ海からこっぴどい目にあっているのにね(笑)。海と一緒に生きていくっていう覚悟を決めた町なので。
 
西村)町の復興の工事は今どんな段階ですか。
 
高橋)8年で復興計画は一旦終了しています。主に商業地、水産加工団地、住宅などは終わったんですが、あとは海岸線の公園やサッカースタジアムを作ったりしています。
 
西村)津波で浸水した地域は、かさ上げしたりしてその後どうなっているんですか?何かできているんですか。
 
高橋)かさ上げしたところには、お店や水産工業団地ができています。
宮城県では、ほかの地域では巨大防潮堤を作って次の津波に備えているんですが、もともと土地が少ないところに巨大防潮堤を作ると海が見えなくなるんです。漁師が漁に出るかを決めるときに海が見えないので、わからなくなるんです。
なので、巨大防潮堤は作らない代わりに土地をかさ上げして、防災ではなく減災のまちにするというまちづくりをしてきたんです。
山を削って、その土で土地をかさ上げして、山の上に宅地を作って、津波が来たらそこに逃げて命と財産を守る。
レベル1~3でどの程度の津波かというのを想定しながら、こういう時はこのぐらいの被害、というのを計算しながらまちづくりをしてきました。

 
西村)新しい町並みが出来上がった一方で、震災の姿を残した施設も今年オープンしていますね。
大津波で横倒しになった「旧女川交番」です。
今回のオンラインイベントの中でもその様子が映し出されていました。
建物が津波の被害を受けて、横倒しになっている当時のそのままの姿が残されています。
ガラスがない窓の中には瓦礫がそのまま積まれていて、
周りにはスロープがあり、上からその「旧女川交番」の様子を眺めることができます。
「旧女川交番」について、オンラインイベントの中で女川町長が話す場面がありますので、そちらをお聞きいただきましょう。
 
音声・高橋さん)横倒しになった建物は震災直後たくさんあったんですが、これが唯一残った震災遺構ですね。

 
音声・須田町長)整備が終わり、コロナ第一波の2月末に、この施設はオープンしました。
震災当時の中学生はもう20歳。彼らには、1000年後の命を失わせないように、一人でも多くのみなさんが悲しみに合わないようにという強い想いがありました。
アンケートでは、賛成は町民のみなさんの1割しかなかったんです。しかし反対も3割ぐらい。
あとは、わからないという答えも当時多かったんです。
そんな中、子どもたち自身が未来にちゃんと伝えていきたいという想い、私の考え方やいろんなみなさんの思いを入れてできたのがこの遺構です。

  
西村)実際にこの震災の爪痕を残すということに、大人のみなさんは納得されているんですか。
  
高橋)大人は、基本的に残さないほうがいいかもという空気でしたね。
女川以外のところは、震災遺構やメモリアルパークを作っているんですが、観光客に女川に来てもらうことを考えると、死の匂いを感じさせないまちづくりをしたほうが良いと。ここでいっぱい人が死にましたと言っても観光客は来ないので。
明るいまちづくりのために必要なのかというところを考えていました。
あと、縦の構造物が横に倒れてしまっていることによる耐久面の不安、メンテナンスやランニングコストなどを考えるとなくてもいいんじゃないかと。
ただ中学生たちが残して欲しいっていうのは、僕らの大人の考え方と違った本質をちゃんと見出しているんだろうなと。
1000年後にまた大規模な津波が起きた時に、「津波が来るからいつも逃げる準備をしておかないといけない」という僕らの意思を伝えたいという想いがありました。
それに町長も納得して、僕らも子どもたちが言うなら、残そうということになりました。
今は、草が生えてラピュタ化しているんですけども(笑)。
地面に接した杭がむき出しになっている部分などを見て、女川に観光で来た人にも防災の意識を高めてもらいたいという意味では役に立っていると思います。

 
西村)子どもたちの意見を大切に残すことになったというところから、新たに見えてきたこともあるんですね。
草が生い茂っている風景からも、震災発生から10年を感じさせますね。
 
高橋)震災で倒れた建物に生命の息吹を感じるんです。女川で今生きている僕らと同じ。
その瞬間の震災遺構を見てもらえればと思います。

 
西村)私もぜひ見に行きたいと思います。
では、最後に年が明けるとまもなく東日本大震災の発生から10年を迎えますが、高橋さんはどんな想いでいらっしゃいますか。
 
高橋)テレビでよく震災から何年という振り返り方をするんですけど、それって僕らからすると勝手に設定された何年の節目みたいな感じなんです。
メディアの10年という節目と僕らの10年後を目指して復興していこうという節目が合致するのが今回初めてかもしれません。
10年というのは、スタート地点を作るためでもあります。
震災から10年で僕らは被災者とか被災地とか呼ばれなくなる。ここからが本当のスタートということでこの10年復興に取り組んできました。
何かのゴールを迎えるとか、感慨深いとかいうよりも、これから先の10年でまた女川という場所が評価されるので、その先の10年に向かってまた頑張るっていうマイルストーンになると思います。

 
西村)私も今回の「女川つながる感謝祭」をきっかけに女川ファンになった新米女川ファンなので、これからの新たな女川の10年も一緒に歩んでいけたらうれしいなあと思っています。
またそちらにも遊びに行きたいなと思っています。高橋さんのかまぼこ屋さんにもお買い物しに行きますね!
 
高橋)ありがとうございます。全然かまぼこの話ししてないですね(笑)。
 
西村)オンラインショップもありますので、ぜひみなさん美味しいかまぼこをチェックしていただけたらと思います!
宮城県女川町のかまぼこ店「高政」四代目社長 高橋正樹さんにお話を伺いました。