第1297回「紀伊半島豪雨10年~夫を亡くした無念を語る」
電話:和歌山県那智勝浦町在住 久保栄子さん

西村)きょうの特集は、10年前の昨日9月4日に大きな被害をもたらした紀伊半島豪雨についてです。死者・行方不明者の数は、和歌山・奈良・三重で、88人にのぼりました。氾濫した川の濁流に流され、夫を失った和歌山県那智勝浦町の久保栄子さん(78)に電話でお話を聞きます。

久保)よろしくお願いします。

西村)当時、久保さんは、家族3人で那智勝浦町の平屋にお住まいだったのですね。

久保)夫と娘と3人で暮らしていました。

西村)自宅は氾濫した那智川から近い場所にあるのですか。

久保)家の駐車場の前が県道で、県道の向こうが那智川です。県道に沿って那智の滝から那智湾まで川が流れています。

西村)普段の那智川はどんな様子ですか。

久保)とても清らかで穏やかな川です。県道から下をのぞき込むように見ないと水が見えないくらいの水位。まさかその那智川があふれるなんて想像もしませんでした。

西村)2011年9月3日の夜から4日の未明にかけて台風がきました。雨や風はどうでしたか。

久保)雨がものすごい勢いで降り続けて、未明には雷も鳴って。風より雨がすごかったです。那智川から大きな石がゴロゴロ転がるような音が聞こえてきました。今まで聞いたことのない音でした。
 
西村)これまでに経験した台風とは規模が違うと感じましたか。
 
久保)はい。でも、それが大洪水の前兆とは思いもよりませんでした。ここに40年余り住んでいますが、大変な雨が降っても玄関先に少し水が来た程度でしたから。那智の滝から那智湾まで流れる那智川は、長さは短いそうです。傾斜があるので、水が溢れてもすぐ引いていくだろうと思っていました。今までの経験から、屋根まで水が来るなんて考えられませんでした。
 
西村)屋根まで水が来たのですね。4日の午前2時過ぎに避難指示が出ました。夜中でしたが避難指示が出たことには気づいていましたか。
 
久保)雨戸を閉めていてハッキリと町内放送が聞こえなかったので、役場に「今の放送はなんですか?」と電話をしました。「"避難指示が出たので、井関保育所に避難している人は市野々小学校へ避難してください"という放送です」とのこと。家にいる人はどうしたらいいのかわかりませんでした。「避難指示と避難勧告はどっちが重いのですか?」と質問することしかできませんでした。
 
西村)避難指示ということは、直ちに避難せよということですよね。
 
久保)さらに「那智川の水位は今どのくらいですか?」と聞いたんです。すると「係の者がいないのでわからないです」という返事がかえってきました。今から思えば、既に上流の方でいろいろなことが起きていたのだと思います。私は、雨が止んでいたので、1人で那智川を見に行きました。そこに区の役員も何人か来ていました。堤防を見ると、5cmぐらい水が越えてきていて、これは大変だと思いました。私は一人暮らしの80歳の岩本さんの家に急いで向かいました。その途中には、益美ちゃんという目の不自由なひとり暮らしの女性の家もあります。益美ちゃんは、台風が来たらいつもお姉さんのところへ避難するので、今回もそうだろうと声をかけずに通りすぎたのですが、この思い込みが一生の後悔となりました。そのとき益美ちゃんは家にいたのです(翌日自宅で遺体となって発見された)。岩本さんの家に着き、岩本さんに「避難する?」と尋ねましたが「避難しない」という返事。それが岩本さんとの最後の会話となってしまいました。そして、私は家に戻ると急いで夫を起こしました。
 
西村)夫の二郎さんを起こして、小学校に行こうと思ったのですか。
 
久保)町内放送の内容を伝えて、自分たちも避難しようと夫を起こしました。そうしたら娘の部屋から「水が来たー!!」と叫び声が聞こえてきて。家の中にすごいスピードで水が入ってきました。夫に「奥の部屋にある貴重品を持ってきて!」と頼んだのですが、夫はなかなか出てきません。娘は玄関の戸が開かないので、窓から出てトユ(軒下の雨樋)にぶらさがっていました。

 
西村)窓から出ようと思ったら、もう水が溢れてきていたのですね。
 
久保)夫から貴重品を受け取ったときには、水は胸まで来ていました。大人3人がトユにぶらさがったら、普通は壊れると思いますが、トユを新調したばかりだったので持ちこたえられたのです。だんだん水が上がってきて足がつかないので、トユを懸垂するように移動していました。そのとき、自分のことで精一杯で気づかなかったのですが、娘の身に大変なことが起きていました。娘はトユを移動するときに手をすべらせて、激流の中に落ちたのです。そのとき、物干し台のフックのところに服が引っかかりました。とっさの判断でいったん水に潜ってフックから服を外し、水面に出て息をしたそう。後でその話を聞いてゾっとしました。
 
西村)恐ろしい状況になっていたのですね...。
 
久保)足元には、いろんなものがありました。古い下駄箱、洗面台、洗濯機...その上に足を乗せていたのですが、足元にあるものが一つ一つ激流で流されていきます。10本の指に全体重がかかる状態でぶらさがっていました。私はこのままだったら溺れ死ぬと思い、3m先の井関駐在所のフェンスから2階に行くしかない!と判断。私は「先に行くよ!」と飛び込んだんです。潜って頭を出した途端に一気に激流に流されてしまいました。
 
西村)激流に流されて、駐在所の2階には行けなかったのですか。
 
久保)たった3m先なのに行けませんでした。足から水に吸い込まれて、手の裏、腕の内側、足の指10本、足の甲は擦り傷だらけになっていましたが、痛みは全く感じませんでした。呼吸ができずに息苦しくなって、私は「死にたくない!気絶しても死ぬもんか!」と必死にもがいていると、手の甲に硬いものがあたったのです。それは家から約100m先の歩道のフェンスでした。そこに着くまでに1回だけ水面に浮いて、呼吸できました。手のひらは紫色になっていました。
  
西村)運良くフェンスをつかむことができたのですね!
 
久保)フェンスにつかまって、左右を見ると、ありえない光景が広がっていました。県道も歩道も水びたしになって、あたり一面広い川になっていたんです。車が何台もテールランプをつけたまま流れていました。私は寒くてガタガタ震えていました。那智川の上流から木が落ちてくる音がしました。ズルズルバシャンって。向こう側の2階から「助けて!」って叫んでいる人がいました。いくら私が「助けて」と言っても聞こえないのに。
 
西村)それだけ水の音が大きかったのですね。
 
久保)私は天に向かって、「雨を止ませて!」「お父さんと娘を助けて!」と祈りました。生き地獄とはこれかと思いました。自然の力はすごかったです。
  
西村)娘さんはどうなったんですか。
  
久保)明け方、水が膝くらいまで引いたときに、娘とお父さんを探しました。膝ぐらいの水位でも水の勢いがすごくてひっくり返りそうになりました。
 
西村)明け方になっても水の勢いは衰えていなかったのですね。
 
久保)水位は引いていたけど、水の流れは速かった。大地を踏みしめるように歩いて、やっと(家の近くの)「三菱マテリアル」の事務所に着きました。事務所の前の植木につかまり、身を乗り出すように我が家を見たのですが、屋根の上に2人は居なかったのです。私はガックリと肩を落とし、事務所の机に座って泣いていました。
すると、しばらくして駐在さんが「娘さん無事やったよ!」と言いにきてくれたんです!娘がニコニコしながらこちらに走って来たときは、これは夢かと思いました。娘に「お父さんはどうなった?」聞きました。娘の話によると、流されたとき、娘は水の勢いで屋根の上に登ることができたのですが、お父さんは屋根の端にぶらさがったまま。娘が「こっちに上がってこれない?」と聞いたら、「無理や!」と返事があり、数秒後には姿が見えなくなったそう。とても娘の力では助けられなかったと思います。1日経ったとき、(お父さんの死を)覚悟せなあかんな...と思いました。でも、役場に聞いても遺体安置所が分からなかったんです。

 
西村)亡くなったことはどうやって知ったのですか。
 
久保)知人が夫の遺体が発見されたと電話をくれたんです。遺体は、新宮市のなぎ看護学校の体育館に安置されていました。そこにはたくさんのゴムの寝袋に入れられた遺体がありました。そこでお父さんと対面したのですが、本当に綺麗な顔をしていました。
私はこの大水害によって、自然の力を目の当たりにしました。これからまた何度もこういうことが起きると思います。

 
西村)これから起きるかもしれない大きな災害に備えて、私たちも学んでいきたいと思います。久保さんは、10年前の紀伊半島豪雨を振り返って、どうすればよかったと思いますか。
 
久保)まず一番感じたことは最も価値あるものは命だということ。絶対に犠牲者を出して欲しくないと思います。命はなくしたら戻ってこない。本当に早目の避難が大事。いくらオウム返しで言っても何人の人に届くだろうと思います。そして早目の避難をするためには、やっぱり備えること。自分の地域の危険なところや安全なところ、避難先について、家族会議をしてほしいです。
  
西村)久保さんのお話を聞いていると、夜中、暗い時に避難するのは本当に大変なことで、明るい内に早目の避難をと呼びかけていらっしゃる方の気持ちがすごくわかりました。
  
久保)今はもうひとつ「分散避難」ということが言われています。災害が起こるまでに安全な場所に避難をする。公民館などの行政が指定した避難場所、ホテルや旅館、親戚・友人の家など。安全を確認して、自宅で避難できるところは自宅避難。家族で避難先について話し合ってください。
  
西村)新型コロナの感染も心配です。ベストな避難場所は、地域の避難場所以外にもあるかもしれません。家族みんなで考えないといけませんね。
 
久保)災害対策には、自助・共助・公助がありますが、協力して助け合う共助は大切です。近所の家の2階に避難させてもらった人は10人助かっています。反対に避難所に遅れて行って、途中で大洪水にあい、車もろとも流されて犠牲になった人もいます。「早く避難して!」という家族からの3回目の電話でやっと避難して、水が上がってきている県道を走って、小学校についてギリギリ助かった人も。
色んなケースを考えて、絶対に犠牲者ゼロになるように私も役に立ちたいという思いでいっぱいです。

 
西村)自分だけではなく、遠方に住んでいる友人や親戚が豪雨の被害に遭いそうなときは、連絡をするということも心に留めておきたいと思います。
きょうは、和歌山県那智勝浦町にお住まいの久保栄子さんにお話を伺いました。
 
久保さんは防災士の資格を取得し、今はご自身が書いた紙芝居を通じて、被災体験をみなさんに語っています。
この紙芝居はインターネット上にアップされていて、みなさんにも見ていただくことができます。
https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/080604/top_d/fil/KamishibaiJapanese.pdf