ゲスト:国際災害レスキューナース 辻直美さん
西村)MBSラジオでは今月、防災・減災プロジェクト「ラジオがとなりに」キャンペーンを行っています。この番組では、阪神・淡路大震災の教訓から、地震への備えについて考えます。
きょうは、国際災害レスキューナースの辻直美さんにスタジオにお越しいただきました。
辻)よろしくお願いいたします。
西村)今から31年前の1月17日、阪神・淡路大震災が発生したとき、辻さんはどこで何をしていましたか。
辻)看護師になって5年目でした。吹田の病院に勤めていて、前日は15時半から夜中1時半までの夜勤でした。3時半まで病棟にいて家に帰りました。寒い日だったので、こたつとストーブをつけて、5時半までうたた寝をしていたんです。ここで寝ていたら父に怒られると思い、消火を確認して、2階の自室に戻ってベッドに入った途端、ドーンと揺れました。
西村)2階の部屋で阪神・淡路大震災の揺れを経験したのですね。
辻)あんな揺れは感じたことがなかったです。下からドンッと突き上げられて、揺れている間にいろんな物が落ちる、倒れる、移動する、飛ぶ。もうすごかったです。防災のことを少し勉強していたので、タンスや本棚が倒れたときに重なり合って三角形(ゴールデントライアングルゾーン)になるようにしていたのですが、背の高い本棚が倒れてきました。体育座りになって布団をかぶって、ダンゴムシのポーズをしていたのですが、ベッドの先に置いていたテレビデオ(約14kg)が弧を描くように飛んできて、顔を骨折しました。全壊でしたが家族は全員無事。母と父の部屋はタンスの下に新聞紙をかまして、上にダンボールを置いてタンスが倒れてこないようにしていました。
西村)備えをしていてよかったですね。その後どうしたのですか。
辻)母に「病院に戻りなさい」と言われて。
西村)顔を骨折しているのに!?
辻)「病院が大変なことになっているから行きなさい」と。急いで病院に行くと病院はぐちゃぐちゃでした。点滴の瓶のボトルは落ちて割れていて、いろんなものが倒れて水は流れっぱなし。あちこちでガラスが割れていて、自家発電がまだ動いていませんでした。
西村)地震から何時間後ぐらいに到着したのですか。
辻)30分かかってないと思います。電気で動く点滴もうまく作動しないので手動で行いました。想定していた状態ではありませんでした。
西村)病院の地震への備えはできていなかったのですか。
辻)避難訓練はしていましたが、まず病棟のナースの数が少なかった。夜勤なので3人しかいなかった。2人が助産師、1人が看護師。入院している人、お産を控えている人、婦人科でオペを控えている人、内科の患者など診なければならない人がたくさんいるのに、スタッフが少なすぎてトリアージができない。何からやればいいのかがわからない。そのような訓練はできてなかったです。
西村)そこに辻さんが駆け付けたのですね。
辻)当時働いていた病院は、神戸にボランティアで行くのではなく、神戸から患者を受け入れる形で支援をしていました。
西村)辻さんがその後、神戸に行ったことは?
辻)仲良くしていたドクターやナースにボランティアに誘われて、一度は行っておきたかったので、歩いて行きました。地震から3日目でした。
西村)町はどんな様子でしたか。
辻)神戸に近づくほどにぐちゃぐちゃで。毛布でくるまって外に呆然と立ち尽くしている人がいて、瓦礫も全然片付けられていなかったです。
西村)歩いて向かう中で、印象に残っていることはありますか。
辻)当時水を備蓄してる人はそんなにいなかったので、飲む水がなく、ペットボトルの水が売られていました。日に日に値段が上がっていったんです。最初、吹田で見たときは150円。当時水は100円でしたが、神戸に近づくにつれて、200円、300円、1000円~5000円と上がっていき、最大8000円ぐらいで売っていました。
西村)そんなに!それだけ水が大切だったのですね。阪神・淡路大震災から辻さんが学んだ教訓は。
辻)前もって備えること。災害を自分ごとに捉えるためには、あのとき自分がそこにいたらどうするか。何を準備しておけば良いかを常に考えるようになりました。
西村)わたしたちが考えておくべきポイントは何ですか。
辻)地震が起きたとき、ものは、落ちる、倒れる、移動する、飛ぶということを想定してください。防災は被災ゼロになるためにやるわけではありません。経験したことのない大きな地震が来ても、日常生活に戻りやすくするために減災すること。わたしも打ち所が悪かったら死んでいたかもしれない。それは紙一重。みんな「ちゃんと備えておけばよかった」と言います。
西村)できるときにできることをやっておきたいと思います。どんな備えをすれば良いのでしょう
辻)家の中で死なない、怪我をしないようにするためには、まず家具の固定。簡単なのにみんなしません。重いものは下、軽いものは上に置くのが基本なのですが、これができていません。自分の手が届く範囲に使うものをどんどん入れたら、次は上に置いてしまう。
西村)わたしの実家は、阪神・淡路大震災当時からある背の高い食器棚を使っているのですが、上にホットプレートがのっています。
辻)上にお酒を置いている家もありますよね。食器棚の下はしゃがんで物を取るのが面倒くさいので、どうでもいいものが入っていることが多いです。
西村)我が家は、一番下にタッパーが入ってます...。
辻)軽いタッパーやキッチンペーパーでは、重しになりません。下には重いもの、真ん中には普段使うもの、上には当たっても痛くないものをしまいましょう。家具の手前に差し込む耐震版というグッズもあります。新聞紙でも構いません。家具が倒れてこないように壁の方に少し倒して、手前に新聞色を固めていれる。重厚なタンスの上には大体"有田みかん"と書いているダンボールが置いてありましたよね。
西村)天井との隙間ができないようにダンボールが置いてあったのですね。
辻)昔の人は、エビデンスはよくわからないけど、生活の知恵でそうしていたのだと思います。
西村)ほかにも、阪神・淡路大震災を経験して気づいたことはありますか。
辻)友人が高級なカバンを集めるのが趣味でした。趣味で集めているから収納はせずにズラっと並べていました。それが落ちてきて埋まってしまったそうです。
西村)棚の中に収納するお片づけも防災につながるのですね。
辻)彼女は避難所では、そのカバンは使わずに「軽くて便利」と、スポーツバックを使っていたそう。カバンを闇雲に収集しないで、飾っても1~2個にすると言っていました。就寝時に頭に落ちてこないように飾っているそうです。
西村)キッチンで見せる収納というのがありますよね。包丁をマグネットにくっつける収納はドキドキします...。
辻)飛んできて危険です。
西村)どのように収納したら良いのでしょう。
辻)見せないこと。外に出すものは、下に耐震ジェルをつけて動かないようにする。基本的にわたしはものを使ったらシンクの下に収納しています。
西村)ものを片付けるのが一番だと思うのですが、部屋の模様替えをするときに気をつけることがあれば教えてください。
辻)まずスーパー安全地帯を作ってください。何も飛んでこない、落ちてこない場所です。たとえば、リビングのテーブルの下。この時期、日本酒や梅酒、ビールとかストックがたくさんテーブルの下にあるかもしれません。
西村)テーブルの上に乗ったままかもしれませんね。
辻)リビングのテーブル周りをキレイにすることを心がけてください。特にテーブルの下と上はその人の心のありようだと思っています。わたしは、今はキレイな部屋を保っていますが、昔は片付けができなかったんです。買い物が大好きで、買ってきた服はどんどん椅子に乗せていくので、地層のようになっていました。重さで雪崩が起きていたほどです。
西村)でも片付けができるようになったのですね。
辻)苦い思いをしたからです。
西村)うちの息子も娘もなかなかお片付けをしてくれなくて、散らかっています...。
辻)それは片付けがメリットにつながっていないから。面倒くさいことになっているからだと思います。子どもが小さかったときは、おもちゃが散らかっていました。そのときにルールを決めたんです。お片付け用の蓋付きの箱を買って。ご飯を食べるとき、出かけるとき、寝るときの3回は、絶対片付けると決めました。自分のマイボックスに入れるという癖をつけると意外と片付けてくれます。朝起きたときも気持ちがいい。寝ているときに被災しても、ものを踏んで足を怪我することはありません。
西村)レゴを踏んだとき痛いですよね...。
辻)それが災害時、ブラックアウトしていたら、何を踏むかわかりません。テーブルにたくさん食器が残っていたら落ちたら大変。そのルールを決めると、箱の中にいつもあるおもちゃがでてきます。それはリビングに必要ないので元の場所に戻します。
西村)南海トラフ巨大地震に向けて、家族みんなでお片づけをすることを今年の目標にしたいと思います。辻さんありがとうございました。
