第1500回「番組1500回~災害時に頼れるラジオとなるために~」
ゲスト:元番組プロデューサー 毎日放送報道情報局 大牟田智佐子さん

西村)1995年に発生した阪神・淡路大震災をきっかけにスタートしたこの番組は、1500回目を迎えることができました。災害報道と防災に特化した番組が30年にわたって続いているのは、全国的にみても例のないことです。リスナーのみなさん、番組にご協力いただいている災害・防災関連の研究者の方々、被災地から声を届けてくださっているみなさまのおかげです。長い間、番組を支えていただき、ありがとうございます。
きょうは、"災害時に頼れるラジオ"となるためにはどうしたら良いのか。1998年から12年間、この番組のプロデューサーをしていた毎日放送 報道情報局の大牟田智佐子さんと考えます。
 
大牟田)よろしくお願いいたします。
 
西村)大牟田さんは番組を離れてからも防災関連の取材や発信を続け、兵庫県立大学大学院で災害時のラジオの役割について研究し博士号も取得。その原動力は?
 
大牟田)2つあります。ひとつは"ラジオが作り出す温かいコミュニティの魅力"。わたしとラジオの縁は1980年頃までさかのぼります。当時はAMラジオの深夜放送のとある人気番組を聞かないと翌日のクラスの話題についていけない...という中学生時代を送っていました。友人に誘われてパーソナリティに差し入れを渡しに行ったことも。テレビに出ている有名な人がラジオだと身近になりました。ラジオで呼びかけると、リスナーがそれに答えて集まったり、行動を起こしたりすることを実感しました。その次の縁は、この毎日放送に入社したとき。最初に配属されたのはラジオ局でした。そこで番組ディレクターをしたり、人気番組「ヤングタウン」のハガキ選びを手伝ったり、ベテランのラジオディレクターが常連さんと接する姿を見たり。制作者側から見ても、ラジオの作り手とリスナーの距離が近く、ほんわかするコミュニティがあることを実感しました。
ふたつ目は、"災害や防災を伝える手段としてのラジオの可能性"。これは「ネットワーク1・17」を担当していたときに気づきました。この番組を担当する前はテレビの報道で災害担当記者をしていたので、余計にテレビとラジオの違いを感じました。テレビは、映像の力で地震のメカニズムを解説して防災を呼びかけるのですが、ラジオでは映像やCGは使えません。対話形式で伝えることになります。ひとりひとりの生活に密着して防災を考える。被災者が直接自分の言葉で語り、大切な家族を亡くした人が亡くなった家族のこと、自分の人生がその日を境にどう変わってしまったかを語って、それを聞くパーソナリティやわたしたち制作者が涙を流す...といった体験をして。リスナーさんからも「災害に対する考え方が変わってきました」「自治会で防災担当に手を挙げました」というお便りをいただくようになりました。ひとりひとりの声や物語を伝えることによって、聞いている人の行動が変容する手応えを感じたんです。

 
西村)放送開始当時、「ネットワーク1・17」は、どんな番組だったのでしょうか。
 
大牟田)この番組は阪神・淡路大震災が起きた3ヶ月後の1995年の4月15日にスタートしました。当時のスタッフ・出演者全員が被災者で、"被災者による被災者のための番組"として始まったのです。土曜日夕方45分間の生放送でした。その時間帯になるとスタジオの窓から夕日が見えて、ゆったりと時間が流れていたことを覚えています。生放送中にリスナーさんからFAXやメールがきて、最後のコーナーでそれを紹介すると、ゲストがその質問に答えてくれて。放送中にも地震の速報を入れていました。毎回慌ただしかったのですが、スタジオの中とリスナーさんがつながっている感覚がありましたね。
 
西村)そんな中で、番組打ち切りの危機もありましたか。
 
大牟田)ありました。一番それを感じたのが震災の5年後2000年頃。この年に仮設住宅が全て解消したんです。そのニュースを受け、「この番組は役割を終えた」という声がラジオ局の内部からも上がってきて。番組を存続させるためにいろんなことを考えました。まずはスポンサーを探しました。でもなかなか中立の立場のスポンサーが見つかりませんでした。次に聴取率を上げるために著名なゲストを呼ぶことに。キダ・タローさんなど震災で大切な人を亡くした経験のある著名人に番組に出ていただきました。さらに賞に出品し、社会的な評価を高めようと考えました。結果的に、「防災まちづくり大賞(総務大臣賞)」の受賞がひとつのターニングポイントに。また、トルコ、台湾、新潟など大きな地震が国の内外で続いたことが大きな契機になりました。次への備えがまだまだ必要だと認識されたことで番組が継続されました。
 
西村)今年で番組開始から30年が経ちました。きょう、1500回目を迎えた今の気持ちを聞かせてください。
 
大牟田)おめでとうございます。みなさん、ありがとうございます。一口に1500回といってもなかなかできることではないと思います。災害や防災だけをテーマにした番組が1500回を迎えたことはすごいことだと思います。まず、この番組を作ろうとした当時の関係者に先見の明があった。番組のタイトルは「1月17日に生まれたつながりを大切にしよう」という思いでつけられたものです。その名の通り、パーソナリティも制作に携わるスタッフも、何代にもわたってバトンをつなぎながら今に至っています。番組が好調だったときも、なくなりそうになったときも、出演者スタッフが頑張って、番組を応援し支えてくださるゲストやリスナーのみなさんがいたからこそ、今があって、西村愛さんもそのバトンを受け取ってここにいるのだと思います。
 
西村)改めてこのバトンを受け取って、ここにいることに感謝です。今年は、ラジオ放送の開始から100年になります。災害におけるラジオの意義は何だと思いますか。
 
大牟田)日本でラジオが始まったのは1925年。1923年に発生した関東大震災がきっかけです。ラジオは、停電になっても電池と受信機があれば聞くことができます。ただ、災害時は情報だけが求められているのではないと思っています。阪神・淡路大震災のときは、「いつもの声が聞こえてほっとした」というお便りをいただきました。東日本大震災では、「ラジオに物心両面で救われた」「ラジオがなかったら精神的にどうなっていたかわからない」という声が被災地から寄せられました。熊本地震のあとも、「災害直後は情報を求めてラジオ聞いていたが、ひと月以上経ってみると人の声のぬくもりを求めて聞いているような気がする」という感想が寄せられました。正確な情報を届けることに加えて、被災者に直接語りかけることができるメディアとして、災害におけるラジオの意義は大きいと思います。
 
西村)被災地では、大変な思いをしていても自分の困り事はなかなか口にできないという人も。心と心がつながっているっていう実感を与えられるのは、すごくうれしいし、大切なことですね。この番組もそういうラジオでありたいです。防災のレギュラー番組で、災害・防災を伝える番組の役割は、どこにあると思いますか。
 
大牟田)5つあります。ひとつめは、日常に防災を自然に根付かせる役割。防災の世界でも、"フェーズフリー"という考え方が浸透してきています。フェーズフリー(日常と災害に境目を作らない)とは、特別な防災グッズを用意するのではなく、「普段使いのものを活用する」「災害時のことを考えて普段の仕組み作りをする」という考え方のことです。「ネットワーク1・17」もフェーズフリーを伝える役割があると思います。ふたつ目は災害が起きた後の"いつもの声"となるということ。「いつもの声が聞こえてほっとした」と言ってもらうには、普段から慣れ親しんもらうことが大事。3つ目は日常から専門家と連携することによって、正確で深い内容を届ける役割。専門家や被災者を支援する団体と日頃から信頼関係を結ぶことが大事です。大きな災害のニュースになってから慌てて出演していただくのではなく、日頃から信頼関係を結んでいると、相手も番組への不安を抱かなくて済みます。日頃から専門家の見解を直接言葉で伝えてもらうことによって、リスナーも自然と理解が深まっていくと思います。
 
西村)それを日々の話題として家族や近所の人と話してほしいですね。そんなふうに広がっていく番組になるようにしていきたいです。
 
大牟田)4つ目は、被災地に埋もれていた問題やあまり注目されない問題を取り上げる役割。この番組でいち早く取り上げた震災障がい者の問題もその一つ。これは、ひとりのつぶやきを拾い上げて、支援をしている側の声を番組で拾うことから始まりました。大きなニュースになる前に伝えていくことが大事です。5つ目は、直後には答えが出ない災害後の問題を長期的な視点で検証する役割。1年や2年で答えが出せない町作りの問題などを何度も取り上げて、時期に応じて検証することができます。
 
西村)長期的な視点で語り合って、検証するとによって、これからの防災や街作りにも生かしていくことができます。災害時に頼れるラジオとなるために、放送2000回に向けて、要望や提言がありましたらお願いします。
 
大牟田)できる限り番組を継続してほしいです。ジャンルは違いますが、長崎には、被爆者の証言を伝える短い番組を1968年から放送し続けているラジオ局があります。今年で57年になるということです。この番組もまだ頑張れると思います。今は、ラジオの聞かれ方が2通りに分かれています。それぞれの聞かれ方で頼れるラジオになって欲しい。以前は時計代わりにつけっぱなしで聞くというスタイルが一般的でした。
 
西村)わたしも学生時代、そんな聞き方をしていました。
 
大牟田)「この時間になったらおなじみのこの声が聞こえてくる」というふうに、親しみを持って聞いてもらえるようになってほしい。もうひとつは、radikoなどで、好きな時間に好きな番組を選んで聞くスタイルが浸透しています。それはメリットになることも。この番組もradikoだけでなく、ポッドキャストやYouTubeにアーカイブが保存されています。さらに放送内容の書き起こしを活用すれば、防災ハンドブックのような役割を果たすこともできます。研究者と連携して、資料として残していくこともできると思います。
 
西村)改めて、30年続いてきた番組のバトンを受け取っている今、ひとりでも多くの人が命を守ることができるように、番組を一緒に作ってきてくださったみなさんの思いを、これからの防災へとつないでいきたいなと思います。