第1430回「東日本大震災13年【1】~両親を亡くした大学生の想い」
オンライン:岩手県陸前高田市出身の及川晴翔さん

西村)東日本大震災で親を亡くした子どもは約1800人、そのうち両親を亡くした子どもは241人います。
きょうは、小学1年生のときに両親を亡くした岩手県陸前高田市出身の及川晴翔さんにお話を聞きます。及川さんはその後、おばあちゃんに育てられ、現在は東北学院大学の2年生。今年、成人の日を迎えたということです。
 
及川)よろしくお願いいたします。
 
西村)及川さんは、13年前の東日本大震災発生当時は、小学1年生だったそうですね。陸前高田市は、甚大な津波の被害を受けた場所です。地震発生直後はどんな状況でしたか。
 
及川)小学校の帰りの会の最中に地震が発生して、高台にある老人ホームまでクラスのみんなと一緒に走って避難しました。2つ上の兄も同じ場所を目指して走っていたと思います。
 
西村)地震が起こったときの気持ちや、周りのようすは覚えていますか。
  
及川)何が起こったのかわからなかったです。先生や周りのみんなに「逃げろ!」と言われたから、必死に逃げました。
 
西村)お兄さんや家族と会うことはできましたか。
 
及川)お兄ちゃんとは避難所で合流できました。その少し後に、おじいちゃんとおばあちゃんが車で来てくれました。
 
西村)どれぐらいの時間、高台の老人ホームにいたのですか。
  
及川)避難が終わった後から1泊して、次の日までいました。
 
西村)おじいちゃんとおばあちゃんの顔を見たとき、どんな気持ちだったか覚えていますか。
 
及川)何か良くないことが起きているということは何となく理解していたので、安心したのを覚えています。
 
西村)地震発生直後は、お父さんとお母さんはどうしていたのですか。
 
及川)お母さんは、老人介護の仕事をしていたのですが、その日が夜勤明けで、夕方まで家で休んでいました。お父さんはお母さんのことが心配で、仕事先から家に戻ったそうです。自分とお兄ちゃん、おじいちゃん、おばあちゃんの4人は病院の避難所に移動しました。おじいちゃんは肺が悪く、酸素吸入が必要だったので。その後は、お父さんとお母さんが迎えに来るのを避難所で待っていました。
 
西村)待っているときはどんな気持ちでしたか。
 
及川)「早く迎えに来てくれないかな...」という気持ちだったと思います。何日か待っていましたが、迎えには来ませんでした。
 
西村)その後、お父さんとお母さんが亡くなったことをどのように受け止めたのですか。
 
及川)両親が亡くなったという知らせは、避難所にいるときにおばあちゃんから聞いたと思います。
 
西村)それは何日後ぐらいでしたか。
 
及川)詳しい日時は覚えていません。両親の遺体が発見されましたが、両親が亡くなったということをまだ理解できていなくて、お葬式のときは、「みんなで集まって何をしているんだろう」と思っていました。
 
西村)お兄さんはどんなようすだったか覚えていますか。
 
及川)あんまり覚えていないです。
  
西村)その後、いつ頃にお父さんとお母さんが亡くなったことを理解したのですか。
 
及川)小学校3~4年だと思います。歳を重ねるうちに理解していきました。
  
西村)お父さんやお母さんを亡くした友達と、お父さんやお母さんが亡くなったことについて話をすることはありましたか。
 
及川)そのような話はしなかったと思います。
 
西村)及川さんのお父さんとお母さんはどんな人でしたか。
   
及川)ふたりとも優しい人でした。
 
西村)お父さんやお母さんとの思い出を教えてください。
 
及川)夏休みにお兄ちゃんと自分とお父さんの3人で、早起きしてカブトムシやクワガタを取りに行きました。サッカーも教えてくれました。幼稚園のときは、海水浴場に遊びに行きました。休日は一緒にゲームをしたり、勉強を教えてくれたりしました。
 
西村)震災後、両親に変わって、及川さんと2つ上のお兄さんを育ててくれたのが、おばあさまの五百子(いよこ)さん。そのとき、おじいさまはどうしていたのですか。
 
及川)肺が悪かったおじいちゃんは、震災から2年後の2013年に亡くなりました。それまでは自分とお兄ちゃんを車で送迎してくれたり、勉強を教えてくれたりしました。
 
西村)おばあちゃんはどんな人ですか。
 
及川)とても優しいおばあちゃんです。自分とお兄ちゃんをここまで育ててくれた親のような存在です。2人分のお弁当を毎朝作ってくれていました。
  
西村)おばあちゃんからかけられた言葉で、印象に残っている言葉はありますか。
 
及川)「悪いことはしないで」「優しい人になりなさい」と言われていました。
 
西村)温かい言葉ですね。今年20歳になった及川さんは「二十歳のつどい」で、おばあちゃんに感謝の言葉を伝えたそうですね。どんな言葉を伝えたのですか。
 
及川)「自分をここまで育ててくれてありがとう」ということと、「大学を卒業して自分で稼ぐようになったら、ラクさせてあげるからね」という話をしました。
  
西村)その話を聞いたおばあちゃんは、どんなようすでしたか。
 
及川)安心したようで少し泣きながら、「ありがとう」と言っていました。
 
西村)及川さんは現在、東北学院大学2年生で、今は、陸前高田市から離れて暮らしています。及川さんは、将来はどんなふうになりたいですか。
 
及川)今は、将来就きたい仕事は明確にはなっていませんが、何らかの形で陸前高田市に貢献できたらと思っています。
 
西村)今はどんな勉強をしているのですか。
 
及川)大学で地域学を専攻しています。
 
西村)地域学を専攻しようと思ったきっかけは。
 
及川)高校の総合学習の中で、グループで進めていく授業があり、地域の発展・復興について考えていたからです。
  
西村)高校生のときは、どんなアイディアを出していたのですか。
  
及川)陸前高田市の特産品にリンゴがあります。海洋学科で作っているパンが人気だったので、そのパンにリンゴやわかめなどを練り込んで売ってみようと考えました。自分たちで試作・試食して、町のイベントで販売したこともあります。
  
西村)地域学では、どんなことを学んでいるのですか。
 
及川)地域の発展・復興から産業・福祉まで幅広いジャンルについて勉強しています。3年生からは、ゼミで自分が学びたい分野を専攻する予定です。地元が好きなので、地元に帰って陸前高田市に貢献できたら。復興は進んではいますが、まだ空き地が多く、人が少ないです。もっと建物や人が増えて、元気で活発な町になったらいいなと思います。
 
西村)東日本大震災から明日で13年になろうとしています。津波で両親を亡くしたことについて改めてどう思っていますか。
 
及川)小学校1年生からずっと両親がいない状態なので、それが日常になっていますが、小学生や中学生のときは寂しかったです。でもこれからは、お父さんもお母さんも天国から見守ってくれていると思うので、両親に誇れるような大人になりたいです。
 
西村)おばあちゃんには、改めてどんな想いを伝えたいですか。
 
及川)1人で自分とお兄ちゃんの子育てをしてくれたおばあちゃんは、本当に大変だったと思います。自分が特に大きな病気も怪我もせずに健康に成長してこられたのは、おばあちゃんのおかげです。「これから恩返ししていくから長生きしてね」と伝えたいです。
 
西村)リスナーに伝えたいメッセージはありますか。
 
及川)地震や津波はいつどこで起きるかわかりません。対策や心構えをして、忘れないでいて欲しいと思います。
 
西村)明日、13年目の3月11日はどこでどのように過ごす予定ですか。
 
及川)両親の墓参りに行った後に、献花台に献花をしに行きます。
   
西村)お墓の前で、お父さんとお母さんにどんなことを伝えますか。
 
及川)「成人したよ。これから頑張っていくので、見守っていてください」と伝えようと思います。
 
西村)明日で東日本大震災から13年を迎えます。
きょうは、震災で両親を亡くした岩手県陸前高田市出身の及川晴翔さんにお話しを伺いました。