第1259回「東日本大震災まもなく10年~被災地を見つめたドキュメンタリー」
ゲスト:映像作家 小森はるかさん

西村)きょうは、東日本大震災の津波で被害を受けた町を舞台にした、あるドキュメンタリー映画をご紹介したいと思います。
タイトルは「空に聞く」。
岩手県・陸前高田市のラジオ局「陸前高田災害FM」でパーソナリティをつとめた女性、阿部裕美さんを追ったドキュメンタリー映画です。この映画を手がけた映像作家の小森はるかさんに来ていただきました。
 
小森)おはようございます。よろしくお願いいたします。
 
西村)小森さんがこの作品を撮られたのは学生時代?
 
小森)当時は、大学院生でした。卒業してから9年が経とうとしています。
 
西村)この作品を観た時、40代ぐらいの方が撮られたのかと思ったんです。
小森さんの人柄にもすごく興味があります。小森さんは東日本大震災が起きた2011年当時は、おいくつだったんですか?
 
小森)22歳でした。
 
西村)東日本大震災が起きた時は、どこに居らしたんですか?
 
小森)東京に住んでいました。
 
西村)揺れは感じましたか?
 
小森)喫茶店のアルバイト中に揺れて、お客さんの避難の対応をしたりしていました。東京も揺れが大きかったので大変でした。
 
西村)東北の街が津波で大変なことになっている映像をご覧になってどう感じましたか。
 
小森)自分が居た場所も大きく揺れたんですが、その揺れが津波を引き起こして、家が流されているということが信じられなかったです。あまりにも大きな出来事で、事態が飲み込めませんでした。
 
西村)そこから東北でボランティア活動をして、それがきっかけで震災翌年の2012年の春に、岩手県・陸前高田市の隣町、住田町に移り住んだんですよね。なぜ震災後の町に住もうと思ったのですか。
 
小森)最初はボランティアを通じて色んな方々に出会ったのですが、ボランティアという形ではなくて、映像で作品を作ったり、表現をしたりすることを勉強してきた身として、カメラがどんな役割を持てるのかを考えるようになって。
カメラには「記録をする」ということができると、出会った人たちに気づかせてもらいました。
それで、出会った人たちが話していたことや風景を記録するようになったんです。
でも東京から通っているだけでは、見落としていることがたくさんあるような気がして。
被災地域は、毎日めまぐるしく変わっていくので、そこに暮らしていなければ気づけないことを記録したいと思うようになりました。
それで1年後に、友人と二人で岩手県に住んで、記録を続けようということになったんです。

 
西村)町の移り変わりやそこで暮らす方々の思いを残したい、という想いだったのですね。
 
小森)そんな気持ちが強かったと思います。
 
西村)今回ご紹介するドキュメンタリー映画は「空に聞く」というタイトル。
陸前高田市の災害 FM でパーソナリティを3年半勤めていた安倍裕美さんを追ったドキュメンタリー映画です。
映画の冒頭のシーン、阿部さんがラジオで喋る様子をお聞きください。
 
音声・阿部さん)こんばんは。2月11日月曜日、夕方の情報エブリィ陸前高田です。
今日は1日、風も強く寒い一日でしたね。午前中には雪も舞って真冬のようでした。
さていよいよ明日から一本松の設置作業が始まるそうです~~

 
西村)大きな津波の被害を受けた松原の中で、一本だけ残った大きな松の木。私も震災から2年後に見に行って、すごく生命力を感じたのを覚えています。
小森さんは、この一本松の話をする阿部さんにスポット当てて、ドキュメンタリー映画の撮影をされたんですよね。
阿部さんは、すごく語り口がやわらかで。以前にパーソナリティのお仕事をされていたのかと思ったんですけど、そうではないんですね。
 
小森)元々はご夫婦で小料理屋さんを営んでいたのですが、震災でお店が流されてしまいました。
再建までは、旦那さんは内陸の方でお仕事をして、阿部さんは町に残って仕事をしようということで、「陸前高田災害 FM」 のパーソナリティの募集を見つけて応募し、働くようになったんです。
なので、最初はパーソナリティをやりたくて始めたわけではなかったんです。
パーソナリティの仕事を始めてから、安倍さんにしかできない伝え方を見つけていったのではと思います。

 
西村)心で会話するということが大事だということを改めてこの作品から感じました。
 
小森さんは、陸前高田でたくさんの方と出会う中で、なぜ阿部さんのドキュメンタリーを撮りたいと思ったんですか。
 
小森)陸前高田でいろいろな方と親しくさせていただいたんですが、だんだん親しくなった方にカメラを向けることが出来なくなっていって。
 
西村)なぜですか。
 
小森)日常の中でお付き合いさせてもらっていた人にカメラを向けると、やはり被災した人と取材する人という関係に結び直されてしまう。
もしかして傷つけてしまうかもしれない、と考えてしまって、なかなか取材をすることができなかったんです。
でも、ご自身も被災されていながら伝える仕事をしている阿部さんを通してなら、私がカメラを向けられなかった人の想いも
伝えられるかもしれないと感じたんです。
阿部さんは、独り語りをするような人ではなく、常に「この町に暮らしている私たち」という一人称でお話しされる方。
町の人たちの本音をかわりに話したり、聞いたりしてくれる魅力的な人だなと思って。
それで、災害 FM の活動を記録させてもらうようになりました。

 
西村)私も災害の現場で被災している方にマイクを向けることがありますが、阿部さんの聞き方っていいなと思いました。
仮設住宅の方にインタビューする時に、マイクを向けずに、こたつでお茶を飲みながら、実はさりげなく録音機材を真ん中に置いているとか。リラックスして話を聞くことをいつも大事にしているというのは、安倍さんならではの優しさですよね。しゃべり手でではなくて聞き手なんですよね。
 
小森)そうですね。とてもいい聞き手だと思います。
 
西村)小森さんにとって、印象に残った言葉はありますか。
 
小森)阿部裕美さんが、これからできていく町に対して思っていたことが自分にとっては印象的でした。
新しく造成された町で、阿部さんが小料理屋さんを再開された時、お店の勝手口から見える風景が好き、という話をしてくださったんです。
その風景は、住んでいない人からしたら、すごく人工的で殺風景に見えるかもしれない。
その風景をどう捉えるかは、人それぞれだと思うんですけど、私は安倍さんが好きとおっしゃった気持ちを受け止めたいと思いました。そして、実際にその勝手口から見える風景を撮った時に綺麗だなと思ったんです。
それまでは、かさ上げ工事が復興の形として本当に正しいのか、土で12m かさ上げをしたところに人が住むのは安全なのかとか、
町のみなさんは、複雑な思いを抱えながら、次の町で暮らしていく選択をされていたんです。
そんな中でも、好きと言ってあげる阿部さんの言葉に町に対しての愛情を感じました。
私にはそれが言えないと思ったので。それがすごく印象に残っています。

 
西村)その阿部さんの言葉をリスナーのみなさんにも聞いていただきたいと思います。
阿部さんが映画の中で、自身のお店を再開した後に答えているインタビューです。
 
音声・阿部さん)この店が始まってからは、前の町と新しい街が別物って言ったらおかしいんだけど...。
現在と過去を行ったり来たりしながら、ずっと過ごしてきて。
ここに店を構えて再スタートをきったことで、未来に向けて歩き出せた。
忘れたとかそういうことではなくて。後ろばかり振り返っていた回数が減って、前を見て歩き出した感じがします。

 
西村)映像の中では、ちょっと目に涙を溜めてらっしゃるのかなと思いました。
忘れたのではなく、前を見るようになったとおっしゃっていますよね。
この言葉を聞いた時、小森さんはどんなふうに感じられましたか。
 
小森)阿部さんは、後ろを向きながら前に進んで行けば良いと言っていたんです。
震災後って、頑張ろう!前向きに!みたいなことを言われていて、自分たちも言わないとやっていけないというところもあったと思うんですけど。
そんな中でも阿部さんは過去ばっかり見ていて。自分は元々あった町やそこにいた人たちの方をずっと向いていたい。
後ろを向きながら、後ずさりするように前進すれば良いと言っていたんです。
そう言っていた阿部さんが前を向くようになったと聞いて、今が大きな節目なんだと感じました。
亡くなられた方たちに対しての想いは、ずっと変わらずにあると思うんですけど、過去を見るのではなくて、亡くなられた人たちが見ていてくれる未来という風に変わったのかなと感じて、すごく心に残っています。

 
西村)この作品はいつ頃から撮影した作品なのですか。
 
小森)2013年の1月から始めて、阿部裕美さんがパーソナリティをされていた2015年の4月まで追いかけさせてもらいました。
 
西村)ところどころ、阿部さんのインタビューが挟まっているのですが、
先ほどお話にあった「前を向くようになった」と答えていたのはいつ頃のインタビューですか。
 
小森)あのインタビューは2018年に撮影したものです。
阿部さんがラジオのお仕事を離れて3年くらい経ってからお聞きしたインタビューなので、すごく時間があいています。
当時のことを思い出すように語っていただいたインタビューです。

 
西村)年月が経ったからこそ、阿部さんの気持ちも変化していったのは、ラジオを通していろいろな方と出会ったからでしょうか。
 
小森)先が見えない中で、みなさんがバラバラに生活していた時に、阿部さんがたくさんの人に会ってお話を聞いてこられた時間は、次に繋がっていると思うし、阿部さんのこれからの暮らしの中もそんな時間が続いていくんだろうなと思っていて。
パーソナリティとして話を聞くってことは、これからはないかもしれないんですけど、きっとお店の中で、いろいろな人が話していることに耳を澄ましたり、街中で聞こえてくる声に耳を傾けたり、亡くなられた人のことを思って空に耳を傾けたり。
そういうことがこの先もずっと続いていくんだろうなと思っています。

 
西村)「空に聞く」というタイトルにも繋がるお話ですね。
この作品は、字幕もテロップもナレーションもないシンプルな作品。だからこそ味わい深く伝わってきます。
本当に丁寧に紡がれている映画だと思いました。私、2回、3回と観たいと思ったんですよ。
全部のシーンを不思議と覚えていて。もう1回観たらまた違ったことに気づけるんじゃないかなと思いました。
 
小森)2回、3回と観てもらいたいです。うれしいです!
  
西村)来年の3月で東日本大震災から10年。小森さんが、この映画を通じて改めてみなさんに伝えたいことはありますか。
 
小森)本当にこの10年の間にいろんな変化があって、町の風景もすごく変わりましたし、人の思いも変わったと思うんですけど、新しくできていく陸前高田の風景を見た人たちがどんな風に思うのかなと。
まだまだ復興していないと思う人もいるかもしれないし、新しい町が動き出していると思う人もいるかもしれない。
10年をどう捉えるかは人それぞれだと思うんですけど、この映像を観て、阿部さんの声を聞いて、みなさんがそれぞれに思いをはせていただけたらうれしいなと思います。

 
西村)リスナーのみなさんがこの映画を見てどんな風に感じられたのか、是非番組にメッセージを送ってください。
私も映画を観て、陸前高田のみなさんに会いに行きたくなりました。それぐらい心が近くなる映画だと思います。
「空に聞く」を手がけた映像作家、小森はるかさんにお話を伺いました。