第1371回「阪神・淡路大震災28年【4】~震災経験を母国ペルーの防災教育に活かす」
ゲスト:FMわぃわぃ理事 ひょうごラテンコミュニティ代表 大城ロクサナさん

西村)きょうは、阪神・淡路大震災の教訓を海外の防災に役立てる取り組みを紹介します。
神戸のラジオ番組がきっかけになり、南米のペルーで防災教育に取り組むことになったという、FMわぃわぃ理事 ひょうごラテンコミュニティ代表 大城ロクサナさんにお話を伺います。
 
大城)よろしくお願いします。
 
西村)大城さんは、震災前の1991年にペルーから神戸に来日。FMわぃわぃでスペイン語の番組を担当し、防災も伝えています。これまで日本に住む南米のスペイン語圏の人たちに日常生活のサポートや支援を行ってきました。来日してから4年後に阪神・淡路大震災にあい、須磨区で被災したロクサナさん。それまでに大きな地震の経験はあったのですか。
 
大城)ペルーは、たまに大きな地震がある国なのですが、わたしには経験がなかったです。
 
西村)神戸市・須磨区の自宅で、ペルー人の夫と一緒いるときに大きな地震が来たのですね。
 
大城)びっくりしました。すごい音がしたあと揺れが来て。部屋から出なければ、と思ったのですが揺れが強くて...。揺れがおさまってから家の外に出ることができたのですが、その後が大変でした。わたしは来日4年目でしたが、日本語ができなかったし、避難所があることも知りませんでした。アパートから出て、広い道の真ん中に立って泣くしかなかったんです。
 
西村)どこの避難所に行けばいいのか、逃げるところさえもわからなかったのですね。
 
大城)たくさん人はいたのですが、みんな自分のことで精いっぱい。不安な状態で泣きながら走っていました。わたしは、日本語が話せないので声をかけることもできませんでした。
 
西村)もし日本語ができたら、「どこに逃げたらいいですか?」と聞くことができますが、できないとものすごく不安ですよね...。ご主人も日本語が話せなかったのですか。
  
大城)話せませんでした。
 
西村)それからどのように避難したのですか。
 
大城)わたしは海の近くに住んでいたので、津波が来る、逃げなければと思いました。でもどの方向に逃げればいいのかわからなくて。逃げている人たちのうしろをついて行ったら、JR鷹取駅前の広場に着きました。
 
西村)寒かったでしょう。そこで言葉もわからない、知り合いもいない中、心細かったと思います。
 
大城)どうしたら良いかわからなくて、ただ待つしかなかった。時間が経つと次第に人が少なくなっていって。主人が「みんな家に帰っているから、ロクサナも帰ろう」と言ったのですが、津波が来るかもしれないとずっとそこで待っていました。そうするとひとりの男性がわたしたちのところにやってきて、話しかけてくれたんです。言葉が通じなかったのですが「おいで、おいで」と言って鷹取中学校まで案内してくれました。そこにはたくさんの人が集まっていました。そのときは、避難所というものがあると知りませんでした。わたしたち外国人がここにいても良いのかとすごく悩みました。日本では災害時に国籍関係なく避難場所が使えて、物資をもらうことができると今はわかっていますが、そのときはわからなかったのでお弁当を取りに行くこともできませんでした。
 
西村)お弁当を取りに行かなかったのですね。なぜですか。
 
大城)わたしたち外国人にもお弁当をもらう権利があることを知らなかったからです。
 
西村)でもお腹がすいたでしょう。
 
大城)地震後2~3日は、アパートにあったパンなどを取り出して食べていました。でもそれがなくなったときに食べないといけない。そんなとき、鷹取中学校に来ていたボランティアさんがわたしたちに食料を持ってきてくれたんです。それで食べ物をいただくことができました。振り返ってみると、迷惑をかけたくないと思っていたのに、結果的に迷惑をかけてしまったと思います。みんなは、自分の弁当は自分で取りに行っていたのに。日本語ができなかったので、わたしたちも取りに行ってもいいのかと聞くこともできなかったんです。
 
西村)ロクサナさんは、ひょうごラテンコミュニティやFMわぃわぃの番組を通して、外国人でも支援を受けて良いということを伝えています。ロクサナさんは、2000年からFMわぃわいでスペイン語の番組を担当して防災の話も伝えています。このFMわぃわぃは、阪神・淡路大震災をきっかけに発足した多言語のコミュニティ放送局。さまざまな国の人が住む神戸・長田の町で、多文化共生に向けて情報発信を続けています。ロクサナさんの母国、ペルーは、1970年に5万人以上が亡くなる大きな地震も発生している地震国。ロクサナさんがペルー在住時は、地震の話を聞いたり、勉強したりする機会はあったのですか。
 
大城)わたしがペルーにいたときは、学校で防災を学んだこともなく、避難訓練もしたことがありません。
 
西村)でも、時々大きな地震が起きているのですよね。
 
大城)はい。大きな地震がいつ来てもおかしくない状況です。政府は地震に備えましょうと呼びかけていますが、どのように準備したら良いのかわかりません。非常用バッグを用意してくださいというだけ。中に何をいれたら良いのかまでは教えてくれないんです。
 
西村)それでは、みんなわからないですよね。そこで、大城さんが母国ペルーに行って、防災教育に取り組むことになったそうですね。
 
大城)2000年からひょうごラテンコミュニティの活動を始めました。日本語ができない外国人は、国籍関係なく日常生活が大変です。災害のときはもっと困ります。コミュニティでは、さまざまな相談を受けたり、スペイン語で情報発信をしたりしています。さらに日本で住むために必要な情報を自分の言語で受け取ることができる仕組みもつくりました。9月の防災の日や阪神・淡路大震災が起きた1月17日には、わたしの経験を伝えています。2011年の東日本大震災のときは、日本全国に住んでいるラテンコミュニティの人たちが福島の原発事故のことを知ってパニックになってしまいました。そのときにコミュニティの防災意識の低さ、災害に対応できていないことがわかりました。日ごろから防災意識を高くもって、自分の命は自分で守る力をつけるということが大事。ラジオ番組で防災をスペイン語で伝えたり、スペイン語の防災ガイドを作って無料で配ったりする取り組みをしました。それを知ったペルーの人から「防災を教えてほしい」という声が届きました。
 
西村)ラジオはインターネットでも聞くことができますからね。今年の2月から、JICA国際協力機構の支援事業としてスタートし、5年間のプロジェクトが行われることに。防災の体験を自分の故郷に還元するというのは、初の試みだそうですね。ペルーに行ってどんなことを教えるのですか。
 
大城)ペルーだけではなく南米の国では、政府の取り組みが住民コミュ二ティまで届きません。だから地震が来たらどうしたら良いのか、避難場所も決まってないし、準備もできてないんです。私は、神戸で子どもを2人育てているので、神戸の小学校・中学校で防災について学ぶことができて、避難訓練も体験できます。ペルーの防災意識を高めるために、そんなふうにペルーの子どもたちにも教えなければならないと思いました。日本の学校と同じように、ペルーの学校で子どもたちに防災を教えることが私の夢だったんです。今回のプロジェクトでは、首都・リマにあるミ・ペルー地区の学校で、ペルーで初めて、学校で防災の授業を実施します。
   
西村)神戸で育った息子さんと一緒にペルーに行って、ペルーの子どもたちに防災を伝える、この取り組み素敵だと思います。子どもたちからお父さんたお母さんにも伝わっていくと思います。ロクサナさんは阪神・淡路大震災を経験して、みんなにどんなことを伝えたいですか。
  
大城)わたしは、日本語ができなかったので、災害がおこったきにどうしたら良いのか、避難所があるということもわからなかった。テレビで地震後の状況を見ても良くわからなかった。自分の言語で情報がほしかったです。日本語ができない外国人は、日常生活も大変ですが、災害のときはさらに困ります。日本人も異国で災害にあったらどんなことになるのか考えてみてほしいです。今は世界のあちこちで災害が起きています。日本だけではなく、他の国も防災力をつけていかなければなりません。ひとりひとりができることからはじめていきましょう。
 
西村)素敵な取り組みのお話ありがとうございました。
きょうは、FMわぃわぃ理事 ひょうごラテンコミュニティ代表 大城ロクサナさんにお話を伺いました。