第1380回「東日本大震災12年【4】福島原発事故 母子避難12年」
ゲスト:原発賠償関西訴訟原告団 代表 森松明希子さん

西村)東日本大震災12年のシリーズの4回目は、原発事故避難がテーマです。
きょうは、福島県郡山市から大阪に母子避難している森松明希子さんがゲストです。 森松さんは、原発賠償関西訴訟原告団の代表で、東日本大震災避難者の会「Thanks&Dream」を主宰しています。
 
森松)よろしくお願いいたします。
 
西村)森松さんが大阪に避難して12年。改めて経緯を教えてください。
 
森松)2011年3月11日は、福島県・郡山市に住んでいました。 夫と0歳の娘、3歳の息子と家族4人で暮らしていました。息子は幼稚園に入園する直前で、娘は生後5ヶ月でした。
 
西村)新たな春に向けて準備していたときに東日本大震災が森松さん一家を襲ったのですね。
 
森松)わたしたちは原発から60km離れた郡山市に住んでいました。地震で家が壊れて、夫の職場の病院に1度目の避難をしました。そこで福島第一原発が爆発したニュースを見たんです。郡山市は、原発から60km離れているので、強制避難区域に指定されませんでした。当時は原発から同心円上2~3km 以内の人が強制的にバスに乗せられて、防護服を着た人たちに連れ出される映像をニュースで見ていました。そのうち20~30km以内にも屋内退避命令が出ました。わたしたちにも避難指示や避難勧告が出るのは時間の問題だと思っていたんです。外側の人が我先に逃げると全ての人が助からないと思い、政府の指示を待っていました。でもこの12年間で、60km離れた郡山市や県庁所在地の福島市には、1度も避難指示は出ていません。そんな中、なぜ避難をするに至ったかと言うと、0歳と3歳の乳幼児を抱えていたからです。 0歳はまだ外遊びすることはありませんが、3歳児を部屋の中から一歩も出さない生活はむずかしくて...。
 
西村)当時3歳だった息子さんはどんな様子だったのですか。
 
森松)幼稚園の行き帰り以外、一歩も外に出さないという生活は、虐待をしているようなものです。外で思いっきり走りまわりたいし、きれいなお花、石ころや葉っぱや虫を触りたい年頃でした。でも通園時に外に出たとしても「触っちゃダメ」と言わなければならないのです。
 
西村)原発事故の影響でいろんなものが汚染されているかもしれないから、触ることもできないのですね。
 
森松)放射性物質が飛び散っているため、外遊びが禁止されていました。3月末には原発から200km離れた東京の金町浄水場の水道水が汚染されたというニュースもありました。空気が汚れているだけではなく、放射性物質が土壌や浄水場に落ちて、水道水も汚染されています。水を飲むことも外遊びで地面を触ることもはばかられるという状況で暮らしていました。
 
西村)当時0歳の娘さんはおっぱいやミルクを飲んでいたと思います。放射性物質で汚染されているかもしれない水道水でミルクを作って、娘さんにあげなければならないことに葛藤があったのでは?
 
森松)食べ物も飲み物もない中、幸い蛇口をひねったら水道水が出たので、必死で水を飲むことで、母乳を止めないようにしていました。おっぱいで0歳の娘の食事をつないでいたのです。地震で哺乳瓶も割れてしまい、粉ミルクも売っていません。とにかく水を飲んで母乳を出して子どもの命をつないでいたときに、「水道水から放射性物質が検出された」というニュースを見て衝撃を受けました。水道水しか飲み水はなかったので、体に悪い放射性物質が含まれているとわかりながら、子どもたちにも水を与えていました。
 
西村)その後どうしたのですか。
 
森松)子どもたちを一歩も外に出さないという生活は、成長にも影響が出るし、特に3歳の子どもには不可能です。5月のゴールデンウィークは幼稚園もお休みになるので、家から一歩も出られないのは困ります。そこで夫がわたしの出身地である関西にわたしと0歳と3歳の子どもたちを出してくれたんです。夫は仕事があるので、わたしたちを関西に届けてからすぐに福島に戻りました。5月のゴールデンウィークを利用して、福島を脱出することができたんです。
 
西村)そこから12年経ったのですね。
 
森松)最初は子どもたちに外遊びできる環境を与えるための一時避難のつもりでした。関西に来て、関西のローカルニュースと福島県内のニュースの内容の違いに驚きました。福島にいたときにいちばん知りたかった情報は、福島県内では知ることができずに、関西に出てきて初めて、原発事故や汚染の状況、今後の見通しについて知りました。過去に事故を起こしたチェルノブイリ原発を例にした検証、食べ物や飲み物・土壌の汚染が子どもたちに与える影響や健康被害の問題も、関西では特集を組んできちんと報道されていたんです。福島県内では、とにかく「がんばろう」ばかり。震災から復興する町のようすも大切なニュースではあるのですが、子ども被ばくさせないための情報は流れてなかったんです。関西に避難して、外から福島を見ることができたわたしは、その頃始まった除染作業についても知ることができました。最初に除染作業に取り掛かったのは郡山市なんです。
 
西村)森松さんが住んでいた場所ですね。
 
森松)隣の学区あたりで作業が始まりました。 除染をしなければならないところに住んでいたという事実を、現地に住んでいたわたしたちは知りませんでした。小学校に子どもを通わせている保護者が声を上げ、土を5cm剥いで少しでも線量を下げる除染作業が始まり、福島全土に広がりました。そんな環境に住んでいることさえも、現地に住んでいたら知らされないんです。とにかく「みんなでがんばろう」と言うだけ。わたしたち住民が知りたいのは、客観的な汚染の事実と被ばくから身を守る方法です。
 
西村)福島から関西へ脱出して、一気に暮らしが変わったと思います。避難した人もいれば、とどまらざるを得なかった人もいたのでしょうか。
 
森松)我が家は、避難をしているわたしたち母子と、福島にとどまった父親というふうに、家族の中で選択を変えています。移住避難をした家族もいますが、福島県外に知り合いや親戚がいなくて、避難できないママ友達も多いです。それは強制避難ではないから起こる問題です。強制ではないので移住先もそれぞれの判断に任されます。避難しなくても大丈夫と思っている人もいるかもしれませんが、ママ友達の多くは避難したくてもできない人ばかりです。ローンを抱えてどこに行けばいいのか、避難先での生活はどうなるのか――わたしが母子避難をすることを報告したときに 「ありがとう」と言ってくれたお母さんがいました。
 
西村)なぜですか。
 
森松)「原発がさらに爆発したり、なにかあったりしたときに、大阪にいる森松さんの元へ子どもを連れて避難できるから、決断してくれてありがとう」と背中を押してもらったんです。その言葉を聞いたときに、なんて不合理で不平等で不条理なことが起こっているんだろうと思いました。子どもを被ばくや放射能から守りたい気持ちは一緒なのに、決断したくてもできない人、決断した人の先を頼っていくしかない人がいる。こんな構図はおかしいと思いました。そのような人の声は、報道にされることはなかったし、むしろ「復興の妨げになる」「後ろ向きだ」というバッシングを受けて、口をつぐまざるを得ない状況になりました。
 
西村)森松さんは大阪でさまざまな思いを抱えながら子ども2人と生活をする中で、国と東京電力に損害賠償を求める訴訟を起こしました。これはいつ、なぜ起こしたのでしょうか。
 
森松)避難をして約2年たった2013年9月に、国と東京電力に民事訴訟を起こしました。原発事故の影響で関西に避難をしてきた人たちによる原告団ができました。国と東京電力の違法性を追及して、原発被害の事態を明らかにし、それに見合った損害賠償を求めるという形で、国家賠償請求訴訟を提起しました。
 
西村)原告団にはさまざまな人がいるそうですね。
 
森松)単身で避難をしている若い人、高齢の夫婦、我が家のような母子だけの家族、一家で移住をしている人など、100人の避難者がいれば、それぞれの背景や家族構成・状況もさまざま。家族のために仕送りをしたり、避難生活の費用を捻出しなければいけない人もいます。いろんなケースがあるということを知ってほしいです。ひとたび原発が事故を起こせば、故郷が汚染をされて、地域のコミュニティも壊されます。避難をするには費用がかかりますが、強制避難の人でもお金が足りない状況なのに、自力で避難費用を捻出しなければならない人が圧倒的多数であるということも、社会で共有してもらいたいです。これも原発被害のひとつだと思っています。
 
西村)社会で共有するために、メディアで語るとかSNSで伝える避難者もいますが、なぜ森松さんは裁判を起こさなければならないと思ったのですか。
 
森松)避難をすることも基本的人権だと思っているからです。健康を享受する権利、健康を守る権利など、健康に関する権利は、生きていく上でいちばん基本的な権利だと思います。この国には、権利侵害があったときに、司法裁判所に訴えることができるシステムがあるわけですから、きちんと声を上げなければいけません。社会に対して、裁判官にきちんと訴えて、司法判断を下してもらう。司法判断が間違っていれば、また声を上げていかなければいけません。避難をしたくてもできない人がいます。被ばくをしたくない、健康を享受したい、子どもだけは被ばくさせたくない、それらは全て基本的人権の中の健康に関する権利です。その権利は絶対に守られなければいけないと思うので、裁判所に申し出ることにしました。 提訴から丸10年かかって、やっと裁判官の面前で被害や避難の実態を訴える本人尋問の段階まで来ました。避難をしてきた人たちの生の声をたくさん聞くことができますので、ぜひ傍聴に来ていただきたいです。
 
西村)本人尋問が始まるのはいつですか。
 
森松)5月24日です。わたしは午前10時から大阪地方裁判所の法廷で証言台にひとりで立って被害を訴えます。何も資料を見ずに自分の記憶だけで裁判官に訴えなければいけないという局面になります。
 
西村)原発の新規建設や運転期間を60年まで延長するなどの方針が政府から新たに発表されました。この動きに関してどう感じますか。
 
森松)遺憾で残念です。誰も責任を取らない状況のまま、それを良しとして原発回帰をするというのは、被害者を踏みにじる行為です。
福島県の県境で放射能汚染は止まりません。広い範囲の人々に影響を与え、地域を破壊しています。原発周辺地域の人々だけを犠牲にして、何の反省もなく、誰も責任を取らないまま、被害の実態の共有もなされないままでは、同じ被害が繰り返されてしまいます。それは避難をしている人も被災地でとどまっている人も福島県民も、誰も望んでいないことです。

 
西村)きょうは、原発賠償関西訴訟原告団 代表 森松明希子さんにお話を伺いました。