第1242回「豪雨災害から命を守るために」
電話:京都大学防災研究所 教授 矢守克也さん

千葉)ここ数年、毎年のように大きな豪雨災害で全国各地に被害が出ていますよね。
令和2年7月豪雨では、九州を中心に被害が拡大して、全国で82人の方が亡くなっています。
 
新川ディレクター)熊本県では、球磨川沿いの高齢者施設で多くの方が亡くなりました。
災害から身を守ろうと思うと、危険な場所から安全な場所に避難しておくということが必要になるんですけれども、いつどこにどうやって避難したら命を守ることができるのかということを、きょうは考えたいと思います。
 
千葉)避難行動について研究を続けている京都大学防災研究所教授の矢守克也さんに電話をつないでお話を聞きます。
矢守さんは、今回の豪雨災害をどんなふうに感じていらっしゃいますか。
 
矢守)今回、雨自体もすごくたくさん降ったんですけども、やはり、身を守るための避難という問題が、やっぱりクローズアップされてしまったかなと感じています。
避難にとって大事なことは大きく分けて2つあって、「いつ逃げるか」というタイミングの問題と、「どこへ逃げるか」という場所の問題と、この2つが避難にとっての2大要素ということになりますよね。

 
新川)これを、どういうふうに考えたら命を守ることができるんでしょうか。
 
矢守)まず、「いつ、どこへ逃げるのか」の「いつ」について考えてみます。
これまで「情報」、例えば、避難指示とか勧告とか、大雨警報とか、そういった情報が、「いつ」を決めるための決め手になる、主役になると考えられてきたんですけども、今回の豪雨災害や、最近数年間の災害を振り返ってみますと、避難にとっての「いつ」を決めるための情報って、本当にいちばん大事なんだろうかって、ちょっと今、問いかけている最中ですね。

 
新川)避難勧告、避難指示、それから近年はレベル4とか5とか、特別警報とか、いろんな情報が出るようになりましたよね。
その情報が避難の決め手の主役ではないということですか?
 
矢守)そうなんです。
情報は確かに大事な一要素だとは思うんですけど、多分もっと大事なことがあるんじゃないかと。

 
新川)情報を適切に理解して、行動に結びつけるにはどうすればいいのかなと、私たちの番組でもずっと考えていますよね。
 
矢守)いま、「行動に結びつける」っておっしゃっていましたよね。
私も、そこが一番のポイント...ちょっと言葉を変えますと、情報と避難行動を結びつけるための「橋渡し役」、カタカナで言うと「ブリッジ」が大切と考えています。
情報本体が大事なんじゃなくて、情報と行動を結びつけるための橋渡し、ここをどう工夫するか。それがいちばん大事だと考えています。
そういう事例が多いんですよ、このごろ。
「情報はこれもあったのに、あれもあったのに、でも生かされなかったですよね」という振り返り方をしていること、ここ数年多いと思われませんか。

 
千葉)そうですね。
では矢守さん、具体的に、避難行動に移すための橋渡しっていうのは一体どんなことになるんですか。
 
矢守)キーワードをひとつ、紹介しますね。
ここ数年、私は「避難スイッチ」という言葉を提唱しています。
「スイッチが入った!」とか言う時のスイッチですね。
大事なことは、避難情報を行動に移し替えていくときのスイッチ。
このスイッチの材料になるものは、3つあると思っています。
ひとつ目は、いまも言った通り、「情報」がスイッチの大事な要素のひとつ目ですね。
例えば、このごろはインターネットとかを調べていただくと、お近くを流れている川の水位、水の高さとか、場合によっては、「〇〇橋のところの今の状況です」というようなライブカメラの映像、こういう情報がどんどん増えてきています。
これらが、避難スイッチの大事な要素のひとつですね。

 
新川)警報とか避難指示とかだけではなくて、あらゆる情報が、いま、インターネットを通じて得られるようになっていますもんね。
 
矢守)これは、もちろん利用してほしいなと思っています。
ただ、他にもあることが大事で、避難スイッチの2つ目の材料は、「身近な異変」、つまり、身の回りのちょっと変わったことです。

 
新川)水路から水が溢れてきたとか、そういうことですか?
 
矢守)その通りですね。
ただ欲を言えば、溢れてからだと、もう遅いじゃないですか。
だから、水が溢れるようなことになる前に、なんかちょっと危ないなっていう時には、まず、「あの病院の駐車場のあたりがこの辺だと一番土地が低くて、なんかいつもあの辺から水が出てくる」とか、
もうちょっと中山間地に行くと、「いつもは川の水の上に出ている岩がなんか半分以上隠れ始めたぞ」とか、そういうふうに身の回りで、情報じゃなくって直接見て聞いて体感できることの中で、あやしげなサインになるものです。これが身近な異変ですね。
例えば、関西地方なんかでも最近、住宅地に土砂が押し寄せてきたみたいな時によく聞くのが、まず、坂道のところをすごい勢いで水が川のように流れるようになっていたと。で、その後土砂が...みたいな話が、わりとあるんですよ。
そういう意味で、みなさんの身近なところにある、大雨が降り始めて大きな災害につながる前に出てくるサインにはどんなものがあるかというのを、考えてみる必要がありますね。

 
千葉)じゃあ、矢守さん、3つ目は何ですか?
 
矢守)これはね、もっと具体的に「人からの呼びかけ」です。
情報だけ、あるいは身近な異変を見るだけでは、なかなか避難へ向けて重たい腰が上がらないんですね。
避難指示とか勧告も出ているってテレビ・ラジオで言っていて、情報も入ってきたし、なんかすごい音を立てて雨が降っているし、なんかちょっと今日はおかしいなと思っているところに、さらに、隣の家の人が「〇〇さん、もう危ないよこの辺。逃げましょう」って言ってくれたとか、あるいは遠くに住んでいる親戚から、例えば「おばあちゃんの住んでいる地域に大雨の特別警報まで出ているよ、危ないよ」って言う電話が入ったとか。
こういうやっぱり、直接的な人からの声かけっていうのが、最後、いわばダメ押し的に「避難スイッチ」を押すことにつながることが多いのです。
「情報」「身近な異変」「人からの呼びかけ」、この3つの要素を組み合わせて、「避難スイッチ」を使うことが大事だと思います。

 
新川)たしかに、周りが逃げていなければ大丈夫かなとか思ってしまいますけれども、「危ないよ」って言われると、あ、そうなのかなって、ちょっと後ろから押してくれますよね。重い腰を上げるきっかけとして。
 
矢守)逆に言うと、逃げようって思った時は、余裕があれば、自分だけ逃げるんじゃなくって、安全確保したうえで、隣の家とかその隣の家とか、「ドンドンドン!」ってノックしてあげて逃げるということは大事ですよね。
 
千葉)避難スイッチの材料、例えば、身近な異変などで避難した実際の例はあるんですか。
 
矢守)それは、たくさんあるんですね。
関西に近いところの例と、最近の九州での豪雨の例と、2つお話ししますね。
まず関西、兵庫県宝塚市の川面(かわも)地区。
武庫川に面しているんですけど、この地区に縁があって、私、防災の仕事をお手伝いをしています。
この川面地区の自主防災組織の方、つまり住民さん自らが、いくつか「避難スイッチ」をつくるという活動を、この数年間やってこられました。
どんなスイッチができたかというと、ひとつは「情報」、ひとつは「身近な異変」の例です。
まず「情報」の方は、川面地区は武庫川という大きな川に面していまして、その武庫川の水位情報、水の高さの情報って、ちゃんとインターネットに公開されているんです。
でも、地域の人に情報が共有されず、知られていなかったんですね。

 
新川)自主防災組織の方々もご存知なかったんですか?
 
矢守)そう。やっぱり情報はあるだけじゃダメで、どんなふうに自分たちの行動に結びつけるかということを考えた時に、初めて、「ここに情報があるなあ」とか「普段からスマホで見とかないかんね」というふうに活用されるようになるということですよね。
こんなことで、川面地区では、武庫川の水位情報を、避難スイッチとして活用するということで、すでにスタートされています。
それで、もうひとつ、「身近な異変」の方も、スイッチをちゃんと自分たちなりに見つけられています。最近、「バックウォーター」っていう言葉、聞かれたことありません?

 
千葉)あります。川が合流地点で逆流する現象のことですよね。
 
矢守)そうなんですよ。これが大規模な越水の原因になっているんです。
武庫川の川面地区も例外ではなくて、武庫川という大きな川に、荒神川とか大堀川っていう小さな川が流れ込んでいるんですね。
そして、流れ込む合流地点の辺りで、逆流しているようすを住民の方が見つけられたんです。ちょっと雨が降った時ですよね。
この逆流がもっとひどくなると大変やなーっていうことで、逆流しているかどうか、チェックできる近くのお家の方を、ちゃんと選んで、「〇〇さん確認しといてね」っていう...。

 
新川)離れた場所の人が行くと危ないから、お家から見られる人を選んだということですかね。
 
矢守)そうですよね。
そういう逆流現象みたいなことが始まったら、すぐにみんなに連絡をまわして、「そろそろ避難の態勢を整えようとか」っていうふうにスイッチを入れると。

 
新川)今回の九州の豪雨でも、そういう例があったとおっしゃいましたが...
 
矢守)はい。
報道されているところでは、熊本県相良村西村地区というところで、球磨川に流れ込んでいる小さな水路の樋門(水路と大きな川の間にある水門)を長年管理されていた方が、これまでの経験にはないような水位になってきているということに気づかれたんです。これ、一種の「身近な異変」じゃないですか。
長年、そこを見てきた人が「こんなふうになるの初めてだ」ということになって、その方が集落全体50人ほどいらっしゃったそうなんですけど、「ドンドンドン!」って一軒一軒まわられたそうですよ。
まさに「人からの呼びかけ」ですよね。
それで、大変な状況になったんですけど、命は全員助かったっていう例もあったそうです。

 
新川)熊本の豪雨の時は、夜中から明け方にかけて危険が迫りましたので、人からの呼びかけというのが本当に重要だったでしょうね。
 
矢守)そうですね。
ほとんど真夜中っていう時間帯に事態が悪化していたので。
ずっとテレビを見ていた、ラジオ聞いていたって人も少ないでしょうしね。
ここでもやっぱり、情報だけじゃなくて身近な異変と、それに気づいた人が皆に呼びかけるっていうタイプの避難スイッチがうまく機能したわけです。

 
千葉)でも、ダーッと一気に雨が降って、気づいた時にはもう危険が迫っていて事前に決めていた通りに避難できないという状況になった場合は、どうしたらいいんでしょう。
 
矢守)いわば切羽詰まった段階、土壇場に追い込まれてしまった時にどうするかっていう大事な問題ですね。
そういうことって人間だから起こりえるんですけど、どうも私たちのクセとして、そういう土壇場の練習をあんまりしてないですよね。
千葉さんって避難訓練で、そういう土壇場になった時にどうするかなんてやったことあります?

 
千葉)いや、それはないです。
 
矢守)ないでしょう。
どっちかと言うと、教科書通りの、100点満点を取るための優等生の避難訓練ばっかりやるじゃないですか。
でもね、実際には、まだ晴れているような段階で、みんなでゆっくり歩いて小学校の体育館に行きましょう、みたいな避難ってあまりない。千葉さんがさっき言われたみたいに、気づいた時には逃げられなくなって家から出られなくなっているっていうことが、やっぱり起こり得るわけですね。
そういう時に、土壇場の手段としてどうするかっていう練習や訓練を、私はもっとやるべきだというふうに思っています。
そして、ここでもキーワードを作りました。
さっき、事前に時間的余裕を十分持って、自治体が指定した避難場所に行くって言いましたけど、それを100点満点、いわばベストな、最善な避難というふうに呼ぶとすると、最善のベストの避難ができない時に「次善」っていう言葉がありますね。
これ、カタカナにすると「セカンドベスト」ってなるんですけど。
「セカンドベストの避難は自分たちにとってどこに行くことなのか」というのを一生懸命みんなでちゃんと考えておいて、かつ、そこに行く訓練をしておくことが大事だと思います。

 
千葉)こういう状況になった時にはここ、また、こういう状況になった時はここっていう、セカンド、サードの想定をちゃんとしておくということですね。
 
矢守)はい。
実際、2018年の西日本豪雨とよばれる災害で、被害が大きかったところのひとつ、倉敷市真備地区というところがありますね。
あそこでは多くの犠牲者が出てしまったんですけれども、非常に多くの方が1階部分で犠牲になっていて、しかも、記録によると、半分ぐらいの方は2階建ての家の1階で犠牲になっているんです。
どうして2階に行けなかったのか、あるいは行けない方もいらっしゃいますので、せめて2階にあげる手助けができなかったのか。その時間的余裕もなかったのか、そもそも頭にそういう考えが浮かんでくることがなかったのか、考えは浮かんだけれども水の勢いが早かったのか、いろんな可能性があるんですけど、どちらにしても、例えば高齢の方なんかを中心に2階まで上がってみるとか、隣の家が3階建てのハイツやアパートだったら3階建てのそこまでは行ってみるという事前の練習、訓練をしてみることが大事だと思います。

 
千葉)実際には避難行動をとっても何にも起きなかった、空振りが起きることってありますよね。
それでもやっぱり行動した方がいいんでしょうか。
 
矢守)そうすべきだと思います。
いま、千葉さんが「空振り」っていう言葉をお使いになりましたよね。この表現自体を、私たちの意識を変えるためにも、変えたほうがいいと思っています。
代わりの言葉として、これ冗談ではなく聞いてほしいんですけど、「空振り」じゃなく「素振り」と呼んではどうかと。

 
新川)「素振り」というと、バットを振る練習ということですね。
 
矢守)そう。まさにその練習だと考えるべきだと思うんです。
実際に、用心のために避難場所まで行ってみたけれども、結果として大したことが起こらなかったことを、私たちは、ふつう「空振り」と呼んでいます。
この「空振り」という言葉には、無駄足だったとか、くたびれもうけ、骨折り損といったようなニュアンスがあります。
この「空振り」っていう言葉を使っている限り、そういう無駄なことをした、やらなくてもいいことをやったっていうニュアンスがつきまとうと思うんです。
でも、そうじゃなくて、私たちが避難をするとき、一度も行ったことがない場所に行くのってそれだけでハードルが高くなりません?
千葉さんも、飲み屋さんに行く時に、おなじみのところに何回も行きませんか?

 
千葉)行きますね。その方が安心できますもんね。
一見さんで初めて入るのってむずかしいです。避難する場所も同じなんですね。
 
矢守)そうです。
そこの床は硬い板なのか、畳の部屋ぐらいあるのか、トイレは洋式なのか和式なのか、第一そこまで何分かかるのかとか、何にも分からない場所に行くって、それだけでハードル高いんですよ。
ということは、空振りじゃなくて、ちょっと今回危なそうだなと思った時には、ぜひ積極的に避難場所に行っていただいて、結果として何ごともなくても、それは本当に危ない時の練習だったと考えるわけです。
ホームランを打つために、プロ野球選手も高校野球の選手も、みんな素振りを一生懸命しているじゃないですか。それと同じですね。
 
これについては、本当に印象的な実話がひとつあるので、ご紹介しておきます。
2018年の西日本豪雨の時に、京都府の綾部市でこんなことがありました。
崖の近くのお宅に高齢のお母さんがひとりで住んでおられて、その娘さんが、大雨の情報などが出た時には必ずお母さんに知らせて避難をしてもらっていたそうなんです。
でも、2018年の西日本豪雨より前は20回連続、千葉さんの言葉を使うなら「空振り」だったそうなんですよ。
避難したけど大したことは起こらなかった、崖が崩れなかったということですね。20回もですよ。
多分もう10回ぐらいのところで、「もういいんちゃうか」と思い始めたこともあると思うんです。
でも、毎回、避難されていたそうです。
そして、ついに2018年西日本豪雨の時の雨で、その崖が崩れたんだそうです。
避難していなければどうなっていたかなという状況になってしまった。
このお話を聞くと、21回目っていう肝心な時のための準備、練習を「素振り」という形でくり返されていたことが、その21回目の結果を生んだというふうに考えないといけないじゃないですか。
避難ってそういうものだと思うんです。滅多に起こらないのが災害なので。
最近、災害は多いけど、ひとりひとりの人生にはやっぱり滅多に起きないことなんですよ。
でも、その時のために、「空振り」じゃなくて「素振り」という名の練習をくり返しておく。
これが避難というものだと、覚悟を決めるということが重要ですね。
実際に災害が起こる時のための「素振り」なんですよね。