第1383回「トルコ・シリア地震2ヶ月...復興への課題は?」
ゲスト:NPO法人 CODE海外災害援助市民センター 事務局長 吉椿雅道さん

西村)2月6日未明、トルコ南東部を震源とするマグニチュード7.8の大きな地震が発生し、5万人以上が犠牲になりました。多くの建物が倒壊した現地はどんな状況なのでしょうか。
きょうは、地震発生直後から現地に入り、支援活動を続ける神戸のNPO法人「CODE海外災害援助市民センター」事務局長 吉椿雅道さんに聞きます。
 
吉椿)よろしくお願いいたします。
 
西村)CODE海外災害援助市民センターは、阪神・淡路大震災をきっかけに生まれたNPOなのですね。
 
吉椿)28年前の阪神・淡路大震災のときに世界約70カ国から支援をいただき、被災地の市民が立ち上げた団体です。
 
西村)海外でも支援活動をしているのですか。
 
吉椿)海外の途上国で復興支援を担っています。99年にトルコで起きた地震のときも支援をしてます。
 
西村)今回のトルコ・シリア地震で、吉椿さんはいつ現地入りしたのですか。
 
吉椿)地震の5日後に現地に入り、ガズィアンテプを拠点に、被災地のカフラマンマラシュやアディヤマンなど3ヶ所の被災地を回りました。
 
西村)そのとき、大学生のスタッフも一緒に行ったそうですね。
 
吉椿)海外の被災地で学んでもらうために、インターンの大学生と一緒に行きました。
 
西村)地震から5日後の現地はどんな状況でしたか。
 
吉椿)カフラマンマラシュは、あちらこちらで政府の組織が人命救助を行っていました。被災者は焚き火を囲んで家族の帰りを待っていました。僕もその輪に入れてもらったのですが、28年前の阪神・淡路震災の避難所を思い出しましたね。炊き火を囲みながら泣いている人もいて。でもときどき笑い声も聞こえてきました。トルコの人が紅茶を振舞ってくれて、いろいろなお話を聞かせてくれました。
 
西村)食事はどうしていましたか。
 
吉椿)ほとんどの店が閉まっていました。倒壊した家屋も多く、ライフラインも止まっていました。避難所ではボランティアやNGOが炊き出しをやっていたのですが、僕らにも「食べて」と言ってくれて。
 
西村)自分たちのことだけでも精一杯なのに。優しさが身にしみますね。
 
吉椿)トルコは親日国なので、僕が日本人だとわかると来てくれて、100人以上と写真を撮りました。トルコの人たちはボランティアなどでお互いを支え合っていて、すごいなと思いましたね。
 
西村)こちらの報道ではかなり寒いと報じられていましたが、どれぐらいの寒さでしたか。
 
吉椿)ダウンジャケットを着ていても寒かったです。夜中はマイナス6度まで下がります。被災者はテントの中で薄い絨毯の上に寝ているので、下からの冷えがものすごくて。日中はぽかぽかとあたたかいのですが、寒暖差がありテント暮らしは大変でした。
 
西村)吉椿さんたちは、日本から温かいものを持っていったそうですね。
 
吉椿)寝袋やテントの中に敷くキャンプマット、テントなどを提供しました。
 
西村)どんな反応がありましたか。
 
吉椿)とてもよろこばれました。ときどき雨も降っていたので、カッパやダウンジャケットも提供しました。
 
西村)その後もう1度現地に行ったそうですね。
 
吉椿)地震から約1ヶ月半経った3月21日に行きました。そのときには、がれきはほとんどなくなっていて、広大な仮設住宅村ができていました。ものすごいスピードで復旧・復興が進んでいたんです。それでもまだ200万人の人がテント暮らしをしていて、仮設住宅入居者はわずかに7万人程度でした。
 
西村)被災者の数はどれくらいですか。
 
吉椿)被災者は1560万人。多くの人がイスタンブールや郊外の親戚の家などに避難しています。被災地に残っている人は少ないのですが、残っている人は行き場がないので、ほとんどの人がテント暮らし。仮設住宅に入っている人は少ないです。
 
西村)最近の現地の気温は?
 
吉椿)夜は0度近くになりますが、昼間は温かいです。標高が高いので日が暮れると寒くなります。
 
西村)ライフラインはどれぐらい復旧していますか。
 
吉椿)甚大な被害を受けたカフラマンマラシュは、地震直後はライフラインがすべて止まっていましたが、1ヶ月半後にはかなり復旧していました。でも多くの人たちは戻ってきていません。余震も多いし不安なのだと思います。ライフラインが戻ってもすべてのスーパーが空いているわけではないので、生活し辛い状況です。
 
西村)残っている建物はあるのですか。
 
吉椿)あります。応急の危険度判定をしていますが、適当にやっているのではないかという不安もあって、多くの人は戻らない。テントの方が安心という人も多いです。
 
西村)大きな余震もありましたし、さらに豪雨もあったそうですね。
 
吉椿)3月16日に激しい雨が降りました。田んぼや畑があった軟弱地盤に簡易舗装して仮設住宅を立てているので、豪雨で地面がくぼんで傾いていました。
 
西村)それは不安ですね。食事はどうしていましたか。
 
吉椿)僕たちが行ったときは、イスラムの人が1ヶ月間、日中の飲食を絶つラマダンの時期でした。日が暮れると食べることができるので、避難所や仮設住宅に炊き出しの車両が来ていて、長蛇の列になっていました。
 
西村)被災者の不安は、1回目とくらべて変化していましたか。
 
吉椿)仮設住宅に入居している人に話を聞くと、高齢者や障害を持った人が優先的に入居できることになっているけど、それによって家族が分断されているとのことでした。高齢者のおばあちゃんが先に入居しても息子夫婦はまだテントで暮らし...といったように。仮設住宅には1~2年は住めますが、政府は今後、恒久住宅を1年以内に32万戸建てる予定で、政府が6割負担、被災者が4割負担なんです。若い人は、仕事を再開して働けば何とかなるかもしれませんが、高齢者にとっての4割はかなり厳しい。仮設住宅にやっと入れても将来、復興住宅に4割のお金を払えるのかという不安もあります。まだ住宅ローンが払い終わってないのに、地震で家が潰れて新しい住宅にお金を払わなければならない人も。
 
西村)新しい家は買い取りになるのですね。まさに二重ローンになってしまいますね。カフラマンマラシュの人口はどれぐらいですか。
 
吉椿)200万人です。中心部だけでも100万人。耐震不十分な住宅が多く、高層マンションがたくさん倒壊しています。
 
西村)地方はどのような状況ですか。
 
吉椿)都市部や被害が甚大なところが優先的になっていて、シリアの国境や周辺の農村部はほとんど手付かずの状態。未だにがれきもあり、仮設住宅もほとんどできていなくて、多くの人はテントで寝ています。
 
西村)現地のNGOと一緒に仮設住宅で女性や子どもたちの生活サポートをしたそうですね。
 
吉椿)仮設住宅の中はとても狭いのでストレスがかかります。シリア難民やクルド人などいろいろな人が一緒に仮設住宅やテントで生活すると、どうしても民族的な軋轢が顕著になり、喧嘩がおこることもあります。女性・子どもが痴漢や盗撮にあうことも。
 
西村)神戸の子どもたちからプレゼントを届けたそうですね。
 
吉椿)神戸のある小学校の子どもたちがトルコの子どもたちに手紙を書いてくれました。トルコ語に訳してくれた子もいました。それをトルコに届けたら、子どもたちが奪い合うように「欲しい!」と言って、すごくよろこんでいました。
 
西村)阪神・淡路大震災の後に生まれた「しあわせ運べるように」を神戸の子どもたちが歌った映像も届けたそうですね。
 
吉椿)避難所のあるカフラマンマラシュの学校で子どもたち見せたのですが、「感動した」と言っていました。トルコ語の翻訳も入れて。同じ被災地ということで共感できるところがあるのだと思います。
 
西村)2ヶ月でここまで復興していることにびっくりしましたが、取り残されてつらい思いをしている人もたくさんいると思います。今後の課題も見えてきたのでは。
 
吉椿)政府主導ですごいスピードで復旧・復興が進んでいることは、一見良いことではありますが、被災者の気持ちをきちんと考えられているのかという疑問はあって。ひとりひとりの声が反映されていない現状はあります。
 
西村)トルコでは1999年に大きな地震で4万人以上が犠牲になりました。その教訓は生かされていますか。
 
吉椿)「過去から学んでいない」とある大学生が言っていました。1999年の地震の後に耐震基準ができて、2018年に耐震基準が刷新されているにも関わらず、多くの建物が倒壊したということは、基準が守られていないということ。民間業者と政府との癒着もあります。そんな政権を支えているのは国民。その大学生は「みんなが反省すべきだ」と言っていました。政府を責めるだけではなく、国民一人一人がもっと反省し、学ぶべきだと言っていましたね。
 
西村)トルコは大統領選挙も控えていますし。
 
吉椿)選挙前ということで政治的な影響もあり、政府は1年間で32万棟も復興住宅を建てると大きな話をしています。選挙が終わっても継続されるのか懸念されています。市民が復興をどのように担っていくかが重要。
 
西村)何か与えてもらうではなく、自分たちでやっていこうということですね。
 
吉椿)僕たちはトルコの人たちがやりたいという思いをサポートしていく必要があると思っています。
 
西村)これからはどんな支援を予定していますか。
 
吉椿)これからしばらく仮設住宅での生活が続きます。現地のNGOが3ヶ所で250個ずつ仮設住宅を提供していて、その中にお母さんや子どものケアセンターを作ろうとしています。イスラム文化圏は、女性が社会に進出できる機会が少ないので、女性の職業訓練プログラムを作ったり、子どもたちの心のケアをしたり。仮設住宅のストレスフルな生活によってDVも増えているので、男性に対しての教育プログラムも考えています。僕たちも関わって、さまざまな災害復興のノウハウを学び合えたらと思っています。
 
西村)トルコ・シリアと日本は遠く離れていますが、今、日本にいるわたしたちにもできることはありますか。
  
吉椿)関心を持ち続けること。直後はたくさんの寄付をいただいたのですが、最近は報道も少なくなって、関心が薄れてきていると感じます。阪神・淡路大震災や東日本大震災のとき、トルコは支援をしてくれています。1870年に起きた和歌山沖のエルトゥールル号座礁事故のときに和歌山の人は、トルコの人を助け、その後イラン・イラク戦争のときはトルコが恩を返そうと、日本人をイランから救出したんです。そのような過去の助け合いの歴史をこの震災をきっかけにもう一度思い出して、関心を持ち続けながら助け合っていくことが大事だと思います。
  
西村)寄付をすることもできますか。
 
吉椿)常に寄付を募集しています。Facebookやホームページで情報発信をしているので読んでみてください。1人1人の声を大事にしたいと思っています。共感してもらえたらぜひ寄付をお願いします。
 
西村)寄付に関して、詳しくは「CODE海外災害援助市民センター」のホームページをご覧ください。
https://code-jp.org/
きょうは、神戸のNPO法人「CODE海外災害援助市民センター」事務局長 吉椿雅道さんにお話を聞きました。