第1415回「阪神・淡路大震災『伝承合宿』」
取材報告:亘佐和子プロデューサー

西村)阪神・淡路大震災から来年1月17日で29年になります。当時、被災者の支援やまちづくりを担ってきた人たちは今、60~70代になっています。この人たちの経験や知恵をどう受け継いでいくのか。
きょうは、さまざまな世代が1泊2日で語り合う「伝承合宿」というイベントを取材した亘記者に話を聞きます。
 
亘)よろしくお願いします。
 
西村)「伝承合宿」とはどのような合宿なのですか。
 
亘)この合宿を企画したのは、番組にも何度も出演している「阪神淡路大震災1.17希望の灯り HANDS」の代表の藤本真一さんです。神戸市北区の「しあわせの村」で、11月4日から1泊2日で行われました。講師は、この番組でもお世話になっている神戸大学名誉教授の室﨑益輝さん、「がんばろう!!神戸」や「HANDS」を立ち上げた俳優の堀内正美さん、「被災地NGO恊働センター」顧問の村井雅清さん、「たかとりコミュニティセンター」代表で当時は長田区のカトリック鷹取教会の神父だった神田裕さん、都市計画の専門家で「まちづくり株式会社 コー・プラン」の小林郁雄さんなどの"レジェンド"たち。参加者は総勢60人でした。
 
西村)たくさん参加したのですね。
 
亘)一番若い人は16歳の高校生で、最年長は79歳の室崎さんや小林さんでした。
 
西村)おじいちゃんと孫ぐらいの年の差ですね。
 
亘)東北・東京・広島など全国から集まった参加者が2日間語り合いました。短い時間ですべてを伝えるのは難しいのですが、きょうは、その中からわたしがリスナーのみなさんにシェアしたい話をピックアップして紹介します。まずは「阪神淡路大震災1.17希望の灯り HANDS」を立ち上げた俳優の堀内正美さんのお話です。堀内さんは神戸市北区に在住。神戸市の中でも、六甲山の北側にある北区や西区はあまり被害が大きくありませんでした。堀内さんが語る地震発生当時の神戸市北区の話をお聞きください。
 
音声・堀内さん)長田から西宮につながる道路「長田箕谷線」は無傷でした。震災当日、山の向こうから煙が見える中、北区や西区の人々は車の洗車をしたり、スーパーに買い溜めに走ったりしていました。そしてすき焼きを食べながらテレビを見ていたんです。そうなるのはメディアの責任もあります。テレビから「余震に備えてください」とガンガン流れてきたら、恐怖で利己的になり、とりあえず自分のものを確保しようします。そのことは復興の検証で語られていません。人々がパニックになって利己的になってしまう状況を想定しておかなければなりません。
 
亘)地震発生当日、神戸市北区や西区の人たちの多くは、「六甲山の向こう側の被災をテレビで見ながら、自分たちの生活を守る行動をしていた」というお話でした。どう思いますか。
 
西村)大阪北部地震のときを思い出しました。我が家もとりあえずトイレットペーパーを買いに行きました。みんな買いだめをしていましたね。
 
亘)家族を守りたい、子どもやお年寄りを守りたい...みんなそれぞれの生活がありますよね。だから、利己的になるのは致し方ない面もあります。「自分が被災したときのシミュレーションに加えて、隣の市が大きな被害を受けたときに、自分ができることを普段から考えておきましょう」ということです。そうでないと、いざ災害が起こったときに助け合えません。
 
西村)助け合いの気持ちを日頃から伝え続けていきたいです。
 
亘)続いて紹介するのは、被災地NGO恊働センターの村井雅清さんのお話です。阪神・淡路大震災の年はボランティア元年と言われました。当時のボランティアは「統制が取れていない」「被災地を混乱させた」など批判もされました。その後の被災地では、社会福祉協議会がボランティアセンターをつくって、受付をする体制ができました。村井さんは「本当にそれで良いのか。阪神・淡路大震災の頃の方が良かったのでは?」と問題提起をしています。
 
音声・村井さん)あのときに行政が機能不全をおこしたから、みんな自分たちで考えてボランティア活動をしていました。それほど被害を受けていなかった北区から救援物資がたくさん届きました。「今やらなければ」とみんなが動いたんです。日本の政治・行政は、「民間に預ける」ということをしなければ変わらない。行政は28年前から、「初心者のボランティアがたくさん現地に行って混乱したから、コーディネーターをおいて、仕組みをつくらなければならない」と言い続けていますが、混乱したのは神戸市であって、ボランティアが混乱したのではありません。ボランティアは混乱を解消したんです。ひとりひとりがコーディネーターとして動いたんです。そこを行政はきちんと見ていなかった。
 
西村)今は、ボランティアセンターに登録して指示を待って活動することが当たり前になっていますが、行政の手が回ってないからこそ、「自分の判断で目の前の困っている人を助ける」というシンプルな動きで良いと改めて思いました。
 
亘)「指示を待って動くのは、ボランティアではない」というのが村井さんの意見。ボランティアは、「言われてもやらないけど、言われなくてもやる」。行政とボランティアが同じことをやってしまうと、ボランティアの意味がない。「行政とボランティア、それぞれのやり方で支援しなければ、被災地のためにならないのではないか」ということです。このような本音がたくさん語られた伝承合宿で話を聞いた若い人たちは何を思ったのでしょうか。次は高校生の話を紹介します。震災の後に生まれた若者でつくる語り部グループ「1.17希望の架け橋」メンバーの高校3年生 川井こころさんです。
 
音声・川井さん)きょうの話は難しかったですが、わたしもどのような備えをしていけば良いのかを具体的に考えないといけないと思います。生活力や共感力を身につけることは、大事なことだと思いました。「近所づきあいを大切にする」「挨拶をたくさんする」など身近なことからつながりが生まれるのだと感じました。
 
音声・亘記者)震災に関して、どんなことを知りたいと思いますか。
 
音声・川井さん)震災の被害の様子はよく聞きますが、このような場で個人として話を聞くと、また違うことが聞けるのだなと思いました。具体的な備えや、若い人が語り継いでいくことについてどう思うか、聞いてみたいです。
 
西村)個人と個人、心と心で向き合ったからこと感じたことがあったのですね。
 
亘)講師の話の中に、「共感性や自立心が大切」というお話がありました。彼女はそれが印象に残って、自分にできることについて話をしてくれたのだと思います。
 
西村)素直に「難しいと思った」と言って、行動しようと思う気持ちも素敵です。
 
亘)行政とボランティアの関係についての話は、高校生にとっては難しかったと思います。ただ、個人と個人で話をすることで、データでは見えてこないものが見えてくる貴重な機会だったと思います。もうひとり、高校生の話を紹介します。災害ボランティアや語り部をする理由を話してくれました。若い人がどんな話を求めているのか、語る側にとっても参考になると思います。あすパ・ユース震災語り部隊のメンバーで高校2年生の平野遥人さんです。
 
音声・平野さん)若者ってたきつけられたら「よし、やったろ!」ってなるんです。僕が福島や仙台に行って語り部をしているのは、アクションを起こさせてくれた先生がいたからです。次は、僕らが震災に興味のない人の火付け役になれたらと思います。被災地では、神戸や大阪で生活する中では出会えない、「頑張っている大人」に出会えるのが新鮮。僕たちがそんな大人になっていきたいです。そんな人たちに出会える機会があるから、ボランティアや語り部の活動が好きです。実際に活動してみないとわからないから、興味のない人に働きかけることが大事だと思います。
 
西村)被災地の人たちは、肩書きも関係なく、心と心で対話している気がします。
 
亘)日常生活の中では、大人たちはそれぞれの役割を果たして、演じている部分もあると思います。でも被災地に行くと、そういうものが全部とっぱらわれて、むき出しの人間が出てくる。若い人にとってはそれが新鮮なのでしょう。
 
西村)知らないことをたくさん受け止めるからこそ、共感性が育っていくのかもしれませんね。
 
亘)なぜ若い人が災害ボランティアや語り部をやりたいのかがよくわからなかったのですが、このような話を聞くと、「何かやらなければ!」ではなく、楽しいからやるのだと思いました。伝えるということは難しいこと。経験者が伝えたいことと受け取る側が聞きたいことが異なることはよくあります。講師2人が「伝える」ということについて語った部分を紹介します。前半は神戸大学名誉教授の室﨑益輝さん、後半が元神戸新聞記者で現在は神戸大学特命准教授の磯辺康子さんの話です。
 
音声・室﨑さん)わたしたちは、うまくいった例を話しがちです。しかし、成功例を伝えるのでなく、過ちを犯した失敗例を伝えることが大事。きょうは「伝える」というテーマですが、僕自身、若者とつながって伝えることはなかなかうまくできません。
 
音声・磯辺さん)わたしたちは経験した視点でしか伝えられないけど、経験していないけど神戸に関係ある人の視点で伝えることで、震災の伝え方が多様になって、いろんな側面が伝えられます。震災の経験は多様な側面がある。若い人、高齢者、いろんな立場の人が伝えなければなりません。これからの若い人たちに期待しています。

 
西村)失敗談を伝えるからこそ教訓になる。さまざまな視点で語ることは大切なことなのですね。
 
亘)阪神・淡路大震災から変化した部分はたくさんあります。SNSの発達、ボランティアのあり方も変わる中で、アップデートされた話を伝えていかないと心に響きません。今を生きている人たちが阪神・淡路大震災をどのように見て語るのかが大事になっていくでしょう。
 
西村)防災知識もアップデートしていかなければなりませんね。
  
亘)「若い人とつながることが難しい」と室﨑さんが本音を言っていましたが、この場で出会えて話をできたことは大切なこと。1泊2日の伝承合宿は、深夜2~3時まで話し込んでいた人もいたそう。何か新しいものが生まれる場になったと思います。最後に今回の「伝承合宿」を企画した「1.17希望の灯り HANDS」の藤本真一さんに話を聞きました。
 
音声・藤本さん)今回の合宿はみんなでだべってほしかった。発表ではなく、気軽にだべっているときにおもしろい話がたくさんできます。寝る前にだべる。ごはんを食べるときにだべる。1日半ひたすらしゃべり続けました。大成功だったと思います。
 
音声・亘記者)「伝承合宿」はこれからどうしていきたいですか。
 
音声・藤本さん)来年(阪神・淡路大震災30年に向けて)はやりたいです。やっておいたらよかったという後悔はしたくないんです。震災のご遺族がこの数年でたくさん亡くなっています。いなくなると聞くことができません。みなさんが元気なうちに足を運んでくれるうちにやりたいです。今回思い付きでやったのは、やれるときにやっておこうという想いからです。
 
西村)授業ではなく、ユルい感じだからこそ、お互いがリラックスして本音をぶつけ合えるのですね。今、話を聞くことができることに感謝をして、わたしもどんどん動いていきたいです。
 
亘)藤本さんから「だべる」という言葉が出ました。プログラムをきちんと決めて進行するのでなく、出会いの場をつくるだけで、人は勝手につながっていきます。それぞれが考えてやっていきましょうということ。今しか聞けない話がたくさんあったと思います。
 
西村)亘記者の取材報告でした。どうもありがとうございました。