第1431回「東日本大震災13年【2】~震災の記憶を世界に発信」
オンライン:震災遺構・門脇小学校 館長 リチャード・ハルバーシュタットさん

西村)ネットワーク1.17では先週から東日本大震災の特集をお送りしています。
きょうは、宮城県石巻市の震災遺構・門脇小学校で館長をしているイギリス人のリチャード・ハルバーシュタットさんにお話を伺います。
 
リチャード)よろしくお願いいたします。
 
西村)リチャードさんは13年前の地震が発生したとき、どこにいましたか。
 
リチャード)石巻専修大学の英語教師をしていたので、キャンパスの研究室にいました。
 
西村)石巻専修大学は海の近くですか。
 
リチャード)内陸の方ですが、北上川に近い場所にあります。それまでに経験したことのない激しい揺れで頭が真っ白になりました。震度6強は立っていられない状態。机をつかんで耐えました。大学は丈夫な建物で揺れに強く、自家発電の電気もありました。町は水浸しになって、自宅に戻ることはできませんでした。
 
西村)リチャードさんは避難生活をしたのですか。
 
リチャード)まず大学で2泊3日ぐらい寝泊りして、ある程度水が引いたら町に戻って避難所に入りました。避難所にいた3月17日頃にイギリス大使館から連絡がきました。
 
西村)どんな連絡がきたのですか。
 
リチャード)携帯のメールに連絡がきたので、安否確認と思って早速連絡したんです。すると、安否確認はもちろんですが、大使館が気にしていたのは、「福島第1原発が爆発する恐れがある」ということ。「関東・東北にいるイギリス国籍の人は、日本を離れることをおすすめしています」という内容だったのです。成田空港から無料のチャータージェットを出すとのこと。でもわたしは被災地から身動きが取れませんでした。バスや電車は全く走っていなかったからです。
 
西村)そのような状況の中で、リチャードさんはどう行動したのですか。
 
リチャード)高速道路は救助や自衛隊の緊急車両しか通れなかったのですが、大使館の車は通行可能だったので、大使館は被災地にいるわたしを迎えに来ようとしました。わたしは石巻から離れることをまったく考えていなかったのでビックリしました。どうしようと悩んで。石巻の友達にどうすればいいか相談しましたが、みんなに「日本は大変だからイギリスに帰った方がいいよ」と言われました。
 
西村)それを聞いてリチャードさんはどう思いましたか。
 
リチャード)すごく混乱しました。大使館の言うことを聞かなくてはならないという気持ちもありましたし。でも、18年間、石巻に住んできて、大切な友達がいっぱいいるのに、みんなが一番困っているときにわたしだけ離れてしまうなんて...と思いました。どうすれば良いのかわからない状態の中、大使館が迎えに来ました。大使館はわたしが悩んでいることをよくわかってくれていて、ひとまず仙台に行って最終決断しようということになったのです。
 
西村)そこでどんな最終決断をしたのですか。
 
リチャード)一晩ほとんど眠れずに悩んで、石巻に残ることを決意しました。
 
西村)なぜ、リチャードさんは石巻に残る決断をしたのでしょうか。
 
リチャード)みんなが一番困っているときに、みんなと運命をともにしたかったのです。恩返しというと堅苦しいですが、ずっと良くしてもらったので。腕力もリーダーシップもないわたしです、一緒にいることはできると思って。残る決意をしました。
 
西村)そんな大きな決断をして、今も石巻市で暮らしているリチャードさんは、東日本大震災の被災のようすを伝える震災遺構・門脇小学校で館長をしています。どんなきっかけで館長に就任したのですか。
 
リチャード)気分転換したいという気持ちがあり、震災から約2年後に大学を自主退職しました。震災前から辞めようと考えていたのですが、なかなか辞める勇気がなくて。でも震災を体験したら辞める勇気が出たんです。「震災で生き残ったのだから、仕事を辞めても何とかなる」と楽観的に考えられるようになって。そんなとき、「これから震災伝承の施設を作るのでそこで働きませんか」と市役所に打診されました。それは今の門脇小学校の施設が出来るまでの仮設的な資料館でした。どのような仕事をするのかもわからないまま、「やってみようかな」と軽い気持ちで引き受けました。しかし、実際にやってみると意外と自分のスキルに合っている仕事だと感じました。わたしは日本語でも英語でもコミュニケーションをとることができますし、教師の経験があったので、人前で話すことには慣れていました。それに石巻市に長く住んでいたので、震災前の石巻のことも知っています。震災も体験している。全て仕事に生かすことができたんです。
 
西村)まさに運命を感じますね。
 
リチャード)そして仮設の施設が閉館後、2022年にオープンした新しい震災遺構・門脇小学校に来てもらいたいという話が来ました。
 
西村)今は館長としてどのような活動をしているのですか。
 
リチャード)施設の維持管理はもちろん、一番大切な仕事は解説の仕事です。有料となりますが、お客さまと一緒に施設を回りながら解説をしています。
 
西村)震災を体験していない若い世代も訪れていますか。
 
リチャード)小学生が多いです。防災教育が重視されているので、宮城県内だけではなくいろんなところから来てくれます。
 
西村)どんなことを伝えているのでしょうか。
 
リチャード)門脇小学校の最大の特徴は津波火災が発生した本校舎です。この近くの建物は、ほとんどが津波によって流されて、水の上に瓦礫が浮いていました。ストーブの転倒、プロパンガスボンベの爆発などにより燃えた瓦礫が、津波の流れによって本校舎にぶつかって津波火事が発生しました。
 
西村)高いところに逃げたら命が守られると思ってしまいますが、学校の屋上に逃げただけでは命を守れないこともあるのですね。
 
リチャード)この施設はとても大切。垂直避難は100%安全とは限りません。ビルの高い階などに逃げることは正しい行動ではありますが、門脇小学校の例のように火事になる場合もあります。校舎に残っていた人たちは、さらに避難しなければならなくなりました。ビルの高い階に逃げた場合は、次の行動を取ることができるように構えておいてください。安心しないでください。ビルの高い階より、近くの高台に逃げた方が安全です。
 
西村)地震発生時、学校にいた児童は無事だったのでしょうか。
 
リチャード)地震発生前に下校していた低学年の児童たちの中に7人の犠牲者が出てしまいました。しかし校舎にいた224人の児童は津波が来る前に裏山に避難して全員無事でした。年に2回、訓練をしていたおかげでスムーズに避難できたのだと思います。
 
西村)リチャードさんは日本語だけではなく、英語でもガイドをしています。震災遺構には、どんな国の人が来ていますか。
 
リチャード)震災遺構に来るのは、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアの人が多いです。地震がある国の人もイギリスのように地震が少ない国の人も震災や防災に非常に関心があるようです。
 
西村)外国からの来場者はどんな展示を見て、どのような感想を話していましたか。
 
リチャード)日本人と変わらないことについて興味を持っています。「津波はどれぐらい高かったのか」「子どもたちはどのように逃げたのか」など。施設の中にある仮設住宅の展示も関心を集めています。あと、「地震の揺れはどんな感じですか」と地震を体験したことのない外国人に聞かれます。地面が揺れるということは独特なものなのでとても説明しにくいですね。
 
西村)地震を経験したことがない人も、門脇小学校でリチャードさんから英語でガイドを聞くことによって、自分ごとに変わるきっかけになりますね。
 
リチャード)ほかの施設にも、英語のパンフレットはあると思いますが、生の英語での解説は心に残ると思います。
 
西村)東日本大震災から13年が経った今、リチャードさんがみなさんに伝えたいことはどんなことでしょうか。
 
リチャード)門脇小学校は伝承施設。わたしたちは伝承の大切さをいつも主張しています。それは自分たちの苦しみをわかって欲しいからという理由ではありません。日本は、将来的にまた必ず震災が起こるといわれています。わたしたちは、東日本大震災のときに学んだ教訓や体験を伝えていくことで、犠牲者の少ない社会になることを希望しています。日本は震災が多い国なので、ぜひしっかりと備えをしてほしいと思います。
 
西村)リチャードさん、今の内容を英語でも伝えてください。
 
リチャード)KADONOWAKI Elementary School where I work is a facility which is involved in keeping the memories of the Great East Japan Earthquake alive.
And the reason we're doing that is not because we want people to know how much we suffered.
but it's because we think it's very, very important to be aware of the dangers of disasters because earthquakes and tsunami and other natural disasters will definitely happen in the future here in Japan.
And we hope that by transmitting and talking about the things that we went through during 2011, we hope that will help to create a society with as few casualties as possible in the future.
And that's why we want to try and keep the memories alive.

 
西村)thank you very much Richard.
日本語でも英語でも想いを伝えていただき、ありがとうございました。
きょうは、宮城県石巻市の震災遺構・門脇小学校で館長をしているイギリス人のリチャード・ハルバーシュタットさんにお話を伺いました。