第1512回「能登の復興を伝える"まちのラジオ"」
オンライン:まちのラジオ 代表 山下祐介さん

西村)能登半島地震の被災地、輪島市町野町で災害FM「まちのラジオ」が開局しました。日替わりで地元住民がパーソナリティを務め、地域の生活情報や気象情報、復興状況などを伝えています。
きょうは、「まちのラジオ」の代表で、番組のパーソナリティも務めている山下祐介さんにお話を伺います。
 
山下)よろしくお願いいたします。
 
西村)「まちのラジオ」はいつ、どのように開局されたのですか。
 
山下)令和7年7月7日に開局しました。輪島市の東にある町野町地区を中心に情報を届けるラジオ局です。臨時災害放送局という制度を利用して開局しました。
 
西村)わたしも町野町に行ったことがあります。去年の夏、キリコ祭のお手伝いでお邪魔しました。輪島市の中心から車で30分ですが、電車とバスで行ったこともあります!
 
山下)町野町は電車とバスで来るのがすごく困難な地域です。大変ではなかったですか?
 
西村)そのときは、まだ地面がでこぼこしていましたが、海も山もあってすごく自然が美しい場所ですよね。
 
山下)海も山もあってのどかな地域です。
 
西村)町野町は、能登半島地震と去年9月の奥能登豪雨で被害を受けました。テレビやインターネットで情報は入手できましたか。
 
山下)能登半島地震直後が一番大変でした。テレビはもちろん、ライフラインが全て使えなくなりました。地震直後は、電波塔への電源供給も絶たれたので、テレビをつけても映らず、スマートフォンも1~2週間使えませんでした。とにかく情報が得られないことに不安を感じました。奥能登豪雨のときは、地震のときほど長くはなかったですが、一時的にテレビが見られない、携帯つながらない状況だったので、情報を得ることが難しかったです。
 
西村)情報が入ってこないと不安になりますね。
 
山下)情報が得られないと不安になるということを、身を持って体験しました。
 
西村)なぜラジオやろうと思ったのですか。
 
山下)仮設住宅の整備も進み、多くの人が仮設住宅や自宅で過ごすようになってくると、地域に必要な情報が伝えきれていないと感じました。豪雨のときに情報が届かないことを経験したので、何とか情報を届けたいとSNSを活用しようと考えたのですが、高齢者が多いこの地域にでは、SNSもLINEもハードルが高い。そんなとき、臨時災害放送局という制度があると知りました。農作業中にラジオを聞いている高齢者も多いので、この地域では、ラジオの方が多くの人に情報を伝えられるのではないかと思ったんです。
 
西村)先週オンエアされた「まちのラジオ」を聞いてもらいましょう。
 
音声・パーソナリティ宇羅香織さん)9月17日水曜日、時刻は12時となりました。ラジオの前のみなさん、こんにちは。まちの復興情報番組「まちのWA」。きょうの担当は、農家の嫁の宇羅香織と...
 
音声・パーソナリティ山下祐介さん)"奥能登の山P"こと山下祐介の2人でお届けしております。
 
音声・宇羅さん)山下さん、7月7日から放送を開始して、なんと50回目の放送だそうですね。
 
音声・山下さん)全く気づいていませんでした。50回もやってきたんですね!もう50なのか、まだ50なのか。
 
音声・宇羅さん)まだ...にしときましょうか(笑)。
 
音声・山下さん)そんな、50回を祝福してくれているのか。ちょっと外が...。
 
音声・宇羅さん)先ほどから(雷が)ゴロゴロと。
 
音声・山下さん)雷が鳴っていますね。雨もまあまあ強いですね。
 
音声・宇羅さん)稲刈りは、今日はできませんね。
 
音声・山下さん)ちょっときびしいですね。

 
西村)すごくほのぼのしたラジオですね。
 
山下)地域のラジオ局として、まちのみんなで番組作ることを意識しています。和やかに地元の話をなるべく入れて楽しめるように。
 
西村)町野町から離れて暮らすわたしも、その輪の中に入れてもらったような気分になりました。
 
山下)まさにそんな場所を広げていきたいという思いもあって、この番組名をつけました。
 
西村)稲刈りの話も出てきましたね。
 
山下)パーソナリティを務めていた宇羅さんは専業農家。稲刈りシーズン真っ只中ということで、稲刈りの話になりました。
 
西村)稲刈りはできましたか。
 
山下)あの日はさすがに無理でしたけど、その後の晴れ間を見計らって稲刈りできました。みんな順調に作業が進んでいるようです。
 
西村)「まちのWA」はどんな番組ですか。
 
山下)月~金曜の昼12時から90分間の生放送をしています。町の復興状況や地域で暮らす人々にとって重要な情報を、リクエスト曲を交えて放送しています。スタジオの近くに小学校・中学校があり、子どもたちに給食の時間に聞いてもらうためにこの時間に放送しています。子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで幅広い年代のリクエスト曲が集まっています。
 
西村)和やかな空間が想像できます。"きょうの給食のメニュー"も発表されているとか。
 
山下)お子さん、お孫さんがいない人にも「今の子どもたちってこんなの食べてるんだ!」とか「これちょっと美味しそう!」と知ってもらうことができます。家庭のメニューに活かしてもらうこともできると思って。
 
西村)いろいろなゲストの方も出演しているそうですね。
 
山下)今は道路や河川の工事真っ只中なので、国土交通省に復興状況を伝えてもらっています。輪島警察署には「秋の全国交通安全運動週間」と防犯について伝えてもらいました。ほかにも地元の輪島塗の職人さんとか。フラっとスタジオに遊びに来てくれた人が飛び入りで出てもらうこともあります。地元の人が関わって、地元の人が知りたくなる情報を届けています。
 
西村)地元の人がフラっと寄って参加できるのがいいですね。スタジオはどんな場所にあるのですか。
 
山下)スタジオがある場所は、能登半島地震の前は栗農家の住宅兼作業場でした。栗農家さんは、建物が倒壊したため静岡県に移住。公費解体後、「地元のために有効に使ってほしい」ということで、敷地を借りて、7畳ほどのプレハブを建ててスタジオにしています。
 
西村)7畳ほどのプレハブということは、結構距離が近いのですね。
 
山下)距離が近く、アットホームなスタジオです。
 
西村)見に来てくれた人の顔が見えるのですか。
 
山下)窓ガラスの前にベンチを置いています。ベンチからスタジオの中を覗くこともできます。
 
西村)ラジオ越しの会話も楽しいですね。山下さんは、本業は米農家。ほかにも地元住民のみなさんがパーソナリティを担当しているのですね。
 
山下)「まちのラジオ」のスタッフには、ラジオ局やテレビ局で働いたことがある人は1人もいないんです。ラジオパーソナリティの経験がある人ももちろんいません。みなさん本業があって、休日にこのラジオでパーソナリティをしています。消防士さん、近所のスーパーの店員さん、元高校教師など、いろんな立場の人が日替わりで登場します。ミキサー、ディレクター、パーソナリティなどをオールマイティーに担当しています。
 
西村)喋るだけでも大変なのに、機械の操作もゼロから覚えたのですね。苦労したことはありますか。
 
山下)機械の操作も難しかったのですが「声で何かを伝える」ということがいかに難しいことなのかがわかりました。開局を目指したとき、我々はラジオのことを全く知らない素人だったので、「喋るだけだったらできそう」と思っていたんです。テレビは映像を撮るから難しそうだけど、ラジオはマイクの前で喋るだけだから簡単だと思っていました。でも実際にスタートすると、なかなかそういうわけにはいかないんです。
 
西村)放送を続けてきて、リスナーからはどんな反響がありますか。
 
山下)「いつも楽しみに聞いているよ」「みんな頑張ってるね」という応援のほかにも、「天気はこういうふうに伝えた方がいいよ」「今日の交通情報は何を言ってるかわからなかった」というアドバイスが来ることも。そのような声があるということは、きちんと聞いてくれている証拠。みんなでラジオを作っている実感があって励みになります。昨日も夜、フラっとご近所さんが来てくれて。本当にアットホームです。
 
西村)「まちのラジオ」を通して、これから地元の住民のみなさん、リスナーにどんなことを伝えていきたいですか。
 
山下)地域のみなさんと一緒に町の復興に向かって進んでいきたいです。リクエストカードも用意しているので、テーマとらわれることなく、みんなで会話をするように、このラジオを使ってほしいです。気軽にみんなでつくるラジオなので、いろんなメッセージをいただけたら。
 
西村)生活がより楽しくなっていきそうですね。山下さん、どうもありがとうございました。