取材報告:亘 佐和子プロデューサー
西村)きょうから東日本大震災15年のシリーズを始めます。1回目は中学生に語る原発事故避難です。亘佐和子プロデューサーのリポートです。
亘)よろしくお願いいたします。15年というと、当たり前ですが、0歳の赤ちゃんが15歳、中学3年生になるということです。
西村)そうですよね。時の重みを感じます。
亘)今の中学生にとって、東日本大震災は歴史の中の出来事。そんな子どもたちに何を伝えていくのかが、今後ますます重要なテーマになると思います。きょうは、原発事故で福島から大阪に避難してきた森松明希子さんが、中学生に当時のことを語る会があったので、その内容をレポートします。去年12月、大阪府豊中市立第一中学校で、全校生約640人が体育館に集まりました。森松さんのお話の冒頭の部分を聞いてください。
音声・森松さん)みなさん、こんにちは。森松明希子と申します。2011年の3・11、今から15年前、家族4人で福島県の郡山市に暮らしていました。わたしの家は地震ですごく揺れましたが、海からは遠かったので、津波の被害はありませんでした。でも、その後に沿岸部の福島第一原子力発電所が爆発して、当時0歳でいま中3の娘と、当時3歳でいま高3の息子を連れて、大阪市へ母子避難しました。夫はこの15年間、福島県郡山市で仕事をして、郡山市に住んでいます。
西村)大阪に避難してきたときは0歳の赤ちゃんだった娘さんが、中学3年生になったわけですね。
亘)そうです。森松さんは、自分の子どもと同じ学年、もしくはそれより年下の子どもたちに話をしたというわけです。
西村)子どもたちは、お父さんと15年間離れて暮らしてきたのですね。
亘)森松さんが住んでいた郡山市は、原発からは約60km離れた内陸部ですが、原発事故の影響で家族離れ離れの生活をすることになりました。15年前の3月11日に地震が起こったとき、森松さんは生後5ヶ月の娘と2人でマンションにいました。どんな状況だったのか聞いてください。
音声・森松さん)3.11当日、何が起きたか。2時46分、家で赤ちゃんのおむつをかえて、ミルクをあげて、赤ちゃんはご機嫌で寝たり起きたりしていました。いきなりグラグラとすごい揺れがきました。家具が動いて、冷蔵庫を押さえていたら、家具がスローモーションのように赤ちゃんを抱っこしている自分の方に迫ってくる。圧死するかもしれないと思いました。テーブルの下にもぐれるのは0歳の赤ちゃんだけ。「赤ちゃんだけは助かって!」と思って、赤ちゃんをテーブルの下に入れて押さえていたら、テレビが落ちてくる。冷蔵庫の上に置いていた鍋がポルターガイストのように飛んできて、吊り下げていた電気がぐるぐるとちぎれそうになりながら回っている。コードが切れたら死ぬと思いました。本当に命を守るのに必死でした。息子は幼稚園に行っているし、夫は生きているかわからないと覚悟しました。自分も死ぬかもしれないと思いました。赤ちゃんは生後5ヶ月で「たかいたかい」をしたらキャッキャッと笑う年ごろ。テーブルの下に入れることなんて普段の生活ではないから、赤ちゃんは、新しい遊びだと思って喜んで笑っていました。この笑顔を見るのは最後かもしれないと思いました。「誰かがこの笑顔を見つけて、赤ちゃんだけは発見されて助かって欲しい!」と思ったんです。揺れがおさまって、家の中はぐちゃぐちゃ。荷物が散乱し、机は倒れて、上から水が降ってきました。マンションの給水管が破裂したからです。震度6の地震で、本当に死ぬかという思いをしましたが、家族4人の命は無事でした。でも、津波をかぶって全電源喪失し爆発した原発が、事故を起こします。わたしたちは、夫を残して、2人の子どもを連れて大阪に避難をすることになりました。
西村)家具が迫ってくる、鍋が飛んでくるというすさまじい揺れだったのですね...。
亘)そんな中で、子どもの命だけは助けたいという必死な状況が伝わってきます。
西村)家族4人、無事でよかったと安心したのもつかの間、その後、原発事故に翻弄されることになったのですね。
亘)原発から60km離れた福島県郡山市にも放射性物質が大量に飛んできました。なぜ母子避難という厳しい選択をしなければならなかったのか。森松さんの話の続きを聞いてください。
音声・森松さん)3月に事故があって、わたしが避難をしたのは5月。3月の終わりに、テレビのニュースで、「東京の浄水場で放射性物質が検出された。基準値を超えるがすごく微量」と伝えられました。でも、キャスターが、「自宅に乳幼児のいる人は、水道水を飲まないでください」と言ったんです。水道水に放射能の毒が入っているということが報道された。みんなならどうする? 翌日に「福島の水道水も汚染されていた」と報道されました。
わたしは、最初の1ヶ月は家が壊れて、夫の勤務先の病院に避難をしていました。病院は断水していなかったので、水を必死で飲んでいたんです。いま中3の娘は、当時まだ0歳だからご飯も食べられない。お母さんのおっぱいか粉ミルクが必要です。母乳は血液だから、水を飲んだら母乳があげられると必死で水を飲みました。0歳の赤ちゃんはおっぱいをあげることで、一人分の食べ物をゲットしたことになる。3歳の息子も喉が乾いたら蛇口の水を飲んでいました。とにかく水が出て良かったと、水を必死で飲んでいたら、ある日、「東京の水道水は汚染されているから飲むな」と言われて。
今、みんなにご飯を食べさせてくれているお父さんやお母さんは、どんなものを食べさせてくれている?「体に良いものを食べなさい」って言われない? 「背が伸びるようにカルシウムを取って、タンパク質が大切だから肉も魚も食べて、好き嫌いはダメだよ」って。「風邪をひいたら大根、ビタミンとろう」とかね。「子どもには体に良いものを与えたい」と、親だったら誰でも思う。わたしもみんなと同じです。赤ちゃんには、添加物も着色料も農薬も入っていない、体に良いものを与えたい。でも、原子力発電所が事故を起こしたら、東京一帯、半径200km圏内の水が汚染されて、放射性物質で汚染された水を飲まないといけない。
原子力災害の被害はあまり報道されません。当時、東北の農村部で葉物野菜が出荷停止になりました。降り注いだ放射性物質がホウレンソウやキャベツに付着し、出荷できずに畑に全部捨てられました。酪農家の人たちが育てた牛の牛乳も出荷停止になりました。牛も人間も哺乳類。放射性物質を浴びて、水道水で内部被ばくしています。栃木県や千葉県のお母さんの母乳からも、セシウムという放射性物質が検出されたという報道がありました。子どもの尿からもセシウムが検出されました。だから、福島県や多くの東日本の県から、原子力災害の被害を避けるために、子どもたちの命と健康守るために避難を続けています。災害はいつでも何度でも起こり得るし、原子力発電所がある国に住んでいる以上、被ばくの問題もいつでも誰にでも起こり得る。みんなは、命を大事にすることについて考えてほしい。避難する、逃げることも、生きることにつながる権利。被ばくを避けて命を守る権利があります。逃げることは権利だと覚えて帰ってください。
西村)生きるために必死で飲んでいた水道水に放射性物質が入っていたんですね。
亘)「子どもには体にいいものを食べさせたい」という普通の願いが叶わない状況でした。原発に近いところは、「強制避難区域」になるのですが、森松さんの住んでいた郡山市は原発から離れているため、避難せよとは言われない。でも放射線量は上がっているので、子どもを外で遊ばせることができません。毎日「これを食べて大丈夫かな」「この空気吸って大丈夫かな」「これ触って大丈夫かな」と悩みながら暮らす生活が続くわけです。それぞれの家族が判断を迫られました。西村さんならどうしますか。
西村)悩みますけど、家族で避難するかな...。
亘)それぞれ事情がありますよね。金銭的なこと、仕事、子どもの学校、介護など。
西村)親が「避難したくない」と言ったらどうしよう...。
亘)家族ごとにさまざまな判断がありますが、共通しているのは、原発事故で人生が変えられてしまったこと。森松さんの話は、一貫して「命を守る」ことがテーマでした。中学生に感想を聞きました。
音声・中学生A)「水にも放射性物質が混ざっていた」という話は印象に残っています。水は生きる上で大事。貴重な食べ物や水に放射性物質が入っていたら、水を飲みたいけど飲めない、食べ物を食べたいけど食べられなくなる。自分だったら絶対耐えられないと思います。みんなで少しでも早く、遠くに逃げる努力をして、少しでも被害がないところに逃げられたらいいなと思います。
音声・中学生B)防災のことを学んできましたが、原発のことについてはあまり学べていなくて。原発のことはほとんど知らなかったので、今回話を聞くことができて、新しい学びにもなりました。これからの人生に活かしていけたらと思いました。わたしはもともと宮城県に住んでいて、わたし自身も震災で避難してきた身。母もすぐに避難はできなくて、周りの人やメディアの情報でここまで逃げてきたと言っていました。わたしは0歳だったからわからなかったけど、母はわたしのことをちゃんと考えていてくれていたんだなと思いました。
西村)中学生のみなさんの心にもしっかりと響いて、考えるきっかけになったのですね。
亘)原発事故が起きた後は、この地震大国の日本にこれだけ多くの原発があるのは危険だということで、脱原発を求める声が大きくなっていました。しかし、15年経ち、再び原発回帰の流れが強まっています。原子力発電は国が推進してきたものです。森松さんは、国と東京電力を相手に被災者が起こした「原発賠償関西訴訟」の原告団長です。原告は79世帯222人います。全国各地で避難者が集団訴訟を起こしていて、原告は12000人を超えています。森松さんの関西訴訟は「しんがり」、つまり、最後に一審判決が出る裁判です。判決は今年の9月です。原発事故で国に責任があるということが認められるかどうかがポイントになります。原発事故による避難者は最も多いときで16万人と言われていて、今も全国で26000人以上が避難生活を続けています。
西村)今でも多くの人が避難を続けているのですね。
亘)東日本大震災15年ですが、原発事故の影響は現在進行形で、全く終わっていません。わたしたちの社会が、森松さんのような原発事故の避難者の声をどう受け止めるのか。9月2日、原発賠償関西訴訟でどんな判決が出るのか、注目したいと思います。
西村)亘佐和子プロデューサーのリポートでした。ありがとうございました。
