第1537回「東日本大震災15年【4】~釜石の語り部」
オンライン:語り部 川崎杏樹さん

西村)岩手県釜石市にある「いのちをつなぐ未来館」は、東日本大震災の伝承と防災学習に取り組んでいる施設です。
きょうは、東日本大震災で被災し、現在は、「いのちをつなぐ未来館」で語り部をしている川崎杏樹さんにお話を聞きます。
 
川崎)よろしくお願いいたします。
 
西村)川崎さんが経験した15年前の3月11日の事を教えてください。
 
川崎)当時は釜石東中学校の2年生でした。体育館で部活動の準備体操をしているときに揺れが発生。立っていることができないくらいの大きな揺れでした。その場にしゃがみ込んで、なんとか耐えました。かなり大きく長く揺れたので、「津波が来る」と思い、すぐに校庭へ避難しました。
 
西村)教室にカバンや上着を取りに行こうとは思わなかったのですか。
 
川崎)そういうことは全く考えなかったです。「すぐ逃げなければ!」と思いました。
 
西村)周りの友達はどうでしたか。
 
川崎)同じようにすぐに一緒に行動し、校庭へ向かいました。
 
西村)パニックになっている人はいませんでしたか。
 
川崎)パニックになって動けない生徒はいませんでしたが、過呼吸になった生徒はいました。
 
西村)すぐに避難を開始して、どのように行動しましたか。
 
川崎)学校から800m離れた場所にある、いつも避難訓練で行っている場所へ行きました。
 
西村)普段から避難訓練をしていたのですね。どれぐらいのペースで避難訓練をしていたのですか。
 
川崎)年に1~2回程度です。
 
西村)避難訓練を繰り返しすることで、避難行動が体にしみ込んでいたのですね。
 
川崎)はい。当日も迷わず行動しました。避難場所に到着した後、一時待機をしていたら、すぐ裏手側の山で崖崩れが発生して。近所の人からアドバイスがあり、さらに高台へ避難しました。
 
西村)そのとき周りのようすはどうでしたか。
 
川崎)泣いている人もいれば、迅速に避難しようと動いている人もいて、さまざまでした。
 
西村)周りは同じ中学校の生徒ばかりだったのですか。
 
川崎)中学生と小学生、近所の人や迎えに来た保護者もいました。
 
西村)小学生のようすはいかがでしたか。
 
川崎)年齢によって理解度が違うので、ポカンとしている子もいれば、泣いてしまう子もいました。
 
西村)泣いてしまった子にはどんなふうに声をかけましたか。
 
川崎)一緒に避難するときに近くにいた子には、「みんなと一緒だから大丈夫だよ」と声をかけながら避難しました。
 
西村)最終的にどこまで避難したのですか。
 
川崎)学校から約1.6km離れた場所にある「恋の峠」という高台へ避難しました。
 
西村)1.6km...かなり時間がかかったのではないですか。
 
川崎)40~50分ほどかけて避難をしました。
 
西村)体力的にはしんどくなかったですか。
 
川崎)不思議と疲れた感覚はありませんでした。津波を見た直後は、「いつ死ぬかわからない」と高いところへと逃げるのに必死でした。
 
西村)津波を見てどう思いましたか。
 
川崎)津波を見た瞬間は頭が真っ白で、何も考えられなかったです。津波が街全体を飲み込んで、街がなくなっていきました。「死ぬかもしれない」と感じたので、必死に高台へ避難しました。
 
西村)高台に避難したあとは、どうなりましたか。
 
川崎)そこからさらに9kmほど移動して、途中で通りかかったダンプカーの荷台に乗せてもらって、避難所の体育館に移動しました。指定避難所ではない場所でしたが、津波の被害を受けなかったので急遽避難所になった場所です。
 
西村)避難所に到着したときはどんなふうに感じましたか。
 
川崎)「やっと室内に入れる!」と思った記憶があります。日が暮れたあと、雪が降ったので、かなり寒かったです。
 
西村)カバンや飲み物などなにも持っていなかったんですよね。
 
川崎)何一つ持たずに避難をしました。
 
西村)当時、釜石市には9m近い津波が押し寄せ、1000人を超える死者行方不明者が出ました。しかし、川崎さんが通っていた釜石東中学校と隣の鵜住居小学校の児童・生徒約570人は無事に避難。これは、のちに「釜石の奇跡」と言われ、メディアで報道されました。川崎さんは、「釜石の奇跡」と呼ばれたことについてどう思いますか。
 
川崎)わたしや地域の人たちは、"奇跡"とは感じていません。わたしたちは普段から学校で防災学習に取り組んでいたので、助かった人は多いですが、犠牲になってしまった人もいるからです。
 
西村)学校の防災教育では、どんなことを教わってきたのですか。
 
川崎)まずは地震や津波の特徴やメカニズムなどの基礎知識を学び、避難訓練でさまざまな想定を取り入れながら体験をしました。ケガの応急処置、ハザードマップ作りなどさまざまな活動に取り組んでいました。
 
西村)それがいかされた実感はありますか。
 
川崎)防災学習がなければ、助かってなかったと思います。
 
西村)中学2年生の川崎さんは、震災を経験してどんなことを感じましたか。
 
川崎)わたしの家族はみんな助かったのですが、ほとんどの同級生の家が流され、家族の誰かを失った人もいます。「当たり前が当たり前ではない」ということに気づきました。当時いろんなものを失った体験をして、もう二度と大切な人に会えなくなったら嫌だな、と思います。日常生活では、家を出るときは「いってきます」と家族とコミュニケーションを取るようにしています。
 
西村)いつでも会えると思うから挨拶をしない、喧嘩していても仲直りしないままいたりすることもありますよね。川崎さんの故郷、釜石についてどう思いますか。
 
川崎)釜石はすごくいいところだと思います。景色も町の人も素敵で、食べ物も美味しいです。震災前は「ただの田舎町」と思っていたのですが、震災後に来てくれた全国各地のボランティアの人たちが、釜石のいいところをたくさん教えてくれました。
 
西村)食べ物は、どんなものが美味しいですか。
 
川崎)ほたて貝、海藻類、ウニ、魚などの海産物、秋や春は、タラの芽やコゴミなどの山菜...何でも美味しいです。
 
西村)食べに行きたくなりました。そんな釜石で川崎さんは語り部をしています。「いのちをつなぐ未来館」ではどのような防災教育を行っているのですか。
 
川崎)わたしの当時の体験談に加えて、津波の被害状況、当時の出来事をまとめた展示物の掲示、実際にわたしたちが避難をした避難路の追体験など防災をテーマにしたワークショップも行っています。
 
西村)川崎さんたちが避難した避難路の写真を見たのですが、なかなか険しい道ですね。
 
川崎)はい。結構きつい坂道でした。
 
西村)ワークショップには、どんな人が参加しているのですか。
 
川崎)小学生からお年寄りまで、幅広い年齢の人に参加してもらっています。
 
西村)参加したみなさんは、どんなふうに感じられているのでしょう。
 
川崎)みなさん、新聞やテレビで何となくイメージはしているようですが、実際に避難行動を体験すると、「イメージとは違った」「驚いた」と言います。
 
西村)体験ができる施設は貴重だと思います。東日本大震災の発生から先日3月11日で15年を迎えましたが、震災の伝承施設への来館者が減っているそう。「いのちをつなぐ未来館」の来館者数はどうですか。
 
川崎)来館者は、年間約2万5000~3万人です。来てくれる人は、ある程度防災意識が高い人が多いので、いろんなお話を持ち帰って、学んでもらっているという実感があります。
 
西村)川崎さんは語り部として、若い世代にどんなことを伝えていきたいですか。
 
川崎)生きていなければ何もできないので、まずは「助かること」「生きること」を伝えたいです。そして、「助かったのはなぜか」を次の世代に伝えてほしいです。
 
西村)川崎さんは、この15年間、つらいとき、悲しいときはありましたか。
 
川崎)振り返ってみると大変だったことも多いですが、こういうふうに感じることができるのは、生きているからこそ。わたしたちが助かった教訓を伝えて、少しでも犠牲者が減ればと思っています。
 
西村)これからはどういう防災教育をしていきたいですか。
 
川崎)わたしたちが助かったのは、楽しく学ぶ防災学習のおかげ。それをたくさんの人たちに知ってほしい。生徒たちが興味・関心を持てるものがいいと思います。子どもたちが体験をして、面白いと思えたら、新たな興味・関心につながっていくと思います。
 
西村)今、子供たちに人気のワークショップはありますか。
 
川崎)防災運動会や安否札を作るプログラムは、子どもたちに人気があります。
 
西村)楽しい経験が命を守ることにつながるのですね。家族も一緒に楽しみながら防災を学ぶことができそうですね。
 
川崎)楽しいと次につながりやすくなります。子どもたちだけではなく、家族や学校全体に防災教育が広がっていってほしいです。
 
西村)川崎さんどうもありがとうございました。