取材報告:亘佐和子プロデューサー
西村)きょうは、阪神・淡路大震災31年のシリーズ2回目。「亡くなった土地で、追悼の音楽会」というテーマでお送りします。亘佐和子プロデューサーの報告です。
亘)よろしくお願いいたします。12月20日に「加藤貴光折り鶴平和音楽会in夙川」が開催され、取材に行ってきました。加藤貴光というのは、震災で亡くなった学生さんの名前。貴光さんは、神戸大学法学部の2年生だったのですが、西宮市の夙川にあるマンションが倒壊して亡くなりました。広島県出身で、国連の職員になって、世界の平和に貢献したいという夢を持っていました。
西村)志半ばで亡くなられてしまったんですよね。
亘)「ネットワーク1・17」では一昨年、「ネットワーク1・17スペシャル~即死の真相」という特別番組を放送し、貴光さんのことを伝えました。阪神・淡路大震災で亡くなった人は即死がほとんどだったという通説を改めて検証。早く救助に入れば助かる命があった可能性が高いということを伝える内容でした。この番組の中で、加藤貴光さんの上の部屋に住んでいた人の証言、「地震当日の午前9時ごろまで、貴光さんの部屋から壁をトントン叩き助けを求める音が聞こえていた」を伝えたんです。
西村)貴光さんはすぐに亡くなったのではなく、数時間生きていた可能性があるということですね。
亘)そうです。この番組の取材の過程で、わたしは当時のことを知る人を探して、夙川の周辺を歩き回りました。それが今回の「加藤貴光折り鶴平和音楽会in夙川」の開催につながりました。
西村)どういうことですか。
亘)貴光さんが住んでいたのは、夙川の「マンションN」という建物。そこから数百メートルのところに「みんなげんきジム」という子ども向けの体操教室があるんです。そのジムを運営している米田和正さんに出会いました。米田さんは貴光さんのことは知らなかったのですが、「ネットワーク1・17スペシャル~即死の真相」を聞いて大きなショックを受けたというんです。米田さんの話です。
音声・米田さん)朝の5時46分に揺れて、近所をまわって7時過ぎぐらいに1kmほど行ったところに母親の様子を見に行きました。家がガタっとしていましたが母親は大丈夫でした。行くときに右手に「マンションN」が見えていて、帰りも「マンションN」が見えていたんです。もし助けに行っていたら、貴光さんはもっと早く引っ張り出されていたかもしれない。あの時間、行きも帰りも(マンションを)見ていた。でも(助けに)行かなかった。今喋っていても胸が痛くなる。なんで何もできなかったのだろうと。あそこに救助を求める人がいたということを思い返して、それからずっと抱え込んでしまいました。
西村)救助に行かなかったと悔やんでいるのですね。
亘)たくさんの家が倒壊して、みんな自分のことで精一杯だったので仕方ないことなのですが、米田さんは「貴光さんがまだ生きていたら助けられた可能性があった。なんで自分は救助に行かなかったんだろう」と感じたのです。番組が終わった後に広島にいる加藤貴光さんの母親のりつこさんに連絡を取りました。そこから2人の交流が始まったんです。加藤りつこさんは、語り部として志半ばで震災の犠牲になった息子の貴光さんのことをずっと語ってきました。その延長線上に「加藤貴光折り鶴平和音楽会」があります。この音楽会は、今から7年前に貴光さんのことを知った「Viento」という熊本・阿蘇の音楽デュオが、「貴光さんの名前を掲げた音楽会をしたい」とりつこさんに声をかけたのがきっかけで始まりました。これまで毎年1回、貴光さんの誕生日である12月20日頃に貴光さんの地元の広島と「Viento」の地元の熊本で交互に開催されてきました。そこで、「ネットワーク1・.17スペシャル」で加藤りつこさんと交流が始まった夙川の米田さんが、「一度夙川で音楽会をやりませんか」と声をかけたんです。
西村)「ネットワーク1.17スペシャル」がきっかけを作ったということでしょうか。
亘)全く想定外ですが、ご縁をつないで、それが夙川での音楽会の開催につながったと言えるかもしれません。今回の会場の夙川公民館は、貴光さんが亡くなったマンションの向かい側。この場所で音楽会を開くのは、りつこさんにとって辛いことではないのかと提案した米田さんもわたしも当日まで気になっていました。音楽会が始まる直前にりつこさんに気持ちを聞いてみました。
音声・加藤さん)今までは、夙川には来たいと思えなかった。行かなければ、という気持ちで来ていたんですが、きょうからわたし変われそう。こんなにあたたかい夙川は30年目で初めてです。こんな気持ちでニコニコ笑いながら夙川へ来るなんて全くなかった。音楽会が開催できて、これまでに出会ったたくさんの人がチケット買ってきてくださって。そのあたたかさが夙川に溢れていて。だから亡くなった現場を見ても、今までは涙がボロボロ流れていたんですが、きょう行ってみたら涙は出ませんでした。貴光が導いてくれたからここがある。貴光が亡くなったあとわたしが笑顔で過ごせるように、「夙川に来てくれ」っていう貴光が言ってくれている気がして、今この夙川にいます。
亘)震災30年の歳月、この間に積み重ねられてきた人のつながりを感じました。音楽会のチケットは前売りの200枚が完売。当日は補助席もたくさん並べられました。阿蘇の風を運んできたようなVientoさんの演奏、広島で戦争と平和の問題ずっと取り組んでいる詩人・アーサー・ビナードさんの原爆ドームを主人公にした絵本の朗読など、とても充実した内容の音楽会でした。西村さんはどうでしたか。
西村)本当に温かな気持ちに包まれた音楽会でした。音楽やお話を聞いて、貴光さんをとても近くに感じましたし、わたしも貴光さんの願いを一緒に叶えたいと思いました。きょう聞いたお話や歌を家族に伝えたいと強く思いました。
亘)音楽会では「親愛なる母上様」という曲が演奏されました。Vientoとハーモニカ奏者の岡直弥さんが演奏しています。この曲は、貴光さんが大学に入学したときに母親の律子さんに宛てた手紙が元になっています。一部読んでみます。
「あなたがわたしにいのちを与えてくださってから、
早いものでもう20年になります。
わたしはあなたから多くの羽根をいただいてきました。
人を愛すること、自分を戒めること、人に愛されること。
今、わたしはこの翼で大空へ飛び立とうとしています」
お母さんへの感謝と決意と希望にあふれたお手紙なんです。この手紙に感動した奥野マサトシさんという作曲家が曲をつけました。奥野さん自身が歌っていましたが、3年前に亡くなって、今回の音楽会では、歌詞はなしで、奥野さんと親しかったVientoさんと岡直弥さんが演奏することになりました。
西村)歌はなくてもメッセージが伝わってきて思わず涙があふれてきます。
亘)とても温かい雰囲気でした。会場には貴光さんを知ってる人、知らない人がいるけど、貴光さんを思いながら命や生きること、平和について、それぞれが考える良い時間になったと思います。
西村)わたしは1人で行ったのですが、コンサートが終わってから語り合いたいと思いました。また来年もぜひ開催してほしいですね。
亘)この音楽会が終わった後にりつこさんに話を聞きました。
音声・加藤さん)1月17日の午前中5時46分に地震が起きて、3時間近く助けを求めていたという証言を聞いたとき、本当にかわいそうなことをしたと。家族が誰1人寄り添ってやれなかった。夙川に来るのがすごくつらかったんですけど、みなさんが寄り添ってくださって、今日ここでコンサートをしていただいたことにすごく感謝しています。
音声・亘)貴光さんのお誕生日は、これまでどんな日でしたか。
音声・加藤さん)悲しい日です。誕生日はものすごく悲しい。命日と同じくらい悲しい。12月20日が近づくと胸がギュッとなって沈んでしまうんですけど。こんな晴れやかに感動しながら迎えた誕生日は初めてでした。
西村)つらい悲しみの中で、想いを伝え続けてきたからですね。本当にいい1日になりましたね。
亘)そうですね。亡くなった子どもの誕生日はとてもつらいと遺族からよく聞きます。誕生日に、亡くなった場所で音楽会をするのは、きびしいことだと思いますが、震災30年という節目に、夙川がりつこさんにとって新たな意味を持つようになった。その一部分をわずかですが、この番組がお手伝いできてよかったなと思います。
西村)もうすぐ阪神・淡路大震災31年を迎えます。災害の持つさまざまな側面や新たに見えてくることをこれからも伝えていきたいです。亘佐和子プロデューサーの報告でした。
