第1444回「人はなぜ逃げないの?災害時の心理学」
オンライン:常葉大学 教授 河本尋子さん

西村)職場や外出先で非常ベルが鳴ったらみなさんはどうしますか。すぐに安全な場所に避難できますか。人間には、非常事態が迫っていても「たいしたことじゃない」と思い込む、心の安定機能「正常性バイアス」が備わっています。「正常性バイアス」は、不安や心配を減らす役割がありますが災害時の逃げ遅れにつながる恐れもあります。
きょうは、災害時の心の動きについて常葉大学 社会環境学部 教授 河本尋子さんにお話を伺います。
 
河本)よろしくお願いします。
 
西村)「正常性バイアス」とはどんな心理ですか。
 
河本)「正常性バイアス」は、日常生活において、どんな人の心にもある働きです。「きっと大丈夫だろう」と思うことは日常生活の中でもよくあると思います。そう思うことによって、心の安定を保っているのです。
 
西村)「正常性バイアス」は、年代関係なく、子どもから年配の人までみんなが持っているものなのですね。
 
河本)いろんな経験をすると、「これまで大丈夫だったから、今度も大丈夫だろう」と考える人もいると思います。
 
西村)それは性格によっても変わりますか。
 
河本)個人差はあると思いますが、どんな人にも見られる特徴です。
 
西村)日常生活の中で「正常性バイアス」が機能していると考えられるシーンはありますか。
 
河本)普段道を歩いているときに、「車が突っ込んでくる」と思いながら歩いていたら、怖くて歩けないですよね。「車が突っ込んでくることはないだろう」と思うことで、道を歩くことができます。わたし自身が経験したことなのですが、ずっと手の指が痛いと思っていたことがあって。でも「このくらいの痛みはい今までもあったから大丈夫」と思っていたら、実は骨が折れていたのです。「大丈夫」と思うことが心の安定を保つ側面はありますが、災害時には命に関わる危険につながることもあるのです。
 
西村)被災者のインタビューで、「これぐらいの雨なら大丈夫だと思っていた」という話をよく聞きます。「正常性バイアス」が働いて、マイナスの結果につながることもある例ですよね。これまでの災害で「正常性バイアス」が問題になったことはありましたか。
 
河本)東日本大震災のときにも「正常性バイアス」の影響が見られました。被災者に当時のようすをインタビューしたことがあったのですが、ある人は、自分の目で津波が来るのを見て、自転車で逃げる途中に、渋滞中の車に乗っている人たちに「大きい津波が来るから早く逃げて」と声を掛けたそう。でも相手は聞く耳を持ってくれなかったということでした。それは「正常性バイアス」からくるものだと言えると思います。
 
西村)それは危ないですね。
 
河本)自分自身が経験してきたことと、「津波が来るから危ない」と言われたことが矛盾して、「そんなことない」と思ってしまうのだと思います。
 
西村)声をかけた人は津波を目撃したからこそ逃げることができた。目の前に変化がないと逃げにくいのですね。「正常性バイアス」からは、逃れられないのでしょうか。
 
河本)内陸からは海のようすが見えないので、危険が迫っていることを実感できません。これまでの経験から、「まだ大丈夫」と考えてしまいます。
 
西村)「正常性バイアス」が働きやすい災害はありますか。
 
河本)揺れが急に始まる地震とは違い、津波や豪雨災害のような災害は、だんだんと状況が変化して危険が迫ってくるので目の前で起こっていることがわかりにくいです。
 
西村)豪雨災害では、足元や川の水位がじわじわと上がってきます。一気に景色が変わるわけではないですよね。想像以上に早く水があふれてくることもありますよね。
 
河本)そうなると危険です。
 
西村)変化が見えないと周りの人が「大丈夫」と言っていたら、「大丈夫かな」と思ってしまう気持ちもわかります。では災害時に「正常性バイアス」に惑わされないようにするにはどうしたら良いのでしょうか。
 
河本)まず一つはそのような心の働きがあるということを知ること。「大丈夫」と思ってしまったときに、知っていると、これは「正常性バイアス」かな?と考えることができます。
 
西村)パニックになっていると冷静に考えられないのではないですか。
 
河本)知っていないと気づくことも難しいので、きちんと認識しておくことは大事です。
 
西村)周りの人にも声掛けすることも大事ですね。
 
河本)周りの方と注意をし合うコミュニケーションは重要だと思います。
 
西村)ご近所づきあいのコミュニケーションは大事ですね。「正常性バイアス」の他にも災害時に気をつけておきたいことはありますか。
 
河本)「正常性バイアス」とセットで気をつける必要があるのが「同調性バイアス」。周りに「大丈夫」という人たちがたくさんいると、それに同調したり、「みんなと一緒に行動すれば大丈夫」と思ったりしてしまいます。それが「逃げない」という選択をする方向に働いてしまうと、「正常性バイアス」と同様に避難が遅れる原因になります。
 
西村)過去の災害でも「同調性バイアス」が働いたエピソードはありますか。
 
河本)東日本大震災のときも「これまでなかったから大丈夫」と言い合って同調してしまった例があったようです。
 
西村)その土地にずっと住んでいるおじいちゃんやおばあちゃんにそう言われると、「そうなんだ」と思ってしまうかもしれません。自分自身で「これは正常性バイアスが働いているのではないか」と考える、そして、みんなに勇気を持って伝えることは、命を守るために大事なことですね。
 
河本)とても大事なことだと思います。
 
西村)みんなが逃げていなければ、周りの人たちと違う行動は取りにくいし、「逃げましょう!」なんてなかなか言えないですよね。でも逆に考えると、みんなが一斉に逃げたら、「わたしも逃げなければ!」と思うかもしれませんね。
   
河本)「みんなが避難しているから、わたしも一緒に避難しよう」と思えたら、それは「同調性バイアス」が良い方向に働いているとういうことになりますね
 
西村)東日本大震災のときに岩手県で「釜石の奇跡」と言われている出来事があります。津波が迫る中、小中学生が1.6キロ先の高台に避難したことで、多くの命が助かりました。率先して避難する人が多いとみんな逃げることができるのですね。
 
河本)「釜石の奇跡」は、地元で長年防災教育をしていた研究者の努力の結果だと思いますが、「みんなが避難するからわたしも...」と思えたことは、とても重要なことだと思います。
 
西村)地域のみなさんや周りの人たちと声を掛け合って避難することは、改めて大切だと思いました。
 
河本)災害が起こるとき危険が迫っているときに、「きっと大丈夫」と思ってしまう心の働きの存在をまず知ってください。何か起こったときは、自分が率先して逃げることができるようにしてほしいです。
 
西村)勇気を出して、避難行動に移すことが大切ですね。
きょうは、災害時の心の動きについて、常葉大学 社会環境学部 教授 河本尋子さんにお話を伺いました。

第1443回「内水氾濫の危険性」
オンライン:山口大学 特命教授(環境防災学)山本晴彦さん

西村)5月末に近畿地方でも記録的な大雨を観測しました。
きょうは、大雨により下水道や排水路から水が町中にあふれる内水氾濫について、山口大学 特命教授 山本晴彦さんにお話を伺います。
 
山本)よろしくお願いいたします。
 
西村)内水氾濫はなぜ起きるのでしょうか。
 
山本)淀川などの大きな川は堤防がしっかり作られているのでなかなか決壊しません。決壊しないので雨が降ると水位が上がります。水門を閉めて逆流を防ぎますが、ポンプ場ででも排水しきれずに内部の低いところに水が溜まってしまうのです。
 
西村)ものすごい量の水が溜まるのですね。
 
山本)大阪湾に流れたら良いのですが、流れずに溜まった水が住宅地や市街地に貯まって水害が起こります。
 
西村)マンホールから水が噴水のように噴き出したり、道路が川のようになったりしているニュースをよく見ます。トイレやお風呂場に下水が逆流することもあるのですか。
 
山本)町に水が滞留すると家の中に入ってきて逆流して、トイレなどから水が溢れてしまうこともあります。
 
西村)外の道路のアンダーパスも危ないですよね。
 
山本)近年はアンダーパスで度々事故が起こっているので、ランプや注意を促す表示が設置されています。いつも走っている道なら危ないとわかりますが、初めての通る道なら突っ込んでしまうことも。車は50cmぐらい水に入ると浮いてしまいます。
 
西村)たった50cmで浮いてしまうのですね。
 
山本)車はそれほど重くありません。軽自動車なら800~900kg。中は空洞なので浮いてしまいます。流れて人が亡くなってしまうこともあります。
 
西村)車に乗ってたいら大丈夫というわけではないのですね。
 
山本)車で避難や移動をするときは細心の注意が必要です。
 
西村)内水氾濫が起こったら水の流れはどんどん早くなるのですか。
 
山本)厄介なのは、さらに低いところに水が集まってしまうとことです。内水氾濫の対策はどのような形で水を流していくか。大きな川に水を流していくことが大事です。
 
西村)内水氾濫が起きやすい場所やよく起こっている場所はありますか。
 
山本)大阪の梅田のJR大阪駅の北側、淀川との間は、もともと水田だった低平地を埋めたので、「梅田」と呼ばれています。湿地帯の低いところに人口が増えて明治時代から開発されてきました。そのようなところが水がたまりやすいく危ないです。
 
西村)九州でも水害の話をよく聞きます。
 
山本)福岡県・久留米市に6年間住んだことがあるのですが、筑後川の中流域の低平地は、住宅地や商業用地が開発されていて内水氾濫で度々浸水被害を受けています。久留米市の金丸川、池町川流域はこの5年間で約4回の水害が起きています。
 
西村)かなり頻度が高いですね...。
 
山本)元は低平地の水田で蓮根畑もあったような湿地帯。水はけが悪いので水害の常習地となっています。
 
西村)土地の歴史も調べておかないといけませんね。
 
山本)昔の地図を見たりして自分がいる場所の危険性を知っておきましょう。
 
西村)2020年に福岡県・大牟田市で水害がありました。あのときも結構浸水しましたよね。
 
山本)あのときは、諏訪川のポンプ場で排水したのですが、ポンプ自体が浸水してしまって水が溜まる事態に。その地域の人々は自治体に対して訴訟しています。
 
西村)深いところでどれぐらい水が溜まったのですか。
 
山本)約1m50cmです。近くの小学校では、学校から「迎えに来てください」と言われた保護者が子どもと一緒に帰ったのですが、かなり危険な状態でした。通学路の中には低い場所もあるので、危なくなったら学校に泊まらせるか、引き渡しのタイミングを考えることが重要だと思います。
 
西村)内水氾濫の対策が必要だと思います。内閣府の調査では、9割の自治体で、内水氾濫のハザードマップがまだ整備できてないそう。
 
山本)ハザードマップには外水氾濫と内水氾濫の記載があります。外水氾濫は、堤防が決壊したときにどのように水が流れ込んでくるかをシミュレーションするので、比較的簡単なのですが、内水氾濫は下水管や雨水管、調節池や地下の貯水施設...さまざまなものを総合的に計算しなければなりません。時間も手間コストもかかるので進んでいないのが現状。ハザードマップを早く作って多くの人に周知されることが大事だと思います。
 
西村)ハザードマップを進めるのが難しいなら具体的な対策を一つずつやっていくしかないですね。自治体などがこれからやっていくべき対策はどんなものがありますか。
 
山本)大阪なら寝屋川、大和川などの特定都市河川が特に内水氾濫の危険性が大きいです。たとえば、「運動場を少し掘り下げて水を溜める」「大きな公園の下に貯水タンクを作って水をためる」こともできます。「土地を開発したときに必ず貯水施設を設ける」「雨水タンクを設けて一時的に貯水をする」などの工夫をすると、内水氾濫が少なくなるかもしれません。
 
西村)家庭でも雨水タンクを作っておけば、万が一地震で断水したときにも役立ちそうですね。
 
山本)雨水を貯めておくとトイレの水などにも利用することができます。
 
西村)ほかに、わたしたちにできることはありますか。
 
山本)家を買ったり、借りたりする前にその場所の状況を把握すること。未だに浸水想定区域もどんどん開発されています。安い土地はいわく付きです。土地を上げて浸水しにくくする、別のところに住むのも方策のひとつ。自分たちの家がある場所の水害リスクをしっかりと確認することが大事です。
 
西村)帰宅時などに地下街で内水氾濫に巻き込まれた場合はどうしたら良いですか。
 
山本)梅田の地下街は迷路のようになっていますよね。入口には水を止める水盤を設けていますが、水盤を乗り越える可能性もあります。地下鉄とつながっているところはそちらに水が流れていくので安心かもしれませんが。地下街の中で比較的、高いところに移動するしかないと思います。移動することができれば、地上の階に上がって垂直避難をしてください。
 
西村)大雨の予報が出たら、外出しないことですね。
 
山本)日頃から自分たちが歩いているところにどのようなリスクがあるのかを確認しましょう。ハザードマップはスマートフォンでも見ることができます。「もしここで雨が降ったらどうするか」を日頃から考えておく。そうすると災害時に素早く行動ができます。そのような危機管理をしてほしいと思います。
 
西村)きょうは、内水氾濫の危険性について、山口大学 特命教授 山本晴彦さんにお話を伺いました。

第1442回「今年も猛暑!気象情報の活用法」
ゲスト:MBSお天気部 気象予報士 前田智宏さん

西村)きょうは、スタジオにMBSお天気部 気象予報士の前田智宏さんに来ていただきました。
 
前田)よろしくお願いいたします。
 
西村)台風1号が発生して、先週は大雨が降りましたね。
 
前田)兵庫県・神戸市や京都府・福知山市などでは、5月の観測史上一番多い雨量となり、梅雨のような大雨となりました。
 
西村)台風が遠いのにこんなに降るのか...と思いました。
 
前田)梅雨前線と台風が組み合わさるときは要注意。台風は熱帯生まれの低気圧なので、湿った空気をたくさん持っています。その湿った空気が前線に流れ込んで活動が活発になるのです。
 
西村)大雨を降らせる線状降水帯の発生予測エリアが絞りこまれることになりましたね。
 
前田)これまでは地方ごとに予測がされていたのですが、大阪・奈良・和歌山にというようにエリアが絞られることになりました。
 
西村)今回の大雨でも線状降水帯の予測がエリアごとに出されていましたね。
 
前田)府県単位で、九州南部、四国と東海の8つの県と地域に発表されていました。
 
西村)少し意地悪なこと言いますが、結局外れてしまいましたよね。
 
前田)線状降水帯は結果的に発生しませんでした。気象庁は半日前の予測が的中する確率は4回に1回としています。
 
西村)線状降水帯を予測するのは難しいのですね。
 
前田)線状降水帯の予測を確実に当てるのは今の技術では難しいです。今回は、線状降水帯は発生しませんでしたが、災害に結びつきかねない雨量になりました。線状降水帯が発生する・しないだけの問題ではなく、発生しなくても災害が起きることはあるので、この情報が出されたときは、備えのレベルをあげるきっかけにしてほしいです。
 
西村)身の回りの備えや家の周りや地域の掃除もしっかりしなければなりませんね。気象庁が先月発表した6月から8月の3ヶ月予報では、全国的に平年より気温が高くなる見通しで、今年の夏も猛暑になりそうです。
きょうは、前田さんに今年の猛暑を乗り切るための気象情報の活用法を教えてもらいます。やっぱり今年の夏も暑いですか。
 
前田)猛暑待ったなしです。
 
西村)この春もかなり暑かったですよね。
 
前田)過去で一番気温の高い4月でした。最新の3ヶ月予報では、近畿地方は6月、7月、8月全ての月で平年より気温が高くなりそうです。
 
西村)暑さへの覚悟が必要。熱中症を予防するためには、どんな情報をどのように活用したら良いのでしょうか。
 
前田)日々の天気予報をチェックして暑さを確認してください。日差しの強い日は直射日光を遮る工夫を念入りにしてください。気温だけではなく、暑さ指数にも気を付けてほしいです。
 
西村)暑さ指数はどのように出されるのでしょうか。
 
前田)暑さ指数は気温に加えて、湿度、照り返しの熱の効果も含めて、人間の感じる暑さにできるだけ近い指数を設定しています。暑さ指数に気温の効果は、10段階中2割。10分の7が湿度の割合なのです。
 
西村)10分の7ということは、湿度が大きな割合をしめるのですね。
 
前田)湿度が高いと汗が乾きにくいので、特に暑さを感じやすく、熱中症の危険性が高まります。残りの1が照り返しの熱の効果になります。
 
西村)どんな服装で、どんなものを活用したら良いのでしょうか。
 
前田)暑さ指数の高いときは、水分補給や冷房を使うことも大事。さまざまな冷却グッズもあります。血液を効率的に冷やすこと。首など太い血管が通っているところをうまく冷やすとすごく効果的です。この暑さ指数をもとに発表される気象情報が熱中症警戒アラート。環境省と気象庁が合同で発表している情報で夏になると毎日のように発表されます。
 
西村)熱中症警戒アラートが発表された地域ではどのような行動をとったら良いのでしょうか。
 
前田)熱中症警戒アラートが発表されたときは、かなり危険な状況になっているので、外での運動はできるだけ避けるか中止して、屋内の涼しい環境で過ごしてください。しっかりクーラーも使ってください。水分・塩分の補給をこまめにするなど意識を一段階高めて、身を守る行動をとってください。
 
西村)子どもたちに水分補給を呼びかけるときのポイントはありますか。
 
前田)今から習慣化させることです。子どもは、遊びに夢中になると水分補給を忘れがちに。「これをしたら水を飲みなさい」というように呼びかけて、行動と水分補給をセットにすると良いです。
 
西村)小学校に通っている息子には、「休み時間になったらお茶飲んでね」と伝えます。大人もなにかに夢中になると水分補給を忘れそう。
 
前田)「2時間に1回」「何時になったら飲む」というふうに決めておくと良いと思います。
 
西村)ビールは水分補給にならないですよね。
 
前田)なりません。スポーツ観戦のときなんかは要注意!
 
西村)水分補給におすすめの飲み物はありますか。
 
前田)イオン飲料などスポーツ飲料などがオススメですが、あまり飲みすぎると糖分の取りすぎになります。基本的には水やお茶で大丈夫。塩分は、3食の食事で取ることができます。激しい運動をするとき以外はスポーツ飲料を積極的にとらなくても構いません。
 
西村)熱中症におすすめの食事メニューはありますか。
 
前田)やはり塩分を取ることが大事。和食がオススメです。味噌汁は、水分も塩分も一緒に補給できます。ご飯も水を入れて炊くので、水分をしっかりと含んでいます。ご飯をきちんと食べるだけで水分補給になります。朝食には和食がオススメですね。
 
西村)4月24日から新たに熱中症特別警戒アラートの運用がスタートしました。特別ということは、暑さのランクが上がったということですか。
 
前田)今年から新しく発表されるようになりました。熱中症特別警戒アラートは暑さの特別警報と思ってください。
 
西村)暑さ指数はどれぐらいになりますか。
 
前田)熱中症警戒アラートは、暑さ指数が33。都道府県の中のどこかの地点で33以上になりそうなときに熱中症警戒アラートが発表されます。一方、熱中症特別警戒アラートは、暑さ指数が35以上になったときに出されます。熱中症特別警戒アラートは、都道府県の中の全ての観測地点で過去に例のないような危険な暑さになると予想されたときに出されます。
 
西村)もし発表されたら、どれぐらいの暑さになるのでしょうか...。
 
前田)過去に例のない暑さです。熱波のようなイメージ。
 
西村)インドで、暑さで人が亡くなったニュースを聞くことがありますが。
 
前田)それぐらいの暑さだと思ってください。日本では、これまでに熱中症特別警戒アラートが発表される状況になったことは一度もありません
 
西村)特別警戒アラートが作られたということは、今後さらに日本も暑くなっていくと予想されているからですか。
 
前田)特別警戒アラートが出される状況が近い未来に出てきてもおかしくないということです。もし発表されたら本当に危険な状況だと認識してください。家から出ないくらいの心構えが必要。
 
西村)熱中症にならないようにエアコンが自宅にあるなら必ずエアコンをつけましょう。ほかにも何か自治体で取り組んでいることはありますか。
 
前田)熱中症特別警戒アラートが出たときは、自治体が暑熱避難施設(クーリングシェルター)を設置することが義務付けられています。
 
西村)それはどんな場所ですか。
 
前田)指定する公民館や図書館、ショッピングセンターなどエアコンがある施設で暑さをしのげる場所です。
 
西村)涼しい場所なら買い物も休憩もできるし、家の電気代の節約にもなりますね。そこまで行くのが遠い場合は...。
 
前田)必ずこのシェルターに行かなければならないわけではありません。エアコンがない人は施設をうまく活用してください。
 
西村)梅雨が明けると、熱中症で搬送されるニュースも多く聞きます。今、できることはありますか。
 
前田)暑さに体を慣らすこと=暑熱順化、暑さに強い体作りをしておきましょう。暑さに慣れていない人は、少しずつ汗をかく練習を今のうちにしておきましょう。
 
西村)どんな練習をしたら良いですか。
 
前田)ウォーキングやジョギングなど軽い運動が効果的です。ジョギングなら1日約15分。ウォーキングなら約30分を週5日ぐらい続けると2~3週間ほどで暑さに強い体作りができると言われています。サイクリングもいいですね。買い物ついでに30分ほど自転車を漕げば、週3回程度でOKです。
 
西村)それならできそうな気がしますね。
 
前田)これからは、カラっとした暑さからムシムシした暑さに変わっていきます。日中はなるべく無理をしないようにしてください。運動が難しい人は、お風呂に浸かるだけでも汗をかく練習になります。2日に1回はお湯に浸かることを心がけると暑熱順化につながります。
 
西村)お風呂の温度はどれぐらいが良いですか。
 
前田)少し低めの40度か、40度より少し低いくらいが良いです。少し長めに10~15分は入浴しましょう。体を洗う前、洗った後などに分けてもOK。肩まで浸かってしっかりと温まりましょう。
 
西村)今のうちからしっかりと対策していきましょう。きょうは、MBSお天気部 気象予報士の前田智宏さんに教えていただきました。

第1441回「能登の被災地で進まない公費解体」
オンライン:東京都立大学名誉教授(災害復興学)中林一樹さん

西村)元日に発生した能登半島地震により、多くの住居や店舗が倒壊した石川県では、約2万2000棟が公費解体の対象になっていると推計されています。しかし、実際に公費で解体されたのは100棟に留まり、復興が進まない要因となっています。どうして公費解体が進まないのでしょうか。
きょうは、東京都立大学名誉教授(災害復興学)中林一樹さんにお話を伺います。
 
中林)よろしくお願いします
 
西村)能登半島地震が発生して、もうすぐ5ヶ月。能登の被災地における公費解体のペースについてどう思われますか。
 
中林)公費解体は、1995年の阪神・淡路大震災から始まりました。阪神・淡路大震災のときは、5か月後には全体の3分の2が解体していました。当時は、自主解体、公費解体ともに解体して良いところはまとめて解体していきました。それから比べるとかなり遅れています。能登半島の被災地には、今も壊れた建物がそのまま残っています。
 
西村)能登半島地震では、なぜこれほどまでに公費解体が遅れて進まないのでしょうか。
 
中林)まず家が壊れてしまった人が多いこと。たくさんの被災者が避難所に避難しました。さらに高齢者の災害関連死を防ぐために、1ヶ月半~2ヶ月後から、多くの被災者が二次避難で被災地を離れました。その前に罹災災証明の申請をしていれば、もっと早く公費解体が進んだのですが、何もしないまま被災地を離れてしまった人が多かった。罹災証明も公費解体も本人が申請して初めて動き出す制度。申請がなければ何もできないのです。
 
西村)半壊以上~など、どの段階なら公費解体ができるのでしょうか。
 
中林)半壊以上の建物、その程度の被害があったと認められる建物は公費解体の対象になります。産業施設も公費解体の対象になります。
 
西村)罹災証明を取るだけなら、それほど難しいことではないですよね。
 
中林)罹災証明は、どの程度の被害かを行政が確認してから全壊・半壊等を証明します。クレームがあった場合、双方立ち合いの元、現場で確認をしなければならないので、罹災証明を取ることは簡単なものではないです。今回は急いだ方が良いので、写真判断などで全壊・半壊を決めて書類を発送するという形をとりました。しかし判定に対するクレームがあると現場に入って確認しなければなりません。クレームの申し入れは電話でできでも、現場に入る術がなかなかありません。孤立集落の人が2次避難してしまうと戻ってくることすら難しいので、どうしても時間がかかります。産業施設は被害程度を証明する被災証明を別途発行します。半壊以上の公費解体の申請窓口は現在、市役所の窓口1ヶ所しかありません。
 
西村)市役所に行くことも大変ですよね。
 
中林)直後は無料バスがあったのですが今はありません。金沢まで路線バスで片道3500円、往復7000円もかかります。
 
西村)バスで往復するとお金も時間もかかる。一度提出しに行っても、不備があるとまた行かなければいけない。大変ですよね。書類の枚数も多いのですか。
 
中林)揃える書類が複雑なケースが多いです。お父さんが亡くなったのに、息子さんや奥さんに相続されていない場合、相続手続きから始めなければなりません。建物の所有者を法律上明快にしない限り次へ進めません。建物の所有者が亡くなったら、相続権を持つ人が集まり、相続人を決める必要があります。他の相続権がある人から相続権を譲ることに同意した署名捺印をもらわなければなりません。長男は地元、次男は名古屋、三男は東京、4男はニューヨーク...という場合もあるでしょう。
 
西村)全員の同意が必要なのですね。
 
中林)相続登記ができていなければ公費解体の手続きに入れないのです。実家であってもその人の所有物ではありません。罹災証明をもらったから大丈夫、と窓口に行ったら、相続がされていなくて手続きできない...という事態に。兄弟や身内の承認を得ることができれば良いので、まず話合いをして、その結果を書類として整える。手続きが面倒くさかったら、司法書士に手伝ってもらいながら、法務局で相続手続きをしてください。
 
西村)相続登記をしっかりすることも災害時の備えになるのですね。
 
中林)はい。土地の境界線、面積など、建物や土地の所有者をはっきりさせることを地籍調査といいます。これが日本ではまだまだ進んでいません。人間の相続はしていても、正しい戸籍で住宅、土地の地籍として登録されていない、あるいは登録はされているけど面積がいい加減、というケースも。復興へ向けて区画整理をやろうとすると、隣との敷地の境界や面積が曖昧な場合が多いのです。
 
西村)公費解体ができる状況に申請が終わっていても、周りの家も一緒に...など区画ごとにしか解体ができないのは、そのような理由があるからですか。
 
中林)そうではなく、それは、建物の解体を効率的に進めるためには、道路で囲まれたブロックごと一気に解体するのが最も効率が良いからです。一番奥の家が1ヶ月後、一番手前の家が2ヶ月後...と希望を出されても、重機もダンプカーも路地に入れないので、やりようがない。だから、表から順番にまとめて解体します。いろんなところにダンプカーを停めて工事をすると、街の道路を塞いでしまって、日常生活も水道工事などの緊急対応にも支障がでます。ブロック単位にまとめて工事をすると表から順番に奥まで数日間で済ませることができるのです。
 
西村)いろんな問題があるのですね。この公費解体を順調に進めるためにはどうすれば良いのでしょうか。
 
中林)まず全員が解体申請を終えること。能登の場合は、二次避難で被災地を離れている人が多いので、そのような人からまず手続きを完了させる。珠洲市には、泊まる場所がほとんどありません。ホテルは業者や職員、支援者が泊まっていて空きがないので、避難所に泊まらなければならない場合も。金沢からの交通費は往復7000円もかかるので、「申請時の交通費を半額補助」「行政職員が被災者の元へ出向いて申請手続きをする」など、やれることはまだあると思います。なるべく早く公費解体の申請をすることが、まず第一歩。ブロック単位で解体するなら、地図上で公費解体申請済みをチェックして、申請がまだの家については、申請が早く終わるように支援を厚くするとか。家財道具や大事なものも一緒に家が潰れている場合が多いので、「仏壇や位牌を取り出したい」「母親の遺品の指輪を探したい」等の理由で、解体のときに現場に立会いたい被災者が多いです。そのようなスケジューリングも含め、解体を進める必要があると思います。
 
西村)きょうは、能登半島地震で進まない公費解体について、東京都立大学名誉教授(災害復興学)中林一樹さんにお話しを伺いました。

第1440回「被災者の心とからだを癒す足湯ボランティア」
ゲスト:CODE 海外災害援助市民センター 山村太一さん
    やさしや足湯隊 兵庫県立大学大学院1年生 南太賀さん

西村)元日に発生した能登半島地震の被災地で"足湯ボランティア"をしている「やさしや足湯隊」。これまでに延べ62人が現地で活動を続けています。
きょうは、「やさしや足湯隊」として活動しているCODE海外災害援助市民センター 山村太一さん(23)と、兵庫県立大学大学院1年生で防災を学んでいる南太賀さん(23)にスタジオに来ていただきました。
 
山村・南)よろしくお願いいたします。
 
西村)「やさしや足湯隊」はいつ頃できたのですか。
 
山村)足湯ボランティアは、CODE海外災害援助市民センター代表の吉椿が阪神・淡路大震災のときに始めました。新潟中越地震、東日本大震災、2007年の能登半島地震のときも活動し、そこから広がって、全国のさまざまな団体が足湯ボランティアをしています。「やさしや足湯隊」は、1月下旬に募集をかけ、発災1ヶ月後の2月上旬に現地に行きました。
 
西村)山村さんは、以前の災害でも足湯ボランティアに参加したことがあるのですか。
 
山村)僕は今回、初めて参加しました。右も左もわからないまま、事務局長に教えてもらいながら始めました。
 
西村)現在は何人が登録しているのですか。
 
山村)現在、LINEグループで148人が登録しています。
 
西村)「やさしや足湯隊」は神戸を拠点にしているとのこと。登録している人は神戸の人が中心ですか。
 
山村)神戸が拠点ですが、実際に現地に行く人は東京からだったり九州からだったりさまざま。SNSや大学の先生の紹介でつながった人に「やさしや足湯隊」のLINEグループに登録してもらっています。
 
西村)能登半島の被災地に行って活動するのは、1回あたり何人ぐらいですか。
 
山村)5~10人です。
 
西村)足湯隊の名前なのですが、「やさしさ」ではなく、「やさしや」なんですね!
 
山村)足湯隊の名前を考えるときに、すごく悩みました。能登には、「能登はやさしや土までも」という言葉があります。"能登は土までも優しい"という意味です。地震が起こる前の年に、CODEが支援しているお祭りに初めて参加させてもらったことがあったのですが、そのとき、よそ者の僕を能登の人たちが温かく受け入れてくれたんです。それがきっかけで「能登はやさしや土までも」という言葉を知って、この名前をつけました。
 
西村)おふたりはこれまでに何度も能登に行っているということなのですが、直近ではいつ頃行きましたか。
 
山村)4月末のゴールデンウィークの最初の3連休です。3泊4日で活動しました。
 
西村)南さんも一緒ですか。
 
南)はい。山村さんと同じ日程で、僕も初めて足湯ボランティアに参加しました。
 
西村)参加者は、どんな手段で現地に入るのですか。
 
山村)関西では、社会人のドライバーボランティアに運転してもらって車で向かいます。関東勢は金沢で合流します。みんなで七尾市中島町小牧の拠点に寝泊まりしています。
 
西村)拠点には、寝泊まりできるスペースもあるのですね。
 
山村)拠点までは、車、電車、バスなどさまざまな手段で向かいます。
 
西村)食事はどうしているのですか。
 
山村)現地で何でも買えます。コンビニもスーパーも開いているので、食事に困ることはありません。
 
西村)滞在費はどうしているのですか。
 
山村)食費はすべて実費。交通費はこちらが半額負担をしています。
 
西村)具体的にはどんな場所でどんな活動をしているのですか。
 
山村)足湯ボランティアだけをする活動と思われがちなのですが、ほかにも被災家屋を片付けたり、思い出の品を探したり...と活動内容は多岐に渡ります。午前はお手伝いをして、午後に足湯ボランティアをしています。活動場所は、珠洲、輪島、七尾など能登全域です。
 
西村)学校の体育館などで行うのですか。
 
山村)学校の体育館や小さな自主避難所などです。音楽教室やガソリンスタンドで足湯ボランティアをしたこともあります。
 
西村)桶にお湯を張って、椅子に座ってもらって、お話を聞くのですか。
 
山村)はい。どこでもできるのが足湯の良いところです。お湯を沸かすだけで良いので。足湯用のバケツに足を入れてもらって、僕たちは手をさすりながらお話を聞きます。
 
西村)南さんは、今まで足湯ボランティアをしたことはあったんですか。
 
南)今回が初めてでした。
 
西村)行くまでに何か不安なことはありましたか。
 
南)特に不安はなかったのですが、少し緊張しました。でもいざやってみると、いろいろお話ができて良い経験になりました。
 
西村)わたしは、マッサージをやったことがないので、マッサージしながら話を聞くのは、どんなふうにしたら良いのか戸惑いそうです。
 
山村)学生さんに、「被災者に聞いてはいけないことはありますか」「やったらダメなことはありますか」とよく聞かれます。僕は「基本的に聞いたらダメなことはない」と答えています。相手は被災者ですが、3~4ヶ月ぐらい前までは被災者ではなかったわけです。足湯の良いところは、支援者と被災者という関係ではなくて、人としてつながれるということ。素直な気持ちでおじいちゃんやおばあちゃん、子どもたちと話したら、喜んでもらえるし、逆にこちら側が元気をもらえることもあります。不安に思わないで、ナチュラルな気持ちで足湯ボランティアに参加してほしいです。
 
西村)マッサージのやり方は教えてもらえるのですか。
 
山村)初日に足湯講習会を開いてやり方を教えます。
 
西村)被災者とどんな話をしましたか。山村さんが心に残ったエピソードがあれば紹介してください。
 
山村)印象に残っているのは...2月頭に足湯ボランティアをしたときに避難所で出会ったおばあちゃんです。これから仮設住宅の抽選が始まるという時期で、避難所には、災害復興公営住宅などさまざまな情報がホワイトボードに書かれていました。「これから仮設住宅に移れそうでよかったですね」と僕が言うと、おばあちゃんは、「もうそんなに長くないから、ここ(避難所)でいいわ。次(仮設住宅)に移らなくてもいいわ」と言っていて。僕たちが目指す復興と、おじいちゃんやおばあちゃんが目指す復興は全然ベクトルが違うと感じました。これから限界集落が広がる中で、能登の人たちにとっての本当の復興とは何か。仮設住宅を建てただけで終わりで良いのかと感じた瞬間でした。
 
西村)その後、おばあちゃんとは会いましたか。
 
山村)それっきり会っていなくて。今どうしてるのかなと思っています...。
 
西村)被災者は、最初からそのようにいろいろな話をしてくれるのですか。
 
山村)他愛のない話だけで終わってしまうときもあります。僕たちが話を求めることではないので、他愛のない話の中から出てくるつぶやきが大事だと思っています。こちら側から「被災してどうでしたか?」とはあまり聞かないですね。
 
西村)他愛のない話をして仲良くなったからこそ、心を開いてもらえるのですね。
 
南)僕も足湯ボランティアで印象に残っている人がいます。避難所で生活をしている80代ぐらいの女性です。その人は、「さっきまで畑にフキを取りに行っていて、服がすごく汚れてるんだよね」と最初は、他愛のない話をしていたんですけど、途中から声のトーンが変わって、1月1日の話をしてくれました。「津波が来るから山に急いで避難して大変だったよ」と、聞かせてくれました。
 
西村)その話を聞いてどう思いましたか。
 
南)実際に対面で聞くことで、大変な出来事があって辛かったことを受け止めることができました。足湯を介して話をすることで、その人の心のケアにつながったら良いなと思いました。
 
西村)町の変化やライフラインなど、現在の被災地のようすについて教えてください。
 
山村)1月に比べれば、道はかなり良くなっています。ときどき車がパンクするときもありますが、国道はそこまで気をつけなくても走れる状況になっています。ただ景色は変わっていません。被災後のままです。特に珠洲市は人も歩いていなくて、忘れられたような雰囲気があります。
 
西村)仮設住宅に入っている人もいると思いますが、被災者のつぶやきやニーズに変化はありますか。
 
山村)変わってきつつあります。行政の指定避難所とは別に自主避難所もたくさんあったのですが、「仮設住宅より自主避難所の方が、居心地が良かった」「自主避難所が俺の家」と言う人もいました。「自主避難所の方がみんなと一緒に住めて楽しかった」「仮設住宅に移動するのは寂しい」という声もあります。その人たちにとっては、自主避難所は仮設住宅よりも居心地がよかったのだなと。足湯していく中でいろいろな想いに気づきました。
 
西村)南さんは今後も参加しますか。
 
南)6月中にも参加する予定です。
 
西村)わたしたちやリスナーもボランティアに参加することはできますか。
 
山村)6月に3回行く予定です。1~2回目は人数が多くなってきていますが、6月21~23日は人数が足りていません。ぜひ来てください。
 
西村)ドライバーのボランティアもあるとのこと。参加してみたいと思った人は、CODEのホームページや「やさしや足湯隊」で検索してみてください。現地に行きたい気持ちはあるけど参加できないという人は、どうしたら良いですか。
 
山村)「やさしや足湯隊」のクラウドファンディングをしています。集まった支援金は、学生の交通費や現地での活動費に充てさせていただきます。6月30日まで募集していますので是非よろしくお願いします!
 
西村)きょうは、「やさしや足湯隊」として、能登の被災地に行って活動している山村太一さんと南太賀さんにお話を伺いました。

第1439回「現物主義が支援の壁に? 『災害救助法』の課題」
オンライン:日本弁護士連合会 災害復興支援委員会 副委員長 永野海さん

西村)きょうは、能登半島地震で課題が浮き彫りになっている「災害救助法」について考えます。被災地で応急的な救助や支援を行う法律ですが、今のままでは迅速な救助につながっていないという声もあります。
能登半島地震の被災地で活動し、日本弁護士連合会 災害復興支援委員会で副院長を務める、弁護士の永野海さんにお話を伺います。
 
永野)よろしくお願いいたします。
 
西村)能登半島地震から4ヶ月がたちましたが、被災地は未だ大変な状況が続いています。この災害救助法は、国が被災者に対してどんなことをしてくれる法律なのですか。
 
永野)自治体に財政支援をする法律です。この法律をもとに、避難所や仮設住宅が設置されたり、生活に必要なものが支給されたりする大切な法律です。
 
西村)国がまず自治体に財政支援し、被災者に届くのですね。そこからどんなことが行われるのでしょうか。
 
永野)最初に避難所が開設され、衣食住が支給されます。その後は応急仮設住宅の設置、修理の補助制度など再建までのあらゆるフェーズでこの法律がかかわってきます。
 
西村)災害救助法について、現在の能登半島地震の被災者はどのように感じているのでしょう。永野さんは、弁護士として被災地で活動しているとのこと。いつ頃から被災地に入って活動しているのですか。
 
永野)2月から毎月能登に入り、説明会や相談会を実施しています。災害救助法をはじめ、支援制度はとても複雑。知識がなければ、なかなか制度を使いこなせないという問題があります。なるべくわかりやすいチラシを作ってさまざまな相談にお答えしています。
 
西村)被災者は、どんなことがわからないと言っていますか。
 
永野)行政の情報は言葉が難しく、さまざまな条件があってわかりにくいということです。
 
西村)ただでさえ頭が回らない中で理解するのは大変だろうと思います。災害救助法の課題は何ですか。
 
永野)現物主義ですね。災害救助法は、昭和22年に作られた古い法律。当時は、災害時にお金で支援をしても使いようがないので、物を届ける現物主義という考え方がありました。しかし時代は変わりました。能登の避難所で、被災者に毎日同じようなお弁当が配給されている一方で、僕はコンビニで自由にお弁当を選ぶことができる。大きな災害が起きても普通にインターネットで買い物ができます。現物主義にこだわる法律を見直すべきときに来ていると痛感しています。
 
西村)実際の避難所では、どのような状況ですか。
 
永野)栄養を摂ることができるようにと、行政が新鮮な野菜を送ったとしてもそれを料理する人が必要。料理人を一緒に派遣してくれるわけではないので、被災者の負担が増えてしまいます。現物主義はそのような悪循環にもつながってしまいます。
 
西村)どうしたら良いのでしょう。
 
永野)自分ではなかなか買い物ができない人など、物の支援が必要な人もいます。同時に多くの被災者は、買い物ができる状況になっていれば、お金が支援されると自分の好きなものを選んで買うことができます。生活必需品はインターネットで自由に買うことができて、地元のお店で買うと復興につながります。さらに行政の職員の負担も減ります。いろんなものを現物で届けるということは、職員の負担が増えることになるのです。ただでさえ、災害後は仕事に忙殺されているのに、日頃やらないような仕事が増えると業務が回りません。
 
西村)被災者が物を選ぶ自由があると選ぶ楽しさも味わえますよね。地元のお店にお金を落としたら、地元のお店も潤う。良いことずくめだと思うんのですが、なぜお金を支援する方向にならないのでしょうか。
 
永野)阪神・淡路大震災のときに、被災者生活再建支援法を市民の力で変えた歴史があります。あのときも、お金の支援を受けるためにさまざまな縛りが存在したのですが、最後は現金が支給されることになりました。全壊の人が100万円の支援金をもらったとしても、趣味や娯楽に使ってしまうかもしれない。でも、それでも良いというふうに、制度のあり方が変わってきた。国としては「関係ないことにはお金を使わせない」という発想が残っているのかもしれませんが、そこは性善説で進めていかないと復興は迅速に進まないと思います。もう一つは、「災害は多くの場合一度きり」ということ。災害直後は、被災者や地域の議員は、制度の問題点を感じて発信しますが災害後は声がつながっていかない。災害を経験したことがない地域の人はそもそも問題があることを知らない。まずはこの問題について、たくさんの人に知られることが大事です。今のうちに制度をきちんと変えておかなければ。自分ごとと捉えて、全国市民で声を上げていくことが大事だと思います。
 
西村)被災地に家があるけど、そこに住んでいない家主が避難所に来てお金をもらう...というようなことは出てこないのでしょうか。
 
永野)そこは大丈夫です。支援を受けるためには罹災証明書の手続きなどが必要です。そこで関係のない人は外すことができます。それを物で提供するかお金で提供するか。例えばみなし仮設は、民間の賃貸住宅を行政が借り上げて、被災者に届けるという制度です。
 
西村)東日本大震災や熊本地震のときもみなし仮設がありましたね。
 
永野)みなし仮設は、行政が借り上げて被災者に貸すという形をとることで、何かあったら行政が責任を取らなければならない。提供する物件には、耐震基準、家賃などさまざまな制約があります。被災地にも空き家はたくさんあります。ペットを飼っている人は、むしろ古い空き家を借りて、そこでペットと一緒に暮らすことを望んでいる人もいます。しかし、古い家は耐震基準を満たしていないので、みなし仮設の対象にならないんです。そのように選択肢を狭めてしまうことは現物主義の課題ですね。
 
西村)能登半島地震の被災地には一戸建てが多いですよね。
 
永野)能登半島には、新しいマンションやアパートは多くありません。これは、地方で災害が起こるといつも起こる問題です。一方で古い空き家はたくさんあるのが日本の現状。これを活用する発想もあっていいはず。みなし仮設制度も、家賃支援のような形で、お金で支援をすると、空き物件を有効に使うことができます。早く復興できる人はどんどんその制度を使って復興していくことができます。そうすると行政が弱い立場の人に貴重な人的資源をまわせる...という好循環にもつながるのです。
 
西村)仮設住宅の建設がなかなか進まず、避難所で暮らしている人も多い中、家賃補助をして、みなし仮設で暮らす人が増えると、被災者の暮らしも変わりそうです。
 
永野)行政が全て管理、調査をすると一定の時間がかかってしまうし、全て自由にはいきません。だからどんどん復興していける人にはお金を使ってもらって、進んでもらうという二極化が良いと思います。それが最終的に弱い立場の人を救うことになると思うのです。
 
西村)被災した家の修理もこの災害救助法が活用されるのでしょうか。
  
永野)応急修理制度という災害救助法の制度があり、罹災証明書で準半壊という判定をもらった人は、これを利用できます。修理の補助制度も現物主義に関わっていて、被災地は大変なことになっています。
  
西村)被災者が業者と契約して、足りないお金を行政に補助してもらうのですか。
 
永野)現物主義では、修理の一部を行政が引き受けるという形で契約を一部切り離して支援がなされます。例えばリビングの部屋の壁の交換工事だけを行政が受け持つなど。とても複雑なことになっています。
 
西村)ややこしいですね。
 
永野)ややこしいと思うのは業者も同じ。地方の高齢の業者や大工は、新しい制度はよくわからないと言います。災害時は、お金を払うから修理をしてほしい人はいくらでもいるのに、修理対象や金額に限定があり、行政で手続きが必要となると修理を敬遠されてしまいます。それより、修理をした証拠を出せば上限金額まで支払うというふうにした方が復興は早く進むと思います。
 
西村)やはり今の災害救助法は時代に合ってないですね。
 
永野)どちらか一つではなく、「物が有効な人には物を」「現金で進められる人には現金を」という柔軟な発想をしてもらいたいです。
 
西村)改めて、この問題に向き合って声を上げていくことが大切だと思いました。
きょうは、災害救助法について弁護士の永野海さんにお話を伺いました。

第1438回「創作絵本で防災を伝える」
ゲスト:絵本アニメクリエイター twotwotwo(ににに)あしださん、ござさん

西村)神戸市にある「人と防災未来センター」の"防災100年本プロジェクト"は、創作絵本で災害の語り継ぎと防災・減災を伝える取り組みです。今年3月、このプロジェクトから最初のオリジナル絵本3冊が完成しました。
きょうは、その中の1冊「ぼうさいバッグのちいさなポケット」の作者で、絵本アニメクリエイターtwotwotwo(ににに)のあしださんとござさんに来ていただきました。
 
あしだ・ござ)よろしくお願いいたします。
 
西村)ユニット名は、twotwotwoと書いて(ににに)と読むのですね。
 
あしだ)ちょっと変ですよね。変な名前だなって自分でも思っています(笑)。2人組の「に」、笑顔の「に」、2倍の「に」という意味です。
 
西村)笑顔は"にっこり"の「に」ということですね。
 
あしだ)笑顔が増えたら楽しいなと思って。
 
西村)まさに「ぼうさいバッグのちいさなポケット」も笑顔になる絵本でした。
 
あしだ・ござ)そう言っていただけてめちゃくちゃうれしいです!
 
西村)この絵本について紹介します。イラストがカラフルですごくかわしらしくて、表紙から惹きつけられました。主人公の男の子、まーくんと一緒に暮らすワンちゃんのペロちゃんが、懐中電灯で部屋の中をのぞくシーンからはじまります。どんな部屋なのでしょうか。作者の2人の前で読むのは緊張しますが、絵本を読んでみます。
 
「ぼうさいバッグのちいさなポケット」
さく twotwotwo
 
にちようびのあさ
ぼくのうちには ときどき
おもい にもつが とどく。
 
「よいしょ!」
おとうちゃんは その にもつをもって
そうこにいく。
そして しばらく でてこない。
 
......やっぱり なにか ひみつがあるんだ。
きょうは ぼくも こっそり ついていった。
 
そうこの いりぐちから
そっと のぞいてみると
このまえ たんけんしたときには
みつけられなかった たくさんのものが
きれいに ならんでいた。
 
「おとうちゃん なにしてるの?」
「うちの そなえを
チェックしているんだよ」
「そなえ?」

 
西村)今朗読した冒頭部分にあったように、主人公のまーくんの家には秘密の倉庫があります。犬のペロとこっそり覗いてみると、いろんなものが並んでいます。お父さんに聞いてみると、「災害が起こったときの備えをしている」とのこと。後に備えを入れておくリュックも登場します。「リュックには何を入れたらいいのかな」まーくんと一緒にみんなで考えてみようという絵本です。
 
あしだ)すごくわかりやすくまとめていただいて、勉強になりました!
 
西村)我が家には、8歳の男の子と3歳の女の子がいるので、この絵本を一緒に読んだんです。3歳の娘は、災害や備えについてあまりわかっていないのですが、「かわいい!かわいい!」とよろこんでいました。最後は、「わたしも防災リュック作る!プリンセスのお菓子入れたい!」と言っていました。夫とは、「ゴールデンウィークにみんなで防災リュックの中身に入れるものを買いに行こう」という話しに。防災について考える良いきっかけをいただきました。
 
あしだ)こちらこそ、素敵なエピソードをありがとうございます!胸が温かくなりました。
 
西村)大人にとってもすごく勉強になる絵本だと思います。絵がすごく細かく描かれているんです。おふたりはいつもどのように絵本を作っているのですか。担当はあるのですか。
 
あしだ)僕は絵を描かないんです。ござが何でもやりたがるので、ごさのやりたいことを邪魔しない、というのが僕の仕事です。
 
西村)ござさんが全部絵を描いているのですか。
 
ござ)絵は全部、私が描いています。
 
西村)絵がとても細かくて、かわいらしいですね。絵本の中に、防災の備蓄品を備えている倉庫が出てきます。まーくんが、「お水OK」「お米OK」「トイレOK」とお父さんの真似をするシーンもあります。そこには、クッキーや缶詰に入ったビスケットも描かれていて。子どもがすぐそれに気づきました(笑)。
 
ござ)うれしいです!
 
西村)ペロのご飯や簡易トイレもありましたね。災害時に持ち出す非常用リュックの中身で、細かいなと思ったのは、1万円札ではなく、千円札と小銭をジップロックに入れているところ。薬もちゃんとゴムで留めてあり、乾電池もさまざまな種類が描かれています。
 
あしだ)細かいところまで見ていただきありがとうございます。
 
西村)あしださんは、この絵本を書く前に防災に関わった経験はありますか。
 
あしだ)前職は、福祉の仕事をしていて、避難訓練の担当を長い期間やっていたので、少し防災の勉強をしたことがあります。
 
西村)そのときに勉強したことがこの絵本に活かされているのですか。
 
あしだ)いいえ。あまり防災の知識を入れたくないという思いがありました。堅苦しくない絵本にしたかったので。
 
西村)だからこそ、すごくわかりやすい絵本になったのかもしれません。ござさんは、防災の勉強したことはありますか。
 
ござ)一般的な知識しかありません。防災バッグを作ったことがあるぐらいですが、この絵本を作ることで防災の意識が変わりました。
 
あしだ)防災知識のある編集者にサポートしてもらいながら、僕たちはワイワイと楽しく作らせてもらいました。
 
西村)その楽しさが絵本に溢れています。先日、友達家族とピクニックでこの絵本を読んだのですが、大人もみんな「楽しかった!」と言っていました。楽しいだけではなく、絵が細く書かれているから、「防災の勉強になった」という声も。この絵本は、楽しみながら防災を学ぶきっかけになると思います。あんまり知識を入れすぎないように意識したとのことですが、苦労したこと、こだわったことはありますか。
 
ござ)苦労したことではないのですが...普段、わたしたちは、絵本ではなくアニメーションを作ることが多いんです。アニメーションは、1枚の絵が0.01秒ぐらいで過ぎてしまう。絵本は、1枚の絵をじっくり見てもらえる。「1枚の絵にこんなに時間をかけても良いの!?」とすごくうれしくて。
 
あしだ)ずっとお絵描きしている子どもみたいな感じでした。
 
西村)ジップロックの中のお金のように、本当に細かくいろいろなものが描かれています。情報量がすごく多いのですが、読んでいて疲れない。防災バッグの中に入れる備蓄品リストは、よく文字で目にしますが絵で見るとわかりやすいですね。
 
あしだ)防災チェックリストを見ると、知らないのに知っているようなつもりになってしまう。主人公が作りたいバックの中身を描けたら、一緒に楽しく準備ができると思いました。
 
西村)番外編ということで、本の後半にはまーくんの防災バッグが大公開されています。お父さんがまーくんに「自分の大切なものを入れたらいいよ」と言うシーンがあって、まーくんが考えて入れるのですが、そこにラジオが入っていてうれしかったです。ほかには、懐中電灯、予備の電池、オレンジ味のグミ...。お菓子は、チョコチップクッキー、ラムネなど「いつも食べているもの、好きなものがあるとほっとする」とまーくん。これは大人も一緒ですね。
 
あしだ)子どもは、遊び道具があると不安が消えると思います。普段遊んでいるものが入ったらほっとするし、ゲームやトランプなら、誰かと一緒に楽しい時間を過ごすこともできます。
 
西村)ペロの防災バッグも描かれていて。ペットの防災についても描かれていますね。
 
あしだ)チームで作っていく中で、ペットの話が出てきたので急遽、ペット防災に関する内容を入れました。
 
西村)この絵本を通じて、どんなことを伝えたいですか。
 
あしだ)この絵本を読んで、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、友達と防災について話すきっかけになったらうれしいです。
 
西村)ござさんは、いかがですか。
 
ござ)細かく描いているので、コミュニケーションの観点でも、この絵本を宝探しみたいに楽しんでもらえたらうれしいです。
 
西村)読めば読むほどヒントを得られる絵本です。この絵本は、企画展でも見ることができるそうですね。
 
あしだ)「人と防災未来センター」西館で、6月30日まで、この絵本の企画展が開催されています。絵本のパネルや絵本の中に出てきた防災グッズが展示されているので、ぜひ遊びに来てください。主人公のパネルと一緒に写真を撮ることもできます。
 
西村)みなさんぜひ足を運んでみてください。
きょうは、「ぼうさいバッグのちいさなポケット」の作者で、絵本アニメクリエイターtwotwotwo(ににに)のあしださんとござさんにお話を伺いました。

第1437回「災害時の自治体職員の健康をどう守る?」
オンライン:産業医科大学 災害産業保健センター 講師/産業医 五十嵐侑さん

西村)5月1日能登半島地震の発生から4ヶ月。今、石川県や市町村で働く自治体職員の疲労が懸念されています。災害時に自治体職員の健康をどう守ればいいのでしょうか。
きょうは、産業医科大学 災害産業保健センターの講師で産業医の五十嵐侑さんにお話を伺います。

五十嵐)よろしくお願いいたします。

西村)産業医とはどんなお仕事ですか。

五十嵐)産業医とは、働く人の健康を支援する仕事です。メンタルの不調、高血圧、糖尿病のような病気になってしまう人も多いです。

西村)能登半島地震の発生からまもなく4ヶ月が経ちますが、自治体職員は正月からずっと忙しく働いています。五十嵐さんも石川県輪島市に入ったのですね。

五十嵐)1月中旬から石川県に入りして、自治体職員の健康支援をしていました。

西村)どんなようすでしたか。

五十嵐)健康調査をしながら支援をしていたのですが、2割以上の職員が強い疲労感を感じているようすでした。

西村)五十嵐さんはいつ頃まで現地にいたのですか。

五十嵐)3月末まで現地で支援をしていました。その頃まで継続的に疲労感を感じている人が多かったです。職場で寝泊まりしたり、避難所から通勤したりしている人、自宅の片付けで1日も休んでいないという人もいました。
 
西村)心も体も休まる時間がないというのは大変だと思います。みなさんどんなお仕事をしているのですか。
 
五十嵐)部署によって異なりますが、道路・水道の復旧、避難所の運営、支援物資の受け入れなどです。通常業務の延長でしている人のほかに、市民への対応など、普段はしない仕事をしている人もいて、ストレスフルな状況でした。
 
西村)専門的な知識がない業務を応援に行くとなると、ストレスが溜まると思います。
 
五十嵐)住民との対面業務は特にストレスがかかります。市民のやり場のない怒りの矛先になってしまうからです。市民の心無い一言に心が折れてしまう職員もいます。罹災証明の判定は市民の死活問題。そのことで、同じ地域で被災している職員に対して、苛烈な言葉をかける人も多いですよ。
 
西村)受け止める自治体職員も被災していて、大変な状況が続いていますよね。
 
五十嵐)職員の仮設住宅の入居は後回しに。まずは市民優先になってしまうようです。生活基盤がない中で、被災したその日からずっと働き尽くめの人もいるようです。
 
西村)輪島市は朝市が火災で焼けてしまったり、未だに瓦礫が撤去されていなかったり、断水も続いていて大変な状況が続いています。そんな中、自治体職員の疲れも溜まっていると思います。睡眠が十分にとれなければ、体調はどうなってしまうのでしょうか。
 
五十嵐)健康は2つに分類できます。1つは、「眠れない」「つらい出来事を思い出す」などのメンタルヘルス不調や精神疾患。心身ともに疲れてしまって、燃え尽き症候群、適応障害、うつ病のような症状になってしまう人もいます。身体疾患については、災害高血圧といって、血圧がすごく高くなる症状があります。240という数値が実際測定されたこともあります。これは、今すぐに降圧薬を飲まなければならない数値。高血圧、高血糖になると、脳卒中や心筋梗塞などの重篤な病気を発症してしまうことも。災害時は、生活や食事のリズムが乱れて、さまざまな病気のリスクが高まります。
 
西村)なぜこのような状況に陥ってしまうのでしょうか。
 
五十嵐)自治体職員は、使命感や地域に対する愛着がすごく強い人が多いんです。被災した直後から働かなければならない状況でどんなに大変でも、行政サービスは中断することができません。わたしたち市民は助かっている一方で、職員には大きな負担がかかっています。
 
西村)今、どんな対策が必要だと思いますか。
 
五十嵐)今は、災害から時間が経ち、少しずつ日常業務に戻る段階。一方で、まだまだ忙しい部署もあり、残業時間が100~200時間を超える人もいます。復旧・復興活動は数ヶ月~年単位で続くので、業務を分散する、組織外から応援をもらうなどして、負担が偏らないようにすることが大事。組織としてもサポートすることが必要です。
 
西村)専門的な知識も必要なので、応援に入ってもらうのも大変そうですね。
 
五十嵐)専門的な業務以外にも日常業務など必ず何かしらありますし、外注もできると思います。何とかしようという姿勢や話し合いはすごく重要。まずはどこに業務が偏っているのかを可視化、共有化しながら進めていくことが大切です。
 
西村)休ませた方がいい人に対する気配りや対策が必要ですね。
 
五十嵐)持病がある人などいろんな事情を抱えている人も。中長期的な復旧・復興活動の中で、持続的に働くことができる体制を作っていくことが大切です。
 
西村)人の力は足りているのでしょうか。
 
五十嵐)元々、行政職員は潤沢な人数がいるわけではありません。特に災害時は休む人も多いので、基本的には人手不足だと思います。
 
西村)産業医以外にも職員自身で健康チェックはするのですか。
 
五十嵐)わたしたちが1~3月に現地に入ったときは、職員の健康を振り返ってもらうシステムをつくっていました。カウンセラーや産業医など専門的なサポート体制も整えているので、うまく相談してほしいですね。
 
西村)自治体職員は地域への愛情が強い人が多いということは、頑張りすぎてしまう人も多いのではないでしょうか。
 
五十嵐)「弱音を吐けない」「助けが出せない」という人が多い印象です。被災したことを周りに言い出せない人もいます。まずは自分がつらい状況だということを吐き出すだけでも良いです。外部の相談窓口をうまく活用してほしいですね。昼休憩すら取れていない人もいるので、職場で声掛けをして休憩を取ること。常に緊張状態で働き続けるのではなく、ちょっとした休みを取るだけでも変わります。本当に疲れている人はしっかりと休ませる。働き続けると生産性が下がってきます。見かけは働いているのに、パフォーマンスを発揮できないと悪循環になってしまう。上限を作って休める雰囲気を作るだけでも良いと思います。
 
西村)自治体職員が働きやすくするには、どんな仕組みを作っていけば良いと思いますか。
 
五十嵐)行政職員も支援者である一方で被災者。地域一丸となっていく雰囲気を作ることは重要。「自分たちが休んでいる場合ではない」という考え方がまだあるようです。「自分たちも休んで良い」という考えをまずは持ってほしいです。
 
西村)自治体ごとに休みに関する規定はあるのでしょうか。
 
五十嵐)平時から災害時の健康管理の方針、長時間残業に関する労働対策を決めている都道府県は非常に少ないです。事前にBCP(事業継続計画)を盛り込んでいるところも数%程度しかありません。職員の健康管理、対策まで具体的に落とし込んでおくことが、災害への備えとして重要です。
 
西村)大切な対策ですね。ぜひ全国で実行していただきたいです。
きょうは、産業医科大学 災害産業保健センターの講師で産業医の五十嵐侑さんにお話を伺いました。

第1436回「災害ボランティアのこれから」
ゲスト:大阪大学大学院 准教授 宮本匠さん

西村)阪神・淡路大震災が起こった1995年は「ボランティア元年」と言われ、その後の災害では多くのボランティアが活躍してきました。しかし、元日に発生した能登半島地震では、行政によるボランティアの統制や自粛ムードの是非が課題になりました。
きょうは、災害ボランティアのこれからについて、大阪大学大学院 准教授 宮本匠さんにお話を聞きます。
 
宮本)よろしくお願いいたします。
 
西村)宮本さんは今回の能登半島地震でのボランティアの動きをどのように見ていましたか。
 
宮本)被災地に行った人が口々に言うには、被災地がとても静かだということです。断水が続いて、二次避難した人が多かったことに加え、ボランティアの数が少ないことが要因です。これまでの被災地ではなかった形でボランティアが受け入れられているのです。
 
西村)どういうことでしょうか。
 
宮本)今回は、石川県が一元的にボランティアの事前登録を受け付けていて、石川県は被災地のニーズに応じた数のボランティアを派遣しています。これまではそれぞれの市町村にある災害ボランティアセンターを経由して活動していましたが、今回の窓口は石川県のみ。能登半島全体の1日当たりのボランティアの活動人数はたった約300人でした。めちゃくちゃ少ないですよね。今回の被害だといろいろな支援が全然追いついていないと思います。
 
西村)なぜこんなに少ないのでしょうか。
 
宮本)災害ボランティアセンターを経由して活動すると、ボランティアの数が限定的になってしまうのです。阪神・淡路大震災のときは、災害ボランティアセンターというものはありませんでした。
 
西村)だからみなさん、自由に活動していたのですね。阪神・淡路大震災のときは、おにぎりを配って歩いているおばちゃんがいたとか。
 
宮本)その人は、「お腹すいていませんか」とたずねる前に、もうおにぎりを持っているわけです。困っている人がいるに違いないと。何のツテもなく、被災地に行った人が避難所でお風呂を焚いているボランティアを手伝うこともありました。阪神・淡路大震災のときは、ニーズを聞き取ってから活動するのではなく、とにかくまず被災地に駆けつけて、自分に何ができるかを考えて活動していました。それから災害ボランティアセンターができて、2004年に一般化しました。
 
西村)新潟中越地震が起こった年ですね。
 
宮本)災害が多かった2004年に社会福祉協議会が災害ボランティアセンターを設立。より多くのボランティアが効率的に被災地で活動できるように、事前にトレーニングや訓練をして、マニュアルを作りました。しかし、ニーズを待ってから動くスタイルなので、人数を超えた分は受付けられないんです。被災者からニーズが上がってこない要因はたくさんあります。多いのは「自分なんかよりもっと大変な人がいるから」という遠慮。知らない人に何かをお願いすることに抵抗がある人も。現在、能登の被災地に住みながら活動を続けている女子大学生の話があります。彼女は、ある避難所の朝ご飯の炊き出しを手伝っていました。1日目は、彼女が洗ったほうれん草をおばあちゃんがもう一度洗ったそうです。しかし次の日、彼女が洗ったほうれん草はそのまま使ってもらえた。
 
西村)心を許してもらえた感じがしますね!
 
宮本)その次の日は、おばあちゃんの家で1時間ぐらいお話を聞かせてもらって、その次の日は、おばあちゃんがいるときに本棚の片付けをして。それが今では、おばあちゃんいないときでもお手伝いをしているそうです。このようにボランティアは関係を作りながら活動するもの。「困っていませんか」「なにかありませんか」と聞いてもなかなか難しいものです。
 
西村)ボランティアの窓口が一つとなると、ボランティアの調整をするスタッフも大変ですよね。
 
宮本)日本社会は一元化が苦手。前提を共有しない別の組織や人と一緒に仕事をすることが、すごく苦手な社会です。このような社会では、ボランティアは、県や市町村、民間や地域でも行って、多様化・多元化する方が向いていると思うのです。
 
西村)今回、石川県の災害ボランティアセンターに登録する以外にも、いろいろな形で自主的にボランティアをしている人もいるのですか。
 
宮本)はい。たくさんのNGO、NPOなどいろいろな団体が、直後から拠点を作って独自にボランティアを受け入れて活動してます。
 
西村)そんな中、ボランティア同士のいざこざはあるのでしょうか。
 
宮本)地震直後は、被災地では深刻な渋滞が起きていて、「支援車両の妨げになるからボランティアに行くべきではない」というメッセージがSNSで飛び交いましたよね。能登半島全体が渋滞していたわけでも、24時間ずっと渋滞していたわけでもないのに。局所的に渋滞はありましたが全く動けない状況ではありませんでした。東日本大震災のときも渋滞がすごかったですが、「渋滞しているからボランティアに行くな」なんて聞いたことありません。渋滞は解決した方がいいけれど、それが支援しない理由にはならない。困った人がいたら、「何とか助けよう」「どうしたら助けられるだろう」と考えるのが普通です。
 
西村)もっとシンプルに考えたいですね。
 
宮本)このようなムードは、東日本大震災のときにも少しありました。この5~6年強くなっていると感じるのですが、この現象をわたしは、「見なかったことにする問題」と呼んでいます。日本社会は、どんどん余裕がなくなってきていて、誰かを助けようにも自分に余力がない人が多いのです。
 
西村)金銭的に余裕がない人もいますよね。
 
宮本)個人はもちろん、行政も人が減っていて、普段からギリギリの人数で回している状況。人を助けるために使える資源は減っていますが、災害は増える一方です。
 
西村)ここ最近の地震の多さにびっくりします。
 
宮本)やれることは少ないのに、課題は増えている。すると、「起こった問題を見なかったことにしよう」という考えになります。中途半端になるなら、「見なかったことにしよう」と思っても仕方ないと思います。そのようなムードが元々あるところに、「支援車両の妨げになるから~」というのは乗れる話で、支援できないことへ理由になりますよね。それも支援控え、自粛モードになっている一つの背景だと思います。
 
西村)でも、現地の被災者は今も困っていますよね。震災から3ヶ月以上経った能登は今、どんな状況なのでしょう。
 
宮本)仮設住宅に移った人もいますが、まだ避難生活をしている人もいます。瓦礫の片付けなど、なかなか復旧作業が進まないところも。目に見える変化があると気分も変わると思うのですが、なかなか風景が変わらない中、疲れが出ている人も多いと思います。気になるのは、能登半島を離れた人たちが、どこでどのように過ごしているのかということ。誰もフォローできていないと思うので心配です。
 
西村)どうしていったら良いのでしょう。
 
宮本)わたしは、「選択と集中」の反対の「包摂と分散」が大事だと思っています。「包摂」はいろいろなものを認めるということ。ボランティアなら、県のほかにNGO、自治会、町内会、学校のPTAでもいい。自分たちだけでやるのが難しければボランティア経験のある団体と協力し合って、受け入れ窓口を増やしていく。さまざまな形を認めることが包摂です。「分散」は文字通り、そのような場所を能登半島の中にたくさんつくること。直近では、この連休がポイントになると思います。現在、道路も仮復旧が進んでいて、渋滞は起きていません。この連休に「みんなで能登を支える」「能登のことを忘れてない」という空気を作っていくってことが大事。兵庫県は、5人以上のグループで連休中に活動する人たちの交通費を支援しています。さまざまなNGO、NPOがボランティアを受け入れて活動しているので、お手伝いしたいという気持ちがあって、お手伝いできる状況にある人は、情報を調べて、ぜひ連休に活動してください。
 
西村)ボランティアというと、「ボランティアセンターに登録して、がれきの撤去をする~」というイメージがありましたけど、ほかにもできることはいろいろあるのですね。
 
宮本)ボランティアは、ひとりひとりが専門家。被災地での活動経験がなくても、認知症のおばあちゃんと一緒に暮らしている人なら、「おばあちゃんは、昔やっていた針仕事をしたら表情が戻る」ということを知っているはず。避難所や仮設住宅にいるお年寄りに昔やっていたことをしてもらったら、元気になるかもしれないとわかります。ひとりひとりが持っている多様な経験、感性が被災地では活きます。「素人が行って良いの?」と思わずに。必ずみなさんに役割があります。あまり深刻に考えずにまずはボランティアに参加することです。
 
西村)避難所や仮設住宅に針仕事ができるものを持っていって、みんな一緒に何か作るのもいいですね。
 
宮本)能登のみなさんは、本当に不安な思いをしていると思います。「忘れられてない」と思えるのは、すごく大きいと思います。気持ちを支えることが一番大事だと思うので、お話を聞くだけ、そこにいるだけでも意味があると思います。
 
西村)まずは行ってみて、できることをやってみましょう。ゴールデンウィークに時間がある人は、いろいろな団体を調べてみてはいかがでしょうか。
きょうは、災害ボランティアのこれからについて、大阪大学大学院 准教授 宮本匠さんにお話しを伺いました。

第1435回「熊本地震8年~生活の場としての避難所運営」
オンライン:NPO法人「益城だいすきプロジェクト・きままに」代表理事
吉村静代さん

西村)4月14日で、熊本地震の発生から8年。熊本地震では、4月14日と16日に連続して震度7の地震が発生し、273人が亡くなりました。そのうち8割以上は災害関連死。避難所の生活環境の大切さが浮き彫りになりました。
きょうは、熊本で避難所運営などの支援に当たったNPO法人「益城だいすきプロジェクト きままに」代表理事 吉村静代さんにお話を伺います。
 
吉村)よろしくお願いいたします。
 
西村)地震が発生した4月14日午後9時26分、吉村さんはどこにいましたか。
 
吉村)当時は熊本県益城町寺迫の自宅の居間にいました。被害が一番大きかった場所です。
 
西村)どんなようすでしたか。
 
吉村)ドーンとすごい音がして。電気がすぐ消えたので、懐中電灯を持って家を飛び出しました。
 
西村)家族のみなさんにケガはなかったですか。
 
吉村)大丈夫でした。夫は寝ていたので、起こして外に飛び出しました。
 
西村)自宅に被害はありましたか。
 
吉村)14日の揺れではそれほど被害はなかったのですが、16日の本震で壁が落ち、屋根が斜めになって家が全壊しました。
 
西村)自宅から飛び出した後、どこでどのように過ごしたのですか。
 
吉村)道を挟んだ向いにある屋根付きのカーポートがある家に避難して、余震の中過ごしました。翌日はとても良いお天気だったので家の片付けをしたのですが、16日夜中の本震で窓が割れるなど被害があり、大雨予報もあったのでしかたなく翌日の昼過ぎに避難所に行ったんです。
 
西村)避難所はどんな場所でしたか。
 
吉村)小学校の体育館です。車中泊も含めて約400人が避難していました。
 
西村)みなさんどんなようすでしたか。
 
吉村)不安そうに体育館の床に座り込んでいました。次から次へと人が入ってきて。その小学校は、その時期は危険なので、避難所にしてはいけない場所でした。でも16日の本震のあと、益城町中の人たちが避難所に行ったので、あふれていた人たちがその小学校の体育館に集まってきました。知らない人たちが多い避難所でした。
 
西村)指定避難所ではない避難所にいろいろなところから人が集まってきたから、顔見知りは少なかったのですね。そんなようすを見た吉村さんはどうしましたか。
 
吉村)わたしは町作りのボランティア団体を立ち上げて、町作りの一環としての避難所を見てきたので、知らない人に声かけることに抵抗はありませんでした。避難所には東日本大震災や阪神・淡路大震災の避難所と同じ状況が広がっていました。役場の職員さんも疲れていたのでわたしがやろうと。余震が続いていたので、みなさんに協力お願いして、まずは避難通路と非常口を確保しました。
 
西村)避難所の区画整理をしたのですね。
 
吉村)わたしも家に帰れないので、避難所が生活の場になります。いかにして避難所を快適に過ごせるようにするかを考えました。
 
西村)快適な場所にするために、ほかにはどんなことをしたのですか。
 
吉村)行政には「早くダンボールベッドを入れてほしい」とお願いしていたのですが、ダンボールベッドが入るまで約1ヶ月かかりました。区画整理をしたおかげで車いすの人の移動がしやすくなりました。掃除や掃除道具の貸し借りなど、みなさんには毎日たくさんお願い事をしました。
 
西村)お願い事をされたみなさんはどんな反応でしたか。
 
吉村)みなさん顔見知りではなかったのですが、「ありがとう」と貸し借りをするたびに会話が生まれました。会話が生まれることによって朝の挨拶もするようになり、良い雰囲気になっていきました。
 
西村)人と関わることは大切ですね。避難所の炊き出しのようすはどうでしたか。
 
吉村)感染症予防のために食事はコンビニ弁当が中心でした。最初の頃は良かったのですが、そのうち野菜不足になり、温かいものが欲しくなったので温かい汁物を作りました。
 
西村)温かいものを食べると心も和みますよね。
 
吉村)梅雨時に入り衛生面は大変な状況でした。お弁当はすべて冷凍室に入れて、食べるときには電子レンジであたためていました。1ヶ月ぐらいたつと、みんな仲良くなっていきましたね。
 
西村)避難所を生活の場に近づけるために、どんなことをしましたか。
 
吉村)ダンボールベッドの余ったダンボールで、子どもたちの遊び場や語らいの場所、食事スペースを作りました。パーテーションを閉めたままだと孤立してしまうので、「パーテーションは朝起きたら開けて、寝るときだけ閉める」ということをみなさんにお願いしました。
 
西村)避難所には子どもから高齢者までいろいろな世代の人がいたのですね。
 
吉村)子どもが騒いだり泣いたりしても、「子どもは泣くのが当たり前だよね」と言える雰囲気作りをしました。
 
西村)それは母親にとってとてもありがたいです。避難所生活はどれぐらい続いたのですか。
 
吉村)約4ヶ月続きました。みんな家族みたいに仲良くなりました。
 
西村)雰囲気作りをしていく中で、一番力を入れたことはどんなことでしたか。
 
吉村)元気な人たちはみんな家を片付けにいってしまいます。避難所に残された高齢者が元気になるためにはどうすれば良いかを常に考えていました。掃除や挨拶など地震が起こる前にやっていたことをするように声をかけていたら、元気になっていきましたよ。
 
西村)日常を取り戻すことは心が元気になる大きな一歩ですね。高齢者が多い能登半島の被災地にも行ったそうですね。
 
吉村)とにかく早く行かなければという想いはあったのですがなかなか宿泊地が確保できなくて。やっと3月25日から1週間ほど行ってきました。
 
西村)地震発生から3ヶ月が過ぎた現在、避難所には8000人余りが身を寄せています。仮設住宅は約900戸が完成していて、一部入居が始まっているとのこと。仮設住宅はどんなようすでしたか。
 
吉村)移住後1ヶ月たった頃にお邪魔しました。みなさん地域のコミュニティで入居していたので仲が良くて安心しました。これから仮設住宅で2~3年過ごすことになります。「みんなの家(仮設住宅団地内の集会施設)を気楽に入れる場所にしてほしい」「孤立・孤独死を予防するために、家から外に出て交流することが大事」と伝えました。熊本県内のテクノ仮設団地は、1300人が住んでいましたが「みんなの家」や広場をうまく活用して仲良くなったので、そのような熊本地震の経験を踏まえて話をしました。
 
西村)わたしも益城町のテクノ仮設団地を訪れたことがあります。「みんなの家」でカラオケ大会をして仲良く歌ったり、お茶を飲んだりしているようすを見て、こういう場所は大事だなと思ったんです。
 
吉村)孤立・孤独死を予防するためにコミュニティを作ろうと「みんなの家」ができたのが東日本大震災のとき。熊本地震ではそれぞれの仮設住宅に「みんなの家」が設置されていて、そこで交流が始まりました。
 
西村)能登の仮設住宅では、困っていることやトラブルはありましたか。
 
吉村)顔見知りの人が多いこともあって朗らかなようすでした。これからは、いろいろな問題が出てくると思うので対策を伝えてきました。
 
西村)熊本地震では、避難生活で亡くなる災害関連死が8割以上になりました。能登半島地震では、災害関連死を防がなければなりません。これからの避難生活で大事なことを教えてください。
 
吉村)仮設住宅の生活では、自立の第一歩と認識し、自分事として捉えること。自分たちでできないことは、外部の人たちの力を借りることも大事。仮設住宅の中で、誰1人残らずみんなの顔が見える関係作りをしてほしいです。そのためには、日頃から地域住民のみなさんとコミュニケーションを図り、お互いの状況を近所で共有しましょう。そうすると、災害が起きて避難所生活になっても孤立・孤独死の問題を予防できると思います。
 
西村)日頃からのコミュニティ作りを私も大切にしていきたいと思います。
きょうは、NPO法人「益城だいすきプロジェクト きままに」代表理事 吉村静代さんにお話を伺いました。