2020年

12月 6日

後継に繋ぐという恩返しが仕事を活性化させる

先週に引き続き、ゲストは太陽パーツ株式会社の取締役会長・城岡陽志さん。
改めて会社の歴史を伺っていきましょう。

「高校は地元の愛媛県。
役場への就職が決まっていたんですけど、内心ちょっと...。
友人が大阪へ就職が決まっていまして、聞けば女の子がたくさんいると。
その友人が就職する会社に電話をかけまして採用になりました(笑)。
人手不足だったんですね。
ネジの商社でした」。

その会社にはいつまで?
「30歳で課長になる目標を立てました。
そのぐらいのペースだと有望だと。
それ以前にも地元でも有名なフルタ製菓さんの古田さんの講演会があったんです。
そこで"大成功された青年実業家の古田さん"ですと先生が言った、その"青年実業家"という言葉にビビッときたんです。
よし、俺も青年実業家になるぞと思いましたね。
実際に30歳まで勤めました」。

独立されてからは...?
「独立の時に会社から同じ業種は困ると言われました。
それならば金物の別のことを。
計画もありませんでしたね。
いい加減でした(笑)。
かつての知り合いに挨拶をしにいって、袋詰めなどいろんな作業をしましたね。
ある工場に電話だけ置かせてもらって、何かあればポケットベルで呼び出してもらう。
およそ40年前はそんな感じでした」。

そこからどうやって今につながるのでしょうか?
「いろんな内職的な仕事をするうちに二次下請けの仕事で太陽熱温水器の仕事がありました。
金属部品なので、これの部品の作らせてくださいとお願いをしました。
そうこうしているうちにオイルショックがきました。
これからはオイルを使うのではなくて太陽のエネルギーだということで、それまで月に100台ほどしか出なかった商品が急に売れ出しました。
その年には1万台にも伸びましたね」。

現在はおよそ600もの会社と取引が。
「一流企業とのお取引は厳しいです。
いろんなオーダーをいただきますし、そのオーダーに対して応えることで社員も一流になってくる。
厳しいけれどもそれについていくことで結果が見えてきます。
それが実績になって他の会社から見ても信頼につながります」。

太陽パーツ株式会社さんはユニークな商品も。
「コロナウイルスの影響で時間もありましたが、足で踏むとアルコール消毒液のノズルを押してくれる『フムトデール』。
飛沫防止パネルなども作りました。
当時、マスクが不足しましたよね。
中国に工場がありますから仕事のパートナーにマスクがあるかを聞いたんです。
すると30万枚用意できました。
困っている施設や役所などにお贈りしました」。

太陽パーツ株式会社は40周年。
ものづくりを始め、社会貢献もされています。
「私が若い頃にお世話になった方々というのはすでに地位も名誉もある方ばかり。
その方々に恩返しをしようと思った時に何をすればいいか...。
自分がしてもらったように自分の後に続く若い経営者のサポート、そして地域や故郷に恩返しすることがお世話になった方々への報いだと思ったのです。
僕はみかん農家の三男坊なんです。
農家の皆さんの手助けになるようなこともしていきたいですね。」。

太陽パーツ株式会社のチャレンジは続きます。

竹原編集長のひとこと

お仕事はもちろん、恩返しという側面を持つお仕事の進め方。
とてもあたたかい気持ちになりましたね。