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10月11日
先週に引き続き、ゲストは万水電機設備工業株式会社の代表取締役 清水大吾さん。
今週は会社の歴史を伺っていきます。
「私の父が1968年、昭和43年に創業しました。
場所は大阪市東淀川区の豊里町、今の本社がある所でした。
父から聞いた話ですが、会社は小さな文化住宅の4畳半の部屋で父と母、職人さん2人の4人で始まったそうです。
創業した時間もはっきりしていまして、1968年8月15日、終戦記念日の午後3時にスタートしました。
そこから数えて今年で創業58年目に入りました。
今もその住宅は会社の近くにあって、たまに見に行って"ここから始まったのだな"と感じています」。

どのようにして現在の業態に?
「父は元々、大学の先輩の会社で電気工事の仕事をしておりました。
そこから独立して、最初は『万水電気工業所』として電気工事を始めました。
電気工事は建設業の中で手順として最後にやる仕事なので、なかなか大変だったようです。
そこで電気工事だけでなく機械工事や設備工事も一緒にやることにしました。
そこから『万水設備工業所』も立ち上げました。
そして、その二つを合わせて、昭和45年に現在の『万水電気設備工業株式会社』という形に変え、新たにスタートしました」。
当時、清水社長はまだ幼い頃?
「私はまだ2歳でした。
私が生まれて2年後に父が創業した形になります。
父は豊里から一旦、大阪市北区の天神橋筋六丁目の方に移り、また豊里に戻ってきて自社ビルを建てて創業しました。
父は本当にすごい人で、元々いた先輩の電気工事の会社の人脈などを活かして、創業当時から大手のプラントメーカーとも取引をしていました。
父が築き上げた人脈や繋がりが今も生きていまして、当時からのお客様との関係がずっと継続しています」。
創業者であるお父様、普段はどんな方だったのでしょう?
「昔は本当に怖くて、厳しかったですね(笑)。
関西大学のボクシング部のキャプテンをしておりまして、卒業後もOB会の会長や関西大学スポーツマンクラブの会長などを歴任していました。
ボクシングをしていたのでもちろん殴られはしませんでしたが、存在自体が大きく怖く、威圧的な感じもありましたね。
四人兄弟だったのですが反抗期がないというか、反抗できなかったです(笑)。
焼肉をしていると焼き方に指導が入るんです。
"なんちゅう焼き方してんねん、お前は。ちゃんと焼かんかい"と(笑)。
厳しい中にも優しい、非常に素晴らしい父親でした」。
そして事業を承継される...。
「私は長男でしたが、父親からは"お前はもう仕事を手伝わんでいい。好きなことをしろ"と言われていました。
兄弟全員にも自分が好きなことをしろと言っていました。
好きなことと言われて、私は高校から体育科に行き、大学も体育学部に行って体育の教員になりました。
長年、野球をやっていたので高校の野球部の監督になって、甲子園に出場する夢を描いていました。
実はその当時、父親の仕事が何をやっているのかもはっきり分からなかったんです。
大学4年生になったある時、急に父親から連絡がありました。
"お前ちょっと会社手伝うか"と。
私自身、仕事の内容も知らなかったので、その旨伝えると、技術や知識などは関係ない、学生時代の勉強も関係ない、社会人になって勉強したらできる。
そういったことを言われました。
父親が怖いので歯向かうことも難しかったんですけどね(笑)」。
それでも会社を継ぐ道へ。
「これまでのことを考えると、なに不自由なく生活できているのは父親の仕事のおかげ。
そんな父の言葉から自分にできるかどうかは分からないが、仕事を手伝う道を選ぶべきだと思ったんです。
でも私自身も好きな道を歩んでいた途中。
一度だけ体育の教員採用試験を受けさせてほしいと頼んだんです。
しかし、大阪府の教員採用試験は、すでに少子化が始まっておりまして、数人の募集しかなかったんです。
結果的に大阪府の教員採用試験は落ちまして、入社...かと思ったのですが、父から入社の前に外で4、5年勉強してこいと言われました。
父親の取引先にしてもらうという手もあったのですが、それでは甘やかされてしまうので、自分で建設工事をやっている会社を探して行くように言われました」。
自ら就職を決めて5年ほど東京の支店に。
大阪に戻ってきてから...?
「家業に入ることになるのですが、まずは2年ほど平の営業からスタートしました。
建設業なので仕事をよく知るために現場に行ってこいと言われましたね。
たまたま奈良県の方に大きい下水処理の建設現場がありました。
ちょうどスタートするタイミングで先輩の現場監督について見てまわりました。
右も左も分からない状態で作業着姿で色んな経験をさせていただきました。
そこから会社に戻り少しずつ営業を父親のもとで学んでいきました」。
最後に未来のビジョンを聞かせてください。
「皆さんの日常の暮らし、当たり前の生活を支えている重要な仕事だと自負しています。
58年目に入りましたが、これからの60年、70年、そして100年に向けて、企業を繁栄させていって、地域の皆様、周りの皆様方を幸せにする。
私どもの経営理念に『皆んな 幸せになろう!』があります。
これは父親がずっと唱えていた経営理念なんです。
みんなで幸せになろうと言っても、まずは人を幸せにしてこそ我々が幸せになれると思っています。
地域の皆様、周りの皆さんも幸せにして、我々も幸せになる。
この仕事に誇りを持ってやっていきたいです」。

カリスマ的な創業者に続いて、二代目の清水社長はまた違ったタイプの人を惹きつける魅力のある方です。
自分たちの幸せづくり、そして社会の幸せ、当たり前の暮らしをこれからも支えてくださいます。