ヒストリー

MBSラジオの競馬中継の歴史は、新日本放送(NJB)時代の昭和27年(1952年)5月25日に 、東京競馬場から梅沢二三男アナウンサーが実況中継した「日本ダービー中継」に遡ることができます。

その後も、桜花賞や日本ダービー、金杯など大きなレースを単発で中継していましたが、昭和38年(1963年)1月から、昭和40年(1965年)3月まで「競馬実況中継」のタイトルでレギ ュラーの競馬中継を行いました。当時は佐藤勇調教師や、競馬評論家の千草伊三郎さんが解説として出演されており、この間には、シンザンが史上2頭目となるクラシック三冠を達成した昭和39年(1964年)の菊花賞を実況中継するなど好評を博しました。

一時、単発での放送に戻りましたが、昭和45年(1970年)4月4日からは「MBSジャンボサタ デー」のなかで毎週土曜日のメインレースの実況を行い、昭和46年(1971年)10月10日から は待望のレギュラー中継を「MBS日曜競馬」のタイトルで再開しました。当時の司会は俳優の津川雅彦さんで、その後もロイ・ジェームスさん、片山明彦さん、桂春蝶さん、森乃福郎さんといった、バラエティーに富んだ司会を起用し、解説には浅見国一調教師や、競馬ブックの内炭重雄さん、井尻恵三さんといった専門家を迎えるなど、より聴きやすく判りやすい番組作りを目指しました。また、草創期の名物コーナー「武田文吾の一人言」では名伯楽のレース回顧や展望が繰り広げられ、リスナーから好評を得ました。

アナウンサーでは高木良三、蜂谷薫といった競馬実況のスペシャリストが番組から登場し、現在のスタッフにその実況スタイルは脈々と受け継がれています。なお、昭和50年(1975年)4月からは土曜日もレギュラーの競馬中継を開始。それにあわせてタイトルを「毎日放送日曜競馬」、「毎日放送 土曜競馬」と改めました。

その後、日曜日の中継はタイトルを平成2年(1990年)4月に「蜂谷薫のサンデー競馬」に 変更、さらに平成8年(1996年)4月から「サンデー競馬中継 みんなの競馬」に改め、平成 25年4月から現在の「GOGO競馬サンデー!」に改めています。また、土曜日の中継は昭和63年(1988年)4月から「サタデーコネクション ノッTel土曜日子守です」に内包される形となり、その後平成6年(1994年)10月から、ラジオ関西での「AM KOBEサタデー競馬(その後パーフェクト競馬)」へと移行、平成25年4月に日曜日とブランドを統一し「GOGO競馬サタデー」としました。放送はラジオ関西ですが、現在もMBSのスタッフによる制作を続けています。

ちなみに、草創期にはMBSテレビでの競馬中継も行なっていました。毎日放送が初めて賞を寄贈した、昭和34年(1959年)5月3日の「毎日放送賞 京都大障害(春)」は、解説に武田文吾調教師を迎え、佐々木(高木)良三アナウンサーの実況でテレビ中継を実施しています。その後も昭和38年(1963年)秋ごろまで、単発や短い期間のレギュラー放送を実施していました。

MBSの競馬中継は50年以上の歴史と伝統、そしてリスナー、ファンの声で支えられており、実 況と展望に重心を置いたスタイルを守りつつ現在に至っています。

MBSラジオ歴代競馬実況アナウンサー

梅沢二三男、杉本隆平、香西正重、高木(佐々木)良三、広瀬允昭、金子勝彦、三宅定雄、 蜂谷薫、板倉俊彦、平松邦夫、美藤啓文、金指誠、来栖正之、大八木友之、仙田和吉、河本光正