MBSラジオがパソコンで聴ける!インターネットラジオサービス「radiko.jp」
放送日
1月20日(日) よる8時~
同志社大学卒、京都大好きのMBSアナウンサー福本晋悟が「ビビビッ」ときた京都の情報を、自ら京都を歩いて情報を集め、
「ビビッド」にお伝えします!
ぜひお聞きください。
番組内容バックナンバーはコチラ
シンゴの京都歳時記!はコチラ

English Enjoy Kyoto by yourself

Here is the video with English subtitles.These subtitles are the translated transcript of the radio show broadcast previously. Please check this out!

↓音声を聴く↓

【1月20日放送分】
1.一人でも京都のコーナー 
 『 一人でも、四条大宮!』
2.ゲストコーナー
 『京都グルメタクシーの岩間孝志(いわま たかし)さん』
3.晋悟のビビビッきたぞ!
 『一休さんにビビビッ! 』

>>バックナンバーはコチラ

福本晋悟(MBSアナウンサー)プロフィール

名前:福本 晋悟(ふくもと・しんご)
生年月日:1985年9月4日
入社年:2011年
出身都道府県:滋賀県
出身大学:同志社大学
趣味:カフェめぐり

福本アナウンサーブログはコチラ

1月20日放送分

「一人でも京都」のコーナーは、四条大宮をご案内!
四条通と、大宮通の交差点。
バスでは多くの系統が行き交い、京福電車・嵐電の始発駅・四条大宮駅。
今回は、鳥居さんがお好きという新選組縁の壬生寺。
中華そば、うどん、そば、丼などがある1948年創業の食堂「京一本店」についてなどお話をしました。

ゲストコーナーには、京都グルメタクシーの岩間孝志(いわま たかし)さんにお越しいただきました。

京都府文化観光大使としてテレビ、ラジオ、雑誌等でグルメ情報を発信し、PHP研究所から「おいしい京都」「もっとたべたい京都」の2冊の本を出版されている岩間さんに、春のおすすめグルメとして、「澤屋」さんの「粟餅」と、「カステラ ド パウロ」さんのポルトガル伝統菓子「パォンデロー」を持ってきていただきました。

京都の観光スポットの案内と、京都の美味しいものを食べてもらおうという「京都グルメタクシー」。

詳しくは、インターネットで「京都グルメタクシー」と検索してみてくださいね。

そして「シンゴのビビビッ!ときたぞ」では、誰もが知っていますが、誰もが実は詳しくは知らない・・・という「一休さん」を特集。

一休宗純さんの生涯ついてなど、いろいろなお話をしました。

次回放送は、3月10日(日)午後8時からです!

ではまた来月お耳にかかりましょう!!

1月20日放送分

一人でも京都では、四条大宮を散策しました。
いうまでもなく、四条通と大宮通の交差点で、バスでは多くの系統が行き交い、京福電車・嵐電の始発駅・四条大宮駅があります。
一方で、阪急の駅の名前は、大宮駅です。
2001年に昼間時間帯の特急が止まらなくなり、現在では特急に乗るには桂駅で乗り換えることになります。
 
訪れたのは、四条大宮から西に歩いておよそ10分。壬生寺です。
市バスや京都バスでは、壬生寺道のバス停が最寄りです。
新撰組にゆかりのあるお寺ですが、平安時代の991年に建立されました。
たくさんのお地蔵さんを祀っていて、京都の裏鬼門つまり南西に位置することから、厄除けなどのお寺として庶民に親しまれてきました。
 
壬生寺というと、京都三大念仏狂言の1つ「壬生大念佛狂言」
通称:壬生狂言が有名で、鎌倉時代から京都の庶民大衆に親しまれてきました。
当時、円覚(えんがく)上人の教えを聞きに来る大勢の群衆を前にして、最もわかりやすい方法で仏の教えを説こうと、身ぶり手ぶりの無言劇をされたのが、壬生狂言の始まりと伝えられています。
 
2月の節分会は、約900年もの歴史がある最大の行事です。 
2月2日~3日の午後1時~8時、毎時0分には、節分という演目を繰り返し上演され、参拝される方の厄除招福を祈願されています。見学無料です。
 
壬生寺で手に入れて欲しいのが、厄除け炮烙(ほうらく)です。
半径25センチもある素焼きの土鍋です。600円(500円+100円奉納代)。
京都では節分に壬生寺に参拝して、家族の名前や年齢、性別などを書いて奉納するという風習があります。
毎年、春と秋の壬生狂言の炮烙割という最初の演目で、奉納され積み上げた何十枚もの炮烙を倒して、地面に落として割られます。
映像で見てもすごい迫力ですので、ぜひ一度生でみてみたいものです。
 
 
シンゴのビビビッ!ときたぞでは、一休さんを特集しました。
一休さんといえば、テレビアニメや絵本のイメージがありますね。
とんちを使って身の回りで起こるさまざまな問題や事件を解決したり、母上様に会えないという内容を私は覚えています。
一方で、実在した一休宗純(そうじゅん)はどんな方だったのでしょうか?
 
一休さんが88歳で亡くなる晩年に過ごしたのは、現在の京田辺市です。
京田辺市にある酬恩庵・一休寺を訪れました。
 
まず、一休さんの生まれですが、世は、室町の南北朝の時代が終わった直後です。
北朝の後小松天皇の子どもとして生まれたとされていますが、しかし、母親が南朝の血筋の方だったことから、母と共に宮中を終われ、嵯峨野へ。
阪急・上桂駅から歩いて10分ほどのところに地蔵院というお寺があります。
もしくはその周辺で、6歳で出家するまで母と共に過ごしたと伝わります。
地蔵院は竹の寺とも呼ばれ、現在も近くは竹林が多く、おそらくひっそりと過ごしていたんだろうと思います。
 
出家するしかなかった一休さんは、6歳で京都の四条大宮にあった安国寺へ。
アニメと同じでお母さんに会えない生活となりました。
その後、早くから漢詩の才能があり、洛中の評判となりました。

江戸時代になると「屏風の虎退治」や「この橋渡るべからず」などのお話が作られました。
秀才だったことから、一休さんなら言っただろうと創作されたのです。
ちなみに、一休寺では、10年ほど前に虎の屏風を置かれたり、
お庭にある長さ1mほどの橋には、「このはし渡るべからず」と看板を立ててあります。
そうすると参拝者から『これが、あの有名な屏風ですか!?』と笑
 
実在した一休さんは庶民にとても愛された方でした。
大人になった一休さんは、近畿地方をめぐりながら教えを説いていき、堺や大阪の住吉のあたりなど、ほとんど小さなお寺で過ごしていました。
エピソードをご紹介しますと、大きな刀を持って歩いていたところ「どうしてそんなものを?」と聞かれると、「鞘に納めていれば刀に見えるが、抜いてみれば木刀でしかない」ということで、外面だけでは、内面が分からないということを伝えていたそうです。
他には、お正月にドクロのお面をつけて、「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩き、人間は亡くなったらこうなる(骸骨になる)という事を伝えるためだったそうです。
こうした一見奇抜な言動は、こうした行動を通して当時の仏教の権威や形骸化を批判・風刺し、仏教の伝統化や風化に警鐘を鳴らしていたと解釈されています。
一休寺の田邊住職は、「室町という世の中が動いている時代に、まともなことを言っても通じないから、逆療法としてやっていた。
わかる人が見れば一休さんの本心がわかったはず」と、分析されています。
 
一休さんは、体制派ではない生き方をしてきましたが、81歳の時には、応仁の乱などで焼けてしまった大徳寺の復興をするため、大徳寺の住職になり、堺の豪商らの協力を得て復興しました。
 
ところで、一休さんは1月1日生まれです。
一休寺では、1月の最終日曜日(今年は1月27日)に、「一休善哉の日」という毎年700人くらいが参加される行事があります。
一休さんは、小豆の入ったお汁をいただいて、「善き哉この汁」とおっしゃったことから、善哉という名前になったという説があります。
善哉とは仏教用語で、よろしいですという意味です。
「一休善哉の日」では、絵馬に今年一年の善きことを記して、奉納します。
お願いというより、「今年自分はこんなことをします」という決意表明を書きます。
その後、善哉をいただきます。
一休善哉の日の拝観料は、1000円(善哉含む)です。
 
一休寺には、境内にお墓もあります。
晩年のおよそ25年を過ごしたお寺のお庭で、
ゆっくりと、考えごとをしてみてはどうでしょうか。何かひらめくかもしれません。
 
【酬恩寺・一休寺のアクセス】
・JR京田辺駅から歩いて20分弱。
・JR京田辺や近鉄新田辺駅からバスで15分。
・拝観料は、普段は大人500円です。