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シンゴの京都歳時記! #77【3月 ハリス理化学館同志社ギャラリー】

シンゴの京都歳時記!は、これまで取材をさせていただいた京都のスポットを月別にご紹介してきましたが、今回で全て紹介できましたので、最終回とさせていただきます。

最後に紹介するのは、手前味噌で恐縮ですが、私の母校・同志社大学の展示施設「ハリス理化学館同志社ギャラリー」です。
同志社は、1875(明治8)年に同志社英学校として、学生8人でスタートしました。その当時から、キャンパスは、京都御所の北側(烏丸今出川)で、相国寺の隣です。ここは、幕末に薩摩藩邸があった場所で、明治になり京都府が接収し、民間に売却後、新島襄が購入した経緯があります。

今出川キャンパスのほぼ真ん中に、ハリス理化学館があります。1890(明治23)年に建てられ、同志社の理化学教育の拠点となった建物であり、重要文化財に指定されています。
2013年にリニューアルされ、常設展示や企画展を行う「ハリス理化学館同志社ギャラリー」になりました。実はそれまで同志社の常設の展示スペースはありませんでした。

2013年というと、大河ドラマ「八重の桜」が放送されました。新島襄の妻・八重は、会津藩(福島県)の砲術師範家に生まれ、幼い頃から男勝りで、戊辰戦争ではスペンサー銃と刀で戦ったことで有名です。一方、新島襄は安中藩(群馬県)の江戸の屋敷で生まれました。

常設展は「同志社のあゆみ」や「新島襄の人と思想」、「京都の中の同志社」などがあります。
展示の1つに、新島が函館からアメリカへ密出国する時の格好をした写真があります。同志社関係者なら絶対知っているといえる有名なものですが、これは密出国するまさにその時のものではなく、アメリカ・アーモスト大学在学中にどんな風にアメリカ船に乗り込んだのかを級友の求めに応じて再現したものです。このように展示からは、新島の西洋やキリスト教主義教育の思想だけでなく、お茶目な一面も知ることができます。
ちなみに、同志社では新島襄のことを「新島」と呼びます。新島襄が自分のことを「先生と呼ぶなかれ」と強く言っていたからです。このことも、同志社が自由な校風と言われる所以の1つと感じています。

同志社大学今出川キャンパスには、クラーク記念館やチャペルなど赤レンガの西洋建築が数多くあります。京都御所や相国寺の観光と合わせてご覧いただけると幸いです。

【アクセス】
・ハリス理化学館同志社ギャラリーは、同志社大学今出川キャンパス内です。
・今出川キャンパスは、地下鉄烏丸線・今出川駅直結です。
・開館時間は朝10時〜夕方5時。日曜、月曜、祝日が休みですが、企画展開催中は日曜開館です。入館無料です。

これまで77回にわたりシンゴの京都歳時記!をお読みいただき、ありがとうございました。
京都のスポットを、何月に行けばベストかをお伝えしたくて月別に執筆してきました。またその月になりましたら、読み返してお出かけいただけると嬉しいです。
それでは、またラジオでお会いしましょう。ありがとうございました!

シンゴの京都歳時記! #76【3月 随心院のはねず踊り】

京都市山科区小野にある随心院は、世界三大美人の一人、小野小町ゆかりのお寺です。
地名のとおり、平安時代に小野氏が住んでいた地域で、小野小町も晩年この地に住んでいたと伝わります。亡くなって約100年の後に建てられたのが随心院です。
小野梅園が有名で、秋にはミス小野小町コンテストも開催されています。

美人は謎が多いことでより魅力が増すともいいますが、小野小町は謎だらけです。生誕地の説は、秋田、福島、神奈川、熊本など。お墓といわれるものも、京都市左京区、大津市、京丹後市、和歌山、下関などなどです。

小野小町は、仁明天皇にお仕えし崩御された後に小野の地に住んで、地元のこどもたちに踊りを教えていたと伝わります。そんな小野小町をイメージした踊りが、毎年3月最終日曜日に行われる「はねず踊り」です。
はねずとは薄紅色のことで、随心院の梅は、はねずと呼ばれ親しまれてきました。はねず踊りは、小野小町伝説をテーマに、元禄時代から大正時代まで随心院の近所のこどもたちが梅の咲く頃に踊っていたと記録に残っています。
実は、大正時代に一度途絶えてしまい、その後復活させようと声があり昭和48年に復活し今に至ります。地元の小学生の女の子がピンク色の和服を身にまとい、琴や笛、太鼓の生演奏に合わせて踊ります。

歌の内容は、小野小町のことを好きだった深草少将のことです。
宮中での生活を終え、小野の地に住んでもなお人気のあった小野小町。求愛を断っていた中、諦めないのが深草少将でした。「100日連続で家まで通ってくれたら会います」と深草少将に伝えると、5キロの距離を雨の日も風の日も通い続けていました。
小町は、カヤの実で1日を数えていて、99個になり、いよいよ100日目。小町が待っていたら・・・深草少将は来ない。なんと、小町の家の前で息絶えてしまっていたのです。
そんな伝説と地元ではもうひとつ、雪の降る日に代理人を立ててバレてしまったという話があり、こちらを歌詞で、女の子たちが踊ります。

昭和48年に復活させる際、大正時代にこどもだったおばあちゃんたちに聞き取り調査をされ「確かあんな感じやったなぁ・・・」と、思い出してもらったそうです。
京都の伝統行事は、寸断したものの復活というのも多いですね。
詳しいことまですべて記録が残っていませんが、それが謎の多い小野小町らしく、それはそれでいいものだなと思いました。

【アクセス】
随心院は、地下鉄東西線・小野駅から歩いて5分です

シンゴの京都歳時記! #75【3月 嵐電沿線スイーツラリー】

嵐電では毎年3月に「嵐電沿線スイーツラリー」を開催されています。
対象のお店で商品を購入しスタンプを集めると、嵐電のマスコット「あらん」のグッズがもらえます。

対象のお店は、沿線の有名店や地元の方に愛されているお店です。
その中の1つ、養老軒は、西院駅すぐの四条通に面したこところにある和菓子屋さんです。
お母さんと娘さん2人の3人が看板娘のお店で、フルーツ大福で有名です。

大福といえばいちご大福が有名ですが、こちらの人気ナンバー1は、完熟みかん大福(350円)です。なんと、Mサイズのみかんがそのまま1個入っています。
以前に京都中央卸売市場で、果汁がジューシーでおいしい愛媛のみかんに出会ったことから考案されました。今では大福用のみかんをつくってもらっているとのことです。

季節によって、キウイフルーツ、パイナップル、柿、梨などの大福もあります。
お餅の部分が薄いので硬くなりにくく、冷やして食べてもOKです。
「これはどんな味がするんやろ?と思って食べて欲しい」と、おっしゃっていました。
予想外の「甘い出会い」はいかがですか?

シンゴの京都歳時記! #74【3月 今宮神社】

今宮神社は、平安京ができる前から紫野の地にあり、疫病を鎮めるための神社でした。
桜の花びらが散るのとともに疫病が広まり流行するので、疫病が鎮まることを願い「やすらい祭」が始まりました。「やすらい」とはやすらぐという意味です。

やすらい祭は毎年4月に行われ、京都三奇祭の1つとされています。奇祭と呼ばれる理由は、その服装です。氏子のみなさんが赤毛や黒毛の鬼の姿になり、笛や太鼓のお囃子に合わせて町を練り歩き、「やすらい花や」の掛け声とともに長い髪を振り乱しながら飛び跳ねるように踊ります。そうすることで、行列にある大きな花傘に疫病が吸い取られていき、今宮神社で鎮められることで1年の無病息災を祈ります。
また、人々が花傘の下に入るとその年は病気をせずに過ごせるといわれ、皆さんが順番に入っていきます。

徳川5代将軍綱吉の母・桂昌院は、一説ではこのあたりに生まれ、「お玉」と呼ばれていました。そして徳川家光の側室となったことから、玉の輿の語源といわれています。そのため女性の参拝が多く、玉の輿お守りが人気です。

また、今宮神社の参道のお店には、名物・あぶり餅があります。
あぶり餅とは、親指くらいの大きさにちぎったお餅を、きなこでまぶして竹串に刺し、炭であぶって白味噌のたれをかけた和菓子です。
お店は2軒あり、北側にあるのが平安時代創業の「一文字和輔」さん。
参道挟んで南側にあるのが江戸時代創業の「かざりや」さんです。
どちらのお店からも「いかがですか〜?休んでいってくださいね〜」と呼び込みの声と、お餅を焼く香ばしい香りがします。
お参りの前と後での食べ比べはいかがでしょうか。
一人前6本500円で、営業時間はともに10時〜5時。定休日は水曜日です。

【アクセス】
船岡山のバス停から歩いて7分です。大徳寺のそばです。

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